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「して、見つかりましたかな」

 帰還した幽世に対し、慶雲斎が問う。しかし幽世は眉根に皺を作って首を横に振った。

「まだです。ゆえ、もう一度まいります」

「お言葉ではございますが、もはやその時間はございますまい。……あれをご覧ぜよ」

 言って、一方を指差す。幽世が見ると、烏帽子岩に布陣した元信の軍勢が轟音を上げて寺部城へと迫っていた。

 寺部城の異変を知り、好機と悟ったのだろう。それに、火輪衆も手はずどおり城に火をつけ始めている。火矢が曲輪といわず、城壁といわず、無数に突き立って煙を上げていた。

 戦さが本格的にはじまったのである。

「正面から戦さをさせてはなりませぬ。なんとかしないと……」

「急がれまするな。機を逃したならば、また次の機の巡りを待つほかはございませぬ。……それに、あくまでこの戦さは元信どののもの。姫さまもそう仰せでしたな」

「でも、岡崎衆に人死にが出てしまっては……」

「それが戦さというもの。人の死なぬ戦さはございませぬ。……元信どのも将兵の死を目の当たりにし、そこから戦さを知るのです。死を知らばこそ、生の大事を知る。死を知らぬ将ほど危うきものはございますまい。姫さまも、しかとご覧になられよ。さすれば、姫さまの秘めしお力も。より光芒を増すことは疑いなしと存ずる」

 少しの犠牲も出したくないと急く幽世だったが、さすがに傅役の慶雲斎に諭されると、その言葉を受け入れざるを得なかった。

「まだ、戦さは始まったばかり。耐えることも将の役目でございますぞ」

「……わかりました」

 幽世は不承不承頷いた。

「今一度城に入る」

 すいと歩み出たのは葦飼である。追撃の射手を鏖殺(おうさつ)し、幽世の傍に帰還して何ごともなかったように矢を充填している。

「葦飼、元信どののために寺部城の城門を開けてまいれ」

「……影王丸は」

「心配要らぬゆえ打ち捨てよ、ほうっておいても帰ってくる」

「承知」

 慶雲斎の指示を受け、葦飼は再度翼を広げた鳥のように消えた。

「火輪党どもは松明を持て、灯りをつけよ。それから掻盾を用意せい、城門開放と同時に斬り込むぞ」

 幽世が消沈してしまうと、すかさず慶雲斎が差配を交替し、手勢に命を下した。

 最初は幽世の好きにさせ、おのれはその補佐に徹する。時坂繁近の宿老であり、幽世の傅役である慶雲斎は、いつもこうして幽世を支えてきたのである。

「慶雲斎……」

「ご心配召されるな。われらも、元信どのも、だれも死にはしませぬ。然様なお顔は、みなが心配致しますぞ」

 慶雲斎は仁王のように厳つい顔を不器用に歪めて笑った。

「そうですね。しっかりしなければ……。みっともないところは見せられません」

 幽世も、つられるように微笑む。

 およそ四半刻(三十分)もすると、もう一度城内が大きくざわめいた。それと同時に(かんぬき)が抜かれる音が響き、寺部城の城門が軋みながら開き始めた。

 葦飼と影王丸が、そこから転がるように飛び出てくる。結局合流したらしい。

 同時に慶雲斎が采を振った。

「それ、城門が開いたぞ! ゆけ、門に楔を打て!」

 慶雲斎の檄に弾かれるようにして、火輪党の二百名がそれぞれ掻盾や松明を持って城門に押し寄せた。

「助かった! さすがに死ぬかと思ったぜ……!」

 血まみれの影王丸が幽世に合流し、血脂のべったりと付着した刀を投げ捨てる。

 捨てた刀は持参してきた愛刀ではない。城内でおのれの刀を使う代わりに敵の刀を奪い、振り回していたらしいが、愛刀を使わないのには何か影王丸なりの拘りがあるようであった。

 全身の血も、どうやら返り血のようである。自身に負った傷はごくごく浅いらしい。

 一方、同時に出てきた葦飼はまったく血がついていない。影王丸とは対照的で、あくまで涼やかな様子だった。

「ご苦労でした、葦飼、影王丸」

 幽世がふたりを労い笑顔で迎える。

「悪いが、休んでいる暇はない。ここが正念場じゃ、元信どのの軍が城内になだれ込むまで、城門を死守する。影王丸、わしに続けい!」

「気忙しいねえ。まあ、嫌いじゃねえがよ。――姫さん、またちょいといってくらあ。ようく見ててくれよ」

「ええ。ご武運を」

 頭から水をかぶり、返り血を洗い流すと、影王丸は慶雲斎に従って寺部城の城門へと(はし)っていった。

 慶雲斎は元信ら岡崎衆が到着するまで、なんとしても城門を閉じさせまいとするようである。巨大な掻盾を手勢の頭上に掲げさせ、(ひさし)を作って城衆が打って出てくるのを待ち構えた。

 頭上からは、雨霰と矢や石が飛んで来る。特に石は飛礫などという生易しいものではない、大の大人でも持ち上げるのに苦労するほどの大石である。こんなものを喰らってはひとたまりもない。

 しかし、掻盾のお陰で衝撃はあるが、致命的な打撃からは身を護れる。工作隊が両開きの城門を閉じさせないよう、地面に大きな杭を打ち込むと、城の曲輪が露になった。 

「攻めるな、耐えよ! 岡崎衆が来るまでの辛抱ぞ!」

 慶雲斎自身も、火輪衆がふたりがかりで一枚掲げている掻盾を片腕だけで持ち上げ、じっと落石や飛箭から身を護っている。

 馬蹄の轟音が、段々大きくなる。やがて黒糸縅の具足に身を包んだ元信が、騎馬にうち跨って到着した。

「これは……」

 寺部城を攻める役目を受けたのはおのれのみと思っていた元信は、すでに繰り広げられている戦さの状況に瞠目した。

「城門は開けさせ申した! 敵を撃滅し、城を陥とされよ! われら、差し出た真似なれど元信どの初陣の一助となるべく、推参した次第!」

「お身は」

 慶雲斎の巨体を見て、元信は丸顔を軽く顰めた。

「……時坂どののご家来衆の……?」

「む、むう、否! 他人のそら似にござる。然様なことはどうでもよろしい、はよう!」

 慶雲斎は慌てて行人包みで口許を隠し、そらとぼけた。

「お、おお。どなたかは存じ上げませぬが、かたじけない。なれば……みな、ゆくぞ! 狙うは城将、鈴木重辰が首ぞ!」

 元信が岡崎衆に号令を下す。もともと、勇猛で知られる岡崎の精兵である。大地をどよもす鯨波をあげて、怒涛のように突進した。

 城門前は、血みどろの戦いを繰り広げる激戦地となった。葦飼が幽世を護って敵兵の額を射抜き、影王丸が敵の刀を奪って攻めかかり、鮮血を新たにかぶって獣さながらの蛮勇を奮う。

 中でも特筆に価するのは、元信の露払いを務める慶雲斎の働きだった。齢四十を過ぎ、体力的には葦飼や影王丸よりも衰えているはずであったが、まったくそのような気配が見えない。それどころか金剛羅漢よろしく暴れまわり、旋風を巻き起こしながら六角棒を振り回している。

 慶雲斎が鋼の巨棒で周囲を薙ぎ払うと、苧殻(おがら)のように兵卒が吹き飛ばされていく。

「おっそろしいな、うちの大将はよ」

 影王丸がしみじみと呟いた。かつて抗った経験があるからか、味方となって暴れる慶雲斎の心強さが身に沁みるらしい。実際、慶雲斎と寺部城衆とでは大人と子供ほどにも力の差がある。

 慶雲斎ら幽世の手勢と、元信率いる岡崎衆の奮戦によって、寺部城の戦力はあらかた均され、かばねが城門前に累々と横たわった。

 残った城衆も、我先にと逃げ出して潰走した。元信率いる今川方の勝利である。

 ――が、元信が城内に入ろうとしたその瞬間、それは起こった。

「来る……!」

 幽世が言った。産毛が逆立ち、(おこり)にかかったような悪寒がする。躯体の末端から痺れていくような、魂が凍てつくような。そんな感覚を幽世は味わい、束の間瞠目した。

 その瞬間、幽世の長い髪と紅い袴が風に激しく嬲られ、ばさばさと乱れた。

 ともすれば、躰を吹き飛ばされてしまいそうな烈風である。幽世は下肢に力を込め、右腕で顔を覆って懸命に耐えた。

「……姫ッ」

 幽世を護って奮戦していた葦飼が、素早く幽世を抱きとめようと手を伸ばし、その細腰を支えた。

 しかし、幽世が凄まじいばかりの風に全身で抗っているのに対し、葦飼はその髪も、着物も、そよとも揺れていない。慶雲斎や影王丸、元信らにしても同様である。

 実際は、風など吹いてはいない。寺部城周辺は依然として夜の闇と将兵たちの鯨波、そして血のにおいに満たされている。しかし、幽世だけがこの場においてこの世のものならぬ風を体感し、歯を食い縛っているのだった。

 幽世は空を見上げた。濃紺の夜闇が、鮮血を撒いたような毒々しい紅色に変わってゆく。

 それもまた、幽世にしか知覚できない禍々しい状況の変化であった。

「退くのです! みな、かばねの近くにいてはなりませぬ!」

 幽世は隠密でこの場にいることも忘れ、声を限りに叫んだ。

 最初、それは闇の中に舞う蛍のように見えた。小さな光点が、無数に群舞しては闇中に輝いている。それはこの場にいる者たちの目には幻想的で、この上なく清浄なもののように映った。

 今度は、幽世の目だけではない。みなの目にそれが見えている。

「蛍か?」

「綺麗なものじゃ。なにやら、われらの戦勝を祝賀しているかのようではないか」

 岡崎の将兵たちは光の漂うさまに見惚れた。光を捕まえようとしてか、手を伸ばす者もいる。

 だが、次の瞬間、迂闊にも光点に触れようとした兵卒や敵兵の亡骸の近くにいた者は喉笛を貫かれ、また胴を斬られて血を噴き出していた。

「え……?」

 何が起こったのか、咄嗟には誰も理解できない。

 岡崎の兵たちは、闇の中で舞い踊っていた小さな光に斬られたのである。

 兵はたちまち動揺した。すると、そんな兵たちの目の前で群れていた光がやがて大きな形をなし始めた。

 無数にある光点のひとつひとつが膨張し、うねり、輝きを増してゆく。それはやがて槍や刀を持つ足軽の、そして武将の姿へと変わり、幽世たちや岡崎衆の前方に立ちはだかった。

 今しがた激戦によって(たお)された寺部城衆の魂魄が、この場に留まり死してなお幽世や元信の進路を阻んでいるのだ。

「姫さん!」

 影王丸が叫んだ。

「……こうなるまで、術を行使するのを控えていたというわけですね……〈あちらのもの〉」

「こ、これは一体……」

「元信どの、卒爾(そつじ)ながら申し上げる。しばし下がられよ、妖魅百怪の輩にござる。ここはわれらにお任せあれ」

「妖魅とな。われらが槍にて揉み潰せぬものか、それは」

 さすがに、元信は鼻白んで慶雲斎へ反問した。

「岡崎の精兵は今川の要なれば、狐狸の類ごときにかかずらうことはござらぬ。元信どのの露払いこそわれらが役目。さ、お早く!」

 言うなり慶雲斎は翻身し、寺部城兵の方へと向き直って六角棒を構えた。

 それと同時に、霊魂のみとなった城衆も動いた。元信ら岡崎衆、そして影王丸配下の火輪党を殲滅しようと突進してくる。

 一度勝負がついたかに思われていた城門前の戦いが、ふたたび始まった。

 しかし、今度は一方的に元信ら今川勢が押されている。魂魄と化した城衆は今川方の繰り出す刀槍をまったく問題にしない。いくら突こうが斬ろうが、すべてすり抜けてしまう。

 だが、その一方で死者の振るう刀や槍は、どういうわけか確実に生者を傷つけてゆく。

「ひ、退けッ! 全隊退けーッ!」

 元信も異様な光景に我が目を疑い、色を失って馬上から刀を振るいつつ叫んだ。

 このような状況が、自然の営みだけで起こるはずもない。

 死した城衆たちはみな、その魂魄を特殊な術によって呪縛され、死兵と化して強制的に使役されているのだ。

 本来成仏すべき身を束縛され、昇天も降冥もかなわず拘束され続ける霊魂の苦痛たるや、いかばかりのものであろうか。その憎悪は想像を絶し、いつしか霊魂は憤怒を纏って悪霊となる。噴き出た怨念は恐るべきもので、現世に生前と変わらず干渉するほどの力を発揮するのである。

 幽界の存在である霊兵に、現世の存在である生者は干渉できない。一般の人間に抗う術はなかった。

 ――しかし、それはあくまで一般の人間ならば……ということである。

 元信が退いたのを確認した幽世は、元信らと死兵の間に立ち塞がるように位置取りした。

 慶雲斎、葦飼、影王丸も幽世を守護するように、死兵と対峙する。

「やっちまっても構わねえんだろう? 姫さん」

 幽世の前方に立った影王丸が、肩越しに振り返って訊ねた。今度は敵方から奪った刀ではなく、おのれの白鞘の刀を携えている。

「……できれば、このような状況になる前に〈あちらのもの〉を調伏したかったですが……。やむを得ません」

 眉を顰めながら、幽世は荘重に頷いた。それを許諾と取ったか、影王丸は満面に喜悦を湛え、刀の鯉口を切る。

 同時に慶雲斎は首から提げていた大数珠を六角棒に巻き付け、葦飼は背の矢筒より新しい得物を取り出した。

「そうこなくちゃな。――行くぜィッ!」

 影王丸が吼えた。そして一気に刀を鞘走らせると、たちまち刀身から眩い光が溢れ、夜闇を照らした。

 そのまま、死霊の兵に突撃をかける。狂暴な笑みを湛えながら、影王丸はところ構わず荒れ狂った。

 死霊には本来、現世の武具は効かない。霊を斬ったところで、ただただすり抜けるばかりである。

 だが、影王丸の光を放つ刀尖が死兵に触れた途端、死兵はまるで肉体を持つ人間のように切断され、大きく身を仰け反らせてもとの小さな光点に戻った。

「おらおらァッ! どうしたどうしたァ!」

 当たるを幸い、影王丸が斬り込んで死兵の群れを蹴散らしてゆく。影王丸の刀は尋常の刀ではない。熊野本宮大社の神宝たる、神鳥八咫鴉の力を有する神剣であった。

 銘を『八咫之白刃(やたのしらは)』という。八咫鴉は太陽の使者であり、光と熱を司る。死人にとっては抗わざる存在に他ならない。

「調子に乗るでない、影王丸! 姫さまをお護りするが第一の役目、それをゆめゆめ忘るるでないぞ!」

 先行して婆娑羅のごとく暴れる影王丸に、慶雲斎が怒鳴った。群がる亡者を六角棒で一蹴しつつも、周囲に対して警戒を怠らない。

 慶雲斎の振るう六角棒に巻きつけられた大数珠も、また尋常のものではなかった。修験の霊場、和泉葛城山に生えるという霊木、扶桑樹より削り出した降魔折伏の霊珠が百と八ツ連なっている。

 これを長柄に巻きつけることで、得物に験力を付与している。生者を相手にするのと変わりなく、慶雲斎がその桁外れの膂力で六角棒を旋回させると、殺到した死兵が籾殻(もみがら)を撒いたように散った。

「カッ! こんな木っ端亡者ども、おれの敵じゃァ……」

 影王丸がそう言おうとした瞬間、死兵の放った矢が豪雨のように迫ってきた。

 多少の身軽さで避けきれるものではない。影王丸も軽口を引っ込め、さすがに怯んだ。

 だが、降り注ぐ矢が影王丸に突き立つことはなかった。上空から弧を描いて飛んできた死兵の矢雨は、影王丸の後方から飛来した一本の光の矢によって蒸発するかのように掻き消されていたのである。

 光の矢は彗星のような尾を引き、夜天を眩く照らして消えた。

 射ったのは葦飼である。

 葦飼の射たものは単なる矢ではない。――ばかりか、矢ですらない。

 イナウ、という。アイヌの祭器であり、イナウネニという神に奉げる樹を材料にして作る。御幣によく似た形状をしており、アイヌ民族の中では破魔の用途にも使われるものであった。

 神前に奉げたイナウはカムイ(神)の加護を得る。葦飼はそれで死兵の攻撃を食い止めたのである。

「ルエパタイ。油断するな」

「うるせえ! 余計なお世話だ!」

 ばかもの、まぬけ、という意味のアイヌ語である。冷ややかに言う葦飼に対して、影王丸が怒号した。

 熾烈な戦闘の最中だというのにお互い悪罵を言い合うあたり、まだまだ余裕がある。

 そして幽世をはじめとする四人が戦うたび、生前と変わらぬ姿に憤怒を湛えた死霊たちはその形を失い、もとの光点に戻っていった。


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