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「ル、ルーヴィッヒ、めちゃくちゃ恰好よかった⋯⋯!」
一番好きな推しキャラだった先ほどのルーヴィッヒを思い出して、リッテはうっとりと陶酔して頬を染めた。
「イラストだけで破壊力凄かったのに、動いて喋るとかどんなご褒美なの」
うっと思わずほっそりした白魚のような手を口元に持っていく。
「鼻血出そうなくらい格好いい⋯⋯いや駄目だ。リッテの姿でそんなことしたくない」
我に返ると鏡を見てから鼻血が出ていないかを確認した。
オーケー、セーフだ。
鼻の下は無事でほっとした。
そこでハッと脳裏に稲妻が走る。
「となればラナメリットもいるんじゃないの?絶世の美少女が!」
こうしちゃいられないとリッテは走り出そうとして、自分が侯爵令嬢なことを思い出した。
真知子は全力疾走しても問題ないがリッテ的にはアウトだ。
さっきやっちゃったけど。
可能な限りの優雅さを意識しつつリッテは若干の早歩きでトイレを後にした。
はやる心は抑えられないのだ。
一応リッテとしての記憶もあってよかったと胸を撫でおろす。
真知子に淑女は無理である。
優雅さなんて一ミリたりともない。
「リッテお嬢様」
トイレを出た所で名前を呼ばれた。
そちらを見ると、一人の男子生徒が駆けてきている。
灰色の髪をひとつに束ねている、切れ長の目元が涼し気な少年だ。
リッテの記憶に自分の従者だと覚えているけれど、それ以外でも見覚えがあった。
「なんでクラバルトがいるの!?」
驚きで素っ頓狂な声を上げると、はあ?と少年の眉根が寄せられた。
なかなか綺麗な顔をしているから、やめたほうがいいんじゃないかなとリッテは思う。
「俺はお嬢様の一学年上なので、いるのは当然です」
「あれ?そういえば中等部だ」
不思議そうに首を傾げると、目の前のクラバルトの眉がさらに寄っていく。
けれどリッテは混乱していて、そちらに気をまわす余裕がなかった。
『きみにキラリ』通称きみキラの舞台は高等部だ。
けれど今のリッテの記憶は十三歳。
今日は中等部入学式。
さっきは気づかずにスルーしたけれど、ルーヴィッヒもルグビウスもちょっと幼かった。
ゲームの設定年齢のとおりなら、今は二人共十五歳のはずだ。
(ゲームが始まる前に覚醒しちゃったのかな?)
もしかして、ヒロインはいないまま中等部が進むのだろうか。
それになによりクラバルトという存在が、何故いるのか。
クラバルトはゲームのキャラクターではなく、別媒体であるコミカライズにのみ出てくるオリジナルキャラクターのはずだ。
きみにキラリは乙女ゲームが流行る前の手探り期に販売された作品のせいか、かなり設定もストーリーも今のユーザーがプレイしたら炎上待ったなしのクソレベルだ。
男爵令嬢のヒロインが身分のある攻略対象とくっつく、よくある身分差恋愛ゲーム。
ヒロインが聖なる魔法に目覚めて聖女に覚醒するけれど、特に大きなイベントがあるわけでもなく、盛り上がりに欠けるとすでに辛口評価されていた一品だ。
ただイラストがとんでもなく美麗だったので、一定の人気があったせいか、今ここで稼げとばかりにアニメやコミカライズなどの媒体も展開された作品である。
クラバルトは、そのなかでもコミカライズにのみ登場していたはずだ。
真知子ははじめてプレイした乙女ゲームを刷り込みのように好きになっていたので、別媒体はちょっと、とコミカライズやアニメには手を出していない。
コミカライズが発売されたときの口コミでクラバルトの名前とイラストがまわってきたから、見覚えがあるだけだ。
(もしかしてここ、ゲームじゃなくてコミカライズの世界なのかな?)
そんなことあるの?と首をひねっていたら、クラバルトがため息をついた。
「中等部生になったんですから、旦那様たちが厳しくないのをいいことに我儘を押し通そうとしないでくださいよ」
「親ねえ⋯⋯私に興味ないもんね」
リッテは我儘で傲慢な性格となっているけれど、今現在リッテになってわかったこともある。
リッテにもそれなりの理由があったのだと。
その理由のひとつが、家にいてもまったく顔をあわせず家族としての時間を持ったことがない親の気を惹きたいといもの。
よくある、よくあると思っていると、クラバルトが何だか微妙な表情を浮かべている。
「何?」
「いいえ何も。とにかく我儘は控えてください」
しっかりと釘を刺されてしまった。
クラバルトはコミカライズで攻略対象だったのかは知らないけれど、人気は結構あったはずだと思い出す。
リッテの記憶でも、仕事をちゃんとしてくれていた。
いい人だ。
リッテの中身はつい一瞬前に真知子になってしまった。
しかもどちらかというと小心者。
我儘とか正直言いにくい。
「うん、迷惑かけないよ」
だから安心してと笑いかけると、クラバルトはポカンと呆けた表情のあとで訝し気に目を細めた。
どう見ても、なにか企んでるだろと顔に書いてある。
「私ちょっと力抜くことにしたんだ」
「はあ?」
今度は何言ってんだこいつ、という顔だ。
整っている顔なんだからやめた方がいいのではと思うけれど、そんな顔するほど突拍子のないことを言っているのかと思えば申し訳ない。
クラバルトから見たら、リッテは我儘で傲慢な女だっただろう。
見た目も清純系ではないので、それに拍車をかけていたと思う。
どう見ても、ザ・悪女といった雰囲気だ。
でも違うのよと声を大にして言いたい。
リッテの記憶を受け継いだ今、彼女は単に頑なな不器用さんだったのだと。
傲慢な振る舞いは侯爵という高位貴族ならば気高くあらねばと必要以上に気を張って振る舞い、我儘は侯爵令嬢ならばと融通のきかない不器用さで自分のハードルを高くしてそれを修正できずに貫こうとした。
リッテ本人はそのたびに自分の至らなさに一人で落ち込んでいたのだ。
弱味を見せてはいけないと誰にも相談できなかったらしい。
リッテの両親はどちらかといえば柔軟な人間のようで、お堅く融通のきかない娘を持て余していた印象だ。
地味に嫌な態度をとるだけの悪役令嬢の正体を知って、以前のリッテを頑張ってたんだねと慰めたくなった。
(もうちょい適当でいいと思うんだよね)
真知子はゆるい人間だったので、とても真似できない。
なので、もう以前のような苦労をクラバルトにさせる気は欠片もなかった。
それにリッテは悪役令嬢だけれどガバガバゲームなので、断罪などはないのが救いだ。
ヒロインが甘ったるくイチャつく裏でひっそりと二人の影で去るのだ。
それでもリッテの従者なら、クラバルトに迷惑がかかるだろう。
それは駄目だ。
クラバルトはなんだかんだ距離をとるけれど、仕事はしっかりしてくれる人間だったから。
(きみキラの世界でよかった)
本当に盛り上がりに欠けるゲームなので、美麗なスチルを見る以外の楽しみはなかった。
けれど、おかげで嫌な態度をヒロインにとらなければ何の問題もおきない。
何個か他にも乙女ゲームはやったけれど、どれもストーリーが事件ばかりで悪役断罪も激しいものばかりだった。
あれらの世界だったらまともに生きていられる気がしない。
基本は引きこもりだからスペックは低いのだ。
「とりあえず入学式始まる前に講堂行こう」
校舎を見るのが楽しみだなと歩き出す。
何故かクラバルトがため息ひとつして後ろをついてきた。
何故ため息をつく。
何だか失礼だ。