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ちょっと待てと思った。
「失礼するよリッテ嬢」
そっけない声を投げかけられても、彼女はそんなことはどうでもよかった。
リッテとは誰の事だろうと首を傾げる。
その様子に訝し気にしながらも、目の前のルーヴィッヒ・ハムストラムを見上げた。
十五歳のわりにはスラリと長身な、少しくせ毛のふわふわした黒髪と琥珀色の瞳がある。
そして恐ろしく顔がいい。
通った鼻筋とくっきりした目に、羨ましいとさえ思う。
穏やかそうな顔立ちだけれど,今向けられている顔は若干不本意そうだ。
しかし顔がいい。
大事なことだから二回同じことが脳裏をかすめた。
そしてその隣にいる男子生徒にも見覚えがあった。
ルーヴィッヒの二卵性の双子の兄、ルグビウス・ハムストラムだ。
こちらは全体的に色素が薄く、金髪に茶色の瞳とルーヴィッヒよりも若干華やかな色彩である。
二人共白いカッチリとした制服を着ているのだけれど、なんだかそれにとても見覚えがあった。
そして二人はこちらに背を向けて歩き去ろうとする。
「え!?」
思わず大きな声を上げていた。
何故なら彼らに関する記憶が濁流のように脳内にあふれ出し、荒れ狂っているからだ。
おそるおそる自分の体を見下ろすと、もの凄く見覚えのある白い制服を着ていることに気がついた。
ついでにでかい胸が見える。
あわわと赤いくちびるが大きく震えた。
「きみキラだ!」
いきなり大きく声を張り上げた彼女に、ルーヴィッヒとルグビウスが振り返って軽く目を瞠っている。
けれどそんなことはどうでもいいというか、こうしちゃいられない。
踵を返すと、頭のなかにある情報を頼りに、一目散に足に力を入れて走り出した。
駆け込んだのは、無駄にソファーやらが配置された、こんな面積いるのかと思うほど広いトイレだった。
銀色の飾りに縁どられた、トイレに置くようなクオリティじゃないだろうという鏡に、走ってきた勢いのままバンと手をついて覗き込む。
そこには幼いながらもひどく整った美少女の顔があった。
黒くゆるいウェーブの長い髪に白い肌。
赤い唇は、さながら童話に出てくる白雪姫を思わせた。
鮮やかな赤い瞳が、パチパチと不思議そうに瞬いている。
小づくりな顔は、とてもとても見覚えがあった。
「リッテ⋯⋯?」
名前を口にすると、ぶわりと幼少の記憶のさらに前。
如月真知子というほぼ引きこもりの三十年の人生が、脳裏を駆け巡る。
その人生のなかで、これでもかとハマったものがあった。
『きみにキラリ』というちょっと、いやかなりダサいタイトルのゲームだ。
主人公のラナメリットが学園生活で恋をして、聖女に覚醒すると幸せになる話。
いわゆる乙女ゲームだ。
といっても、乙女ゲームが流行る前の先駆け的な時代のものだったせいか、かなり設定がガバガバだったけれど。
そしてそっと鏡に映った美少女を見れば、そのゲームの悪役であるリッテ・シュバルハとうりふたつ。
男爵令嬢のラナメリットが地位のある男性とくっつくために、すべてのキャラクターのルートでリッテに意地悪をされる。
そして、そのあとラナメリットが聖女に覚醒するイベントがあったけれど、聖女になっても特に何か特別なストーリーやイベントがあるわけではない。
とてもゆるふわ仕様のゲームだ。
わなわなと肩どころか唇も震わせて、リッテは自分の立場を理解した。
リッテはすべてのルートでラストに意地悪したことをつるし上げられる。
それを山よりも高いプライドのせいで学園を退学してしまうのだ。
それしか書かれていなかった。
「おち、落ち着くのよ真知子」
すうう、はあーっと深呼吸をしてから、もう一度鏡を覗き込む。
やはりそこには真知子として記憶している平凡な顔ではなく、リッテの美少女顔だ。
「か、かわいい!」
目の前の鏡に映った少女が、赤い瞳で見つめ返してくる。
「え!リッテだよね?うっそでしょ」
実はヒロインより好きだったキャラクターの外見に、リッテは興奮がおさえていられない。
天真爛漫で素直なヒロインよりも、ラストで王立学園を退学するときに『私も愛されたかった』と口にしたリッテがツボにハマったのだ。
なにより外見が好きだった。
そんなリッテに今自分がなっているのだと気づいたら、不思議に思ったりパニックになったりするよりも『めっちゃ可愛い』という感想しか出てこなかった。
ついでに言えば、自分の外見以上に興奮していることがリッテにはあるのだった。