入院1日目&2日目・入院〜手術開始【心臓を動かしたまま血管をつなぐ!?】
冠動脈が詰まってしまい、心臓バイパス手術を受けることになった田中ゆう太(仮名)です。
実体験に基づき、コミカルに描き出しました。
すでに完結しておりますので、安心してお読みいただけるかと思います。
全体の読了時間は25~30分ほどです。お時間のある時にお付き合いいただければ幸いです。
202×年△月1日。
37リットルのリュックサックを背負った男が日本でも有数の大病院の前に立っていた。田中ゆう太。仮名である。彼は心臓バイパス手術を受けるために来たのである――有給休暇をドミノ倒しのごとく並べ立てて。
それはさておき、病院のロビーまで進むと手続きを経てからエレベーターで5階に向かった。
ちん!
妙に耳に付く音だ――そんなこと考えながら足を踏み出せば、目の前には立派なナースステーションがある。ロビーで受け取った書類を中年の看護師に渡すと、少し離れた病室へと案内してくれた。
『525号室』
2人部屋である。料金は1日あたり1万数千円。3000円の6人部屋も考えたようだが、人生で初めての大掛かりな手術である。その術後を周りの方々の生活音に悩まされて過ごすというのは――彼らに悪意がない上、仕方のないことだとわかってはいても――流石に大変だろう。
そんなわけで買ったばかりのパソコンを清水の舞台から放り捨てたことにして2人部屋を選択したのである。ちなみに窓際は中年男性が利用されているようだったが、こういったご時世である。カーテンの向こうから軽くご挨拶申し上げる程度にしておいた。それから寝間着に着替え始める――と。
『田中さーん、先生が準備できました』
看護師の女性がドアの脇から声をかけてきた。
ゆう太は看護師服が放つ異様な魅力に疑問符など浮かべつつ、彼女の後に続く――そこは同じ階の面談室だった。入ると、今回の手術を提案してきた山田医師が待っていた。もちろん仮名である。
ゆう太が席に着くと説明が始まった。
最初はゆう太の心臓の現状だった。
心臓に血液を供給しているメインの血管――3本の冠動脈が血栓でほとんど詰まっていること。
それでもそこそこ元気に拍動しているのは、毛細血管が発達してくれたから等々。既に知っていることだったので、今さら驚きはしなかった。
続いて本題である、心臓バイパス手術の説明だった。
血管の詰まっている箇所を迂回するように別の血管をつなぐらしい。その別の血管――グラフトと呼ぶらしい――はあばらの裏と胃の外側を走っている動脈を使うとのことである。そしてバイパスするのは4箇所。
ゆう太はふと気になって訊いてみた。
「体にどんな影響がありますか?」
「よほどに運が悪くなければ何もありませんよ」
「……」
安心できるような、できないような――ゆう太は不安を感じたようだった。が。
『まったく絶対に確実に100%天地神明に懸けて何もありませんよ』
そう答えられるよりはましだろう。
とりあえずそう判断したらしく、ゆう太は山田医師に続きを促した。全身麻酔を使うこと、問答無用で輸血をすること等々……手際よく説明がなされていく。
『さすがプロだ』
ゆう太も黙ってうなずきを返していた――が。
「手術は心臓を動かしたまま行います」
「本当ですか……!?」
そこで思わず声を上げていた。
心臓を拍動させたまま血管を切除し、さらに別の部位からとってきた血管をつなぐ。
それも4箇所である――脳裏に浮かんだのは、血の海と化した胸腔だった。仏教地獄でお馴染みの摩竭受大魚がぴちぴちと飛び跳ねてはいなかったが、自分の心臓ではどうかご遠慮願いたい光景である。
「心臓をとめられないんですか?」
「死んじゃうからね。それだと」
「……」
心臓をとめて行う方法もあるようだが、身体への負担が非常に大きいらしい。技術があるなら動かしたままの方がいいとのことだったので、山田医師が差し出した書類にサインをした。
今回の説明を要約すると、手術自体はゆう太が想像するほど大変なものではないらしい。
『目を覚ましたら集中治療室ですが、すぐに歩ける人もいますから』
山田医師も説明をそう締めくくった。
そしてゆう太は病室に戻るとのんびりとテレビ――有料――など眺めながら夜を迎えた。薄味の病院食をとった後、ルーチンであるらしい血糖値や血圧などを測り、あっという間に消灯時間である。
『大した手術じゃない』
田中ゆう太はそんな言葉を思い浮かべながら眠りについた。
・
・
翌日。ゆう太は起床の放送でぱちりと目を覚ました。
午前中に手術のため、朝食はなし。彼はとりあえず顔を洗うなどを済ませ、手術着に着替えた。
それからベッドで待機すること数分。医療ヘルパーの女性がゆう太の荷物を集中治療室へと運んでいった。代わりに入ってきたのは、昨日の看護師である――何時間勤務なのだろう。それはさておき。
「田中さーん、手術の準備ができたので行きましょう」
「はい」
ゆう太は車椅子でエレベーターへと運ばれていった。
ちん!
どうにも耳につく音である。それはさておき、着いたのは2階。手術専用のフロアだった。
ゆう太はこの病院に幼少期からお世話になっているのだが、目の前に広がっているのは今まで見たことのない光景――簡単に表すのなら、フロアの端から端まで手術室。それぞれに番号が振ってある。
「……」
ゆう太が運ばれたのは、よりにもよって4番の手術室だった。3よりも大きく、5よりも小さいだけの数字だが、何かと忌避される不遇な数字。
こんな時でなければゆう太も気にしなかったのだろう――こんな時であるのでどうにか回避したい数字だった。が、気は進まなくとも車椅子は進む。
そして4番の手術室に入ると、医師や看護師が10名ほどで手術の準備にあたっていた。医師と看護師の比は知りようもなかったが、ゆう太はふと気がついたようである――大掛かりな手術なんじゃね?
『すぐに歩ける人もいますから』
その説明を鵜呑みにして大した手術ではないと勝手に思っていた。が、よく考えてみれば地獄ですよと患者にのたまう医師がいるはずもない。
ゆう太は冷や汗など浮かべている間にまな板――ではなく、手術台に載せられた。ネガティブな意味で心臓がばくばくと高鳴る。
と。
「おはようございます!」
元気に声をかけてきたのは術衣を着た女性だった。手術帽とマスクで目元しか見えないので、自分よりも若いということだけしかわからないが――
「研修医の鈴木です!」
仮名ですと元気に続けはしなかったが、もちろん仮名である。
それはさておき、ゆう太は昨日の面談室でのことを思い出したようだった。
(確か……したな)
研修医の立ち合いの許可を求める書類。それにサインしたことを――
「今日はよろしくお願いします!」
そして、さきほどから妙に元気な声である。
まるで彼女の意気込みを表しているかのような――見学にしては熱がこもりすぎている。ゆう太の頭の中にふとした疑問が現れた。
「その……メスを握られるんですか?」
「はい! よろしくお願いします!」
「そ――そうですか」
きらきらと輝く彼女の瞳がゆう太のメンタルを新品のメスのごとく、すっぱりと切り裂いた。
もちろん、研修医が冠動脈の吻合云々の重要な作業に関わることはないのだろうが――医師がしっかりと指導監督するとはいえ――小さな作業も熟達した医師にお願いしたいというのは、不当な要求ではないはずである。が、OKとサインした以上は彼女がメスを握るのもまた、不当な要求ではあり得ない。
「ぜひよろしくお願いします……」
「はい!」
ゆう太は小刻みに震え始めた喉から声を絞り出すのに苦労した。
そして――
『では手術を始めます』
口に麻酔用マスクが装着された数秒後、ゆう太の意識は夢――またはネバーだかワンダーだか――の世界に落ちていった。
お疲れ様でした。
舞台は集中治療室に移ります。




