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はるか後方というほど離れているわけではないが、向陽から見えるトーラの姿は木立の隙間に隠れて見えなくなってしまう事があった。この世界にやってきた方向が間違っている事は無いという自信だけを頼りに、両手に満杯に水が入ったポリタンクの重さなど全く気にも止めず前進する。

(ここは本当に異世界なんだ)

 改めてそう感じさせる、自分の体力に方向感覚。元の世界――地球に居たころと比べればそれははっきりとしている。あの世界で自分はこれほど重いものを持って移動するのは安易だったか?こんな森の中で一人、ガイドも付けずすんなり進んで行く事ができるか?ここまで移動できる体力はあったか?全て否だ。

 一歩、また一歩、自分の足が大地を踏みしめる度に実感した。そしてそれが向陽にとって新鮮でとても楽しい。それこそ先程トーラにからかわれていた事を忘れてしまうくらいの喜びだ。

 

 しかしそれは、自分が不幸になるという事もわかってしまう。

 今まで軽快に動いていたはずの突然全く動かなくなった。同時に羽のように軽いと感じていたポリタンクは、まるで万人に引っ張られるように重くなった。どれだけでも動いていられると思っていた体力、それは勘違いだったと思うほどに呼吸は乱れる。呼吸困難は自分が溺れていると感じ、体に入る空気はない。発汗は止まらず、恐怖がひたすらに倍増していき、そして悟った。

 ――自分はここで死ぬ。

 向陽は自分の命を諦めようとした。

「大丈夫か向陽、酷い顔をしているぞ」

 立ち止まったことでようやく追いついたトーラは、向陽に声をかけた。

「それにしてもようやく気付くとはな。もう少し警戒心を持った方がいい」

 まぁ初めてだから仕方ないかと付け加え、トーラはある方向を指差した。

「君が鳥人のヒマであるなら見えるはずだ。この先にいるものが」

示された方向に意識を集中させた。始めはぼんやりとしていた向陽の視界も次第にはっきりとしてきた。

「その表情からすると確認できたんだな。とりあえずあれはもう死んでいるから安心していい」

 向陽の眼が捉えたのは巨大なドラゴンだった。トーラの話が事実ならば本当に死んでいるのだろうが、その姿はただ眠りに落ちているだけのドラゴンにしか見えなかった。恐る恐るだが体全体を見回してみる。そのドラゴンは翡翠色の美しい体色。まるで巨大な宝石が転がっているようにも感じた。そこで向陽は一つ気付いた事があった。体の腐敗が始まっていないのだ。

「あのドラゴンはな以前にこの一帯を治めていた。ただ治めていたと言ってもあの一体ではなく番い、いや夫婦で過ごしていた」

 向陽の顔に寄せるようにしてトーラは話す。突然どうしたと向陽は感じたが、今はそれが一番の助けだったし、トーラの語る内容にも興味があった。

「ドラゴンの寿命というのは我々に比べれば、とても遠大な時間を過ごす。その時間を使い長い間この土地を治めていた夫婦であったが、やはり終わりという物がやってきた。あれはその夫婦の旦那の亡骸だ」

「なにがあったんですか?」

 ようやく絞り出した言葉は何とか声になる。

「なにもない」

「なにもない?」

「あぁ…何もなかったよ。君が想像するような事はなにもない。だからこそあのように美しいのだ」

 向陽が想像したのは他の種族による狩猟だ。ゲームやアニメのサブカルチャーにおいてドラゴンというものは、とても貴重な資源となる。自分の装備を大幅に強化できる資材になったり、万病に効果のある薬にもなる。そして主にドラゴンという種族を倒すとそれが栄誉や名声へと繋がる。それらを求めた者に殺されたのではと考えたのだ。

 しかしそれらが原因ではないとトーラは言う。

「じゃあなんで」

「簡単な事だよ。生物という存在には総じて終りが訪れる。ただの摂理に従っただけのことだ」

 つまりあのドラゴンはただ己が寿命を全うした。ただそれだけだという。

「そしてあのような姿で残っているのは、彼の願いと彼女のわがままだ」

 また不思議な事を言うんだと向陽は思った。そしてあの姿はある意味自然のものでは無いと知る。

「彼――つまり旦那が自分の死期を悟った頃から一つの願いを持ち始めた。それは自分が死んでもこの土地を平和に守りたいというものだ。旦那はその願いを叶えようと死した後、自分の身体を細かく分け、この土地に散らばり守る事を考えた。そして死の間際にそれを実行しようとした。

 しかしそれは彼女――妻であるドラゴンに阻止される。旦那が息を引き取ろうとする際、自分の願いを妻に打ち明けた。妻は旦那が死んでしまう事を受け入れられなかった。自分の後を追うとまで言った。それでも旦那が真摯に諭した。それで彼女は後を追う事と旦那の願いについては承諾をした。ただやり方だけは反対した。妻は旦那の体を散り散りにさせてまで守って欲しくなかったし散り散りになる姿すら見たくなかった。だから妻はそれ以外の方法でこの土地を守って見せると旦那に言った。

 旦那はその答に満足し、自分の体が役に立つなら使っても構わないからと言って、妻が見守るなか息を引きとったらしい」

 向陽は成程と思いつつ、まだ解決されて無い疑問を口にする。

「でもどうやってこの土地を守ることにしたんですか?」

 ようやく落ち着きを取り戻してきた向陽の様子を見て、寄せていた顔を離し正面へと回りこんで話す。

「血だ」

「血?」

「そうだ。詳しくは知らないが旦那の体内に残っていた血を抜いて自分の血と混ぜた。それを薄めた物をこの一帯に散布したらしい。どういう訳なのかは知らないが、それによって邪な気持ちをもった者や悪意に塗れた者はこの土地へと訪れる事を阻むようになったらしい。まぁあくまでそれはヒマやアマなどに限られるようで、先ほど出会った魔獣といった類については、自然発生的なものもあるせいか、この土地でも出現はする。ただしそこまで高位の魔獣といったものは現れないはずだ。私は見たことがないからな」

 今の話が本当なら、この一帯の土地はある意味楽園だ。自然の摂理である食物連鎖の輪だけは崩壊していない。それでもここで暮らしている生物達は、他の土地に比べれば豊かな暮らしをしている。まぁ他の土地なんか知らないけどと思う向陽。

「あと旦那が腐らずあの姿を維持しているのは妻のお陰らしい。どうやっているかは知らないがな」

「へぇ…」

よくわからないがこの世界ではあっちとは違うからそういう事もあると割り切ったところで、再び疑問が持ち上がる。

「じゃあなんで俺はあんな目に遭ったんですか?」

 あんな目というのは向陽が死を覚悟した、あの恐怖体験の事である。今の話で自分がどうしてあんな目に遭わなければいけなくなったかが理解できない。自分にそこまで悪意や邪な気持ちがあったとは思えなかった。

「それは多分私と離れすぎたせいと、一直線にこの遺骸に向かって行ったってところが問題だったと思う」

 トーラの話に納得いかない顔をした。

「私の近くに居たという。つまり君は私の連れであるとこの遺骸は判断したんだろう。それで何かするといった行動はしなかった。だが、私から離れた後のことだ。君は偶然にもこの遺骸に向かって一直線に向かった。おそらくそこに原因がある。まぁ例え話になるが、突然私から離れこの遺骸にまっすぐ向かってきたことで、私を騙してこの地に足を踏み込み、私が油断したところを見て、この遺骸を狙って一気に距離を詰めてきた。それでこの遺骸を狙った盗掘の一人と判断されたのだろう」

 向陽はそんなことでと思った。同時に遺骸であるのに意識が存在している事驚く。そしてこの遺骸がこの土地の守護神となっている事を肌で実感したのだった。

「ちなみになんですけど、このまま俺が悪人認定されたらどうなってたんです?」

「……まぁここの魔獣のご飯で腹の中に納まっていただろうな」

 その話を聞き向陽は知らない事だったとはいえ、自分の行動が原因で人生を終えてしまう可能性があった事に血の気を失ってしまうのだった。

 

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