不変
21になってしまうという日に僕は、ドライブをしていた。なにがどうというわけでもないし、なにかがどうというわけでもない。ただ、22年前の6月3日3時33分33秒に生まれたということだけだ。
残念ながら生まれた時の記憶はないし、多分あっても、『なんかえらいことになった』ということだけだろう。ただ、自分のデータがあるというのは現代に生きる特権かもしれない。
何かが変わったといえば、変わったし、なにも変わらないといえば変わらない。飯は毎日食うし、今日も納豆にご飯だ。何も変わらない。からしをいれるようになったが。ウンコも最近は快便ではないが、まあする。睡眠も眠くなったら寝る。赤ちゃんの時もそうだった。、夜泣きしまくりだったらしい。
人間は車を作って、僕は今日も笑顔で運転する。しかし、丸いことを利用し、楽に運ぶしくみは『奮転がし』のほうが人類より早くしっいたかもしれない。
ピラミッドを造っていた時代から『最近の若いもんは、、、、』という文章が出てきた話を聞いたとき、人類の進歩のなさ具合に驚きを隠せなかった。
僕でも、2000年前のカイロに住む爺さんになれる。
カイロの爺さんは、六甲おろしを甲子園で歌える。
僕は野球中継が途中で終わってしまうと、コンビニに足を運ぶことにした。コンビニの増加数と同じ増え方をしているものは一杯あるんだろうな、と思いながらコンビニに足を運ぶ。コンビニエンスという意味ってなんだったかなあと思いながら雑誌をめくる。僕は21歳の誕生日の10時ごろに情報誌の音楽情報を頭に入れながら、日本に同じ日に生まれた人で、パラパラを必死に覚えている人とか、スパゲッティを必死で茹でている人がいるに違いないと確信してしまうのであった。
コンビニでは、残念ながら、これといって僕の頭に入りそうな活字媒体は見つからなかった。足早というほど早くはないスピードで、店内を一周する。レジの前にいき、『もうバイトが終わりの時間になるのよ』といオーラを出している女性にジャイアントフランクを注文する。
---彼女は20代のボタンを押す。
---そう僕は20代だ。
----『ジャイアントフランク一つでよろしかったですか』
---よろしかったです。
---『1000円からでよろしいですか』
----よろしいです。
----『843円のお返しになります。』
---そうですか。
----『ありがとあございました』
-----どういたしまして。
そう僕は、細かく無言で、彼女に語りかけながら、『ありがとう』とだけいって、今度は早足で店を後にするのだった。
僕でもコンビニのあがりぎわの店員になれる。
彼女は、ジャイアントフランクにケチャップとマスタードをかけるだろう。
僕は、マスタードとケチャップをつけた食べ物を、ソファでほうばりながら、プロ野球ニュースをはしごすることに決めた。残念ながら、阪神はまけてしまっていて、なんども松井のホームランシーンが流れていた。
僕は『ゴジラ松井打った!』という言葉を、ほぼ毎日のように聞いていることに気がつき、各放送局の個性を分析する。そして、バライテイが始まるのを待つのだった。風呂場では家族が順に風呂に入っている。始めの人が、8時、最後の人がでるのは一時半。おそらく僕が、最後の人だろう。ニュースの『いまどき少年の裏側』という企画より、『日本人の風呂エネルギー』が、すごいニュースということのように思えてくる。
深夜は僕にとって、個人的な時間だ。睡眠時間を一日3時間削れば一週間が8日へと変わる。現代社会だからじつげんできるトリックかもしれない。
僕は、テレビをけすと、最後にひっそり風呂に入る、これで生まれてから、何回目のお風呂だろうか?僕は一年間に風呂に入らない可能性を考えながら、より正確な数字を出そうとする。その時僕は、また、忘れていることに気づくのだった。
僕は、21年、この地球上に生きているのではなく、22年生きているのだと。
意識の下にある知識が、襲ってくる。僕は大きな勘違いをしているのだ。そして僕は、0歳という時間を見殺しにしている事実と再び繰り返される勘違い(つまり、29ではなく30歳である種のショックを受けること)にうなだれてしまうのだった。
僕は、びちょびちょに濡れた体を少しも拭かずに洗面所へと進む。僕は、少年時代にはなかった、父に似ている笑皺を出そうとするのだが、その笑顔は引きつっているようにしか見えない。
そして部屋に向かう間、僕はこう思う。
明日の朝から22歳と考えて生きられるのだろうか。多分無理なんだろうな。きっと、また、0歳の僕を見殺しにするのだと。
僕は部屋のベットの上に寝そべると、僕は無性にレコードを聞きたくなった。レコードは、10数年ほこりがかかっていたものを、高校から大学に入るまでの数ヶ月の間に、針とゴムを買い、スピーカーを自分で直し、何かの満足を味わった。
ベスト盤と名盤をレコードで集め聞いていたのだったが、ここ数ヶ月、僕は針を落とすことはなかった。僕は『はっぴいえんど』というグルーブのベスト盤をテーブルに置き、針をおとす。
30年前の音を聞きながら、午前3時33分33秒に寝ようと力強く確信するのだった。
朝、目が覚めると、僕はやはり21歳になっていた。22歳ではなかった。おきてみると時計は10時をさしている。午前中の授業は休講で午後からだが、市の図書館へ本を返しにいくことにする。学校のレポートに使う本だったのだが、恐ろしく感情のない本で、家に置いてあること自体が嫌になってしまったのだ。図書館までの道のりで、中学時代の教師が前から歩いてくる。確かにどうみても、音楽の教師だ。だれもが、ここで声をかけなければ、一生この人には会わないと感じることがあるのだろう。なぜなら、図書館に来る人間に、競馬場やお好み焼き屋で、ばったり会う確率は低いからだ。僕は、教師特有の、この神経質な先生があまり好きではなかったが、一般人として話せば、分かる人だったイメージもあり、声をかけた。
『お久しぶりです』と声をかける、沈黙がある。当然のことのように相手が僕を覚えていないことに、うれしさを感じる。400人近い人数の人間を覚えられないことは当然だ。記憶をふりしぼりながら、おろおろしている姿を楽しめるかなと少しだけ優位にたつ。
しかし、次の瞬間、『オギ君』と何かを思い出した顔をする。しかし、彼女が6年~8年前の記憶の、どの部分を思い出したか、僕は、彼女の思い出したおもしろエピソードを知ることはできない。
僕は思わずアッツと思った。シマッタという感じだ。僕は、彼女が僕の記憶をうっすら覚えていることを仮定して、戦いに挑んだわけであったが、彼女は名前まではっきり覚えてしまっているのだ。もうすでに、僕の負けは決定している。さらに社会科が得意だったことを思い出しているかもしれない。最近短く切った頭には、中学1年の担任だった、彼女の名前すら出てこない。
僕は、相手の記憶の状態を目で理解しながら、自分の状況を説明したり、今も学校に残っている先生に誰がいるかを聞くことに集中する。
そして、僕は、彼女から、恐ろしく成長していないというか、時代に取り残された感じを受けるのだった。きっと、彼女は八年前と同じ形の授業を繰り返し、同じ生活をしているのだ。
『がんばってください』と中学のころのテンションでいってみるが、ひどく不自然だ。彼女は数年ぶりの再開に『時の流れ』を感じているようだっあが、僕は、今現在に『時の流れ』を感じたかった。
しばらく話をして、彼女と別れてから、僕はぐったりして、小学校から高校までの担任の中で、ただ一人、この先生の名前が出てこない事実に気づいた。
僕にとって、あまり興味のない人間なんだろうなと。僕にとって、興味のない本を返しに、足を踏み出すことに決めた。
僕は、なぜか授業に出るのが急におっくうになって、とりあえず、学校ではなく、家で食事をとることにする。通るのに飽きた道を進みながら、うっすらと汗が出てくる。僕は家の近所まで来たところで、後ろから、誰かに声をかけられる。
僕に声をかけた人は、何個か下の学年の少年で、たびたび一緒に遊んだ子だった。詳しくは知らないし、知ろうともしなかったのだが、いわゆる知的障害者といえるのだと思う。何を重度の障害者というのかはわからないが、僕の主観的な考えでは、彼は身体的な障害をもってなかったようだし、比較的軽いといえるのではと思う。
僕は、彼の当時のあだ名を、すばやく記憶から出すことができたし、共通して、障害者の母親にみられる、ほがらかな笑顔を思い出すのだった。
『トーちゃん、何してるん、どこいくの』
と切り出すと、彼は何かを思い出してるとでもいったふうで、僕の問いかけには、まったく興味がないという姿勢を示し、
『まー君のお母さんの名前は何?』
と切り出してくる。彼は昔と何も変わっていない。マイペースだ。僕は図書館での失敗を繰り返さないように、言葉のトーンを選んで、当時と同じトーンで、
『ん、あー佐代子』
と答えると、彼は
『そう、佐代子ちゃん』
一呼吸おいて
『おねえちゃんは幸子ちゃん』
と彼は続ける。
『お父さんは?』と僕が聞くと
『英治くん』と彼が返す。
彼はすごく丁寧だ。
彼は昔から、名前が重要らしく、また趣味でもあるようで。
さすがに僕にとっても、『だれだれのお母さんの名前は何?』を10年ぶりに聞くと、素直に嬉しかった。僕にとって、友達のお母さんの名前なんて、ほとんど重要ではないので、彼の気持ちは理解できないのだが、僕は十年前と同じように
『トーちゃんのお母さんの名前は?』
と聞くと小さく聞こえないくらいの声で、
『ゆっこちゃん、ゆっこちゃん』
と二度その名を口にするのだった。
彼と、二人でぶつぶつ会話をしながら、彼が近くの作業所へ、働きに出るらしいことだけ、理解できた。それまでは、どこかの学校で集団生活をしていたことがわかった時点で、僕は彼と別れて家へと急いだ。
僕は、平気を装いながら、テーブルにおいてある、おにぎりと、ソーメンを体に入れる。なぜか、あの10年前と、ソーメンの味も、おにぎりの味も、違うことと、彼の魂のエネルギーそのものを受け止められなかったことが、重なり合うのだった。
そうだ、僕は、結局ごまかしきれなかったんだな。
結局何かが、ごまかしきれなかったんだな。
と僕の体で、彼が、10年前と変わっていないことへのショックが、グルグルと頭痛へ変わることを感じた。僕は思わず扇風機をつける。
『なんやろな。』
『結局の所なんなんだろうな。』
質問もないし答えもないこの事実に、僕は、グルグルまわる扇風機の風が、10年前と同じだと、強い錯覚をおこすのだった。
僕はゆっくりと気を取り直し、テレビをつける。サングラスをかけたタレントがしゃべっている。ひどくテンションが低い。彼は昼間の番組の司会者だ。彼は、どの番組をみても、仕事に関してあまりやる気がみられない。しかし、なぜか深夜にやっている番組だけは、ひどく真剣にやっているように見えるのだった。僕は、彼がこの人気番組をおろされる時には抵抗しないだろうな、と思うと同時に、深夜番組をおろされる時には、ひどく抵抗し、土下座し、引退してしまうかもしれないと、想像するのだった。頭にうかぶ、その姿に、にやにやしていると、つまり、大学にでもいくかという気になり、僕は大学へ向かうことにした。
大学は、何もかもが止まっていた。よく見ると、構内には、木々が多くの場所に植えてある。しかし、そんなことをしても、大学のまわりは森なのだ。僕は責任者に話を聞きたい衝動を抑えて、授業のやっている教室へとむかった。大学の授業はほとんどが、大きな教室で、僕にとっては自由な時間だ。一週間の間で退屈な授業が8割を占める。しかし、よその大学は10割らしいから、まだマシなんだろうなと諦めてみる。
授業が終わると、僕は足早というより、むしろ、かけ足で大学をあとにして。
自分の部屋の扇風機をまわした。
ぐるぐるまわる扇風機の風は、小さいころの風より、なにか冷たかった。
少なくとも10年前のそれとは違ったのだ。
その時、僕はひどく泣きそうになって、意識的に涙を避けようと、何かを考えようと思ったのだ。
ただ僕と同じ時代と空間を生きた人間が、何かを共有していると考えようとしたのだ。少なくとも何人かが、何かをしようとして、できないことにおいて、僕と同じ気持ちだったということを!!
『クジラ雲』をまだ誰かが探していて、空をみているとか?
『クラムボン』の意味を誰かが解こうとしているとか、、、、
『あの坂を越えれば海が見える』の少年は家にかえったのかとか!
『たいぞうじいさんとガン』の挿し絵を描いた人は誰かとか!
『はにまるくん』の再放送を密かに、僕と同じく期待しているとか!
誰かがなにかを共有していると。
そして同年代の多くの人間が『檸檬』の『つまりはこの重さなんだな』というセリフを準備して生きているのだと言い聞かせる。
無造作に前に置いてある雑誌を手にとるが。
何も変わらず、扇風機は回り続ける。
タクシーと雨がどこかで運動を続ける。
そして僕は、大きくため息を吐くのだ。
(2000年 書く)