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愛情の研究者  作者: けつ
9/11

No.9

 ついに校則について会議を行う日になった。放課後に会議が行われるのだが、愛情研究会の面々は昼休みにも同好会室に集まっていた。今は食後の雑談中だ。

「もうすぐ会議だって思うと、なんだか緊張しますね。」

「おいおい、川野辺は会議に出席しないんだから大丈夫だろ。」

「で、でも先輩が代表で行きますから!」

会議に参加するのは生徒会では会長と副会長、愛情研究会は解だけだ。他の生徒は許可が下りなかった。

『会議に参加する生徒の数すら相談できないなんて…。これも今後の議題ね。』

解が聖の愚痴を思い出していると、瀬奈が解とその隣にいる七海を見て言った。

「七海ちゃんは解君が心配なんだよね。実際のところ、解君はどれくらい話すの?」

瀬奈に尋ねられたので、解は手を顎に当てながら、生徒会での打ち合わせを思い出し答えた。

「そうだな…。生徒へのアンケートを取った理由や実地でどんな様子だったかは聞かれるかもな。それと不純異性交遊や髪の色のこととか。聖としては母親、PTA会長との議論で困ったら助けてほしいそうだ。」

「つまり、そんなに出番はないが、もし出番が来たら相手とがっつり戦う役なんだな。」

「戦いって、物騒な表現をしないでよ。七海ちゃんが余計心配するでしょ。」

「あながち間違いじゃないぞ。聖の母親は俺に良い印象はない様子だったからな。」

解の何気ない言葉にその場の全員が反応した。

「お前、いつどこで生徒会長の母親に会ったんだ?会長の家か?」

「文化祭の時に、生徒会室で。」

「あ、呼び出された時!橘先輩じゃなくてお母さんに呼ばれてたの?」

「両方だな。」

「くくく。既に親公認の関係だったんだな。」

聖と解にまだ色恋の話はないと十分分かっていたが、透矢はあえて笑いながら混ぜ返してみた。そして案の定、獲物が食いついた。

「でもでも、私の両親にも会ってくれましたよね?」

「そうだな(堂々と言ってるがいいんだろうか)。」

「…わ、私も、成り行きで会ってもらったかな…。」

七海だけでなく瀬奈もぼそっと主張した。

「えっ!瀬奈先輩もですか⁉」

「いや、大した用事じゃなかったから!気にしないで、本当に!」

七海が興味津々な様子で聞くのに対し、瀬奈は少し慌てた調子で答えた。愛情研究会ではよくある光景に解は何となく励まされた気分だった。


 そして放課後になった。とはいえ、会議まで時間があったので、解は掃除をしてから時間が来るまで教室で待った。そろそろ会議室に行こうかという頃になって、瀬奈と透矢、七海が集まってきた。

「そろそろ時間だね。緊張する?」

「いや、特には。」

「くくく、だろうな。そんなお前にお守りをやるよ。」

そう言うと透矢は解に黒い箱状の塊を握らせた。一つの面にデジタルで時間が写っていた。

「デジタル時計か?」

「と見せかけてカメラと録音機が付いてる。会議室くらいの音なら小声じゃない限り拾うから持っていけ。同好会室にいる俺達も生で聞けるからな。」

つまり、透矢達も間接的に会議に参加するということだ。

「だ、大丈夫ですか?怒られませんか?」

「相手のペースを崩すのも大事だからな。それに他の誰かに聞かれると思ったら下手なことは言えなくなるだろうさ。」

「うーん…。」

瀬奈と七海は不安そうに唸った。透矢の言うことは分かるが、大丈夫だろうか。理不尽な怒りは身勝手な大人の特権であり、退学になりかけた時のように解が悪し様に言われないか心配だった。しかし、瀬奈や七海とは対照的に解はいつものように冷静だった。

「やましいことをするわけじゃないからな。最初に全体に伝えれば問題ないだろう。ありがたく持って行く。」

「ああ。健闘を祈る。」

解は手元の盗聴機、いや録音機付きデジタル時計を見た。そろそろ時間だ。解は椅子から立ち上がり透矢達に落ち着いた声で言った。

「じゃあ行ってくる。部屋で待っててくれ。」

「いってらっしゃい。」

「…えいっ!」

瀬奈が見送る隣で七海が正面から解に抱きついた。まだ教室にいた生徒達が歓声をあげたが、七海は結構な力で抱きついていて離れなかった。

「ぎゅー…。」

「おい、七海。そろそろ離してくれ。」

締め付けられ過ぎて若干苦しかった上、周囲の目もあるので解が離れさせようとした時、七海がぱっと解から離れた。七海は少し照れたような笑みで解を見上げた。

「…はい!先輩に私の元気を分けてあげたので、頑張って下さい!」

「…ああ、そういうことか。ありがとう。今度こそ行ってくる。」

解はわずかに微笑んで七海の頭を撫でると、今度こそ会議室に向かった。


 会議室には解の他にまだ誰もいなかった。席について周囲を眺めると、がらんとした冷たく静かな部屋は解を拒絶しているように感じた。だが、これから始まる会議で負けるつもりはなかった。

 少し経つとまず校長が来た。校長はにこやかに解に近づいてきた。

「黒条君、今日はよろしくお願いしますね。期待していますよ。」

「先生が知っている真に負けないように努力します。」

校長は解の返事に満足したようだ。笑顔で頷くと司会席に座った。それから生徒会の聖と副会長、教師達が来た。

「黒条君、今日はよろしくね。」

「ああ。」

「この会議ができるのもお前のお陰だ。今日は頑張ろう。」

「勿論です。よろしくお願いします。」

そして時間ぴったりにPTA会長が来て、全体に頭を下げ挨拶してから席に座った。全員がいるのを確認して校長が口を開いた。

「全員揃いましたね。では、会議を始めましょうか。今日の議題は生徒側から出されたものなので、生徒代表の生徒会から話してもらいましょう。」

話を振られて聖が手を上げた。

「では…。」

「あ、すみません、先に少しいいですか。」

隣の聖を制して解は手を上げて言った。その瞬間空気がぴりぴりしたものに変わったが、気にすることなく解は邪魔される前に話し始めた。

「俺の所属する愛情研究会の仲間が話を聞きたいそうで、カメラとマイクを置いていいですか?」

と言いながらも返事を待たず解は透矢から受け取った箱型の時計を目の前に置いた。教師が慌てたように声を出した。

「録音するなんて失礼だろう!そもそも会議は非公開にしているはずだぞ。」

「いえ、どこにも非公開とは書いてありません。生徒は俺達だけ出席しろと言われただけです。それと録音ではなく、生で同好会室にいる仲間が聞くだけです。」

「う…。」

「聞かれて困ることは何もないはずです。議題は決まっていて、問題発言をし得る人間はこの場に俺以外いないので。」

「…だそうです。私はいいですよ。何なら生徒全員に聞かれても構いませんが、先生方やPTAの方々はどうですか?」

「…生徒の参加人数を決めたのは先生方ですから、要望を聞いてもいいのでは?それに黒条君、聞いているのは限られた人数でしょう?」

校長に話を振られ、PTA会長は落ち着いた声で解に尋ねたが、その目は大変に冷たかった。とはいえ、解は解で全く臆することなく答えた。

「はい、五人程度です。」

「…分かりました。黒条、いいぞ。」

「どうも。」

教師たちは目配せした後に一人が代表して答え、通信を許可した。解は軽く頭を下げた後、何ごとになかったかのように隣の聖と目を合わせて話を促した。いきなり話が少し荒れたので、聖はその元凶をジト目で見てから小さくため息を吐き、手を上げた。

「では次に、生徒会長の橘が話をさせて頂きます。今日は校則についてです。まず現在の校則は1970年に改訂されてから変わっていません。そして………。」

聖が現在の校則の問題点、①古すぎて記載すべきことがない場合がある、②作成にあたり生徒が関わっていない、③生徒の生活環境と合ってない内容があることを説明し、次に副会長がアンケートの結果やそこから得た考察を発表した。

「……以上がアンケートから得られた知見です。現状では生徒が校則を認知し、主体的に遵守できているとは言えません。生徒が校則に積極的に関与していくことが規則を守ってもらうために必要ではないかと考えられます。」

「生徒会の二人、ありがとうございました。では、先生方、PTAの方々にも意見を求めましょうか。」

「では。アンケートなんだが、そもそも許可を出したものではないだろう?それを正式なものとして出すのはどうなんだ?黒条。」

名指しで追及されても解は表情を変えることなく答えた。

「生徒会は学校における公的機関だから先生の許可が必要だったと思いますが、今回のアンケートは愛情研究会の四人だけでしたものなのでそもそも許可はいりません。今回は大規模になったから指摘されているだけでは?」

「だがアンケートとはいえプライバシーの問題もあるだろう。そのあたりは配慮してないんじゃないのか?」

「いえ、アンケートを取る最初に利益相反がないことを明示し、匿名性を守った上でデータを本学校の生徒会、教師、PTAと共有してもよいとする同意も得ています。」

「は…?利益相反?」

「要はこのアンケートは一種の研究なので、研究倫理に沿って作りました。アンケートを取ったことや得られたデータを使うことを非難するのは困難だと思いますが。」

すらすらと話す解に場のほとんどの人間がついていけなかった。しかし、アンケートの問題において解を責めることは不可能だということは全員が理解できた。


「あんまり話さないとか言ってたが、うちのリーダーは大活躍じゃないか。」

透矢が会議の声を聞きながらくくく…と笑った。

 愛情研究会の部屋には透矢、瀬奈、七海、始音の他、生徒会のつばめ、野村、松原もいて透矢のスマホから流れる声を聞いていた。

「黒条が何言ってるのか、愛情研究会はわかるのか?」

「私は分からないよ。茅野君と始音先生は分かるんだろうけど。」

松原と瀬奈が話している横でつばめと七海は解の様子に感動していた。

「私じゃこんなに堂々と話せないな…。やっぱり黒条先輩はすごいね、七海ちゃん。」

「うん、そうなの!本当にすごいんだよ!」

皆それぞれ話しているのでまとまりがない。そのため始音はぱんぱんと手を叩いた。

「ほらほら、皆仲間が頑張ってるのを応援するために聞くんでしょ?皆集中!」

始音の指摘に各々返事を行い、再び会議の声に耳を澄ませるのだった。


一度咳払いをしてPTA会長が話を続けた。

「いいでしょう。アンケートの件は後で確認だけすることにしましょう。それで、校則を変えたいと言うのは良いとしても、変えることに生徒が参加するのはいかがなものでしょうか?生徒が自分自身に規則を設けるのでは判断が甘くなるのは必然ですよ。」

「それは一理あります。しかし生徒のみで校則を変えることはありません。先生やPTAの方々と必ず相談するので、校則が甘くなっていくことはないはずです。」

「同じことです。どうあれ生徒が入れば甘くなる方向性が混じるのは同じでしょう?」

「それは…。」

聖が一瞬言い淀んだのを聖の母親は見逃さなかった。

「上に立つ人間が全てあなたのような人間なら大丈夫でしょう。しかし、校則はあなたが卒業してもずっと残るものです。今後の生徒の質が担保できない以上、生徒に過度な期待を持つのは危険です。PTAや先生方は長く在籍できるのだから、あなた達生徒は提案するに留め、こちらに判断を委ねる方が結局は生徒のためです。」

解は内心で少し感心していた。確かにPTA会長は自分や聖が優れている等、他人を低くみていることは透けて見える。が、今のところ隠れている上、話の流れがそれほど間違っているとも思わない。むしろ聖の方が議論としては押されている。

「ですが、校則を実際に作る場にも生徒が参加しないと主体性が育たないのではないでしょうか?先のアンケートでも校則を理解していない人が多く、結果校則を守る気持ちが生まれにくいのが現状です。」

聖が語気強く母親に意見するのに対し、母親のPTA会長はやれやれと首を振って答えた。

「そのアンケートが答えです。仮に校則を作る場面に生徒が参加するとして、大抵の一般生徒は自分には関係ないと思うでしょう。いくら参加しろと言ったところで多くの人間は面倒がってやりません。規則に文句だけは言いますが、自ら動くことは大変でかつ責任を伴うため嫌がるのです。」

「でもお母さん…!」

「聖!」

母親に一喝され、聖がびくっと身を竦め黙った。母娘のやり取りを教師もPTAの面々も固唾をのんで見守っていた。

「あなたがこんなことをする必要はありません。生徒の意見を集め、まとめたものを報告する。今はそれで十分です。未熟な手で扱えないものを掴む必要はありません。それは知識と経験がある大人に任せて、まずは自分を成長させなさい。」

聖は椅子に座ったまま項垂れた。顔は隣からではよく見えないが、心穏やかなはずがないだろう。副会長も何ともいえない表情をしているが、言い返す力はないようだ。会議室は静かになり、誰も意見を言わなかった。

 …なら、俺が出よう。

PTA会長は聖が納得したと理解したようで、満足そうに頷き校長を見た。

「それでは校長、校則の話はまた後日、」

「まだ話は終わってません。今の話には指摘したいことがいくつかあります。」

解はPTA会長の言葉を遮ってはっきりと言った。聖と副会長は驚いて解を見上げ、教師やPTAの人間も予想外だったらしく驚いていた。そして、邪魔されたPTA会長は怒りを抑えながら解を見た。

「今ので分からないとは、困ったものですね。勉強が足りないんじゃありませんか?」

「この学校内なら一、二の成績らしいです。そんなことより、PTA会長は生徒が信頼できませんか?」

嫌味をさっくりと切り捨てられ、PTA会長はますます苛立っていた。

「生徒を信頼?もちろんしていますよ。」

「あなたの意見は多くの生徒は何もできない、する気のない無能だから校則に関わらせない、という意味になりますが。」

「違います。一部の生徒は、です。多くの生徒は違うと信じていますが、そうではないかもしれない。確率に任せるのは良くないと言ったんです。」

「それこそ同じことです。多くの生徒は無能ではないだろう、けれど無能かもしれないからさせない。そう言っています。」

「…そもそも信頼しているかどうかなんて、今関係ないでしょう。何が言いたいんですか、黒条君?」

苦しくなったのか、PTA会長は話をすり替えた。そして、もはや解への敵愾心を隠せていなかった。解は真に教えられた『あらゆる戦いで常に冷静でいろ』という言葉を思い出していた。

「議論は互いの信頼関係があって初めて成り立ちます。信頼していない相手の意見を聞くはずがありませんから。生徒を信頼していなければこの会議も、今後出る生徒の要望も意味がありません。そして、信頼していない生徒のために私は働いていますと言われても、生徒も困ります。」

「あなたがそれを言う資格はあるんですか?あなたこそ私を信頼していないのでは?」

「はい。ほとんど話したことのない相手を信頼するのは俺には無理です。」

解は会議室の空気を切り裂くようにずばずば答えた。会議室のほとんどが解の答えに凍り付き、PTA会長も一瞬呆気にとられたが、すぐに鼻で笑いながら言った。

「ほら、それならあなたは…」

「ですがそれは人間性の話で、経験と知識の点では別です。俺はそこを分けて考えるので。しかし先の話ではそちらは生徒の人間性、経験と能力、いずれも信頼しておらず、それでは言った通り議論になりません。そして話をすり替えないで下さい。まず正面から答えた後で俺に振って下さい。」

「な…。」

ここまで反論された経験が少ないのか、PTA会長は絶句していた。というより、解と校長以外全員絶句していた(校長は目が笑っていたが、解以外は気付いていなかった)。解は反論してこないなら他の部分も一気に話すことにした。

「異論はまだあります。生徒が校則を作る場に入ると判断が甘くなるという点ですが、甘い意見があっても問題ないはずです。」

「そ、そんなわけないでしょう!校則が有名無実になったらどうするんですか⁉」

「甘い意見を含む様々な考えからより良いものを作るのが会議なので、甘い意見にも価値はあります。そして、甘い意見が多かったとしても間違いと安易に否定せず、そんな意見が出た背景を検討すべきです。加えて、先生やPTAの方々は生徒の顔色を窺うだけの事なかれ主義なんですか?」

「なんだと!黒条、失礼だろう!」

「質問しただけです。何も失礼なことは言ってません。」

「な、う…。」

解に見据えられた教師が黙り込んだ。誰も何も言わず、今の解はまさに会議の主導役だった。

「先生やPTAの方々が事なかれ主義でなければ、生徒が間違ったことをしようとした時に毅然と反対されるはずです。逆に、しっかり反対できる存在がいてくれれば生徒は自由に意見を考えることができます。」

「…。」

聖は呆けたように解を見上げていた。解は周囲の視線に負けることなく胸を張って話していた。母を嫌い、しかし嫌われたくないと思う矛盾した自分ではここまで立ち向かうことができなかった。解が話し始める前の時点でもう無理だと諦めてしまった。もちろん自分と解は立場が違うので同列に扱ってはいけないが、それでも解を本当にすごいと思った。そしてそのすごさはまだ続いていた。

「生徒は教師や親から見ればまだ子供です。しかし、子供だと見下したり経験の場を与えなかったりするのはは教育の場としては問題だと考えます。生徒を信頼し、校則作成・改訂の場に参加させるようお願いします。」

「…言い分は分かりました。しかし黒条君、あなたは校則について語る資格があるのですか?」

PTA会長が静かに、だが怒り心頭で尋ねた。教師もそれに続いた。

「そうだ黒条、お前は校則を守っていない生徒の代表例だろう?髪といい態度といい問題行動といい…。」

「何度も言ってますが髪は地毛です。証明書も入学の時に出しました。」

解の言葉を聞き、原則口出ししないはずの校長が反応した。

「え?黒条君、証明書とは何ですか?」

「昔から通っている病院で診断書をもらってきて提出しました。この前辞めた先生に言われたので、恐らく俺への嫌がらせだったんだと思います。」

「…ほう。それは、許せませんね。」

校長は静かに、怒りも露わに吐き捨てた。髪のことを言った教師も、PTA会長すらもぎょっとして校長を見た。ただ校長は次の瞬間にはいつもの様子で申し訳なさそうに解に頭を下げた。

「黒条君には今度正式に謝罪します。本当にすみません。…では、続きを。」

「なら俺が。髪の毛は分かってもらえたと思います。喧嘩は確かに複数回経験がありますが、ちゃんと説明できる理由があり、やむを得ない場合だけです。」

「どうあれ暴力は駄目でしょう。それに理由があっても頻度が多いなら、あなたに問題があるのではないですか?」

「暴力と言われればそれまでですが、どれも正当防衛です。頻繁に起きる理由は…自分でも不思議です。巻き込まれやすい体質なのかもしれません。」

「は、はあ?体質?」

聞いていた多くは解の発言が冗談なのかどうかはかりかねた。だがPTA会長は解が本気だと理解し、嘲笑うかのように言った。

「そんなわけないでしょう。類は友を呼ぶと言うように、黒条君の態度が問題なんです。あなたの父親も本校で昔大きな騒ぎを起こしたそうですから、ご両親の方に問題があるのかもしれませんが。」

「…。」

真を悪く言われた解は目を閉じて怒りを抑えることに努めた。聖は以前の会議を思い出し戦々恐々としていた。しかし、解が言い返せないと勘違いしたPTA会長は調子に乗って話を続けた。会議室にいない生徒が話を聞いていることなど頭から抜け落ちていた。

「文句しか言えないようでは周囲に迷惑です。まして暴力で迷惑をかけるのは論外。悪質な親に育てられた未熟なあなたではいかに口が上手くても信頼が伴いません。それでは誰もついてきませんよ。」

聖は母親の暴言を聞き、情けなさと羞恥、何より怒りでいっぱいだった。いっそ耳を塞いでしまえば楽なのだろうが、生徒会長の役目を放棄するわけにはいかなかった。

 一方解は怒ってはいたが冷静だった。怒りに身を任せては生徒会に迷惑な上、相手の思う壺だ。どうすればこの場をうまく収め、なおかつ生徒が校則の作成・改定に参加する方針にできるか。

(さて、どう話すか…。)

PTA会長には怒りを感じているが、それでも別に完膚なきまでに打ちのめすつもりはない。PTAも教師も高校の関係者であり広義の仲間なのだから、関係は円滑なものにしたい。…よし、言うことは決まった。

「さ、では…。」

「すみません。最後に言わせて下さい。」

解はPTA会長の言葉を遮り立ち上がった。悪意ある視線も気にならなかった。

「PTA会長の指摘通り、俺の両親は誇れるものではありません。父親は顔も名前も知りませんが、妊娠した母を捨てました。母は新しい男をつくり俺を捨てました。結果餓死寸前だった俺を助けてくれたのが義父です。」

はっきりと力強く、そして静かな怒りが込もった声で解は話した。その迫力と内容に場の人間は気圧されていた。

「義父は最期まで俺の親として生きました。義父は他人には異常者に見えても、実の両親や人を見た目で差別する人間よりはよほど正しく生きたと思います。だから会ってもない義父を悪く言うのは止めて下さい。…ただ、今はそんなことどうでもいいです。俺が言いたいのは、子供は未熟で間違う、大人は正しい、その考えは違うということです。誰もが間違えるから、協力して正しいものを作るのだと思います。それは校則においても同じで、生徒と周囲の大人との協力は校則や本校がより良くなるために必要だと考えています。」

解は言い終わると頭を下げ、再び席についた。訂正してほしいところははっきり言いつつ、軋轢ができないよう気をつけて主張したつもりだが、どうだろうか。

 解が話終わると会議室は沈黙で満たされた。その場にいるそれぞれが違う思いだったが、とにかく、解の意見にこれ以上文句を言う人はいなかった。

「…さて、誰も黒条君の発言に答えないのなら私がしきりましょうか。」

落ち着いた様子で校長が全体に話しかけた。そしてまず解を見て、それからPTA会長に笑顔を向けた。

「橘会長、黒条君の話を聞いていかがだったでしょうか?」

「それは、その…。」

「私は彼の話を聞いていて、特に話におかしな点はありませんでした。むしろ、あれだけ手ひどく言われたのに怒りを抑え、相互理解に努める姿は頼もしい限りです。彼等のような学生もいるのだから、生徒全員とも協力して校則を良いものにしていけばよいのでは?」

校長は司会役だが完全に生徒の側に立って話をしていた。別に感情論からではなく、生徒会側は資料を使い論理的に説明したのに対し、教師・PTA側は最初から議論する気がなかったのか、根拠のない反論と差別的な発言しかしなかったからだ。どちらが学校と生徒に有益かは明らかで、これ以上中立でいても無意味だった。…まあ、懐かしい同級生の息子が話した内容に思うところがあったのも事実だが。

校長の話が終わってもPTA会長は黙っていた。しかし、わずかな沈黙の後、声が聞こえた。

「…分かりました。生徒会の二人、そして黒条君。」

「「は、はい!」」「はい。」

「…あなた達の言うことはよく分かりました。校長のおっしゃる通り、私も生徒会の要望をひとまず聞きましょう。そして、先程の私の意見は正しくありませんでした。」

「「「!」」」

躊躇いがちに出てくる言葉を聞いて、解達生徒側だけでなく、PTA会長をいくらかでも知る人は皆驚いていた。PTA会長が考えを変えることなど考えられなかったのに、今そのあり得ないことが起きたのだ。当の本人は周囲の驚きには気付かず、陰りのある表情で大人側を見回した。

「私ばかり話して申し訳ありませんでした。先生方、役員の方々、他に何か意見はないでしょうか?」

「い、いえ、私は特に…。」

「僕も別に…。」

他には誰も意見を出さなかった。聖の母は周囲を確認した後に頷き、校長の方を向いた。

「そうですか。では採決ですね。校長、すみませんが。」

「ええ。では、今後は校則を適宜追記・変更していくことに賛成の方は挙手を。……はい。次に、校則を変えるための会議には教員、PTA、そして生徒が関わっていく方針とする、これに賛成の方は挙手を。」

すっ、すっ、すっ…。

「…はい、分かりました。では、今言った二つはいずれも賛成ということで。詳しい中身も話したいところですが、時間もおしているので今日はこれで終わりにしましょう。予備日の皆さんの予定は確認済みなので、次の会議は来週の同じ時間にしましょう。それまでに生徒会は校則で何を追加すべきか、どこを変えるべきかを列挙しておいて下さい。では解散。お疲れ様でした。」

校長はさくさくと話を進め会議を終わらせた。中立の立場からの転身といい予備日の段取りといい、今日の結論は校長にとって想定通りかつ望んでいた結果なのかもしれない。解は心の中で校長に感謝した。

「やったな、二人とも。」

解は隣にいる聖と副会長を見たが、二人とも戸惑った顔をしていて、何故か嬉しそうではなかった。

「どうした?折角うまくいったのに、嬉しくないのか?」

「いや、嬉しいのはあるけどな、まだ信じられないというか…。」

「ええ、激しい展開についていけないというか…。」

「そうか。俺とは違って生徒会はずっと努力していたからな、感慨深いんだろう。ん…?」

不意に解は視線を動かし、近づいてくる人を見た。それはPTA会長、聖の母だった。

「お母さん…。」

解はかばうように聖の前に立ち相手を迎えた。ただPTA会長は表情が曇り雰囲気も弱々しく、会議中の攻撃的な様子は鳴りを潜めていた。

「どうされたんですか?」

「ああ、いえ、その…希望が叶っておめでとう。あなたも良かったですね。」

「いえ、俺は手伝っただけなので。生徒会の努力が実ったのは本当に良かったと思いますが。」

困ったような顔をしながら答える解を見て、聖の母は意外そうな顔をした。解の答えも、雰囲気も意外だった。とてもさっき演説していた人間には思えなかった。

「…あなたに理由はないんですか?見返り、例えば内申が良くなるとか。」

「いや、特に何も。…あえて言うなら聖に手伝ってほしいと言われたからです。」

「…。」

呆気にとられたように聖の母は黙っていたが、はっと我に返ると再び口を開いた。

「黒条君、その…さっきは大変失礼なことを言って申し訳ありませんでした。謝罪して済むわけではありませんが、あなたと、あなたのお父さんに心からお詫びを。本当に、申し訳ありません。」

そうして聖の母は深く頭を下げた。残っている大人や聖は息を呑んだ。母が他人に、しかも学生、特に解のような存在に頭を下げるなんて想像もしなかったことだ。

「頭を上げて下さい。俺のことは気にしなくて大丈夫です。」

「…そうですか。では、ここで失礼します。また来週お会いしましょう。」

「はい。またよろしくお願いします。」

「はい。…聖、お疲れ様。先に帰るわね。」

「う、うん…。」

聖の母は最後に軽く礼をして去っていった。去り際は表情こそあまり優れなかったが、ごく普通の母親だった。解は聖の母親の背中を見送った後、副会長と聖を振り返って言った。

「とりあえず、愛情研究会の同好会室に戻ろう。待っている奴等に報告しないとな。」



「戻ったぞ…。」

「先輩!お疲れ様です!」

解が同好会室に入ると、すぐに七海が駆け寄り抱きついてきた。解の後ろにいた聖と副会長は解の胸に頭を擦りつける七海を驚きの顔で見つめていた。

「おい黒条。後ろがつかえてるんだ、彼女と喜びを分かち合うのは後にしてくれ。」

「七海、そういうことだから。」

「は、はい。」

副会長に言われ、解は七海の頭を撫でて落ち着かせるとゆっくり体を離させた。七海は彼女という言葉に反応して照れていたが、すぐに調子を取り戻し笑顔で解達三人を迎えた。

「先輩方、お疲れ様でした!まずは飲み物をどうぞ!」

七海は礼すら言わせない勢いで三人を座らせペットボトルを渡した。部屋には愛情研究会、生徒会全員が揃ったので満員御礼状態だった。

「会長、副会長!お疲れ様でした!」

「「お疲れ様でした!」」

生徒会の三人が起立して礼をした。不思議と生徒会っぽいと感じられる動作だ。ここに来てようやく緊張が解れてきたのか、聖と副会長は笑みを零した。

「ありがとう、みんな。」

「俺は大したことはしてないけどな。」

「副会長がデータをまとめたんですから、胸張って下さいよ!これで校則がよくできますね!」

わいわい生徒会がやっている中、解にも瀬奈達愛情研究会メンバーが集まっていた。

「解君、お疲れ様。」

「それほど話さないと言ってたのに、結局大活躍だったな。」

「そうか?」

「そうよ!こっちも大変だったのよ?」

始音がため息を吐きながら待機組を見回した。七海と瀬奈はばつが悪そうに苦笑いをしていた。

「あなたが責められてる時なんか、会議室に殴り込みに行こうとしてたんだから。私と生徒会で止めるのは大変だったのよ?」

「それは悪かったな。そっちもお疲れ様。…でもそうだな、俺がいたせいで余計にもめたような気もするな。」

「そんなわけないでしょ!」

瀬奈が大きな声を出したので解はわずかに驚いて瀬奈の顔を見上げた。生徒会の人々も何事かと振り返っていた。

「あんなこと言われて、昔の話をさせられて…。解君は何も悪くない。悪いはずないよ。」

「そうですよ!みんな先輩に悪く言うんですから!だから会議室に行こうってなったんですよ?」

瀬奈は真剣な顔で話をして、七海は元気づけるように解の手を握った。透矢も始音も笑顔で解を見ていた。解自身は自分が悪く言われるのは仕方ないと思っているが、友人達が心配してくれると少し不思議な反面温かい…いや、嬉しい気持ちになった。そして、後ろからも声が聞こえてきた。

「その通りよ。黒条君は悪くないわ。」

聖ははっきりとした口調で言うと、椅子を立ち真面目な顔で解の正面に立った。解は七海に手を握られたまま、ややぼうっとした様子で聖を見上げた。その顔はPTA会長と正面から言い合った時とは別人だ。まあ、そんなところが魅力なのかもしれない。

「母がひどいことを言って、しなくて済む話もさせてしまったわ。遅くなったけど、本当にごめんなさい。」

「俺もすまなかった。何も言えず手助けもできなかった。」

副会長も解の近くまで来て、聖と副会長が深く頭を下げた。ちなみに、解は聖の雰囲気と頭の下げ方を見て、聖とPTA会長はやはり親子なんだなと思った。関係が愛情だけでない複雑なものになっても、どこかでつながっているのだろう。…と、そんなことを考えている場合ではなかった。

「二人とも止めてくれ。二人こそ何も悪くない。俺は悪く言われるのは慣れてるし、昔のことを話すのも別に苦じゃない。むしろ言い返しにくい話題だと分かって話したんだ。何も気にしなくていい。」

「でも…。」

「まあまあ会長、解が折角いいって言ってるんだから、気にしないで下さいよ。さて、今日は会議で疲れただろうし、そろそろ帰るか?」

透矢が話に割って入り、堂々巡りになるのを防いだ。そして確かにもう下校するべき時間だった。

「そうね。じゃあ…黒条解君。今日はとても助かりました。本当にありがとう。来週の会議も、ぜひよろしくお願いします。」

「はい、分かりました。」

代表して聖と解が挨拶し、全員帰り支度を始めた。

生徒会の人々は教室に荷物を置いてあるので先に帰り、同好会室にはいつものように愛情研究会だけになった。そして、タイミングを狙っていた透矢が口を開いた。

「なあ解。お前の話した昔のことは全部本当のことだろ?」

瀬奈、七海、始音が小さく反応した。解の過去の話はやはり気になっていた。もっとも、解はいつも通りの様子で返事をしていた。

「ああ。真から聞いたことも含めてだがな。それがどうかしたか?」

「いや、よくあの場で話す気になったな。前のお前なら話さなかったんじゃないか?」

「…確かにそうだな。前は自分の過去が汚いものだと思ってたからな。」

「「「…!」」」

瀬奈達は解の言葉に反論しようとしたが、彼女達が口を開く前に解は話を続けていた。

「だが、今は違う。小さかった俺のお陰で俺が進む道があるんだと考えてる。過去の捉え方が変わったから、すんなり話せたんだろうな。」

「そうか。解も成長したってことだな。」

「そうかもしれないな。」

解は一度言葉を切ったが、ふと思いついたのでそのままを口にした。

「ここにいる皆、昔の俺を知っても俺を否定しないだろう?そんな仲間がいるのは大きいと思う。お陰で自分を受け入れやすく、劣等感とも戦える。だから、ありがとう。」

解は自分でも気づかないまま笑っていた。友人達への感謝と、彼等と共にいられることへの嬉しさがあった。

「…せ、せんぱーい!」

七海は解の話に感動したのか、涙声で解に抱きついた。解に抱きつくのが癖になっているのかもしれない。

「私も皆さんも、先輩が大好きですから!だから、何があっても先輩を嫌いになんてならないですので!」

「分かったから、とりあえず離れてくれ。涙と鼻を拭かないと。ほら。」

「ちーん!」

「ふふ、やっぱり兄妹って感じがするね。見てると癒やされるなあ。」

解と七海の言動に感じるものがあったのか、瀬奈は二人を見ながらしみじみと言った。少し目が潤んでいて、兄妹を見守る母親のようだ。

「くくくっ。いつの間にか感動話になったな。ま、時にはこういうのも悪くないか。」

透矢は温かい空気が苦手なのか、それだけ言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。始音はそんな透矢と解達をそれぞれ見て楽しそうに笑った。

「茅野君はこの手の空気は苦手なのね。解君が責められてた時に一番怒ってたくせに。でも置いていかれるから、三人とも早く行かないと。」

「そうだな。瀬奈も七海も行くか。」

「は、はい!」「うん。」

「あ、解君。」

急ぐ解に始音は声をかけた。解に声をかけたのに三人とも同時に振り返ったので、何だか可笑しくて笑ってしまった。

「今日はお疲れ様、よく頑張ったわ。それと、過去に負けない今で良かったわね。」

「…ああ。その今にはお前も入ってるからな。ありがとう。」

解はまた少し笑顔を見せ、瀬奈と七海を促し今度こそ透矢を追いかけていった。始音にとって解の笑顔と成長が見られることは教師として、そして女性として嬉しいことだった。

 こうして夏休み前から関わってきた生徒会との一大行事は幕を閉じたのだった。



 それから次の会議までの一週間、生徒会も解も久しぶりに忙しくない日々を過ごした。前回の会議は結局校則という話題の入り口で終わってしまったが、もし改訂の中身を問われたら答えられるよう元々準備していた。そのため、その準備していた校則の改定草案を確認し、先方にメールで送り、あとは待つだけだった。

 そうして二回目の会議の時になったが、今度は議論にはなっても否定的な言葉は出ず、建設的な会議になった。解は生徒会の補足、補助を頼まれていたが、いがみ合うことなく進む会議に拍子抜けするほどだった。

 とりわけ変化が大きく解を驚かせたのは聖の母、PTA会長だった。異論がある時は勿論主張するものの、前回のような端から相手を否定しにかかってくることはなかった。解は聖から家での母親の様子が変わったと聞いており、聖の感想を思い出した。

『最近優しいというか、怒ることがすごく減って静かになったの。笑う回数も増えたし、解君との議論で思うところがあったんでしょうね。』

本当に、あまりに前回と違うので拍子抜けしてしまった。しかしながら良い意味で変化したのなら問題はないので、解は橘母娘が少しでもうまくいくよう願った。

 結局、議論の末にある程度方向を決めた項目は下記の通りだった。

・一定以上の要望があれば校則の改訂・追加をするため会議を開く。会議の参加者は生徒、教師、PTAからなる。

・電子機器の携帯は他者に不快感を与えず迷惑をかけないものに限る。学業や周囲に邪魔にならない範囲でのみ使用する。

・制服の改造はしない。丈の調節は現行の範囲内とする。が、今後生徒に要望を聞いてみるなど生徒の意識を調べる。

・髪の毛、髪形はある程度は個人の自由だが、他の生徒、教師、親が不快に思わないものとする。

・装飾品は基本的に学生生活には不要である。しかし個人の自由、自己表現の観点からは一概に否定するのも問題である。すぐに許可不許可を決めるのは難しいが、いずれは一定範囲で認める方針とする。

・生徒は本校に所属すると共に社会の一員である。故に社会に認められるための一定の行動と責任が求められる。

・不純異性交遊は禁止する。すなわち金銭目的、暴力行為、望まぬ妊娠、性病の蔓延などを指す。また恋愛、性の多様性を否定しない。

これらを今後議論し詳細を決めていく方針となった。いきなり具体的なところまでは決まらなかったが、すぐ決められるとは誰も考えていなかったので問題はなかった。むしろ、今まで会議すら開かせてもらえなかったことを考えれば格段の進歩だった。

解は自分から話をすることはなかったが、教師やPTAから、また校長からも色々聞かれたため、結局そこそこ話をすることにはなった。例えば、聖の母に質問された時のことだった。

「ええと、不純異性交遊を明確化して恋愛を許容した方がよいということなんですが、どういう意味なんですか?」

「それは愛情研究会に所属する黒条君に話してもらうのが一番良いと思います。黒条君、意見をお願いできる?」

「はい。現実として恋愛はされていて、不純異性交遊の禁止とだけ書いても校則として役に立ちません。何をすれば処罰の対象になるかを明文化すべきです。分かりやすいのは不純とは性交渉全てだとすることです。しかし、多くの子供は性交渉によって生まれてくるので、性交渉自体を否定することは本来我々には不可能です。そして、恋愛の経験は精神的発達を促し人間関係における責任を知るよい機会であり、また少子高齢化の中で早期から恋愛に触れることは社会的にも有用と考えられます。追加で最近は同性愛、性同一性障害など性や愛の多様化も叫ばれており、そこに寛容であるという点は学校の評価として悪いものではないと思います。」

「「…(ぽかーん)。」」

「次に不純とは何かというと、要は社会に物理的、倫理的に害悪になるものといえます。具体的には援助交際といった金銭目的、DVや強姦などの暴力行為、子供を軽視する上に自身の進路にも影響する望まぬ妊娠、公衆衛生で問題となる性病の蔓延などが挙げられます。他にも問題があるかもしれないので適宜変更が必要かもしれませんが。」

「「…(ぽかーん)。」」

「個人的には…。」

「ちょっと、黒条君!」

解の話が続く中、聖は我慢できなくなり解の服を引っ張った。刺激を受けた解は説明を止めて聖の方を向いた。

「え、何だ?」

「長いのよ!愛情研究会の土俵なのは分かるけど、ちょっとは自重して!」

聖が少し恥ずかしそうに解に説明した。止めるよう言われた解は無表情ながら微妙な空気を纏った。

「…そうか。ここからが個人的に議論したいところなんだが…。」

どうも説明が途中になり少し残念らしい。

「そ、そんながっかりしないでよ。悪いことした気になるでしょ。」

「こほん、あ、ありがとうございます。少し慣れてない話なので、少しずつ消化させてくださいね。では…。」

と、やり過ぎたところもあったが、解は愛情研究会代表として、また見た目で悪印象を持たれ差別されてきた人間としてしっかりと意見を述べた。そんな調子で議論が進み、今後も会議をしていくことが約束され、無事二回目の会議も終わったのだった。



「「「かんぱーい!」」」

聖は乾杯の音頭をとった後、紙コップに入ったジュースをぐいっと飲んだ。放課後の家庭科室には聖だけでなく生徒会、そして愛情研究会が全員集まっていた。といっても聖達生徒会と解は椅子に座っているが、解以外の愛情研究会は立って紙コップにジュースを注いだりお菓子の準備をしたりと給仕をしていた。校則に関する一連のことがひとまず大きな山を越えたので、打ち上げが開かれたのだ。

机の上には解が作った洋菓子ブルーベリータルトとプラリネケーキと各々が買ってきたお菓子、そしてジュースとお茶が用意されていた。

「これが噂に聞く黒条のケーキかあ。確かによくできてるなあ。」

「本当に女子顔負けなんだ…。お弁当も上手なんだよね、杉崎さん?」

「はい、お弁当も美味しかったですよ。ケーキも絶対美味しいはずです。」

生徒会員三人が興味深そうにケーキを見ていたので解が切り分けるために立ち上がろうとしたが、それを七海が慌てて止めた。

「駄目ですよ、先輩!今日はされる側なんですから!」

「そうそう。ケーキを切るのは俺がするさ。」

透矢は懐から取り出したサバイバルナイフで手早くケーキを切り分け紙皿に置いた。聖はナイフを操る透矢を見ながら微妙な顔をした。

「どうして茅野君はそんなものを服に隠し持ってるのか、どうして扱いがそんなにうまいのか、聞いていい?」

「そりゃあ俺は解とは違いますから。今日はこれがあるからナイフですけど、自衛手段はいつも複数携帯してますよ。」

「普通に不良じゃないか。見逃すのは今日だけだからな。」

「ありがとうございます、副会長。」

余裕の笑みで答える透矢に聖と佐々木副会長はため息を吐くしかなかった。そんな二人の空気を和ませようと、生徒会の松原が少しわざとらしく声を上げた。

「おーし、じゃあ、俺この茶色いの。ところで、これなんだ?」

「プラリネ…砕いたアーモンドに砂糖をかけたものがまぶしてあるバターケーキだ。」

「よく分かんないけど、とりあえず食べてみるか…。へえ、うまいし面白いな、これ。」

「ふーん、じゃあ私もこっち。…ほんとだ、おいしい!見た目は地味なのがもったいないね。」

「味が良ければ見た目は汚くなければ十分だろ。」

「えー?だって今スマホで撮ったけど、味と映えが合ってないんだもん。」

「黒条君はスマホ持ってないから。性格もこんなだし、SNSに興味ないのよ。」

聖は冷静に解説していたが、いつの間にか二つのケーキを両方皿に置いて食べていた。

「うわっ。会長、いつの間にかすげえ食ってるじゃないすか!そんなに甘いもの好きでしたっけ?」

「い、いいでしょう、こういう時くらい。愛情研究会の皆も食べてね。」

「大丈夫ですよ、橘先輩。私達は時々作ってもらってますし、今日の主役は生徒会ですから。」

「そう?でもしてもらってばっかりだと悪いわよ。」

「いえいえ。これも経験ですから。」

瀬奈と聖が話している隣で、七海は誰も使ってない皿にケーキを二切れ置いていた。ここにいない始音の分だ。行きたいのはやまやまだが、生徒会の前で素が出そう…とのことだが、とはいえかわいそうなのでケーキだけは後で持っていく予定だった。

「悪いな、堤先生の分を準備してもらって。後で俺が持っていくからな。」

「分かりました。じゃあここに入れておきます。」

「ああ。」

七海は解に答えながらケーキが乗った皿を紙箱に入れた。次に紙箱を解の前に置いたのだが、なぜかその場を離れずじっとしていた。七海の目は解の手元、ケーキを見ていて、食べたいが瀬奈と透矢が食べないのに…と思っているようだ。ということで、解は七海に声をかけた。

「…七海も食べたらどうだ?」

「え、いいんですか?」

「大丈夫だよ七海ちゃん。私と茅野君が後はやるから、解君と食べたら?」

「…じゃあ、お言葉に甘えて。あーん。」

「「「えっ。」」」

七海は解の隣に座ると解の方を向いて小さく口を開けた。愛情研究会では時々見ているので慣れたものだったが、初見の生徒会はざわついていた。解はそんな生徒会を気にすることなく、毎度の無表情のまま自分が使ったフォークで食べかけのケーキを切り、七海の口の中に入れた。

「どうだ?」

「おいしいです!さすが先輩!それじゃあまた、あーん。」

「自分で食べたらいいと思うんだが。」

「えへへ、すみません。先輩にしてもらうとよりおいしいので。」

「そうか?」

謝りながらも嬉しそうな七海はやはり口を開け、解は落ち着いた様子で再度ケーキを運んだ。子供に離乳食をあげる親はこんな感覚なのかもしれない。

「七海ちゃん、すごい…。」

「いやー、すごいのはあんなに懐かれてるのに無表情な黒条の方じゃないか?」

「黒条君、自分も食べながら同じフォークで食べさせてるし。間接キスなんて概念、完全に飛んでるよね…。」

「それにしても、堂々とし過ぎていてあれじゃあ恋人というより兄妹だな。なあ、会長?」

「…。」

つばめ、松原、野村、佐々木副会長がそれぞれ感想を言う中、聖は佐々木の声に反応せずぼうっと解と七海を見ていた。聖の反応がないので、佐々木は軽く聖の肩を叩いてみた。

「おい、会長。」

「わっ。何?」

聖は少しだけ驚いた様子で返事をした。佐々木はそんな聖を怪しむように見ていたが、周りに聞こえないよう小声で尋ねた。

「いや、お前…。もしかして羨ましいのか?」

「な、何言ってるのよ。そんなわけないじゃない。」

言葉の割に動揺しているのか、聖はもりもりお菓子を口に運んでいった。佐々木も同じくお菓子を一口食べ、ふっと笑みを浮かべた。

「お前と生徒会に入って二年だけど、ここ最近が一番楽しそうだな。一年の時はお堅い奴だったのに。」

「ん…まあ、ね。最初は母親に言われて入っただけだもの。今は自分の意志で生徒会長をしてるんだから、当然楽しいわ。」

聖は笑顔で言ったが、佐々木は若干呆れ顔だった。

「おいおい、違うだろ。黒条のことだよ。あいつが生徒会を手伝うようになってからは特に楽しそうだぞ?」

「そ、そう?」

「ああ。俺も噂だけで勝手に不良扱いしてたけど、実際は噂と全然違って面白い奴だったな。なかなかお目にかかれない変人だ。」

佐々木は解を見ながら苦笑した。当の解は聖と佐々木を除いた人々に囲まれながら、相変わらず無表情で話をしていた。聖は何となく面白くない気分になり、佐々木をじろっと横目で睨んだ。いわゆる八つ当たりだ。

「人を悪く言うのは駄目なんじゃない?副会長。」

「悪くなんて言ってないだろ。黒条が変わってるのは間違いない。何しろ歴代生徒会ができなかったことをやってのけたんだからな。」

「…本当ね。これでやることはやったし、私は推薦だし、後は引き継ぎをして卒業するだけね。」

「確かに俺達は三月までだけどな。会長はそれだけでいいのか?」

「え?それ、どういう意味?」

「いや、お前がいいならいいんだ。ただ友人としてはお前が後悔しないよう願うばかりだ。」

「…。」

聖は口を開きかけたが、解を再度見た後、結局何も言わずに口を閉じてしまった。佐々木は優しい目で聖を見て笑っていた。


 すぐ近くで聖と佐々木が話している一方、解は周囲から質問攻めにされていた。

「それが名前で呼び合う理由なんだ。愛情研究会って感じだね。じゃあさ、黒条君の好みの女性は?ほら、誰かで例えてもいいから。」

「そう言われてもな…。好みなんて分からないぞ。」

野村に聞かれた解は困っていた。好みと言われても、それぞれ個性が違う女性を比較検討することは難しい。難しい顔をする解に松原がにやにやしながら追撃した。

「そりゃ美人に囲まれてるからだろ。今考えてみろって。見た目だけでいいからさ、どんな奴が好きなんだ?」

「見た目…?」

解はついには考え込んでしまった。いつもの仲間達とは違い、解がよく分かってないこともどんどん聞いてくるので大変だ。そんな解を見て瀬奈が助け船を出した。

「ほら、解君って好みとかがないから、そんな質問しても答えられないんだよ。」

「えー?でも興味あるなあ。だって私のクラスでも、球技大会くらいから黒条君って人気あるんだよ。」

「…悪いが、やはり好みはないな。ただ、瀬奈や七海、堤先生も綺麗だが、聖や杉崎、野村も同じく綺麗だと思うぞ。」

「え?あ、そ、そう…。」

解が本気で話すせいで場の女性達は皆たじろいでしまった。透矢は女子の反応を見て声を殺して笑った。

「くっくっ。分かっただろ?解にはまだ好みがないんだよ。相手をそのまま受け入れるから、見た目に左右されないんだ。」

「やっぱり変わってんなあ…。じゃあさ、会長を彼女にしたいとか思うか?」

やはり解の感覚を理解できないのだろう、透矢が説明しても松原は同系列の質問をした。だが解は嫌な顔一つせず無表情で答えた。

「『彼女』は恋愛における恋人のことでいいんだよな?」

「あ、ああ。そうだけど。」

「聖か…。恋人でも問題ないと思うぞ。」

「まじか!会長!黒条が会長を彼女にしてもいいって言ってますよー!」

「言ったか?」

「似たようなことはね。」

解が瀬奈と言葉を交わす間に聖は解の所までやってきており、仁王立ちで松原を睨んだ。

「ちょっと、止めなさい。黒条君はそういうことに疎いんだから、からかわないの。」

「い、いやー、すいません。ちょっと盛り上がりまして…。」

「全く…。ああ、愛情研究会もそろそろ座ったら?色々もてなしてくれるのは嬉しいけど、全員で食べる方がおいしいわ。」

「そうですか?まあすることはしたし、お言葉に甘えようか。茅野君もいい?」

「ああ。」

聖は瀬奈達も座ったことを確認すると、満足したように席に戻った。聖に注意された松原は聖にばれないよう小声で解に話しかけた。

「会長はああ言ったけどさ、結構お前に言われて嬉しいと思うんだよ。会長は奥手だろうからさ、お前が積極的に仲良くしてくれよな!」

「はあ。」

解としては聖が本当に嬉しいのか、なぜ嬉しいのか、奥手だとどうするべきなのか等、分からないことが多かった。ただ、聖は大事な友人なので何かあれば手助けするつもりだった。その点では松原の願いもかなえられるだろう。

それにしても、慣れた人以外との雑談を行う能力が自分にはまだまだ足りない、そう痛感した解だった。


「「失礼しました。」」

解と聖は一緒に挨拶をして部屋から出た。打ち上げが終わり、今解と聖は始音にケーキを持ってきていた。残りの皆は教室で片付け中であった。

「よし、堤先生も喜んでたからOKね。皆の所にもどりましょう。」

「ああ。」

二人は特に会話なく歩いていたが、聖がちらちらと視線を向けてくることに解は気付いた。

「どうかしたのか?」

「え、何が?」

「見ていただろ。何か頼みでもあるなら手伝うぞ。」

「別に頼みなんて…。」

聖が解を見ていたのはさっきの彼女云々の話が後を引いていたからで、解に相談したいことなどなかった。気にするなと言おうとしたその時、思い出したことがあった。…ああ、そういえば頼みたいことがあった。

「じゃ、じゃあ頼もうかしら。校則の話がうまくいったからまた漫画を買いに行きたいんだけど、ついて来てくれる?」

「ああ、分かった。」

「ええ⁉もうちょっと悩んでもいいのよ?」

「でも、ついて来てほしいんだろう?」

「う…。」

「別に何も考えてないわけじゃない。予定もない、急ぐ仕事もない。何より、できる限り力になると言っただろう?」

一人で買いに行くのは怖いので、ついて来てくれるのはありがたい。しかし、実はコンビニ受け取りにすればある程度は通販でも買える(物色できないので少々つまらないが)ので、絶対に必要な助けではない。ちなみに現物がないデジタル漫画は嫌いなので却下だ。

とにかく、解を騙しているような気がして、聖は申し訳ない気持ちだった。と同時に、聖には「解と」行くことにも意味があるのに、解はその辺りを全く理解していない。その点では少しだけ面白くない気持ちだった。しかし、どちらの思いもせっかく一緒に来てくれる解に言うことではない。ということで、聖は素直にお礼を言うことにした。

「そ、そうね、ありがとう。あ、そういえば、趣味はできたの?」

「いや、できてない。自分自身に興味がないから自分が楽しむこと、嬉しいことに興味が持ちにくいようだ。ただ、好きなことは分かったぞ。」

「へえ、何?」

「友人が笑顔でいられることだ。俺が愛情を向ける人達が幸福だと嬉しい。それが自覚できるようになった。」

「情けは人の為ならず、ってことね。」

元々話を変えるために適当に出した趣味の話だが、解の食いつくポイントが普通と違い、助かった。聖は心の中でほっと息を吐いた。

 ところで、解と聖は気付かなかったが先程の話において二人の間には大きな齟齬があった。聖は『情けは人の為ならず』という言葉を用いて、他者の幸せを見ることが解にとっての幸せなのだと解釈した。しかし、解は他者が幸福であることが好きと言っただけで、自分の幸福は考えていなかった。つまり、自身が好ましく思うことを知っただけで、自身の幸福を追求する意志は未だになかった。例えるなら『友人と共に喜びを分かち合う』のか、『孫達の楽しそうな様子を独り縁側で見守る』のかの違いだろうか。些細な違いかもしれないが、生き方、在り方としては決定的なずれだった。



 結局聖の買い物に付き合う約束をした解はその二日後、専門店の近くで聖を待っていた。前回より待ち合わせの場所が目立つので、解の身なりを道行く人がちらちらと眺めていた。

今もたまたま目が合った若者が慌てて目を逸らし去っていった。

「俺の目つきが悪いのか、それとも服装が悪いのか…。」

「両方だと思うわよ。相乗効果のせいで知らない人は余計怖いでしょうね。」

声がしたので解が振り返ると、果たして聖が後ろに立っていた。

 前回聖は周りに自分だとばれないように変装していたが、今回はまともな私服を着ていた。短い髪と白を基調とした服はきっちり整えられていて、真面目な聖によく似合っていた。ただ綺麗なのは間違いないが、少し近寄りがたい雲の上の人のような雰囲気があった。とはいえ解がそんなことを気にするわけがなく、いつも通り普通に聖へ話しかけた。

「今日は前と違って普通の服装なんだな。」

「ええ。前回が私の普通と思われたら心外だから、今日はお洒落して来たの。どう?」

聖は話しながらモデルのようにポーズをとった。今日くらいは積極的にやってみようと決めていた。

「お前は元から綺麗だから、どんな服を着ても綺麗だぞ。前の変装も男装だっただけで、綺麗は綺麗だったぞ。」

「そ、そう?ありがとう…。って、違うのよ!それじゃお洒落した意味ないでしょ⁉」

「何が違うのか分からないが…。その服だと綺麗に格式が高い感じが追加されるな。フォーマルな雰囲気はよく似合ってるが、もう少し肩の力を抜いた方が楽なんじゃないか?」

「褒めたいなら褒めるだけにしなさい。デートの始めから女性の服を批評しないの。」

正直で言わなくていいことをうまく隠せないところはある意味好感が持てるのだが、やはり蛇足だった。それにしても、解は服装なんてどうでも良さそうなのに評価は的確だったので、聖はなんだか悔しくなった。そして、そんな聖に解が首を傾げて尋ねた。

「ん?今日は買い物じゃなくてデートだったのか?」

「うっ…。」

不思議そうな顔をする解に見つめられ、聖は言葉に詰まった。解がデートと認識していないことは分かっていたが、つっこみに気をとられ口が滑ってしまった。聖がどう返事したものか悩んでいると、解は合点がいったように深く頷いた。

「それで今回は変装してないのか。それならほめるだけにしろと言うのも道理だな。」

…目の前で一つ一つ考察しないでほしい。

「気付かなくて悪かった。せめて今から努力させてもらおう。じゃあ聖。」

「え…?」

聖はぽかんとした顔で出された手と解の顔を交互に見た。そして唐突に解の行動について理解した。

(デートの時は女性をエスコートするよう教えられてるんだったわね…。)

先輩としては余裕を見せつつ後輩の上を行きたい。聖は出された手をしっかり握り、解を引いて歩き始めた。

「じゃあ行くわよ。それと男性は女性をエスコートするもの、なんて古いわよ。今日は私が引っ張ってあげるから。いい?」

「…分かった。それならよろしく頼む。」

解は穏やかな表情で聖に返事した。デートだと知らなかったことは悪かったが、聖は怒ることなく元気そうだ。七海とつばめにはデートで嫌な思いをさせてしまったので、今回はしくじらないようにしようと気合を入れる解だった。



 解と聖は手をつないだまま店に入ったが、

フォーマルな女子とロックな男子の組み合わせはかなり目立っていた。少なくとも同人誌や成人向け漫画の売り場には違和感大だった。

「な、なんだか見られてるわね…。」

「俺がいるから仕方ないだろうな。」

(…それよりも。)

解は引っ張られている手をちらりと見た。指を絡めて手をつなぐのは初めてだったが、このつなぎ方だと指の間に負担があるのだと初めて知った。正直違和感が大きかった。…幸い聖は空いた片手で漫画を物色していた。

「…(そっ)。」

解は気付かれないように手を緩めようとしたが、逆に握り返されてしまった。聖は少し心配そうに振り返り解の顔を覗き込んだ。

「え、もしかして手、嫌だった?」

「いや、違うぞ。嫌じゃないんだが、指の間がちょっと疲れるというか、何というか。」

「あ、ああ。そういうことね。早く言ってくれたらいいのに。」

聖はぱっと手を離したが、今度は解が聖の手を取り、指を絡めずに手をつないだ。

「な、何?別に無理しなくても…。」

「別に手をつなぐことが嫌なんじゃない。さっきのつなぎ方は初めてだから慣れなかっただけだ。」

「初めてなの?恋人つなぎなのに?」

「?手のつなぎ方が恋人つなぎなのか?」

解は恋人つなぎという言葉を知らなかったらしく、聖は口に出したことを後悔した。

「そうよ。でも理由は聞かないでね、知らないから。」

「分かった。…しかし恋人つなぎか。恋人がするのか、恋人になるためにするのか。由来を考えると興味深いな。」

解は手を顎に当てて考えを巡らせていた。恋人つなぎを考察するなんて変わっているが、それも解らしかった。聖は解の邪魔をしないよう黙って漫画を見ることにした。二人とも全く違うことをしている上に会話もなかったが、不思議と隣に相手がいる安心感があった。そうして、場所に似合っていない雰囲気の二人はゆっくりと時間を過ごした。



 聖の買い物が終わった後、聖は不思議な提案をした。

「お昼は生徒会室で食べない?」

解に断る理由はないので、二人はファストフード店でハンバーガーを買い、高校へ向かった。

 聖が生徒会室の鍵を開け、空っぽの部屋の電気をつけた。続いて解が部屋に入ったが、解は肩の力を抜くように息を吐き、意外そうな声で言った。

「制服じゃないのに入れるものなんだな。」

「これも生徒会長の人徳よ。すごいでしょ。」

「ああ。だが生徒会長だから、じゃない。きっと橘聖の人徳だ。」

聖は冗談を真面目に返されて一瞬面食らったが、すぐ解に笑顔を返した。解は生徒会長、PTA会長の娘といった肩書きを抜きに自分を見てくれるからありがたい。

「よし、お昼を食べましょうか。黒条君はハンバーガーとかは食べるの?」

「自分で作ることはあるが、買わないな。」

「ハンバーガーを作る…?」

バンズから?と聞こうかとも思ったが、自分がみじめな気分になりそうなので止めた。

 しばらくの間、二人で静かにハンバーガーをもぐもぐ食べた。お互い大して会話することもなく食べ終わった。飲み物を飲んでいると、不意に周囲を見ていた解が口を開いた。

「生徒会室は勿論だが、休みの学校は静かなんだな。」

「大抵の生徒が来てないんだから当然といえば当然ね。黒条君は多分、賑やかより静かな方が好きでしょ?」

「ん…。」

聖は解が即答してくると思ったが、解は少し考える仕草をしてから答えた。

「基本的には静かな方が過ごしやすいんだが、校内は平日の方が安心できる気がする。」

「え、そうなの?意外。」

「自分でもそう思う。休みの校舎は静かなんだが、生徒の声や気配がないと空っぽというか、がらんどうというか。あるべきものがないと座りが悪いものなんだな。」

解はなんだか少し寂しそうな口調だ。人付き合いが得意ではない解も生徒・教師の集合体である学校に愛着のようなものを感じていることが分かり、聖は嬉しくなった。

「そう。なら私も引退するまでは学校がより良いものになるよう頑張らないとね。」

「とはいえもうすぐ引退だろう。学校改善に尽力するのもいいが、最後は自分のために時間を使ってもいいんじゃないか?」

「大丈夫よ。今日の私は自分のために遊んでるでしょ?私だって真面目一辺倒じゃないんだから。心配し過ぎよ。」

明るい調子で返す聖からは特に暗い影は感じられなかった。しかし、解は会議の後から気になっていることがあった。

「今はいいとしても、家ではどうなんだ?母親とは大丈夫なのか?一応優しくなったとは聞いたが。」

聖は解の言葉を聞いて目を丸くした。こう言うと失礼だが、解は他人の細かい事情に気を配ることは苦手だろうと思っていた。…けれど、解の優しさ、責任感の強さを考えれば自分の先入観が間違いだとすぐ理解した。

「それも心配しないで。前話した通り、会議以降母は少し丸くなったの。私や父と話すことが増えて、頭ごなしに否定してこなくなったわ。」

「俺が会議で色々言ったからな。傷ついていたり落ち込んでたりはしてないのか?」

「ええ。議論で負けたのがショックだったんじゃなくて、黒条君の話に感じるところがあったみたい。あなたを悪く言うどころか少し褒めてるくらいよ。」

「俺のことはいい。その、仲良くできているのか?」

「さすがにいきなり仲良しにはなれないわよ。でも、今の母は嫌いじゃない、ってところね。」

聖は少し照れたように笑った。解は聖の笑顔を見ながら家族について考えていた。

 解はこれまでに自分自身、七海、そして瀬奈の家族を見てきた。解自身は真とは問題がなく、瀬奈と七海は多少喧嘩こそあったが家族との関係は良好だった。一方で聖は母親に否定的で、関係も良好とはいえない様子だった。日頃親子愛も含め愛情について考える解にとって、聖の家庭は望ましいものとは思えなかった(勿論、一方的に理想の家族像を押しつけるつもりはない)。そのため、聖自身の理想に彼女の家族が少しでも近づくなら何よりだ。ただ、実際に努力したのは聖であり、解は校則のことで少し聖を手伝っただけだ。偉そうなことを言ってはいけない。

「いらないお節介だったな。悪い。だがお前がそんな風に笑えるなら良かった。」

解はそれだけ言って微かに笑った。聖につられた形だが、純粋に聖を思っての笑顔は穏やかで温かく、聖は胸の鼓動が速まるのを感じた。…このままでいいと誤魔化すつもりだったが、やはり、今がその時なのだろう。

「あの人、ああ、えっと、お母さんのことね。二回目の会議の後から変なこと言うのよ。彼氏を欲しいと思うか、とかね。」

「会議の時に不純異性交遊の話をしたからだろうな。」

「そうなの。ついこの間まで所得もない人間が安易に恋愛なんて、とか言ってたくせにね。」

「そうか…。」

聖は何故か落ち着きなくそわそわしていた。解は聖の様子が不思議だったが、ひとまず静かに話を聞くことにした。

「えーと、愛情研究会ではデートしたり愛情について話したりしてるのよね?会の中で恋愛とかはないの?」

「え?ええと…ない、と思うぞ。俺が分かってないだけかもしれないが。」

始音との出来事は話せないが、それ以外に恋愛に関係することはなかったはずだ。…そういえば透矢には真弓がいたが、二人の関係も話したら駄目だろう。少々罪悪感を持ちつつ答えた解の前で、聖は少し顔を綻ばせた。

「そっかそっか。でも、何だかもったいないわね。解君も含めて癖はあるけど性格も顔も良い人ばかりなのに。まあ、相手がいないのは私も一緒だけど。」

「恋愛漫画を読み漁ってるのに、自分が主人公になろうとは思わないのか?」

「なろうと思ってなれるものじゃないわよ。相手がいてくれないと…。」

そう言って聖は横目で解を見た。

解は無表情で聖を見ていたが、きっとのんびり、ぼんやりと話を聞いているのだろう。愛情研究会ほど解と一緒にはいないが、それでも少しは解のことが分かるようになった。他人を理解できて嬉しいと本気で思うのは聖の人生で初めてだった。そして、許されるならもっと分かりたいと思った。

「あ、あの、あなたも付き合ってる相手はいないんでしょ?」

「付き合うという言葉が恋愛関係の成立という意味でなら、今も昔もいないな。」

「な、なら…私と付き合う、なんてどう?」

「お前と?」

解は今一つ意味を、いや意図を解さなかったようだ。小首を傾げながら聖を見て答えた。

「仮定の上では問題ないんだが、現実には少なくともどちらかは恋愛感情がないと恋人関係は成立しないぞ。」

そりゃそうよ。だから話してるんだから。

「だから、その点は問題ないっていうか…。だって、私は…。」

聖が続きを言おうとした瞬間、解は目を見開いて椅子から立ち上がりそうになった。珍しく驚き動揺した顔をしていた。

「もしかして、俺を恋愛の意味で好きってことか…?」

「!」

ようやく言おうとしたところで解に核心を突かれ、聖は心臓が止まりそうなほどどきっとした。顔の温度が急上昇するのが分かり、解を見ることがものすごく恥ずかしかった。正直、そこの生徒会長の机の下にでも隠れてしまいたい。が、ちゃんと自分の口で言わないと後悔する、それくらいは分かった。

「え、ええ、そう。先に言われちゃったけど、私はあなたが好き。友情じゃなくて恋愛の意味でね。」

一度言ってしまうと肝が据わるのか、滑らかに言葉が出てきた。それはこの数か月間で黒条解を知り感じたことだった。

「私の趣味を受け入れてくれて、校則のこと、つまりは母親のことでも助けてくれた。あなたの強い意志も、優しさも、ちょっと抜けた鈍感なところも、全部好きよ。もちろん、私が知ってるあなたなんてほんの一部だと思う。それでも好きになって、もっとあなたと一緒にいて、あなたを知りたいと思うの。だから、私と付き合って下さい。」

思いの丈を打ち明けた聖はいまだ恥ずかしいけれど妙にすっきりした気分だった。途中おかしな流れはあったが、これで自分の言うべきことは全部言った。さて、解はどうだろうか…。

「…その、俺は…。」

解は困惑した顔で聖を見た。聖は解の顔を見て胸がきゅっと痛くなった。結果が怖いのは勿論だが、解にそんな顔をさせていることは申し訳なかった。

解は混乱していた。聖は俺を好きで、恋人になりたいらしい。だが俺は恋愛を理解できておらず、以前始音に好きと言われた時は返事を保留した。なら聖への返事も保留すべきだろうか。恐らく始音のように長期ではないがいくらかは待ってくれるだろう。しかし、保留は相手に良くないことで、早く結果は伝えるべきだと思っている。また、始音は保留、つまり断っていないのだが、聖と恋人関係になってよいのだろうか。どう選択しても始音と聖に優劣をつけることになるのではないか。だがどちらも唯一の存在なのだから、優劣など付けられるはずがない。…結局、聖にどう答えるかを決める合理的な理由は解では見出せなかった。

解は自分がどんな顔をしているか、聖がどう思っているかを考える余裕はなかった。頭の中で生まれるものは聖への答えそのものではなく、大量の疑問ばかりだった。それでも解は何とか返事をしようと口を開いた。ただ、聖と目を合わせることはできなかった。

「…俺はようやく愛情を理解し始めたところだ。そんな人間が誰かの恋人になれると思うか?」

「…私は黒条君じゃないから分からないわ。でも、傍にいれば私も一緒に考える。…私以外でもきっと同じだけど。」

「…。」

告白に質問で返した自分に嫌悪しながらも解は考え続けていた。そして、自分の中に答えは出ていた。どれだけ自分の思考を検討しても理由が分からないが、解に聖と恋人関係になる気持ちはなかった。聖を嫌ってなどいない、一緒にいて何の不満もない、それなのに…。

「黒条君、大丈夫?あの、返事はすぐじゃなくても…。」

「ありがとう。俺は大丈夫だから。」

解は意図的に聖の言葉を制した。今甘やかされると、きっと何も言えなくなってしまう。

 解は体に力を込めて俯く顔を起こした。ナイフを持つ相手を前にしても揺れない心が今は恐れで満たされていた。口が乾くのがよく分かった。いつかの瀬奈との話を思い出した。自分は今から友人を傷つけるのだ。しかも、自分の意志で。

「好きだと言ってくれてありがとう。こんな俺を認めてくれるのはとてもありがたい。…でも、俺はお前と恋愛関係にはなれない。理由は自分でも分からないが、そうなんだ。…ごめんなさい。」

「…。」

最後に頭を下げた解は頭を上げる勇気がすぐには出なかった。今聖がどんな顔をしているか分からない。悲しまれるのも嫌われるのも嫌だ。

その時、解は唐突に理解した。聖を傷つけたくないと偉そうにいうが、傷つけるくせに自分は嫌われたくない・傷つきたくないという身勝手な思いが自分にある。母親に置いていかれてからずっと心の奥に持っていた『嫌われたくない』という自分の根幹にようやく気付いた。そして、下げた頭の上から聖の声が聞こえてきた。

「ありがとう、黒条君。本気で考えてくれたの、よく分かるわ。…うん、残念だけど仕方ないわね。恋人は駄目だったけど、これからも友達でいてね?」

「あ、ああ…。」

解は曖昧に返事をして顔を上げた。聖は笑っているがやはり悲しそうだ。そして、聖を悲しませているのは間違いなく解自身だった。

「さーて、買い物もしたし、言うことは言ったし、今日はこれで解散ね。黒条君、今日はありがとう。楽しかったわ。」

聖はわざとらしく明るく言って生徒会室の出入口に歩いていった。一人にさせては悪いと咄嗟に思った解は椅子から立ち上がり聖を追いかけた。

「聖、待っ…。」

「っ!」

聖は肩に触れかけた解の手を反射的に振り払った。払われた解は思わず硬直し、聖も自分の勢いに驚いて固まった。お互い固まり動かなかったので、聖は解の呆然とした顔が、解は聖の泣きそうな顔がよく見えた。

「ご、ごめんなさい。でも、今は一人にさせて。お願い…。」

「…分かった。」

聖は小さな声だがはっきりと拒絶を口にした。解を傷つけていることは分かり辛いが、解を気遣う余裕はなかった。そして、解の返事を聞くと聖は今度こそ生徒会室を出て行った。解は聖の背中を戸が完全に閉まるまで見ていた。もう一度聖に声をかける力はなかった。

今の解の様子を俯瞰すると、まるで解が母親に捨てられた時のようだった。静かで穏やかだった生徒会室は、今や解が取り残された居間のように閉ざされた世界そのものだった。しかし決定的に違うことは、解は聖の愛情を拒絶した側であり、傷つけた方だった。

 解はのろのろと机の上を片付けて生徒会室を出た。部屋の外に出て世界は広がったが、解の心は沈んだままだった。ふと何かに気付いて解は振り返った。

「鍵、閉められないな。」

どうでもいいことに気付くものだな、と解はぼんやり考えていた。



 聖はいつの間にか家に帰っていた。今日は休みだが、幸い両親は仕事で家にいなかった。自室に入ると着替えることもなくベッドに倒れ込んだ。ベッドに埋もれて暗くなった目の前。そこに写るのはやはり先程の出来事だ。

「…うー…。」

思い出すとちょっと泣きそうなので、ベッドに顔を押しつけて堪えた。

 聖は誰かに恋することも、告白することも、当然振られることも、全て初めての経験だった。中高生が課金のために体を売ったり性病の広がりが問題になったりする世の中では珍しい人種であり、人によってはさっさと忘れるなり嫌いになるなりすれば?と言うかもしれない。

「…できないわよ。そんなの…。」

本気だった。公私ともに助けてもらい、恥ずかしいところも見られ、顔も性格も好きだった。振られた今でも好きな事実は何も変わらない。そして、振られたことは非常に辛いが、勇気を出して告白したことは後悔していない。…。

(全くないとはいえないか…。)

自己満足という点では後悔はない。しかし、解の返事をする時の苦しそうな顔、手を払われた時の呆然とした顔を思い出すと、告白しない方が解を苦しませずに済んだのでは、と思ってしまう。……振られたばかりなのに振った相手を心配してしまうほど、自分が解を好きなんだと改めて思い知った。失恋はそんなに辛いものなんだろうかと疑ったこともあるが、本当だった。

「はあ…。」

聖は動く元気も出なかった。結局、母が作った夕食も食べずに部屋に閉じこもっていた。




 浮かんでくるのは拒絶した記憶

 初めて愛を拒絶しました。

 彼女の愛は純粋で、きれいでした。

 私の拒絶は不可解で

 私は自分が分かりません。

 代わりに私が見つけた自分は

身勝手に叫ぶのです

「嫌われたくないんです」と。

 傷つけない、傷つかない未来

そんなきれいで都合のいいものは

夢に見ることさえ傲慢なのです。

 私は私の現実を

 ただ受け入れるしかないのです。



「…はっ。」

解は授業中にうたた寝していたが、授業の終わり際に目が覚めた。頭がぼーっとしていた。

解が聖とデート…をしてから四日ほど経過していた。解は聖とのことを誰かに話すことなく自分の胸に抱えていた。広めていいとは思えず、自分自身で考えるべきだと思ったからだ。とはいえ今のところ何も得られず、先程は夢で変な詩が流れる始末だ。

(いよいよおかしくなったんだろうか…。)

自分に厳しい評価を下しているうちに授業が終わり、放課後になるのだった。


「解君、様子が変だよね?」

「私も思います。心配です…。」

「あいつはいつも変だけどな。」

「分かってるんだから茶化さないの。でも変よね。学校でも銭湯でも暗いもの。」

放課後の愛情研究会には解を除く全員がいた。今日は活動日だが、解には休みと伝えて帰ってもらった。最近の解の様子があまりに変なので、今日は心配した仲間たちによる「解について相談する会」だった。

「あんなに暗いのに頑固よね。『何でもない』の一点張りで。」

「そうなんです!何だか辛そうなのに、やっぱりこっちを気遣ってくれて…。大丈夫ですか?って聞いても『大丈夫だ』って…。」

「先生も川野辺も、その例えはいつも通りの反応じゃないか?」

相変わらず茶化し気味の透矢に、始音はじろりと睨むような視線を送った。

「茅野君は真面目にお願いね。こういう時こそ情報収集力が役立つんじゃないの?」

「いやいや、俺にもルールがあるんですよ。対象の制限、最低限の閲覧と使用、情報の秘匿。何でも調べてたらただのストーカーですって。」

「うーん、まあそうだよね…。じゃあ茅野君も解君が変な理由は分からないんだ。」

「ああ。だから知るには解に話してもらうしかない。となるとその方法なんだが…。」

透矢は腕を組んで天井を見上げた。目を閉じて考えるとアイデアが形に…なる前に、七海の元気な声が聞こえてきた。

「はいっ!誠心誠意心配してることを伝えたら話してくれるんじゃないでしょうか?」

「それもプレッシャーじゃない?それよりも私が聞くのは?聞き出すのは得意よ。」

「そうだな…。霧谷はどうだ?」

「私?」

七海と始音の意見ではぴんと来なかったのか、透矢は黙っている瀬奈に話を振った。瀬奈は話を振られて一瞬驚いた顔をしたが、すぐ真面目な表情になり話を始めた。

「解君は悩んでるみたいだからリラックスしてもらわないとね。解君が話したくなる場をつくって、自分から話してもらうのが一番元気になるんじゃないかな?」

「「「…。」」」

「え、な、何?どうしたの?」

意見を言ったら皆が黙ってしまったので、瀬奈は不安になって尋ねた。対して、七海と始音は感心したように笑顔で頷いていた。

「いえ、さすが瀬奈先輩です!先輩への思いに溢れた意見です!」

「そうね。ついどうやって話を聞くか、に囚われてたけど、大事なのは解君に元気になってもらうことよね。」

「くっくっく。さすが彼女候補だな。」

「ちょ、ちょっと!彼女候補って何?」

「文字通りだ。一号、二号、三号。」

透矢はそれぞれ始音、瀬奈、七海を指さして言った。ちなみに透矢の中で麗は0号だ。

「私、三号なんですね。順番に意味はあるんですか?」

「解と知り合った順だ。いい表現だろ?」

「良くないわよ。なんか優劣ができたみたいじゃない。歳は違っても皆対等よ。」

「ま、まあまあ、始音先生。茅野先輩に悪気はないですし、今は先輩のことが最優先ですから。」

始音は透矢の軽口を注意したが、間をとりなす七海に言われて矛を収めた。

「…そうね、話を戻しましょうか。じゃあ、私は解君と話をするのは瀬奈ちゃんがいいと思うんだけど、どうかしら?」

「え、私ですか⁉」

「自分で言ったじゃない、自分から話してもらうべきだって。私や麗さんだと話を聞き出すって感じになりやすいし、七海ちゃんだと強がって話さないかもしれない。なら瀬奈ちゃんが適任よ。」

「楽なんでいいんですが、俺は?」

「茅野君は実働派でしょ?純粋な聞き手役なんてできるの?」

「できはしますけど、まあ面倒ですね。」

何だかんだいっても始音はやはり生徒をよく見ていた。瀬奈以外は納得したようだが、瀬奈だけはまだ迷っていた。

「話してくれるかな?自信ないんだけど…。」

「大丈夫よ!瀬奈ちゃん、解君から頼りにされてるんだから。ね、七海ちゃん?」

「はい!だから心配せず、私達の分まで先輩の力になってあげて下さい。」

二人に励まされたおかげか、瀬奈は少し前向きな顔つきになって片手を握った。

「よし…!皆の分まで私、頑張ってみます!」

「うんうん。」「はい!」

透矢は仲良さそうな三人を興味深そうに眺めていたが、ふいに呟いた。

「不思議なもんだよな。三人ともライバルなのに仲がいいなんて。」

「別にいいじゃない?同じ人を好きになった同志なんだから。」

「まあ、その…嫌いになる理由は全然ないですよね。」

「私は瀬奈先輩も始音先生も好きですよ。」

透矢はやれやれと肩を竦めて苦笑した。愛情研究会は自分以外心配になるほど甘い奴ばかりだった。



 瀬奈達が解のための会議を開いてから一週間弱経過したが、結論からすると瀬奈はまだ解から話を聞けていなかった。瀬奈は学校ではなるべく解に話しかけ、休日も銭湯に足繁く通った。つまり、いつも以上に解の側にいるようにした。そのお陰か、こんな会話が出ることもあった。

『瀬奈、ちょっといいか?』

『何?どうかしたの?』

『その…。…いや、なんでもない。』

解はもう一息で話をしてくれそうではあった。解がここまで何かを引きずるのは初めてなので瀬奈としてはとても心配だったが、焦って失敗しないよう努めた。

 そろそろクラスメイトも解の様子がおかしいことに気付き始めた頃、解と瀬奈は放課後同好会室にいた。この数日間、愛情研究会の活動前には15分ほど二人だけの時間があった。勿論皆で相談した上でのことであり、透矢達は教室で待機していた。

「始音はともかく、透矢や七海はどうしたんだろうな。」

「皆最近忙しいみたい。昼休みにそんなこと言ってたよ。」

「そうか…。」

解はぽつりと呟くと、ため息を一つ吐いて目を閉じた。透矢達は数日間ずっと遅れて来ているのに解は全く違和感を持っていなかった。また顔色も悪く、目の下には薄く隈ができていてあまり寝ていないようだ。…いい加減元気になってくれないと病気になってしまいそうだ。

「解君、顔色良くないけど大丈夫?」

「え…?ああ、大丈夫だ。」

「…さすがにその様子で大丈夫は無理があると思うよ?」

「…そうか。少し…考えることがあって。そのせいだな。」

「私で良かったら、聞くよ?話すだけで楽になることもあるから。」

瀬奈は解の体調を考慮し、今日は少し前に出ることにした。解は大分弱っているのか、瀬奈の一言でかなり気持ちが揺れていた。

「…話したいことはある。前も言ったんだが、瀬奈には不思議と相談しやすいからな。…だが、いいのか?」

「もちろん。解君が元気な方が嬉しいからね。私も一緒に考えることはできるよ。」

『私も一緒に考える。』

「っ…。」

解は瀬奈の言葉から聖の台詞を思い出してどきっとした。瀬奈に話すことを心の中で聖に謝罪して、口を開いた。

「少し前に聖と、生徒会長と買い物に行ったんだ。」

「え?橘先輩と?」

聖が解を気に入っているのは分かっていた。しかし、一緒に買い物に行く仲になっていたとは知らなかった。しかも、恐らくその買い物は…。

「ああ。一緒に来てと頼まれたんだ。…聖はデートのつもりだったんだがな。」

「うん。」

やはりそうだった。…というか、最初から気付いてあげてほしい。

「それで、買い物が終わって…好きだと言われた。」

「…!う、うん。」

瀬奈は動揺を必死に押し殺した。始音の時は瀬奈が始音をよく知っているのでまだよかったが、今回は勝手が違った。正直、嫌な気分だった。

「付き合ってほしいと言われて…結局、その場で断った。」

「…。」

意外だった。始音の時と同じく返事を保留したと思ったが。それはつまり、始音と聖には解の中で差があったということだ。

「…聖は悲しそうだった。愛情が拒絶されたんだ、当然だな。出て行こうとしたのを追いかけたのも不快だっただろう。」

「ふうん…。」

流れがつかみにくいが、恐らく断られた聖が去っていくのを解が追いかけたんだろう。解らしいが、断っておいて優しくするのはある意味ひどいかもしれない。

「断った理由は自分でもよく分からない。ただ、何か違うと思っただけだ。それだけで俺は聖を傷つけた。」

「告白に応えられないのは仕方ないよ。私も経験あるけど。」

「…自分が信じられないんだ。始音には返事を保留したのに、聖は断った。俺は二人の恋愛という愛情に優劣をつけたのかもしれない。誰かを蔑ろにできる愛情が俺にあるなら、俺は母親と大差ない気がする。」

「…ちょっと待って。」

瀬奈ははっきりと言って解を止めた。話を整理したかったからだが、自らを責め過ぎている解を止めなければならなかった。

(一人振っただけでそんなに悩まなくていいのに。分かってないから極端になるんだろうけど…。)

瀬奈は少し呆れながらも解の言葉を考えた。解の説明は難しいが、まず解は恋愛をよく分かっていない。その上で恋愛感情を二人からぶつけられた。なぜ聖の時は保留にしなかったのかは謎だが、とりあえず解の返事は各々で違い、差が出てしまった。始音と聖、解としてはどちらも大切な友人なのに、対応に差が出てしまったこと、そもそも愛情を拒絶したこと、その二点で悩んでいる。そう言うことみたいだ。

(…今私、解君っぽかったな。)

「恋愛で相手に気を遣い過ぎるのは良くないよ。前も言ったけど、断ったら必ず傷つけるんだから。それに、解君はまだ恋愛を分かってないんでしょ?なら、断る理由が曖昧でも仕方ないと思う。」

「…。」

「解君は何も悪くないんだよ?しかも、今も橘先輩を心配するくらい優しいんだから、お母さんとは全然違うよ。」

瀬奈は駄目だと思いながらも止まらなかった。聞き手になるつもりが、自分の思いを随分話してしまっている。それほどに精神的なボルテージが上がっていた。

「優しくないんだ。」

「え?」

「優しくなんてない。俺は自分が傷つきたくないだけだった。今回のことでよく分かったんだ。身勝手な俺が優しいはずがない。」

「…。」

瀬奈はいらいらしていた。どう聞いても解は何も悪くない。ただ聖を振っただけだ。罪悪感と自己嫌悪なのだろうが、それにしても限度がある。自分が傷つきたくないという話もみんな当たり前で、潔癖過ぎる。…大体、解は沢山の人に愛されていて、しかも始音と聖に告白までされて、それで悩むなんて贅沢ではなかろうか。

「解君はどうしたいの?橘先輩に謝りたいの?それとも責任取って付き合いたいの?」

「え…それは…。」

瀬奈の口調は強く荒かった。戸惑う解を見て瀬奈は胸がちくりと痛くなったが、一旦緩んでしまった口は止められなかった。

「そもそも解君の事情を無視して告白されたんだから、気にせず自由に返事していいんだよ。それに恋愛も友情も何度も経験して成長していくものだから、橘会長が失恋を引きずらないかもしれないよ。解君は思うより女は強いんだから。」

瀬奈は勢いのまま喋り、一度話を切った。解は話が切れても特に何の反応もせず瀬奈を見ていたが、しばらくすると静かに、呟くように言った。

「確かに、瀬奈の言うことは一理ある。お前から見れば俺が考えていることは無意味かもしれないな。」

瀬奈の意見に思うところがあったのか、解は暗い表情ながらも少し声に力を込めて続けた。

「だが恋愛が何度もできるとして、一回一回の価値はその人によるはずだ。少なくとも聖は本気だった。断ったとはいえ、俺はちゃんと向き合いたい。」

「それで解君が悩んでも、皆が暗くなるだけじゃない!私達や、きっと麗さんもずっと解君を心配してるんだけど、気付いてる?私なんか心配した挙句、先生や先輩との恋愛話を聞かされてるんだよ?正直きついんだから!」

瀬奈は心の奥で思っていたことを苛立ちに任せて一気に話した。頭では止めた方がいいと分かっていたが止められなかった。

 解は瀬奈に苛立ちをぶつけられて、怒ることも悲しむこともなく、ただただ心の中で瀬奈に謝っていた。自己愛が乏しい解には守るべき、哀れむべき自分は未だおらず、瀬奈を不快にさせてしまった悪い自分がいるだけだ。瀬奈に相談しやすい相手という役を押しつけて、つまらない話を聞かせてしまった。

「…本当に悪かった。これ以上不快にさせないよう、これからは十分気をつける。…瀬奈、話を聞いてくれてありがとう。」

解は青白く生気のない顔で、しかし申し訳なさそうに言った。そんな解を見て、瀬奈は自分が言ってしまったことを後悔した。しかし瀬奈がゆっくり後悔する間もなく解は静かに立ち上がり部屋の出口に向かった。

「解君!」

解が戸に手をかけたところで瀬奈が叫んだが、解は一瞬動きを止めただけで、振り返ることなく出て行った。


「……。」

解が出て行ってしばらくの間、瀬奈は動揺で動けなかった。そんな瀬奈を余所に同好会室の戸が開けられ、透矢、七海、始音の三人が入ってきた。まず透矢が口火を切って瀬奈に尋ねた。

「霧谷、長かったが話はどうなった?」

「先輩はどこに歩いていったんですか?」

「え、その、あの…。」

透矢と七海に聞かれた瀬奈は答えられず狼狽していた。そんな瀬奈の様子から透矢と始音は事情を察した。

「…どうやらうまくいかなかったのね。大丈夫よ、瀬奈ちゃん。一度落ち着きましょう。はい、深呼吸。」

「すう、はあ…。…ありがとうございます。」

「良かった。じゃあ何があったか教えて?」

「…は、はい。あの…。」

…………。

 同好会室で起きたこと(聖の個人名は省かれたが)を瀬奈から聞いた始音はため息を吐いた。

「悩みを聞いてたら腹が立ってきて喧嘩、いや喧嘩じゃないか。とにかく、解君はどこかに行っちゃったと。…派手にしくじっちゃったわね。」

「う…すみません…。」

「謝る相手が違うぜ。まあ解は解で責任がないわけじゃないが、そこは霧谷が譲歩するところだったな。」

「…ほんと、その通りだと思う…。」

反省する瀬奈の前には透矢と始音だけで、七海がいなかった。話の途中で解が心配だと言い既に探しに出ていった後だ。

「川野辺が探しに行ったが音沙汰がないし、俺達も行くか。それにしても解の奴、一人振っただけで落ち込み過ぎだろ。どんだけ生真面目なんだ?」

「はっ!そこがいいんじゃない。真面目で優しくて、時々危なっかしくてぼけっとしてるおもしろ変な子が解君なんだから。」

「俺からしたらそんな解に惚れた人間も十分面白おかしいですけどね。」

鼻で笑う始音に苦笑で返す透矢。瀬奈は部屋から出て行く二人の背中を見ながらぼそっと呟いた。

「行っていいのかな、私。」

「ん?」

「嫌なこと言った私が探しに行く資格なんてあるかな…?」

始音と透矢はちらりと顔を見合わせた。透矢は肩を竦めてそのまま行ってしまった。瀬奈の言葉が少々気に入らなかったようだ。始音は手厳しい透矢をため息交じりに見送ってから瀬奈に向き直った。少し呆れたような、だが優しい笑顔だった。

「むしろ瀬奈ちゃんが行かないと。友達に言われてぐさりと来た言葉って、結構時間が経っても記憶に残ってるのよ?忘れたと思ってもまた思い出したりしてね。だから言った瀬奈ちゃんが悪い記憶をいい記憶に変えてあげないと駄目。分かった?」

「…はい。」

瀬奈は踏ん切りがついたのか、さっきよりしっかりした声で返事をした。始音は瀬奈の肩を押しながら笑った。

「心配しなくても、解君はどうせ瀬奈ちゃんに悪いことしたって思ってるだけよ。嫌われてなんかないわ。」

「べ、別にそこは気にしてません…!」

瀬奈はようやく少しだけ声に元気が戻った。


解は校内をふらふらと歩いていた。いや、彷徨って、の方が正しいかもしれない。普段なら銭湯に働きに行くが、それでは麗に会ってしまう。そうなると一連の出来事について全て話をしなければならないだろう(今の精神状態で黙秘はできそうにない)。非常に情けないこともあるが、それ以上に麗に余計な心配をかけたくなかった。結局、解ができることは人のいない所を探すくらいだった。

解は歩いている間に何人かの生徒とすれ違ったが、特に気にされずに済んだ。話すことで誰かを傷つけずに済むし、正直誰かと会話することが怖かった。ただ、たった一人で歩く廊下に違和感を覚えていた。学校ではいつも一人だったのに、いつの間にか誰かが隣にいることが当たり前になっていた。

(…甘えていたんだろうな。)

瀬奈達が優しいから甘えて、頼ってしまったから瀬奈を怒らせてしまった。動くことで他人に嫌な思いをさせるというのなら、何もしない方が良い。そうすれば、その場にいることくらいは許してもらえるだろうか。

 …それとも、いることが罪なのか?

「あ…。」

瞬間、半分埋もれていた記憶が一気に頭の中で掘り起こされ、鮮明に思い出された。


 解は無表情で、人形のように座り込んでいた。じっと動かず、虚ろな目で床に転がるボールを見つめていた。

「■■。私出てくるから、留守番お願い。」

母親に声をかけられ、4歳の解/■■は無表情なまま顔を上げた。自分の名前を呼ばれたはずだがよく聞こえなかった。母親は自分の子供を気味悪そうに見下ろして言った。

「手がかからないのは助かるけど、相変わらず気持ち悪い子供ね。あなた、いるだけで人を不快にさせてるのよ、分かる?」

「…。」

分からない。4歳の子供に言って答えられる内容ではないのだから当然だった。母親も分かっているようで、軽くため息を吐いた。

「…分からないわよね。■■、子供ならもっと笑ったり遊んだりしたら?じゃ。」

母親はそれだけ言って出て行った。■■は母親の背中を無表情にぼんやりと眺めていたが、母親が消えてしばらくするとぽてんと音もなく横に倒れた。目の前にあるボールに手を伸ばしたが、その手はボールに届く前に床に落ちた。■■は何も言わずに目を閉じた。そして、居間で動くものは時計の針だけになった。


「う…!」

解は吐き気と動悸、頭痛のために廊下にうずくまった。意識して呼吸を行い、何とか倒れるのは防いだ。明らかにフラッシュバックだが、幸いひどい発作ではないようで意識はあった。頭は割れそうなほど痛み、動悸がひどく胸が苦しかった。

フラッシュバックの際によく見る場面ではなかったが、先程の光景も実際にあったことだった。忘れかけていたが、今は母親の冷たい視線も嫌悪に満ちた声も思い出すことができた。

「ぐ…。」

母親を思い出すと吐き気や頭痛が一層ひどくなった。しかし、症状とは反対に心は冷静だった。

(話すだけで瀬奈を不快にさせたのなら、彼女の言ったこともあながち間違いじゃないな。)

「はぁ、はぁ、はぁ…。」

解は壁に寄りかかりながらなんとか動こうとした。廊下は目立つので、どこか隠れて休める場所に移動した方がいい。…いいのだが、体は思うように動かず、頑張っても少しずつしか進めなかった。逆に苦しみが増す始末だ。結局、解は廊下で動けなくなりその場でうずくまるしかなかった。

「先輩⁉」

頭が回らないが誰かが隣で叫んだ。そのまま引きずられてどこかの部屋に連れ込まれ、仰向けに寝かされた。部屋の中なら騒ぎになりにくいので少し安心だ。解は落ち着いて呼吸を落ち着かせることに努めた。

 やはり発作としてはましな方だったので、休むと解の調子は徐々に改善していった。解がそろそろ周囲を確認しようと閉じていた目を開けたところ、目の前に七海の顔があった。七海は解の隣に座り顔を覗き込んでいて、解と目が合うとほっとしたように笑った。

「あ、先輩?大丈夫ですか?」

「…ああ。助かった。」

「あ!まだ休んでて下さい!」

解は起きようとしたが、七海に制されたのでそのままじっとすることにした。本音を言うと、まだ動くのは厳しそうだ。七海は心配そうに解に声をかけた。

「きっとフラッシュ…っていうのですよね?私がいますから、もっと休んで下さい。」

「…でも、迷惑だろう?」

「まさか!先輩の力になれて嬉しいくらいです。あ、でも病気になってほしいって意味じゃなくて…。」

「大丈夫だ。それくらいは俺にも分かる。」

解は息を吐いて再び目を閉じた。目を閉じてまず思い出すのは瀬奈のことだった。

「透矢達はどうしたんだ?」

「あ、その…瀬奈先輩から話を聞いて、私は先に先輩を探しに出たんです。それでたまたま先輩を見つけました。」

七海は少し瀬奈の名前を出すのを躊躇った。解にストレスがかからないか心配だった。七海の話を聞いた解は目を閉じたまま尋ねた。

「…瀬奈は怒ってなかったか?」

「え?は、はい。怒ってはいなかったです。ただ、先輩に悪いことしたってすごく落ち込んでました。」

「…そうか。

解は淡々と呟いた。怒っていないのは良かったが、落ち込むことも良くないことだ。それも、解が話をしなければ起きなかったことだ。

「…やっぱり、俺のせいだな。」

「そんなことないです!仲が良くても時には喧嘩するんですから、先輩も瀬奈先輩も、どっちも悪くないです!」

七海は解に元気になってもらおうと一生懸命だった。前のめり過ぎな気もするが、気にせず話を続けた。

「それに、喧嘩したからって先輩を嫌いになんてなりません。みんな先輩のことが好きですから。だから心配しないで下さい。」

「…ああ、ありがとう。」

解は七海の顔を黙って見上げた。七海は真剣な顔で解を案じており、そこに嘘は感じ取れなかった。七海の言葉が正しいかどうかはともかく、七海の気遣いは落ち込んだ解の心を温めてくれた。

 心が少し熱を得たところで、解は改めてすぐ近くにある七海の顔を見た。いつもの笑顔と違う真剣な表情の七海は綺麗だった。…もし自分が恋愛を理解していたら、このように七海や瀬奈、聖や始音の顔を見た時の感想や言動が変わるのだろうか。その変化は良いことなのか、良いなら誰にとっていいことなのだろうか。…愛情は難しい。恋愛は特に難しい。

「七海、少し聞いてもいいか?」

「はいっ。」

解がぽつりと言い、七海がはっきり答えた。

「お前は恋愛が分かるか?」

「えっ!れ、恋愛、ですか?」

七海は思わず声が上ずった。特に理由はないが姿勢を正し、解の隣で正座した。

「た、多分、少しは分かってるかな、と。」

「良いものなのか?」

「え?」

「皆のお陰で様々な愛情を少し分かるようになった。親子愛、友愛、自己愛とかだな。どれもあることが幸福につながるのに、恋愛は違う。自分や相手、周囲が幸せになるとは限らない。俺には恋愛が必要なのかどうか分からない。」

「先輩…。」

七海は解の話を聞いて胸が痛くなった。解は恋愛をよく分かっていないままに好意を寄せられ、結果辛い思いをしている(解を好きなのは自分もだが…)。真面目な性格のせいで曖昧に済ませたり誤魔化したりができないので、より一層苦しんでしまうのだろう。ここは恋愛について自分の考えを話しつつ、解の気が少しでも楽になるよう頑張らなければ。七海は心の中で気合を入れた。

「先輩、恋と愛の違いは何かを話したの、覚えてますか?」

「そんなこともあったな。それがどうかしたのか?」

「私なりに考えたんです。それでですね、恋はすると幸せになれます。好きな人を見てるだけで嬉しくなるんです。一緒にいるともっとです。」

「友情も似たようなものだろう?」

「恋の方が気持ちの動きが激しいと思います。会えなかったら寂しくて、話せなかった不安になります。友達でも似た思いになるんですけど、恋ほど強くありません。」

「…それでも、最終的に拒絶されたら幸せじゃないんじゃないか?」

「恋が叶わないのは辛いですけど、誰かに恋をしたこと、恋をして幸せだったことは消えません。なら、いつか幸せな思い出になると思うんです。少なくとも私はそうなりたいです。」

七海らしい意見だ、そう解は思った。少し理想が混じっているが純粋で真っすぐな考えで、自分とは大違いだ。

「…なら、愛は?」

「愛は一緒に作るものだと思います。好きな人同士がうまくいってたらきれいに、好きが変わってしまうと変になるんです。だから愛は二人の努力がいるし、うわべじゃ駄目なんです。まあその、私はまだ愛を話せる経験がないんですけど…。」

「…恋と愛の話は分かった。それと恋愛が良いものかどうか、どうつながるんだ?」

七海の話は興味深いが、解の質問に答えてはいない。そのため解は七海の真意を測りかねていた。

「あ、すいません、遠回りでした。色々喋ったんですが、私は恋をして幸せです。何があっても恋をして良かったと言うと思います。そして、好きになった人にも誰かに恋をしてほしいです。その恋は幸せにつながるはずですから。」

「…。」

「先輩は今回嫌な思いをしましたけど、それで恋愛はいらないって結論は早すぎると思います。幸せにはやっぱり色んな愛情が必要です。家族への愛情も先輩への愛情も、私が幸せになるには必要で、とっても大切なものなんですよ。」

七海は自信をもって話をしていた。紛れもない本心を話しているからだが、今回はいつも甘えている分の恩返しであり解に情けない姿は見せられなかった。

「瀬奈先輩にとっても先輩への愛情は大切なはずです。喧嘩くらいでそれは変わりません。だから、諦めないで下さい。私はずっと先輩の力になりますから。」

「七海…。」

七海の優しさが伝わってくる意見だった。自分が嫌になっていた解にはその優しさがとても心に沁みた。

「…確かに、一度の失敗で結論を出すのは早すぎるな。意見ありがとう。」

「い、いえ!いつも難しい話では役立たずですから。でも、少しでも先輩が元気になってくれたら嬉しいです。」

「心配をかける情けない先輩で悪いな。」

「情けなくなんてないですよ。いつも頑張ってる先輩が少しお休みしただけです。」

「…ものは言いようだな。」

解はいつの間にか無意識に笑っていた。


解は起き上がって手を握ったり開いたりして体の動きを確認した。…問題なさそうだ。

「よし、もう大丈夫だと思う。」

「本当ですか?辛かったら言って下さいね。」

心配そうに見守る七海の隣で解は一人で立ち上がった。眩暈、ふらつきは感じなかった。

「…多分問題ない。」

「なら良かったです。でも先輩はこれからどうします?帰りますか?」

「いや、瀬奈に会って話がしたい。俺のせいで落ち込んでいるなら謝らないと。」

「…そうですか?先輩は発作が起きたばっかりですし、明日でもいいような気がしますけど…。」

七海はわずかに顔を曇らせて解に言った。七海にしては珍しく、拗ねたような雰囲気が混ざっていた。さっきまで二人きりだったのに、解が動けるようになった途端瀬奈の所に行ってしまうのが少し残念だった。そもそも相談役だった瀬奈が怒ったせいで解の発作は起きたと考えられるのに、解は優し過ぎると思った。

「私が代わりに伝えておくこともできますけど…。あ!」

七海が急に声を上げ、慌てた様子でスマホを取り出した。

「先輩を見つけたことも具合が悪かったことも、誰にも何にも報告してなかったです…!」

「?連絡できないこともあるだろう。まあいいんじゃないか。」

七海が誰に連絡しようかと迷っている間に解はゆっくりと戸に向かった。心身ともにフラッシュバックのため疲れてはいたが、精神的な安定は十分得られていた。七海の話を聞いて、前向きに頭の中を整理できたようだ。解は改めて七海に感謝しながら外に出ようと戸を開いた。

「あ。」

「よっ。心も体も少しはましになったみたいだな。大丈夫か?」

廊下の向かいには透矢がスマホ片手に立っていた。どうやら解を待っていたらしい。

「茅野先輩、どうしたんですか?こんな所に一人で。」

「後輩が連絡を絶ったせいであちこち探し回らされた挙句、二人で仲良く話してたから邪魔をしないよう、下らないスマホゲームをやりながら待ってただけだぞ?」

「すすいませんでした!」

透矢なりの冗談だが七海は勢いよく深く頭を下げた。解も責任を感じて頭を下げた。

「待たせて悪かった。発作が出たから休んでただけで、七海は悪くない。俺が悪いだけだから、七海を責めないでやってほしい。」

「分かってるって。お前が横になって休む理由なんてそれくらいしかないからな。で?今から霧谷を探すんだろ?」

「ああ。」

「あいつならいつものとこだ。堤先生は仕事で、俺と川野辺は先に帰っておくからな。」

解と瀬奈、二人でじっくり話せということらしい。わざわざ部屋の外で待っていたことといい、透矢は態度とは裏腹に本当に細かく配慮ができる人間だと思う。

「ありがとう。いずれまた礼をさせてくれ。」

「え?私はまだ先輩と…。」

「じゃあなー。」

解は透矢と口を押さえられた七海に見送られ同好会室に向かった。


解が見えなくなって、ようやく透矢は七海を解放した。もがもが暴れていた七海はむすっとした顔で透矢を見上げた。

「茅野先輩、私はまだ帰るつもりじゃなかったんですが!」

「まあまあ。霧谷も落ち込んでるんだし、二人だけにしてやれよ。お前がいたら霧谷は素直に話せないだろ?それともなにか?二人が仲悪くなってもいいのか?」

「それは嫌ですけど…。もうちょっと先輩と一緒にいたかったです。」

残念そうな七海を見て透矢は苦笑した。ここまで懐かれると解も大変だろう。

「今日は諦めろ。いつも霧谷や堤先生より解の近くにいるんだからな。」

「は~い…。」

その後、透矢は肩を落とす七海を昇降口に送ったが、思い出したように意地悪い顔をした。

「そういえば、次はちゃんと連絡しろよ?お陰で学校中探して大変だったんだからな。」

「本当にすいませんでした!先輩を助けないとって頭がいっぱいで…。」

「やれやれ…。」

透矢は芝居がかった調子で肩を竦めた。大切な人に何かあれば気が動転するのが普通だろうが、やはり忠告しておいた方がいい。

「今日はまだよかったけどな。救急車を呼ぶこともできるだろ。焦ったら守れるものも守れないぞ。」

「う…そうですね。今度から気をつけます。茅野先輩、ありがとうございます。」

「ああ。」

七海は素直に透矢に頭を下げ、透矢は少し目を細めて七海を見ていた。

透矢は七海を別に嫌ってはいない。いないが、七海の感情やその表出方法が真っすぐで、透矢には少し毒だった。それでもその在り方は解と透矢には貴重で、愛情研究会の中では行動派だ。今回のように、七海のおかげで事が運ぶこともある。

(まあ、これからもそのままのお前でいてくれ。)

俺は少し苦手なんだがな、と透矢は心の中で付け加えた。


 解は同好会室の前にいた。「いつものとこ」と言われたのでここに来たが、そういえばここで正しいのだろうか?そもそも謝るといってもどう言えばいいのか?分からないことは多いが、とにかく謝ることは確かなのだ。

「…よし。」

解は気合を入れて戸を開いた。

 同好会室には瀬奈がぽつんと一人俯きがちに座っていた。いつも複数人がいる部屋は瀬奈一人だとがらんとして寂しく見えた。いきなり戸が開いたからか、瀬奈は驚いた顔で解を見た。

「え…解君?」

「ああ…。その、隣、いいか?」

「う、うん。」

解は瀬奈の隣に座り、互いに隣にしては少し距離をとった。…座った後で気付いたが、机を挟んで座った方がよかったような気がする。ややぎこちない空気の中、瀬奈がおずおずと声をかけた。

「発作が出たって聞いたけど、大丈夫?」

「ああ。七海が見つけてくれたから騒ぎにならずに済んだ。」

「そうなんだ…。」

解の言葉を聞いて瀬奈は少し俯いた。フラッシュバックが起きた原因はきっと自分だろう。なのに何もできなかった、いや何もしなかった。しかも、それを分かっていながら不安と恐れ、そしてわずかな自尊心が邪魔をして、自分から謝ることはできなかった。そんな自分が嫌いだった。

 そんな理由で瀬奈は俯いて黙っていたが、解は既に腹を決め瀬奈の方を向いた。とにかく、まずは謝らないと始まらない。

「瀬奈、今日は悪かった。長々とつまらない相談をして、嫌な思いをさせた。それにあの場でちゃんと話せばよかったのに、俺が逃げたせいで余計に迷惑をかけたしな。」

「…うん。でも、そんなの気にしなくていいんだよ。」

瀬奈は本当にそう思った。解はただ悩みを相談しただけで、出ていった時も瀬奈に謝っていた。今も謝っているのは解だけで、解はいつも最善を尽くそうと努めていた。…なら、自分だけ理由をつけて立ち止まっていたら駄目だ。瀬奈はそう考え顔を上げた。

「私の方こそごめんなさい。せっかく頼ってくれたのに、勝手に怒ったりして…。」

「いや、答えのない問題に悩んで弱音を吐いた俺が悪かったんだ。瀬奈は悪くない。もし悪いと思うなら、そう思わせた俺が悪いだけだ。」

瀬奈はでも、と言いそうになった口を押さえた。ここまではっきり主張する解と言い合っても仕方がない。それに今の解は自分が悪いと言っても後ろ向きな言い方はしていないので、解の意見を無理に変える必要もないだろう。

「…分かった、私は悪くない。でも、悩むのも弱音を吐くのも当たり前なんだから、解君も悪くない。それでいい?」

「…分かった。瀬奈がそれでいいなら。」

「うん、いいよ。じゃあ、この話はこれでおしまいね。」

瀬奈はそう言うとにこっと笑った。ほっとした、嬉しそうな笑顔だった。解はその笑顔を見て、逃げずに瀬奈に謝って良かったと心から思った。

話がいい方向で落ち着いてたため、緊張していた空気が弛緩していった。瀬奈は大きなため息を吐きながら机に突っ伏した。

「あー、良かった。仲直りできて。」

「仲直りも何も、仲違いはしてないぞ。俺が悪かっただけだ。」

「違うでしょ、解君。」

瀬奈は笑顔で解を叱った。…そうだ、どちらも悪くないんだった。

「悪い。俺が出て行ったせいで喧嘩したみたいになっただけだ。」

「そう言われたって、私が言ったせいで嫌われたと思っても仕方ないでしょ?」

「そうか?話の流れとしては怒られた側が嫌われるものだと思うぞ。だから謝りに来たんだしな。」

「…。」

悪くないと決めたものの、解と瀬奈は次は嫌われた責任はお互い自分にあると言い合っていた。その点に気付いた二人は見つめ合っていたが、しばらくすると瀬奈はくすりと笑った。 

「さっきからお互い同じようなことを言ってるね。」

「…そうだな。」

「これはこれで気が合うってことかな?」

「…そうだな。そうだといいな。」

解は言いながら柔らかい笑みを浮かべた。友人と気が合うならとてもいいことだと思った。笑顔を見た瀬奈は一瞬目を奪われていたが、慌てて誤魔化すように笑った。

「ま、まあ友達だもんね。気が合うって大事なことだよね。」

「ああ。元々瀬奈には一方的に信頼と愛情を向けていたからな。お前により信頼され好かれるなら何よりだ。」

「すごい表現だけど…。相談しやすいって言ってたあのこと?」

「そうだ。相談しやすい、それ即ち他に優先する信頼があり、同時に友情や恋愛などの愛情があるということだ。」

「あはは。そっか、そっか。」

解の言葉は相変わらず難しい表現が用いられるが、結局解は瀬奈を好きで頼りにしているということだ。友情であっても好意を伝えられるのは嬉しいものだ。解は顔がにやけている瀬奈を不思議そうに見ていたが、思い出したように言った。

「そろそろ帰るか。七海と透矢は先に帰ったからな。」

「え?二人とも先に帰ったの?」

「ああ。…それにしても、七海が励ましてくれたお陰で今日の内にここに来れたんだから、感謝しないとな。透矢と始音も色々陰で手助けしてくれたようだし、ありがたいことだな。」

「…そうだね。じゃあ、今度二人でお礼をしないとね。」

「ああ。」

解は相変わらず律儀だった。瀬奈は苦笑しながら解について帰るのだった。


 解としては瀬奈に嫌われておらず、愛情を知るための行動をこれからも続けていく元気ももらった。しかし、聖にどうしてあげればよかったのか、嫌われたくないという自身の欲にどう向き合うか、分からないことは残っていた。それでも諦めずに考え続けようと思えたのはひとまずの収穫といえた。

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