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はじめまして。お久しぶりです。
オリジナルは途中で投げ出してしまう事に定評のある作者です。
でも今回は完結目指し、のんびり更新していこうと思うので応援よろしくお願いします。
眼下に広がる世界を見渡す。そこに見えるのはいつもと同じはずの世界ではなく、欝蒼とした木々が所狭しと乱立している。しかしこの足元を支えるのは、眼下に広がる木々とは全く別のもの。コンクリートでできた十階建てのマンションの屋上だ。
「ほんとに異世界ってあるんだな……」
ほんの数分前まで現実世界にいた。そんな事が嘘だったかと錯覚さえしてしまいそうなほど。目の前の世界は本物だった。
この世界に迷い込んだのではなく、自らの足で来ることを決めた。これが葉黒向陽の放課後異世界冒険の第一歩だった。
新年度、新学年、新入生。春うららかなるこの日、葉黒向陽は自宅から一番近くにある高校への入学式に参加していた。参加している入学式は特に変わり映えがあるわけでもなく、国歌斉唱で式が始まり、学校長の話から在校生の話になり、校歌を斉唱し、新入生が会場から退場する。ただそれだけの様式美だ。
向陽が入学したこの学校は、普通の県立の共学高校。そして普通科。高校も県下に置いて中堅の学校。課外活動も特になにが強いというわけでもない。時たま個人が成果をあげ、それで盛り上がるくらいでしかない。
そんな学校だからという訳ではないが、この日も入学式が終わると教室に戻り、担任から明日以降の簡単な予定が書かれた書類と口頭での指示を受けた後、その日は下校となった。
翌日からは前日にもらった予定表通り行事がこなされていき、各部活動の勧誘活動も日に日に苛烈になったいく中、向陽はわれ関せずを貫き、早々に帰宅部への入部を決めてしまった。
そんな向陽が向かったのは、小さい頃からよく通っていた自宅近くにある駄菓子屋。昔ながらの駄菓子屋で、駄菓子屋を営んでいるお婆さんも向陽の事は小さい頃から知っていた。
「ばあちゃんいつもの」
「はいはい…ほら、百円」
「あいあい」
ポケットに手を突っ込み、無造作に硬貨を渡すと二人はいつものように喋りだした。
「それにしてもアンタ。ほんとに何もしないんだね」
「やりたくない訳じゃないんだけどね。やる気が起きないし興味もないから」
「じゃあなんだったらやりたいんだい」
「そうだな……他人がやった事なさそうな事がやりたいかな……」
「そうかい…」
会話をしながらグビグビと飲み干していくラムネは、春にしては少し暑いこの日が原因で上がった体温をゆっくりと下げていく。
「そうだね、だったらこーちゃん。少しお使いを頼まれてはくれないかい?」
「おつかい?」
「そうだよ、おつかいだよ」
お婆さんは「よいしょ」と声をかけ立ち上がると、奥の方へ行ってしまった。このお婆さんの駄菓子屋――――森野駄菓子店は住宅兼店舗となっている二階建ての建物。二階部分がおそらく店主である森野辰の私室になっているのだろう。そこに入って行った森野が再び向陽の前に戻ってくるのにそれほど時間はかからなかった。
「はい、これ」
「ん…なにこれ?」
「そんなもの見ればわかるだろう。鍵とお使いのリストだよ」
「いやいやばあちゃん。俺お使いに行くとか言ってないから」
「でも、人がやったこと無いことやりたいんだろう?」
「確かにこの歳になって、ばあちゃんのお使い行くとかさ、そりゃやっている人なんて少ないだろうけど。俺がやりたいって言った事はこういうことじゃないんだって」
「はいはい。そう言うのはちゃんと出来てから言うだね。ホレ、行くだけ行ってみな。それで損したなら仕方ない。でも得する事もあるかもだろう」
「そう言われたら否定できないけど……」
「それじゃあ決まりだ、早速行って来ておくれ」
森野婆さんの言葉に不承不承ながらも納得した向陽は、空になったラムネのビンを返す。
「で、ばあちゃんは俺をどこに向かわせたいんだ?そうだね、とりあえずこの住所の所に行ってくれるかい?」
そう言われて新たにメモが渡された。そこにはどうやら住所が書いてあるので、とりあえずここに向かえば何か分かるかもしれないと向陽は考えた。
「ありがと。それじゃあ行ってくるわ」
「はい、それじゃあ頼んだよ。『道中』気をつけるんだよ」
「はいはい言われなくてもわかってるよ」
そうして向陽は森野駄菓子店を後にした。
森野駄菓子店からぽつぽつと歩き始めて十五分。向陽は目的地の大体の場所に到着した。
「このマンションだよな?」
向陽はお使いと言われていたので、どこかの卸売業者にでも行くものかと思っていた。しかしその予想は全く見当違い。ついてみれば最近できたと噂の大型マンション。
「えっと…一〇一〇号室って……多分一番上の階の事だよな?」
とりあえず入り口近くにあったエレベーターの『△』を押した。
最上階についてフラフラと部屋を探した結果。奥まったところに目的地の一〇一〇号室があった。
向陽はどうしたものかと考えたが、とりあえずドアの横についていたインターホンを押すとにした。
――ポーン、と来客を知らせる音が一度鳴ると「はーい」とインタホーンについているスピーカーから女性の声が返ってきた。
「あの…すみません。ここに行くように森野のばあちゃん、じゃなくて森野商店の店主に言われたんですけど……」
「…あ~!聞いてますよ~。鍵もらってますよね?」
「はい。借りています」
「それじゃあ私は手が離せないので、そのカギを使って中に入って来てください」
「あ、はい。わかりました」
ブツンとスピーカーが切れる音。持っている鍵を使って中に入って来てくれと言われても、そんな勝手に入っていいのかという葛藤が向陽の中で生まれたが、結局はいつもお世話になっている森野のおばあちゃんの為にと思って、手にした鍵を目の前のドアの鍵穴に差し込んだ。
――カチャリ
軽い音で解錠されたドアを開く。
「あの、お邪魔します」
恐る恐るドアを開けて室内に進もうとすると、
「靴脱がなくてもいいからね~」
奥の方から先ほど聞いた女性声がした。
「わかりましたー」
返事をした向陽は家主の指示通り土足のまま中に進もうとして驚いた。
「は?え?ひっろ!」
入口から続く遅い廊下というよりは通路だ。そこを二・三歩進んで飛び込んできた部屋の広さに向陽は驚く。その空間は明らかにマンションの一部屋の大きさではない。最低でも二部屋はぶち抜いたほどの大きさを持つリビングだ。
「あ~いらっしゃい。君が向陽君かな~?」
そのリビングの壁際の方にグルメ雑誌とかで見るようなバーカウンターがある。向陽にそのバーカウンターの中で何やら作業しているのがこの部屋の主人であるようだった。
向陽にとってこんなバーカウンターはもちろん見た事は無い。何と言っても未成年。グルメ雑誌なんかで紹介されている写真の映像でしか見た事はない。後は近くにある喫茶店がこれに近い形をしていた様なと思っていた。
「はい!葉黒向陽です!森野の店長に頼まれてここに来ました」
バーカウンターの他には大きなテーブルが何脚か置いてある。そんな部屋に圧倒されつつ、向陽はバーカウンターにいるお姉さんに近付いて行った。お姉さんはとてもフレンドリーもしくはフランクな人らしく、日本人には見えないほどの透き通った白い肌に漆黒の髪。まるで精巧な人形ではないかと錯覚してしまうほどの美しさをしている。そんな美貌の持ち主だ。女性慣れなどしていない向陽にとって緊張の対象にしかならない。まぁ…女性慣れしている新高校生というのも、それはそれで問題がありそうな話ではあるが、ここにおいては関係はない。
「うんうん聞いてるよ~。なんかお使い頼んだから面倒みてあげてって言われたからね~」
「えっと。それでなんですけどこれってどういう意味なんですか?」
向陽が森野のおばあちゃんに貰ったメモには『キエフの湧水』とだけ書いてあった。
「あのキエフってロシアににある町の名前とかじゃなかったですか?てか、あそこって水の有名な所でしたっけ?」
キエフ――詳しく言うならばウクライナにある町で首都でもある。過去にロシア領となっていたこともある。しかしそこは水よりも重化学工業が発展した工業都市でもある。ハイテク産業にきれいな水は必要不可欠ではあるが、それは飲料水の事かと言われればまた別の話になる。もちろん今回もキエフも、このキエフとは全く別の事だ。
「あっはっはっは。違う違う、辰ばぁが言ってるのはそういうことじゃないんだよ」
快活に笑う女性に見惚れてしまう。
「そんな目で見られても何もではしないよ」
「いや!そんな意味じゃ!」
自分の考えが見透かされたのかと、思わず向陽は動揺してしまった。
「あはは!君は物好きなのかい?まぁいいさ、特別に名前を教えとこうか。私はトーラだよろしくな」
「えっと、おれは葉黒向陽です」
「あぁよろしく」
トーラの方から差し出された手を向陽は少しためらいながら握った。自分より年上の女性と手を握る機会などあまりなかった向陽にとって、これだけでも一大イベントだったのだ。
「あははは!ホント初々しいね。それじゃあ辰ばぁご注文の『キエフの湧水』を取りに行くか」
トーラはバーカウンターから出る。
「悪いけどついてきてくれるかい?」
「はい!」
向陽はトーラに言われた通りに後ろついて行く。トーラはバーカウンターとは反対側に設置されていた階段を上がっていく。向陽は室内に階段?と疑問に思いながらもトーラの後について行く。さして長くもない階段を二人が登りきった先には重厚な鉄の扉があった。
「あのこれ?」
「まぁ…ついてきな」
トーラがその扉に手をかけて押し開けた。
「向陽。さぁおいで」
向陽はここが最上階での一室であったことから、個人宅からマンションの屋上に出られるなんて豪華な造りをしているんだな程度にしか思っていなかった。もしかしたらこのマンションの屋上を借りて、もしくは買い取って倉庫とか併設してるのか?そんな事を考えていたが、それらの考えは気持ちいほどに裏切られた。
扉を抜けた世界。そこに待っていたのは明らかに自分が住んでいる町の様子とは違う。マンションの屋上は変わらないはずなのに、そこから見えるのは欝蒼と生い茂っている森林群。自分が見知っている木もあれば、明らかに知らないような木も存在している。空を見上げれば何も遮るものは存在してはおらず、気持ちのいい日光が燦々と照って体を温めてくれる。
「あのここって…」
向陽が屋上に上がってようやく発する事ができた言葉はコレだ。そしてその言葉を待ってましたとばかりにトーラは笑う。おもむろに広げられた両手。そのさい少しタイトなシャツを着ていたトーラの胸が強調されたことについては些細な問題だ。何故なら思春期真っ盛りの向陽とて、今はトーラの胸よりもこちらの言葉の方に食いついたのだから。
「ジュボネへようこそ!向陽ここは異世界だ!」