四
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幽世、葦飼、影王丸は夜を待ち、寺部城内に忍び入らんと行動を開始した。
まず葦飼が大弓を用意し、慎重に狙いをつけて曲輪へと放つ。赤々と燃える篝火を頼りに矢を撃ち込むと、櫓の見張りや堀の上の歩哨が次々に咽喉や額を貫かれ、声も立てずに落下していった。
楔を穿つように警備網の一角へ穴を開けると、三人はそこから城中に忍び込んだ。
土塁は五メートルにも達する。先ず身軽な葦飼が手早く土塁に足をかけて登り、縄を垂らして幽世を引き上げた。
「姫さんはおれが護る。てめえはさっさと斬り込め」
曲輪の一角に潜むと、影王丸が葦飼に促した。
葦飼は黙って幽世を見る。あくまで、幽世の指示あったればこそという風情である。
幽世は頷いた。
「お願いできますか、葦飼」
「心得た」
すでに葦飼は潜入時に大弓を破棄し、短弓に持ち替えている。飛距離はないが取り回しがよく、狭い場所でも矢が射れる。
葦飼は軽く幽世に会釈すると、風のように城中へと潜り込んだ。
「では、わたしたちもゆきましょうか」
幽世もまた、すっくと立ち上がると刀を抜き放ち、城内へと向かう。
「お、おいッ……どこ行く気だ? おれが大将に怒られるじゃねえか、待てって! 姫さん!」
影王丸は慌てた。が、結局振り返りもせず侵入する幽世に倣い、その後につく。
「鈴木重辰どのを探しますよ」
「城将の? そいつは討たないんじゃなかったのか?」
「討ちませぬよ。しかし、〈あちらのもの〉が城内にいるとするなら、それはやはり城主の傍ではないかと思うのです」
「なるほどな」
廊下を慎重に歩きながら、幽世と影王丸はひそひそと囁きあった。
と、俄かに背後が騒がしくなった。
「曲者じゃ!」
「細作か! 生かして帰すな!」
怒号が聞こえ、走り回る複数の足音もする。
「葦飼め、おっ始めやがったな」
「そのようですね。……さて、あちらは葦飼に任せましょう。影王丸、油断してはなりませんよ」
「いってらあ。こんな小城の木ッ端武者、何人かかってこようがおれの敵じゃねえやな」
「ふふ」
影王丸の余裕に、幽世は小さく笑った。倍近い年齢差のあるふたりだが、どうも幽世のほうが年長のようにも聞こえる遣り取りである。
廊下を歩いていくと、ほどなくして奥の間に辿り着いた。大抵の場合、城将の居室となる場所である。
まず、影王丸が鞘に納まったままの刀をひっ提げ、襖を開く。
中には人影がひとつ。闖入者に驚いたのか、喉に詰まったような喘ぎをして身を慄わせている。
「三河火輪党、影王丸推参。城将鈴木重辰どのとは、そこもとか」
影王丸が鞘の鐺を突き出して誰何したが、人影は慄えて返事をしない。
見れば、随分若い。まだ少年と言ってもいい容貌をしている。重辰の小姓か、稚児衆といったところであろうか。
「どうも、ここにはおられぬようですね」
幽世がひょいと座敷を覗き込む。岡崎衆が布陣したのはすでに周知のことであるし、重辰も警戒して夜哨しているのかもしれない。
「〈あちらのもの〉もいねえみてえだぜ。どうする、姫さん」
「他へゆきましょう。葦飼が見つけているかもしれません」
「そりゃ、困る。手柄はおれのもんだぜ!」
言うが早いか、影王丸は駈け出した。――が、その途端、廊下の角から現れた鎧姿の武者に進路を阻まれ、舌打ちして立ち止まった。
「影王丸!」
「心配するない。言ったろ? こんな小城の木ッ端武者……」
武者は槍を携え、草摺を鳴らして突っかかってきた。その穂先を軽く身を翻して避けると、影王丸は死角から武者の兜の米神を鞘に入れたままの刀で一度、痛撃した。
ぐらりと武者の躰が傾ぐ。影王丸はさらに二度、三度と呵責なく打擲し、武者を昏倒させた。
「何人かかってこようが、おれの敵じゃねえってよ」
影王丸はそういって、不敵な笑みを幽世へと投げた。
一方葦飼は城中を縦横に駈け回り、さんざんに城衆を撹乱していた。
鎧を蹴倒し、弓を巧みに取り回しては文字通り矢継ぎ早に矢を放つ。葦飼の矢は精妙無比で、あたかも敵の方から矢へと当たりに行っているような錯覚さえおぼえるほど、狙ったところに確実に命中するのだった。
敵の武者が持つ刀を狙い、その白刃に矢を当てると、その衝撃で敵の刀が弾かれ、近くにいた他の武者の手や胴を傷つける。
また、叫び声をあげて斬りかかってくる武者を相手に華麗にバク転して後方へと間合いを開いたかと思えば、跳躍しながら空中で矢を連射し、正確にその額や咽喉を射抜く。
まるで曲芸でも見ているかのような、葦飼の神技であった。
「細作ひとりになにを梃子摺りおるか! はよう膾に斬って捨てよ!」
重辰の家臣と思しき武者が喚いたが、さすがに他の手勢は及び腰になっている。
「待て待て待てーィ!」
そんな時、幽世と影王丸が駈け込んできた。たった三人だが、この区画の重辰方の武者どもを挟撃したかたちになる。
「まだ曲者がいおったのか!」
武者どもは狼狽した。
「葦飼! 苦戦してるみてェじゃねェか、助太刀してやろうか?」
影王丸が叫んだ。
「黙れ」
にべもない。
影王丸は眉を顰め、襲い掛かってくる兵卒のひとりを力任せに殴り倒した。
しかし、一箇所に三人が集まっていても仕方ない。幽世が葦飼に目配せすると、葦飼もそれを見て頷く。
「影王丸、ここは任せてもよいですか? 葦飼には、外の慶雲斎へ合図を送ってもらいます。わたしも……」
今度は、葦飼と合流して重辰を探そうというのである。影王丸は一瞬不服そうな顔をしたが、すぐに納得して幽世を庇いつつ、じりじりと葦飼に接近して役目を譲った。
「姫さんにもしものことがあったら、てめえを八つ裂きにしてやるからな。葦飼」
「……自分の心配をしたらどうだ。ルエパタイ」
「あ?」
聞きなれない単語に、影王丸が胡乱な表情をする。しかし葦飼は殊更説明するわけでもなく、幽世を護って後退した。
影王丸も、別段問いを重ねるでもない。武者どもに対峙して喜悦をあらわにすると、べろりと舌なめずりして見せた。
元々、荒事に目のない性分なのである。葦飼の言葉などとっくに頭から消散しているようだった。
武者どもが影王丸に猛進するのを背に感じながら、幽世はふたたび城将を探して曲輪内を馳駆した。
兵糧庫を見つけ出し、葦飼が素早く藁や手近なものに火をつけると、瞬く間に黒煙が上がる。これで、外の慶雲斎も行動を開始するはずである。
しかし、城将鈴木重辰は見つからない。
狼煙はすでに上がった。城中に長く留まることはできない。
「姫」
葦飼が促した。見れば、重辰の兵卒が侵入者を捕らえようと、ふたたび迫ってきている。
幽世は言われるままに後退した。曲輪の露台であり、眼下に布陣する今川軍の様相がよく見える場所である。
「待って。まだ、〈あちらのもの〉を探さなくては……」
幽世はなおも城中を探索しようとしたが、葦飼がかぶりを振ってそれを制した。
その間にも、兵卒は槍や刀を手にしてふたりに殺到してくる。それを葦飼の矢がなんとか牽制するという状況であったが、数が違いすぎる。
すぐに、幽世と葦飼は露台の隅に追い詰められた。
「これ以上はならぬ。一度退く」
葦飼が静かに、しかし決然と言った。そして短弓を口に銜え、幽世を有無をいわせず横抱きに抱きかかえた。
「ひゃ……っ」
さすがに、幽世も目を白黒させた。
しかし葦飼は斟酌しない。それどころかなんの逡巡もなく露台の手摺に跳び乗ると、そこを強く蹴って一気に中空へと跳躍した。
あたかも鳥のような飛翔である。葦飼の翔力は凄まじく、あっという間に城壁を越えた。
「逃がすまいぞ。撃てッ! 撃てーッ」
武者が兵卒に指示する。兵卒が慌てて弓矢をつがえると、葦飼は軽くそちらを振り返った。次いで、下方を一瞥する。
何を思ったか、葦飼は横抱きにしていた幽世を突然、空中であらぬ方向に放り投げた。
そして幽世という拘束からおのれの肉体を解き放つと、頭を下にしたさかしまの態勢で弓を再び構え、城からこちらを狙う射手を正確に撃ち抜いてみせた。
姿勢がどうあろうと、二本の腕と狙いを定める眸子が自由ならば的を外すことはない、天与の射撃の腕であった。
一方、葦飼に放り投げられた幽世は一瞬何が起こったのか、今我が身がどのような状況に置かれているのかわからず、ぎゅっと強く目を瞑って歯を食い縛った。すぐに圧倒的な落下感が全身を支配し、気が遠くなる。
「――!」
いかな葦飼でも、放り投げた幽世を再び腕の中に戻すことはできない。このまま地面に激突し、あわや五体も微塵と化すかと思いきや、投げ出された幽世の躰は野太い二本の腕によってしっかりと受け止められていた。
「無事のお帰り、重畳至極」
四肢を縮めたままでおずおずと目を開くと、幽世の視界には穏やかな笑みを湛えた慶雲斎の顔があった。
葦飼はなんの考えもなしに幽世を放り投げたのではない。眼下に慶雲斎と火輪党の面々がいることを把握した上で、慶雲斎が抱きとめられるように計算していたのだった。




