入院3日目・集中治療室(中編)【ミルキングのお時間DEATH】
語源はミルクなのにミルキングは甘くない編です。
よろしくお願いします。
「…………」
ベッド上で歯磨きなどさせられた後である――ゆう太はぼーっとしていた。
渡辺看護師がスマホを渡してくれたが、普段の何倍も重く感じられる上に、ログインボーナスをかき集める気分にもなれない。
『ICUなうってメッセージ飛ばすね』
入院前、ゆう太は同僚とそんなやりとりをして笑っていた。
もし過去に手が届くなら、その時の自分に笑ってる場合じゃないというメッセージをスマホごと投げつけてやりたい――ゆう太はそんなことを考えながら、特に理由もなくベッドの頭部分をリモコンで上げ下げし始めた。
そんな様子を見かねて――というわけではなく、渡辺看護師が笑顔でやって来た。
「ご両親がお見舞いにきてくださいましたよ」
「……」
ゆう太が謝意を伝えると、渡辺看護師はすぐ呼んできますからと言い残し、集中治療室から出て行った。
両親は埼玉に住んでおり、なにかと忙しいはずだった。それにも関わらず、わざわざ東京まで面会に来てくれたのである。感謝という言葉しかない。
そして術後とはいえ、横になったままではさすがに申し訳ない――ゆう太はベッドの頭部分をやや起こした状態で待つことにした。それから目を瞑って面会に備える――が、待てども待てども両親はやって来ない。
ゆう太は通りかかった渡辺看護師に訊いてみた。
「え? ご両親はもう帰られましたよ。さっき喋ってましたよね?」
「…………はい?」
理解不能。ゆう太は数秒も思考を停止させた後、深刻なレベルで青ざめた。
「いつですか??」
「ついさっきですけど。え?」
「…………」
ゆう太にはまったく覚えがないようだった。
喋ったどころか、顔を見た記憶すら――と。渡辺看護師が笑顔でゆう太の顔を覗き込んだ。先ほどまでよりも1トーン高い声で続ける。
「〇×△□っていう精神薬お出ししましょうかぁ?」
「……!」
詳細な薬品名までは聞き取れなかったが――精神薬である。
ゆう太の偏った薬品知識が口にすべきではないという意見を全会一致で可決し、それに背中を蹴り押されるように、ゆう太は顔を勢いよく左右に振った。
「覚えてますから大丈夫です……!」
「そうですか……」
なぜか残念そうにする渡辺看護師。彼女はどこかしょんぼりとした様子で仕事に戻っていく――ゆう太は彼女の背中に疑問の眼差しを向けた。
(なんで残念そうにした??)
なにかの手間を省きたかったのか、逆に手間を掛けたかったのか、それとも――ゆう太は布団を頭からかぶった。
・
・
精神薬の件から数時間後。うだるように過ごしていたゆう太に、緑色の術衣を着た医師が訪ねてきた。どうやらドレーンから血を抜く作業――ミルキングの時間らしい。
そして渡辺看護師がゆう太の術後衣の前を開けていく。
「……」
それをなんとなく眺めているゆう太。彼の視界は縫合された手術痕を捉えた。透明なセロハン状のものがぺたりと貼られており、横から眺める水槽のごとく、細部までくっきりと見て取れた。胸部の真ん中あたりから腹の中ほどまで一直線に正中切開創が走っており、それは赤黒く、縫合されて引き攣れている。
これまで直視しないようにしてきたが、やはり――なんと言うか、グロい。
手術に携わってくださった医師や看護師の方々の腕前にどうこう言うわけではなく、メスすら握ったことがない素人がそう表現したに過ぎないが――
(やっぱりグロい)
ゆう太はメンタルゲージに15のダメージを負ったようである。
それはさておき、医師は手のひらサイズのポンプのようなものをチンアナゴ――ではなくドレーンに装着すると笑みを浮かべた。仏を連想させる穏やかさである。
「ちょっと痛むかもしれません」
「……」
それ絶対に痛むやつじゃん? ゆう太は心の中で静かに突っ込みを入れた。が、これまで受けてきた数々の検査で痛みには慣れている。今さら腹部が少しばかり痛もうが、悲鳴など上げるはずもない――
ぽひゅっ! ぽひゅっ!
「いててててて!?」
確かに腹部の痛みで悲鳴など上げることはなかった。激痛が走ったのは首の左側付け根だったからである。
ボクシングで言えば、ゴングが鳴った瞬間に真横から殴りつけられたようなものである――ゆう太は慌てた。そんな姿を穏やかな笑顔で見下ろしながら、医師が穏やかな声で訊いてくる。
「割と痛い感じですか?」
「そ、そうですね……!」
割と深刻な声で返したつもりだが、医師は穏やかな笑みのままミルキングを続けた。
ぽひゅっ! ぽひゅっ!
(いてててててて!)
本気で痛い。そもそも腹部の作業でなぜ首が痛むのか?
どうやら脳の勘違いによる関連痛という症状であるらしいが、ゆう太が知る由もなく、医師は穏やかな笑みのまま粛々とミルキングを続けた。一見して無慈悲な所業に見えるが、これは患者のために他ならない。
『鬼手仏心』
無慈悲に見えるが、仏の心で行われている――まさにそのものである。が。
「もうすぐ終わりますから」
「そうですか……」
できれば患者に痛みが走る作業中に仏のような笑みは控えて頂きたい。割と怖い。
「血が引けましたね。お疲れさま」
「お疲れさまでした……」
ゆう太がビビってから数分後、医師はチンアナゴ3兄弟のミルキングを終え、穏やかな笑顔のまま去って行った。
そして渡辺看護師がゆう太の術後衣を整え始める――にこやかな笑顔で。
「もう大丈夫ですからね」
さらに続ける。にこやかな笑顔で。
「ミルキングは退院までに何回かやりますから」
「……そーですか」
笑顔恐怖症になりそうだ。
もし存在しないのなら、どこかの偉い人に診断書でも書いてもらって国際疾病分類に載せてもらいたい――
「ありがとうございました」
「いえいえ」
術後衣を整えてもらったお礼を言った後、ゆう太は疲れ切った様子で目を閉じた。
そして目を覚ました時、彼の目の前には晩御飯という中ボスが準備万端で待ち構えていた。
お疲れさまでした。
次は集中治療室の後編です。




