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 幽世はまず残存する将兵をすべて城内に招き入れ、籠城の構えを取った。

 それだけなら、当初元信が取ろうとしていた策となんら変わらない。しかし、ここからがなんとも奇妙だった。

「討たれた岡崎衆、ならびに火輪党の方々のなきがらを、曲輪前に並べるのです。ぞんざいにしてはなりませぬ、丁重にですよ」 

 普通、戦さにおいて名のある部将ならばいざ知らず、兵卒の死体は戦さ場にそのまま埋める。城などに引き取っては腐敗して衛生上よくないし、最悪の場合そこから疫病が発生しかねない。

 が、幽世は構わず亡骸を城中に運ばせ、ずらりと並ばせた。弔うにしても、いささか大仰すぎる。

「幽世姫、どうされるおつもりか?」

「まあ、しばしご(ろう)ぜよ」

 怪訝に問う元信に対し、慶雲斎が幽世に代わって答えた。

 すでに、幽世は精神を集中している。

「……具足を」

 幽世は並べられた亡骸を前に瞑目したまま、短く指示した。

 慶雲斎が幽世の緋色をした具足を外し、鉢金を解くと、紅袴と白い小袖のみを纏った巫女姿の幽世の躰から、再び春の暖かい日差しにも似た柔らかな光が溢れていった。

「……おお」

 元信たちが感嘆の声を漏らした。幽世から放たれた光はいつしか並べられた兵の亡骸までも包み、膨れ上がってゆく。

 やがて、亡骸の上に光点がひとつ、ふたつ、現れては明滅を繰り返し、ゆっくりと群れなしては乱舞を始めた。

「これは……!」

 まぎれもなく、先ほど〈あちらのもの〉が施した術である。

 邪法と忌避し、その遣い手を討滅までしている幽世が、みずから魂魄を呪縛する法術を実行するというのか。

 亡骸のぶんだけ増殖し、寺部城内を群れ飛ぶ光点を前に、幽世はゆっくりと目を開いた。そして両手を伸ばす。

「わたしの声が聞こえますか?」

 光点、すなわち亡骸の躰から遊離した魂魄たちが、幽世へと集まる。そのさまはまるで、蛍と戯れているかのように見えた。

「あなたたちは、すでにこの世ならざる身。あとのことはすべて、仏国土におわす御仏の思し召しに委ねることになりましょうが……。ただ、浄土へまいる前にひとつだけ、お願いがあるのです」

 魂魄を周囲に遊ばせながら、ゆっくりと語りかける。奇しくもその様子は元信が喩えたように、観世音菩薩が衆生を済度する光景のようでもあった。

「今一度、あなたたちの力を貸してください。あなたたちの主君である元信さまが、危機に直面しています。岡崎の精兵たるあなたたちの力を、ほんのもう一度だけ、元信さまを援けるために揮ってください……」

 幽世は何度も魂魄に語りかけ、その指先に、躰に、光点を遊ばせている。輝く魂魄の群舞と、幽世の放つ柔らかな光につつまれた光景は幻想的というほかなく、生き残った将兵たちはそれを時を忘れて眺め、暫しの刻が過ぎた。

「敵の増援が参りました! 織田軍、その数五千!」

 ほどなく元信の物見が息せき切って帰還し、織田軍の来襲を伝えた。

「……幽世姫」

 元信が呟く。

 幽世は無数の魂魄を周囲に漂わせながら、くるりと振り向いて元信や慶雲斎らへと向き直った。

 その表情は、自信に満ち溢れている。

「――ゆきましょう」

 また、にっこり笑った。

 幽世は再び鎧具足を纏うと、もはや籠もっている必要なしとばかりに城門を開け放ち、水野信元の軍勢が来襲するのを待った。

「元信さま、わたしが合図したら岡崎衆に号令をかけてください。魚鱗の陣で、一気に織田軍の中央を穿ちます。いつでも突撃できるよう、兵に準備だけはさせてくださいませ」

「承知仕った」

 元信に指示し、じっと機を見る。やがて織田軍の馬蹄の音が聞こえてくると、幽世は何を思ったかさっと駈け出して城門の外へ出、五千の軍勢と単身で真っ向から対峙した。

 土煙を撒きあげて、騎馬に跨った武者や隊伍を整えた歩卒が迫ってくる。しかし、払暁の白み始めた空の下で夜風に長く艶やかな黒髪を靡かせる幽世の表情には、絶望的な戦況にも拘らず些かの躊躇も逡巡もなかった。

 その周囲には、蛍のように無数の光点がつき従っている。

「か、幽世姫! 危な――」

 単身先行してしまった幽世の姿に、元信が焦って乗騎の腹を蹴り、後を追おうとする。

 しかし、その前方に葦飼と影王丸がふらりと佇み、遮るとなく元信の行動を阻んだ。

「……御身は待たれよ」

「そォそォ。ま、大人しく見てるのが一番。こっからだぜ、ウチの姫さんのすげえ所ってのはよ」

 元信の愛馬のくつわを取り、にやにやと影王丸が笑う。

 みなの視線が集中する中、幽世は今一度おのれが佩いていた刀を抜き放ち、まるで舞うように扱いながら、やがてそれをまっすぐに前方の織田勢へと突き出した。

 凛として、(かお)るような女武者ぶりである。同時にまたしても幽世を中心として眩い光が闇夜を裂き、そして弾けた。

「肉体は死すれど、魂は死なず。岡崎の精兵よ、今ひとたびの武を!」

 光点たちが幽世の傍を離れ、織田軍へと群れなして飛翔してゆく。いつしかそれは〈あちらのもの〉が呪縛していた魂魄たちと同じく大きくうねり、輝きを増し、生前の姿を取り戻して織田軍へ一気呵成に躍りかかった。

「あれは……!」

 霊兵の刀が、槍の穂先が、水野信元率いる織田軍の兵卒を打ち倒し、斬り、突き崩してゆく。一方で織田軍の武具はまるで霊兵には通じず、すべてその輝く霊体をすり抜けてゆく。

 元信は戦慄した。つい先ほど身をもって知った死兵の脅威が蘇る。

 しかし、今度霊兵を差配しているのは〈あちらのもの〉ではない。

「〈あちらのもの〉はまつろわぬ魂魄を邪法にて呪縛し、その怨念の力をもって現世に死兵として顕現させる」

「……が、うちの姫さんはちがう。岡崎の殿さんよ、おたくの兵はなるほど、噂どおり律儀でいやがるぜ。見ろよ……くたばってもまだ、あんたのためにああして働いてる」

「……おお……」

 葦飼と影王丸に口々に言われ、元信は死してなお眼前で戦さを繰り広げているおのれの軍団を凝乎(ぎょうこ)と見つめ、それから徐に手を合わせた。

 どれほど突いても斬ってもお構いなしに攻め込んでくる岡崎霊兵の猛攻に、多勢の織田勢はたちまち四分五裂した。

 その隙を幽世は見逃さない。すかさず、大きく刀を振るって元信に指示した。

「今です!」

「おう! みなのもの、わしに続け! 先に討たれしものたちが、浄土へゆく前にわれらへ勝機を与えてくれた。この機を逃しては、われら死したとて冥土で顔向けできまいぞ!」

「おおーッ!」

 元信以下、生き残った兵がどっと鬨の声をあげて織田勢の中へとなだれ込む。幽世とその護衛を買って出た慶雲斎を残し、短弓を携えた葦飼と火輪党を率いた影王丸も元信に続き、小勢に分断された敵方を個別に撃破してゆく。

 万一、籠城を選択していたなら、負けたのは間違いなくこちらだったろう。しかし死してなお戦う霊兵の姿に鼓舞された岡崎衆の士気は凄まじく、生きている兵卒までもが刀槍で傷つけられる痛みを忘れ、織田軍を蹴散らしていった。

 元信も奮戦している。魚鱗陣で槍衾を作りながらも、みずから大将首を狙って斬り込み、近習の本多平八郎が織田軍を差配していた水野信元にひと槍を見舞うという蛮勇をみせた。

 初陣したばかりの小童に率いられた岡崎の寡兵など、ひと揉みに揉み潰せるとばかり思っていたに違いない信元は焦り、連れてきた兵卒の半分以上を失うという大損害をこうむった挙句、あわてて馬首を返し撤退した。

 大勝である。

 兵たちの勝鬨が雷鳴のように轟く中、幽世はもう一度両手を大きく広げ、差し伸べるように空へと掲げた。

 それまで朧に輝く人の姿をしていた霊兵たちが、もとの光点へと戻ってゆく。そして幽世の傍に寄り添い、済度を待つかに明滅した。

「みな、ご苦労でした。岡崎精兵の武、たしかに。寄り道をさせてしまいましたね……さ、おゆきなさい。あるべきところへ……」

 幽世の躰から放たれる、柔らかな光。それは現世と幽界とを繋ぐ(きざはし)である。幽世の繊手の導きに従い、今川方の魂魄もまたきらきらと輝きながら、白み始めた夜の空へと消えていった。

「やりましたな、姫さま」

 慶雲斎がいった。

「そうですね、なんとか……。もう、安心でしょう」

 いうなり、幽世はぺたりと地面に尻餅をついた。昇魂の儀式も、霊兵を現世に干渉させるのも、危険が一切ない行為というわけではない。下手をすれば魂魄に憑依されて我を失ったり、あべこべに幽界へ引きずり込まれたりしかねない、禁忌と言っていい行為である。

 霊魂が見え、その魂魄らと語らうことのできる幽世であったが、その力は〈あちらのもの〉の持つ邪悪な術と根底は同一のものである。いつ意識が邪に捉われるかもしれないという危険を孕んでいるのだった。

 その能力をあえて使うことが、どれほどの精神の損耗を招くか。これは想像するに易い。

 が、今日のところはすべて巧くいったようである。慶雲斎が幽世を労わって、先ほどのようにひょいと再度横抱きにかかえあげると、幽世は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。

「結局、最初から最後まで幽世姫の世話になってしまいましたな」

 寺部城を制圧し、隠れていた城将鈴木重辰を捕縛して一息ついた元信が告げた。

「そのようなことはありませぬ。この寺部城を陥としたのも、織田勢を蹴散らしたのも。間違いなく元信さまのご武運あってこそ。これで、大願もきっと成就いたしましょう」

「そう願いたきものですな」

「間違いございませぬ。……では、わたしどもはこれにておいとまを」

 四半刻(三十分)ばかり休憩して体力を取り戻した幽世は、丁寧に頭を下げた。まだ夜が明けて間もないというのに、随分あわただしい。

「それはせわしきこと。大役を果たされたゆえお疲れでしょう。敵城であった城ゆえ充分なもてなしはでき申さぬが、せめて朝餉なりとも召し上がってゆかれよ。城にはまだ、城仕えの下女らも残っておりましょうほどに、すぐ膳の用意を……」

「い、いえ、お構いなく。……その」

 ぱたぱたと両手を振って、幽世は固辞した。それから軽く俯き、胸元で手指を所在無さげに絡ませながら呟く。

「……ち、父に無断でここまで推参いたしましたので……。怒られるといけませぬゆえ、お気持ちはありがたいのですが……」

 もごもごと口篭る。そんな幼げな姿は、とても霊兵を率い、魂魄を昇天させた巫女姫と同一とは思えない。

 元信は思わず笑った。

「はっははは……それは一大事でございますな。それがしとしても、わが初陣の立役者たる姫が時坂どののお怒りを買うのは見るにしのびない。されば、お早くゆかれよ。……こたびのことは、他言無用。われらの肚にのみ、秘めおきましょうぞ」

「ありがとうございます、元信さま。……あとは、こたびの戦霊を供養するため、寺社のひとつも建立してくだされば、のちの武運も必ず約束されましょう」

「しかと心得ました」

 元信は快諾した。

「よかった」

 それを聞いて、幽世も嬉しげに相好を崩す。幽世と元信は、お互いに顔を見合わせて微笑んだ。

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