1-3
向陽は――――ただただ驚くしかなかった。
しかし、それも仕方がないことだ。全力で跳び上がったとはいえ、普段であれば一メートルも跳び上がれれば充分な光景だった。でも今向陽が見ている世界は、そんなせかいとは全く違う世界だ。
「わわあわわっわわわわあわわわあわああわわわわ」
向陽自身何を言っているか分からない。どうなってるのかも分からない。そのくらい衝撃的な光景が目の前にあった。具体的に言うなら向陽は空と友達になった。そして下にいると思っていたトーラはいつの間にか隣にいた。
「凄いな!この結果は予想していなかった!」
「それってどういう意味ですか!?」
「そんな事よりそろそろ着地の事を考えるぞ!」
「え?あ!はぁぁぁあーー!」
一瞬意味が分からず下を見た向陽は、すぐにトーラが言った意味を理解した。向陽は跳んでいるのであって、飛んでいるわけではないのだ。つまり跳んだからには後は落下する事が当然。自分が落下している事に気づいた向陽だったが、その際空中でのバランスを盛大に崩してしまい、このままいけば地面にぶつかるのは下半身からではなく後頭部からになる状態。
「あぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「落ち着け向陽!」
トーラが叫んでもパニックになった向陽の耳には全く届かない。
「仕方ないな」
このまま落ちていけば確実に怪我をしてしまう。そう感じたトーラは向陽の身体を掴んで引き寄せた。
「え?えええええええ!!!」
突然自分の体が柔らかいものに包まれる感触。その正体がトーラであることに驚いた。
「このまま着地するからな!」
向陽に有無を言わせない。トーラは返事を待たず華麗に着地を決め、
「お楽しみはおしまいだ」
向陽を投げ捨てた。ドサッと音をたてて地上帰還した向陽だったが、未だに夢うつつといった表情だ。
「さて、とりあえずこれで君が何のヒマかだけは確認できたな」
「……え?」
「君は鳥人だ」
「鳥…ですか?」
不思議そうにトーラを見ていると、話はそのまま進んでいく。
「そうだ。これに気づいたのはさっきの君の話だ」
「?」
「先ほど君は幻想種ではないか?と想像していた。その理由は君の体に起きた変化から、自分の世界に居る生物で該当するものが思い当らなかったからと言った。だから君は自分の知らない世界の生物なのでは?と考えた。」
向陽が首肯するのを見て話はさらに進む。
「当然ながら、私は元々こちらの世界の住人だ。全ての種族と出会っているわけではないが、それでも大概の種族には出会っている。そしてその種族は君の世界に居る動物と呼ばれるものと、さして種類は変わらない。これは私が君の世界に行って調べた結果だ。これは恐らく大きく間違っている事はないと思う。その結果としてだ、君の体に起きた変化。髪色が緑に変色する。それに当たる生物は獣人の中にはいないであろうと判断した。そこで残るのは魚人と鳥人。魚人はもう少し体に変化があってもいいような気がする。まぁそれは私の経験からだ。そして最後に残ったのが鳥人、そして簡単に試させてもらった結果、君は鳥人である可能性を十分に見せた」
「……可能性?」
「そうだ。君はこの世界に来て初めて全力で跳んだだろう?その結果、本来の世界ではありえないほどの跳躍力をみせた。それはまるで飛んでいるかのようだっただろう」
「…はい」
「ここでひとつ鳥人の特徴の一つを教えよう」
そこから語られる鳥人の話を向陽は真剣に聴いた。
鳥人――向陽の世界でいう鳥がベースとなっている人間である。獣人や魚人の二つと決定的な違いとして、「空をとべる」ことが言える。そしてヒマとアマではこの「とぶ」の意味が変わってくる。
アマの場合、体が鳥に近いため翼を持つ者が多い。つまり文字通り「飛ぶ」のだ。しかしヒマの場合そう言う訳にはいかない。動物よりも人の体に近いアマは翼がない。それは飛ぶことができない事をさす。だが、鳥人のアマは「跳ぶ」事ができるのだ。なぜ魚人や獣人に比べて跳ぶことができるのか?その理由ははっきりしていない。元々鳥だった事が起因しているのでは無いかという人たちが多数を占めている。空に愛されていた鳥が飛べなくなったのは悲しいことだと思った鳥人の神が、せめて少しでもかつて自由に飛び回っていた広大な空に近づけるように、獣人や魚人よりも高い跳躍力が備わったのではないかという。
この話を聞いて向陽は一つ疑問に思うことがあった。
「なんでトーラさんは俺と同じくらい跳んでたんです?」
今の話を聞けば自分は跳ぶことに関してスペシャリストになる。実際自分が跳んだのは三十メートルくらいあったと向陽は思っている。
「あぁそんな事か?その答は簡単だ。君が初心者で、私が歴戦の強者だからだよ」
ついでに私が出会った鳥人のヒマの中で一番跳んでいたのは山一つくらい平気に跳び越えていたよと、トーラが笑いながら言ったのを聞いて向陽は遠い目をしてしまった。自分が素人…というかジュボネ初心者である事をまざまざと思い知らされた。
「さて後は君の種族であるかだが、今日の所は関係ないだろう」
「そうなんですか?」
「あぁ。それにこんな話ばかりしていたら、辰ばぁに頼まれていたキエフの湧水が持って帰れなくなるからな」
「あ…」
「忘れてたのか?そんなにこの世界の事に興味を持ってくれるなんて嬉しいことだ。でもお使いはやらないと辰ばぁに怒られることになるぞ」
「…ばぁちゃんて怒るんですか?」
「……怒ると相当怖いな。できればさっさと取りに行って、この依頼を終えたいとも思ってる」
その様子をいくら考えたところで想像できない向陽。それも無理はないことだろうと思う。それよりもその怒りを買わない為にやる事がある。
「さぁ考えていても分らない事など時間の無駄。さっさとキエフの湧水を取りに行くぞ」
「はい!ってこの恰好のままでいいんですか?」
「問題なないさ。何も起きなければね」
「…それ凄い不安なんですけど」
「ほら行くぞ!少年!」
「ちょっと待ってくださいよ!トーラさん!」
出てきた場所からしばらく歩く。そこで目にするのは、普段の生活では見る事がないほどの濃緑の自然たちだ。向陽が住む地域は地方都市ではあるが、それほど開発が進んでいるところではない。その為主要都市に比べるとまだまだ手つかずの自然が残っているような土地柄だ。そういった地域に住んでいる向陽でだったが、今いる場所は自分が住んでいるところとは比べものにならない。普通の森に迷い込んだとより、突然亜熱帯のジャングルに放り出されたかと錯覚するような濃密な森。さらには地球に居たよりも感覚が鋭敏になっているのか、そこら中からいろんな気配が漂っている感覚がある。
そんな森の中をずんずんと何の迷いもなく進んでいくのが、目の前を歩くトーラだ。いつの間に取りだしたか分からない鉈のようなナイフでどんどん道を作ってくいく。おかげで向陽は何の苦もなくこの森を進んでいった。
「さてと…ここで半分くらいか」
そう言って鉈っぽいのを片づけたトーラ。そこは開けた場所になっている。トーラが鉈っぽいのを片づけたのもなった奥が言った。が――。
「どうやらいらぬお客が来たようだ」
「はい?」
再び鉈っぽいのを手にして正面を睨む。それにつられて向陽もそちらを向けば犬っぽいけど明らかに容貌がおかしい生物がいた。
「あの…トーラさん、アレは?」
「アレか?アレは魔獣というやつだ」
「そうだ。魔獣だ。詳しい話は後でしてあげよう。手がかかるような相手ではないが、この世界には慣れていない君もいる。油断や手心を加える事はしない。君はその場を動かずに。後ろから襲撃されるかもしれないからそれだけ気をつけて待っているといい」
話しながら向陽の方を向いて笑ってみせる。目の前にいる魔獣を初めて見た向陽に不安を持たせない為のトーラなりの気づかいだ。
トーラが再び正面に向き直った時。犬型の魔獣は一匹から六匹にまで増加していた。
「さて、私たちは今お使いの最中なのだ邪魔しないでもらおうか!」
一瞬にして魔獣に肉薄し一匹の頭部を斬り飛ばし、勢いそのままに近くにいた魔獣を首から切り落とす!
瞬きするような時間で仲間が二匹も潰された魔獣は警戒するもとの怒るものと反応が分かれ、
――ガアァァッッ!!
仲間がやられた仇を討つため躊躇なくトーラに襲いかかる!
「獣の分際が!」
襲いかかってくる魔獣の動きと合わせて後方へ跳んだトーラは目の前にいる魔獣の顔を切り上げて頭を二つにしてしまうと、後ろで警戒してこちらを見ていた一匹に向けて鉈を放り投げた!投げられた鉈は真っすぐに魔獣の顔を捉えて絶命の悲鳴を悔しそうにこぼして絶命してしまった。そして唯一の武器を放り投げたのを見た一匹が好機とばかりに襲いかかったが、
「馬鹿が!」
飛びかかってきた事で見えた腹を強かに蹴りあげられ、自分の力では飛んだ事が無い高度まで打ち上げられた。
「さて…お前はどうするんだ?」
そう問いかけた先にいるのは、投げた鉈でやられた魔獣の隣にいた魔獣だ。トーラの殺意に押されたのかそこから動くことさえ出来ない。自分が手を出した相手は間違いだったのだと後悔しているようにさえ見えてしまう程に、魔獣はおびえてしまっていた。
だがそんな魔獣の目に映ったのは自分より弱そうな餌。魔獣はせめてあれだけでもと欲を出したのか、窮鼠猫を噛む勢いで突破口を切り開くために向陽に襲いかかった。
「わあああっっ!」
ただ漠然と成り行きを見守っていた向陽は、突然舞台にあげられてしまった事でパニックとなった。そしてその場から逃げ出そうと思い動こうとしたが動けなかった。トーラに言われた事を守っているからじゃない。襲われる恐怖で足が竦んでしまい動かない。
もう魔獣はそこまで来ている。自分はこれで終わりなのかと向陽は感じた。
「大丈夫。安心して」
聞こえた。トーラの声。その声は優しく、安心感を覚えるくらいだった。
「ね。大丈夫だろう」
目の前に向かっていた魔獣はトーラの足元で血を吐き潰れていた。向陽の目には全く分からないほどの速さで繰り出された踵落とし。正確にいうなら前方宙返りによる両足による踵落としによって魔獣は絶命した。