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背伸びをちいさく


それはまるでちっちゃいミニチュアの世界の中、御伽噺の綺麗な箱庭。うつくしくて、儚くて、それでいて現実にはなんの意味も持たないただの玩具。飽きたらただのガラクタになってしまうのだけれど、それでもその中にはいっぱいの溢れるくらいの思い出があったの。


あたしはぼんやりと雨ばかりが落ちてくる空を見上げて、それから屋根から伝ってぼとぼとと落下してくる大粒のお水を眺めながらふうっとため息をひとつ。今日も雨。昨日も雨。明日もきっと雨。そんなふうな毎日を繰り返し繰り返していたものだから、もう当分雨を見る気にもなれないくらいに飽きてきていたところだった。つらつらと流れる雨の青い音、染み込む土のやわらかさ、それからその下に芽吹いている植えたばかりのちいさな花の芽。この庭にはたくさんの思い出が転がっていて、触れれば花開くように浮かび上がるしあわせだとか、もう戻らないせつなさだとか、そういった記憶が埋まっている。あたしがもっとちいさかったころに遊んだ壊れかかったちいさなブランコ、それからお兄ちゃんと一緒に砂のお城をつくったこじんまりとした砂場の跡。今はもう野菜をたくさん植えてるから、そんな面影なんてどこにもないけど、それでもあたしには大切な思い出ばかりが落ちているあたしのお家。ときどきこうやってあたしは昔のなつかしさに触れて、それを忘れないように頑張っている。忘れたら、きっと忘れたことも忘れて永遠に思い出せなくなって、それからその思い出がなくなってしまうから。それはきっとかなしいことだと思うから、だからあたしは数え切れるだけの思い出を手のひらに抱えて、覚えていようと思う。いつか大人になっても、昔を思い出してわらえるように。


たとえばそこにある、少し焼け焦げた戦火の跡を残すブランコ。わくわくしながらそれに座って脚を振って、それでも中々動かなかったブランコを、見かねたお父さんが少し笑ってあたしの背中を押してくれた。ふわっと宙に浮いて空が近くなって、青がいっぱいあたしの中に納まりきらないくらいに溢れかえって、いつまでもいつまでも飽きることなくあたしはそれを眺めて遊んでいたこと。今度はお兄ちゃんが精一杯あたしの背中を押して、嬌声を上げながら二人で高さを比べあっていたこと。しあわせで、まだ炎が町を包み込む前の些細なお話だ。それでもあたしはこの風景を忘れない。これはきっとあたしをつくる骨組みになっているようなしあわせな根源で、きっとなくなってしまったら困る、どうにもいいようもないけれど、きっと困るだろうと思うのだ。だから、たとえ全てが焼き尽くされてしまってもあたしは諦めないの。兵士さんが壊してしまっても、爆弾が焼いてしまっても、いつまでもあたしの心に仕舞われているから、きっと大丈夫。


「優奈、いってくる」


ぼんやりしていると、後ろからお兄ちゃんが慌しく足音を響かせながら、あたしに声を掛けた。お兄ちゃんはお母さんたちを失くしてから、最近ちいさな工場で働きはじめたばっかりだ。まだやりはじめて日が浅いから、いつもお兄ちゃんは疲れきった表情をして過ごしている。それでもお兄ちゃんはあたしと話すときには楽しそうに笑ってくれるし、毎日帰ってくるとあたしの頭をやさしく撫でてくれて、「ただいま」って言ってくれるの。それがあたしは大好きで、内緒だけれどどんなにお兄ちゃんの帰りが遅くったって決して寝ないでその手のひらを待ってる。撫でられるとどうしても笑っちゃうから、ほんとうは気づかれているのかもしれないけど、それでもお兄ちゃんはやさしいからなんにも言わない。


「お兄ちゃんおべんとーは?」

「あっ、やべ、忘れてきた」


そそっかしいところもお兄ちゃんのいいところで、あたしはそれすらも大好きだと心から言えるのだ。お兄ちゃん。お兄ちゃんはほんとうに優しい。ほんとうは、あたしを孤児院にいれて一人暮らしをしたっていいと思う。あたしを見ず知らずの親戚に預けたってよかった。でも、お兄ちゃんはそうせずに、自分で妹を育てるって決めて、あたしを大切にしてくれる。だから、あたしはお父さんもお母さんもいなくったって、寂しくなんかない。ほんとうに寂しくないのかといわれればそれは答えられないけど、不幸かって言われたら誇らしく否定できるの。


「はい、お兄ちゃん。お兄ちゃんはあたしがいないとだめなんだからー!」

「はは、ごめんごめん、ありがとう、優奈」


あたしはわざとらしくもったいぶった仕草でお兄ちゃんにお弁当を渡す。ほんとうは、その言葉は嘘。あたしがお兄ちゃんがいないとだめなの。でもちょっとだけ自慢してもいいよね?あたしはお兄ちゃんの助けに少しでもなってるって思ってもいいよね?たとえばそのお弁当、まだ作り始めたばっかりで、形も味もよくなんかないけれど、それでもお兄ちゃんは文句なんか一言も言わないで食べてくれる。あたしが焦がしたところだとか、生焼けだったところも、優奈らしくておいしかったよって褒めてくれるの。あたしはその言葉を聴くと胸がきゅうってなって、しあわせで、それからすこし寂しいような不思議な気分になった。お兄ちゃんはちょっと、ううん、すっごく無理をしていると思うの。まだお兄ちゃんだって子供なのに、あたしというもっと小さな子供を抱えているから、お兄ちゃんは子供のまんまじゃいられなくなった。あたしのほごしゃ、お父さんの代わりになんなきゃいけなくなった。だから、いっつも背伸びをして、もっと自分をおとならしく見せようと努力してる。ほんとうはお兄ちゃんだって子供で、もっと甘えたっていい年なのに。


「お兄ちゃん」

「?」

「えーい!」

「うわ、なにすんだよ優奈、痛いじゃねーか!」

「えへへへへー」


ねえ、お兄ちゃん。あたしはそれがちょっぴりかなしいの。だから、すこしくらいいたずらをして、たとえばこんなふうに抱きついたっていいでしょうお兄ちゃんが着てる工場のつなぎの服はすこしだけ機械の油の匂いもしたけれど、あたしはそれすらもお兄ちゃんの一部だと思うから、そのにおいも好きよ。だいすき。いつかお兄ちゃんがおんなのひとを連れてきたときも、ちょっと、ううん、やきもちだって焼くかもしれないけど、それがお兄ちゃんの選んだひとなら、あたしはそれを祝福するよ。


「今日もお土産買ってくるからな」

「いいよう。いらない、だってお給料前なんだもん。もったいないよ」

「ばか。お前は子供だからそんなこと考えなくたっていいんだよ」

「でも、お兄ちゃんだってこどもだよ」


ねえお兄ちゃん見て。この家にはたくさん思い出が蓋をされてたくさん埋まってるよ。これからもっとたくさん思い出をつくって、この家を埋めていこうね。失ったものはあんまりにも大きくて、それはもう穴埋めなんて出来ないけど、それでもそんな歪なしあわせだっていいと思うの。


爪先で背伸びしたお兄ちゃんはまるでおとなみたいに責任だとかかなしみを背負って一人前に世間に出たのだけれど、こどもが大人になるってことは辛いことだとあたしは思う。だって、大人は簡単には泣くことだってできないし、大人になるってことはいろんなものを忘れてしまうことだって思うから。そうでしょう?だから、おとなになるのがそんなふうにかなしいことなら、お兄ちゃんは一生こどものまんまでいいと思うんだ。だって、こどもだもん。あたしもお兄ちゃんもまだちっさくて、しあわせを与えてくれるおとなを求めてるこどもだから。だからお兄ちゃんはそんな風な背伸びをしなくったっていいんだよ。なんでもおとなの考えになればいいってものじゃないんだから。お兄ちゃんはこども。あたしもこども。肩を寄せ合って生きてる、ただのちいさなこども。きっとそれでいいんだと思う。かなしくて、埋もれるくらいにかなしくて、それでもあたしたちは生きている。いきてる、から。


いつか争いのないまっさらな世界になったら、この小さな窓から顔を出して、新しくなった広い世界を覗き込んで、それから笑おう。そのときまであたしは待ってる。がらんとした誰もいないこのからっぽのお家も、痛みも、懐かしさも、全て思い出に変えて、ずっと待ってる。もう誰かを失ったりなんかしない世界を待っているから。

この戦が全部全部終わって、そうしてあたしが大きくなったら、もう一度向かい合おう。


そのときまで、さよならかなしみ。


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