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先手を打って「あなたを愛することはありません」と言うことにした

作者: たまころ

 まもなく初夜を迎えるわたしは、夫となったリュシュファル様へ言おうと決めている言葉がある。

 それは、とってもチープな「あなたを愛することはありません」という政略結婚の常套句。





 成金男爵家の娘であるわたしと、貧乏伯爵家のリュシュファル様の結婚式がつつがなく終わった。 

 誰もが憧れる大聖堂で結婚式を挙げ、我が家で経営している予約困難と言われるほど人気の一流ホテルの会場で盛大な披露宴を終え、ほうとため息をつく。約一年の時間をかけて準備してきた結婚式というイベントは、たった一日であっさりと終了。

 やり切ったという達成感で満たされる一方、式は終えたものの、結婚生活はこれからだという思いがわたしを不安にさせる。


 我がエンプソン男爵家は国内でも有数の大手商会を営んでいる。利益を得るだけではなく、慈善事業や環境保護なども熱心なため王家の覚えもめでたく、祖父である先代が男爵位を授かった歴史の浅い貴族家だ。


 下級貴族でありながら裕福な我が家を妬んで、お金で爵位を買った成金男爵と陰口を叩く者もいる。商売をしているとどうしても商売敵は出てくるわけで、多少の悪名は致し方ないと受け入れているけれど。

 それでも、出来たら格上の貴族家とご縁を結び、更なる事業展開をしたいと考えていたところに、国の創立から続く伝統あるテジャン伯爵家から婚約の打診を受けた。


 お相手は次男のリュシュファル様。明るく快活な方で、とてもお顔が整っている。

 通っていた学園の一つ上の学年の彼は、騎士をめざしているとの噂だった。高い身長に引き締まった身体、端正な顔立ちの彼は学園のどこにいても目立っていた。人柄の良さから、いつも同性の友人達と楽しそうにしていて、彼に憧れる女生徒は多くいたけれど、声を掛ける勇気がある者は稀だった。

 わたしもそのうちの一人で、学園内で彼の姿を見つけては、何度ときめいたことか。


 テジャン伯爵家では跡取りとなる長男が難病を患ってしまい、その治療費に苦労していた。完治可能な病ではあるが、近年領地経営がうまくいっていなかった伯爵家にその費用を賄うことは難しく、また特殊な病気のため治療できる機関が限られており、その伝手を得る必要もあった。 


 多額の援助が可能で、商売柄幅広い交流関係を持っているため治療機関への伝手もある。

 そんな理由で、エンプソン男爵家の長女であるわたしに縁談が持ち掛けられ、お互いの利益のために婚約することになった。そして、本日めでたく挙式となったわけだ。


 潤沢な財産を持ち、方々に顔が利くわたしには、元々言い寄る男はたくさんいた。流行最先端どころか、まだ流行る前の奇抜なデザインを身に着けることも多く、わたしは男を侍らす派手好きな悪女と、一部の心無い者から言われることもあった。


 そんな悪女と言われるわたしと顔がとっても良い好青年のリュシュファル様の身売りのような結婚だ。

 彼は家のために泣く泣く我が家に婿に来てくれるのだろう。

 婚約のため顔合わせをして、結婚のための打ち合わせを何度かしたが、お互いに忙しくてゆっくりと語らう暇もなく、今日という日を迎えた。


 侍女たちに磨き上げられ、夫婦の寝室で恥ずかしいほど薄いネグリジェを纏ったわたしに彼はきっと言うのだ。「きみを愛することはない」と。

 彼の実家であるテジャン伯爵家には必要な結婚だったけれど、彼自身には何の利もない。婚約期間中もお互いに忙しくデートの一つもしなかったわたし達の間に、愛は育まれてはいない。彼は、わたしを愛してなどいないのだ。


 けれど、わたしは学園で初めてリュシュファル様の姿を見た時に、一目惚れをしていた。在学中に会話を交わすことはなかったけれど、時折、姿を見られただけで幸せな気持ちになった。

 成金男爵家と伝統ある伯爵家次男の彼では釣り合うはずがないと、初めから諦めていた恋だった。


 学園を卒業する前までには婚約者を決めるように父から言われていたが、どうしても彼への思いが断ち切れず、わたしは伴侶などいなくとも自分自身が男爵を継ぎ、いずれは商会長にもなるべく、自己研鑽に励む道を選んだ。

 リュシュファル様への思いが色褪せるまでは、独り身でいる勝手を許してもらいたかった。


 真面目な彼は自分の気持ちを偽れずに、きっと今夜わたしに「愛することは出来ない」と言うだろう。そしてショックを受けるわたしに、優しい彼は傷つき、後悔するに違いない。

 今も、彼に恋をする気持ちは変わらないからこそ、彼に言われる前に、わたしが言うのだ。


「あなたを愛することはありません」

「え?」


 呟くわたしの言葉に返事をする声が聞こえた。

 ベッドに腰掛けていたわたしがそちらを見ると、リュシュファル様が扉を開けて部屋に入ってきたところだった。

 考え事をするあまり、彼が入って来たことに気付かなかったなんて。


「わぁっ!!」


 慌てて立ち上がったわたしに、リュシュファル様は顔を真っ赤にして背中を向けてしまう。

 本当は顔も見たくないほどわたしのことがお嫌いだったのね。

 結婚式での口づけの思い出を墓場まで持っていきましょう。


「わたしはあなたのことを愛することはありませんので、今日の初夜も必要ありません。わたしは自分の部屋で休みますので、リュシュファル様もゆっくりとお休みください」


 そう言って彼の横を通り抜けようとすると、ガシリと腕を掴まれてしまう。

 無言でわたしの腕を引いてリュシュファル様はベッドへと進む。ベッドカバーをはぎ取り、わたしの肩にふわりと掛けた。

 そういえば、初夜だということで、これで旦那様も一撃ですよ! と盛り上がった侍女達に肌色が透けるような薄いネグリジェを着せられていたことを思い出し、わたしは顔中に熱が集まるのを感じた。


 二人ベッドに腰掛け、沈黙が訪れる。


「きみが僕を愛さなくても」


 リュシュファル様の呟くような小さな声に、恥ずかしくて顔を覆った手の隙間から彼を見る。


「ジョアナ、きみが僕を愛さなくても、僕はきみを愛してもいいんだよね?」

「へ、あ、愛!?」


 ベッドに横並びに腰掛けたリュシュファル様の言葉に、わたしは驚いて変な声を出してしまう。


「だって、貧乏坂真っ逆さま予定だった実家に援助の手を差し伸べてくれて、兄の治療のために医師を探して完治までの費用すべてを負担してくれて、エンプソン家には感謝しかないんだよ。それに今日のメインは僕の好きな鴨のローストだったし、デザートも好物の紅茶のババロア。浴室に用意された石鹸は僕が好きな柑橘の匂いの物。こんなに大歓迎されて望まれた結婚で、僕はなんて幸福な男だろうと感激しっぱなしだ」


 テジャン伯爵家との縁談は、彼の家に金銭的援助をすること、次代の伯爵となるリュシュファル様のお兄様の治療に協力することが前提だった。その代わり、我が家もこれまで販路を広げることが出来なかった上流階級の貴族の方々にご縁を繋いでいただいた。

 彼の好みの料理やフレグランス、生活習慣を知り、それを反映させるのは当然のこと。特に我が家は商売をしているため、おもてなしには気を使っている。


「そんな好印象しかないエンプソン家の長女で、俺の妻になったジョアナは顔合わせの日から礼儀正しくて可憐な花のように可愛いくて。結婚式の打ち合わせで会えば短い時間でもうちの家族の心配をしてくれて、天使のように優しくて。純白のウェディングドレス姿のきみは雪の精霊のように美しくて。僕がきみを愛さないわけがなくない!?」


 段々と早口になったリュシュファル様の勢いが増していく。


「ジョアナにとっては政略結婚だったから僕のことを愛せなくても仕方がないと思うけれど、僕はきみを愛したっていいよね!?」


 リュシュファル様は、先ほどわたしにかけてくれたベッドカバーに手をかける。肩から体を覆っているカバーをはぎ取られそうになり、わたしは内側から手にぐっと力を入れ、リュシュファル様を睨みつけた。


「何をなさるおつもりで?」


「実経験はないけれど、今夜のために座学はたっぷり学んできたから、安心してくれていい。特殊な性癖とかは、たぶんないと思うから、大丈夫」


 そう言って、リュシュファル様はわたしからベッドカバーを剥がしてしまう。


「嫌だと言ってくれたら、やめるから」


 言葉の合間にもリュシュファル様はチュッチュッとわたしの額に頬に口付けを落としていく。


「そんな、でも、白い結婚……」


 「きみを愛することはない」と初夜に言い放ったリュシュファル様は、三年間の白い結婚を貫き、わたしに離縁状を叩きつけるのだ。その頃にはご実家の経済状況も安定し、病気が完治したお兄様の社会復帰も完了。我が家と縁を繋いでいる利は薄い。

 そんな悲しい結婚生活を思い描いていたというのに、気が付くとわたしは騎士志望だったリュシュファル様の逞しい腕の中で甘い声を上げていた。









 目を覚ますと、妻となったばかりのジョアナが隣ですやすやと眠っている。なんて幸福な朝だろうか。

 僕は思わず自分の頬をつねってみるが、ちゃんと痛い。

 長く片思いしていたジョアナが僕の妻になって、昨日初夜を終えたことは、どうやら夢ではないようだ。


 僕がジョアナと出会ったのは九歳の春。

 社交シーズンの始まりにあわせて領地から出てきた両親について来た僕は、慣れない王都の街で迷子になってしまった。

 夢と希望しかない子供の僕は迷子になった自覚なんてなかったから、見慣れない街並みを興味の惹かれるままきょろきょろと見ながら歩いていた。


 異国を思わせる瀟洒な店の前で、僕と同じ年くらいの女の子が三人の少年達に囲まれていた。どうやら、彼女の纏った見慣れない鮮やかな布をからかっているようだ。


「派手な色だな」

「ちっとも似合ってない」

「布っきれなんか掛けて、成金のくせに服を買う金もないのかよ」


 自分達よりずっと小さな女の子に酷い言葉をぶつけて、少年達は下品な笑い声を上げる。


「とっても綺麗なのに」


 思わず呟いた言葉に、少年達が振り返った。


「とっても綺麗で、とっても似合ってる」


 涙目で僕を見上げた女の子は、白い肌に大きな瞳。明るい茶色の髪はどんなカラーにも馴染むように思えた。明るくたくさんの色で溢れた布を羽織物のように肩に掛けた女の子はとびっきり可愛いい顔をしていて、見慣れない異国の衣装のようなそれも鮮やかに着こなしていた。


「身に着ける人を選びそうではあるけど」


 そう言って、女の子を囲んでいる少年達に目を向ける。上等な衣服を着ているが、どこかやぼったい印象を受ける彼らでは、着こなせそうにない。


「お前、誰だよ」


 その言葉に返事をする間もなく、気付いたら僕は殴られていた。

 普段は伯爵家の領地で生活をしている僕は、元気いっぱい夢いっぱいで、木から落ちたり屋根の上から飛び下りたり、走っている馬に飛び乗ろうとしたり、大怪我をしなかったのが不思議なくらい傷だらけの日々だったけれど、誰かに殴られたのは、これが初めてだった。


 殴られた衝撃で尻もちをついたまま、僕は茫然としていた。


「何を騒いでいるんだ」


 店の前で騒いでいたため、中から店員が出て来て、少年達を追い払ってくれる。どうやら綺麗な布を纏った女の子は、その店の経営者の娘さんだったようで「お嬢様」と言われ、心配されていた。


「あの方が護ってくださったから大丈夫よ」


 そう言って、「ありがとう」と僕に微笑んでくれる。「騎士様みたいにカッコよかったのよ」と店員に僕のことを話してくれたが、僕は格好悪く殴られただけなので、恥ずかしくなって何も言わずに走り出した。


 全力で走って息が切れた頃、護衛が僕を見つけて、その時、僕は自分が迷子になっていたことを知らされた。


 両親にもこっぴどく叱られた。腫れた頬の理由を問われたが、知らない少年達にいきなり殴られて走って逃げ去ってしまったため、相手の正体はわからないと答えた。

 異国のような店の前だったと言うと、エンプソン商会のお店かしら。あそこで取り扱う物は品質もいいし流行にものれていいのよね。と母が答える。

 翌年、女の子が纏っていたような華やかな布を肩にかけている女性をたくさん見かけるようになった。うちの母も例にもれず「今、王都で流行っているのよ」と嬉しそうにしていたが、もちろんあの女の子ほど似合ってはいなかった。


 僕の家は兄が跡を継ぐため、将来は自分で身を立てなければならない。いつの間にか騎士になろうと考えるようになったのは、無意識に彼女の「騎士様」発言が影響していたんだと思う。


 それから年月が過ぎ、学園の二年生になった僕は、ぼんやりと二階の窓から初々しい新入生達を見ていた。

 その中の一人に、なぜか目が行く。明るい茶色の髪に、淡い色の軽やかなリボンが揺れている。ふと、空を見上げたその娘と目が合った気がしたけれど、きっと気のせいだ。

 僕の心臓が急にうるさく騒ぎ出したのも気のせいだと、その時は思っていた。


 その娘がエンプソン男爵のジョアナ嬢だと知ったのは、それから間もなく。

 一つ下の学年のジョアナはみんなと同じ制服を着ているのになぜか目を引いて。聡明で博識なのに気さくな彼女はいつも大勢の友人に囲まれていて、幼い頃に一度会っただけの僕は、自分から近付くことは出来なかった。

 彼女の家の商売を妬んで、時々言い掛かりをつけるような人間はいたけれど、誰に助けられることもなく、彼女は自分で理路整然と言い負かしてしまう。


 僕はそれを横目にひたすら剣を振るい、筋トレに励んだ。

 ジョアナ嬢を目にしたのは、幼いあの日以来だったが、大人達の会話に耳を傾けて、彼女の情報は少しずつ集めていた。

 エンプソン男爵家の一人娘で、いずれ婿をとって家も商会も継ぐだろうこと。まだ婚約者はいないらしいこと。いずれは商会を切り盛りすることが出来るだろうほど、優秀だということ。


 僕自身は何の実績もないけれど、歴史だけは長いテジャン伯爵家の次男だからか、僕を婿にと望んでくださる家もあることを両親から聞いた。その度に僕は将来、騎士になるからと断ってくれるようお願いをした。

 騎士試験に合格して二年の見習い期間が終了すると、正式に騎士爵を賜うことが出来る。なにも持たない僕では彼女に相応しくない気がして、せめて騎士になってから、彼女に会いに行こうと、僕は決めていた。

 話したこともない、待っていてくれる保証もないというのに。


 学園の卒業間近に、最終騎士審査が行われる。一次二次と審査を通過した者達だけが残り、実質もう合格と言ってよい状態で、最終審査でどこに所属になるか決定し、合格が言い渡される流れらしい。

 しかし、当日の朝、僕は間抜けにも家の階段から落ちて骨折してしまったのだ。

 騎士審査に行くことが出来ず不合格になった僕に、来年また受けるという選択肢はなかった。


 その頃、兄の病気が発覚したのだ。

 珍しい病気だが、治療法はあるということでホッとしたものの、それは時間との勝負らしく、時間が経てば完治は難しいとのこと。

 治療費は莫大で、大きな事業が失敗したばかりのテジャン伯爵家ではその費用の金策に走り回っていた。

 そんな状況でのんきに来年の騎士審査まで家にいるわけにも行かず、ギリギリ申し込みの間に合った下級文官の試験を受けることにした。

 その試験の前日、節約のためにと食べなれない食材が夕食に出された。美味しいと家族で食べたキノコにあたり、僕は翌日トイレの住人となり、試験を受けに行くことが出来なかった。


 見計らったかのように、縁談の申し込みがあった。

 格上の侯爵家への婿入り、しかも多額の援助金の申し出もあるという、破格の条件だ。相手は、学園で何度か話したことはあるものの、会話が弾まなかった記憶しかない令嬢。それも、すでに一度お断りをしていた相手だ。


 ねっとりした目でこちらを見つめて、そのくせもじもじとろくに喋りもしないあの娘と結婚なんて、ゾッとする。

 嫌だと正直に言う僕に、両親はそうかと言ってくれた。

 僕が彼女との縁談を承諾すれば、兄の病気の治療費の見込みはつくだろう。僕が我慢して結婚さえすれば。でも僕はジョアナ嬢以外と結婚する未来なんて思い描いたことがなくて。


 ジョアナ嬢の家は男爵家とはいえ、大きな商会を経営しており、国でも有数の資産家だ。商売だけではなく、慈善事業にも熱心で各地の医療機関への寄付も欠かさないと聞く。

 兄の病気を取り扱う専門機関にも伝手がある可能性がある。国に数人しかいない専門医に診てもらうことが出来たら。


 格好いい騎士になって、彼女にプロポーズする日を夢見ていたけれど、格好悪くても、助けてと縋っても、僕が結婚するのはジョアナ嬢がいい。

 情けない僕だけど、見返りばかりを求める縁談だけれど、僕は両親に頭を下げて、エンプソン男爵家へ婚約の申し込みをお願いした。

 この縁談を断られたら、侯爵家の縁談を受け入れるから、と頭を下げて。


 婚約の話し合いを兼ねて、我が家とエンプソン男爵家で顔合わせの場が持たれた。

 僕は緊張して、その日何を喋ったか覚えていない。

 後になって父に、僕が想像以上にエンプソン商会について詳しく、男爵と話が弾んでいて驚いたと言われた。

 だって僕は(学生の頃から勝手に)エンプソン男爵家に婿入りするつもりだったから、商会で取り扱っているジャンルや品物、支店の数や場所などはもちろん知っているし、次の事業展開も予想して勉強している。

 そんなことより、自分達に都合の良い条件ばかりを並べて申し込んだ縁談相手にさえ、にこやかな笑顔で礼儀正しく挨拶してくれたジョアナ嬢の可憐なことと言ったらなかった。制服ではない、清楚なワンピース姿の彼女はなんて可愛らしかったことか。


 顔合わせから数日後、まさかの良いお返事が来た。両家で条件をすり合わせ、正式に婚約を結びましょう、と。

 こちらから提示した資金援助、兄の治療への協力以外にも、エンプソン商会との共同事業の立ち上げも提案され、我が家の財政回復にまで手を差し伸べてくれた。

 代わりに同派閥の貴族の紹介を頼まれたが、エンプソン商会との縁が欲しい貴族はたくさんいて、むしろ貴族側から頼まれて仲介のようなことを幾つかした。


 約一年の婚約期間の間に、兄は手術を終え、今は少しの外出なら出来るほどに経過は良好だ。おそらく一年もしたら以前と変わらない生活に戻れるのではないかと思われる。エンプソン家の計らいで、隣国から高名な専門医を呼び寄せてくれたおかげだ。

 治療費も医師への報酬もすべて負担してくれ、さらに共同で進めている事業もまだ商品が発売前だというのに前評判を聞きつけ、すでに予約が入っている状態で、我が家の財政が回復するのに三年もかからない見込みだ。


 ジョアナ嬢は自分の結婚を機にウエディング事業に乗り出すことを急遽決め、いつも忙しそうで、結婚式の打ち合わせで数回会えただけだった。

 それでも、ビジネスめいた打ち合わせの後には兄の病状を聞いてくれて、家族へ美味しそうなお菓子や外国産の珍しいお土産を渡してくれた。

 僕はいつも小さな花束を用意していたけれど、恥ずかしくて渡せなくて、帰りに彼女の従者にそっと渡した。


 僕はエンプソン商会のことを勉強するために、身分を隠して支店の一つで働かせてもらった。覚えることは山ほどあるし、体力だけはあるので、寝る間も惜しんで働いて学んだ。

 僕の熱心さに心打たれたのか、支店長が本店勤務に推薦してくれて、いつの間にか本店で働いていたので、企画のプレゼン会議で顔を合わせた商会長でもあるエンプソン男爵は驚いて口をあんぐり開けていた。

 その時の企画は通らなかったけれど、次こそはもっと良い企画を提案して満場一致で通してやる。


 そんなバタバタした日々で、あっという間に結婚式の日がやってきた。

 久しぶりに顔を合わせたジョアナ嬢は綺麗で、純白のウェディングドレスがよく似合っていて、幼い頃に見た初雪のように輝いていた。

 外国産の繊細なレースのドレスは女性陣の目を奪い、音楽隊の演奏と一流歌手の歌声は会場の皆が聴き入る。

 披露宴会場では突然の暗転の後に、少しずつ灯されるキャンドル、会場が明るくなる頃には、新郎新婦の衣装は純白から鮮やかな空色へと変わっていた。

 驚く客の顔を見て、いたずら成功とばかりに笑って僕を見たジョアナ嬢の笑顔はとびっきりチャーミングだった。

 思わず「ジョアナ嬢」と呼びかけた僕に、もう結婚したんだから「ジョアナ」と呼んでほしいと言われ、結婚したという実感が沸く。


 こんなに可愛くて綺麗で楽しい人が僕のお嫁さんなんて、天にも昇る気持ちだ。嬉しくてニヤニヤが止まらない状態で、夫婦の寝室の扉を開けた。


「あなたを愛することはありません」


 夫婦で使うはずの広いベッドに腰掛けたジョアナの言葉に、僕は思わず「え?」と声が漏れる。

 僕の声に振り向き立ち上がった彼女は、肌の色が透けるような煽情的な寝間着姿で、僕は慌てて後ろを向く。


「わたしはあなたのことを愛することはありませんので、今日の初夜も必要ありません。わたしは自分の部屋で休みますので、リュシュファル様もゆっくりとお休みください」


 さっきの言葉は嘘ではなかったようで、もう一度僕を愛さないと言ってジョアナは部屋を出て行こうとする。

 僕は慌てて彼女の腕を掴み、目のやり場に困る彼女の姿に、このままではまともに話が出来ないとベッドのカバーをはぎ取り、肩からかけた。


 そのままベッドに腰掛けた僕達は無言のまま、それぞれの呼吸音だけがかすかに聞こえる。

 柔らかなベージュの壁紙、落ち着いた色合いの家具は恐らくすべて一級品。今、僕達が座っているベッドは大人三人が寝られるだろう広さで、夫婦のために作られた物だろう。カーテンやベッドカバーは深い緑色。壁に幾つかのドライフラワーが飾られている。

 あれは、僕がジョアナに渡せなかった花束だ。


 我が家から申し込んだ、自分達の都合ばかりを押し付けた結婚。

 ジョアナが僕を愛さないと言うのも当然のことだろう。

 けれど、僕が贈った花束は、彼女に届いていたのだ。

 ジョアナが僕を愛さないと言っても、僕は彼女を愛し続けよう。

 届かないと思っていた花束がきみに届いていたように、いつか、この愛がきみに届くまで、何度だって愛を伝えよう。

 九歳の春にきみに出会ってから、僕の心はずっとジョアナへの愛を育んできたんだから。


 僕は思いつく限りの言葉をジョアナにぶつけた。

 次第に自分の言葉に興奮した僕は、彼女の身体にも、僕の思いを伝えたくて止まらなくなって、たくさんのキスを彼女に贈った。


 カーテンの隙間から入ってくる朝日に眩しそうに顔をしかめたジョアナは、ゆっくりと目を開けた。

 長い睫毛がゆっくりと動き、陶器のような肌に影を落とす。

 エンプソン商会では彼女自身が広告塔の役割をしているから、常日頃から美しくあろうと努力と手入れを惜しまない彼女は寝起きだって最高に綺麗なんだ。


「リュシュファル様、朝から顔がいい。好き」


 まだ夢から醒めていないような、寝惚けているような状態で、ジョアナは僕の顔を見て目を細めた。


「僕もジョアナが好きだよ。きみの顔も身体も優しいところも頑張り屋なところも、全部好き」


 そう言って、彼女の額にチュッとキスをした。

 昨日は愛さないと言ったのに、たった一晩で僕の愛が伝わったのかと、僕は幸せな気持ちでジョアナを抱きしめる。


「え!?」


 驚いた声とともに、ジョアナが僕から身体を離してしまった。


「夢じゃ、ない?」

「夢じゃないよ、ジョアナ。僕達は昨日、夫婦になったんだ」


 ジョアナは無言で布団を頭から被ってしまう。


「わたしを愛しているとか、可愛いとか、永遠に離さないとか、ずっと好きだったとか言ってたのは、夢じゃない?」


 布団の中からブツブツとジョアナの声が聞こえる。

 昨晩のことをジョアナが覚えてくれていたことが嬉しくて、布団ごと、彼女を抱きしめた。


「全部、本当だよ。愛している、ジョアナ。昨日、式で誓った通り、死がふたりを分かつまでずっと一緒だ」









 リュシュファル様と結婚してから三年が経った。

 第二子を妊娠中のわたしは、父であるエンプソン男爵に家の仕事を少しずつ教わっている。先代からの成り上がり貴族とはいえ、それなりに覚えることは多い。


 天使のような娘はもうすぐ二歳になる。第一子の妊娠や出産、育児経験をもとに、わたしはマタニティ・ベビーブランドを立ち上げた。

 なんとこのブランド、瞬く間にエンプソン商会でも主力になりそうなほど、売り上げが伸びている。

 表に出るのは母になったわたしだけれど、実際に取り仕切っているのはエンプソン商会で働くリュシュファル様。


 彼は騎士志望だったこともあり、周囲からは書類仕事や接客に関して期待されていなかった。

 しかし実際に働き出すと、まず誰にでも愛想がよく人の懐に入るのがうまい。計算は早いしミスもほとんどしない。誰かのミスを見つけても良いところを見つけて褒め、間違いを無くす方法を提案し、円滑に業務を進める。

 驚くことに、なぜか我がエンプソン商会の立ち上げからの商品すべてを把握して、説明することも出来た。過去を踏まえたうえで、新しく斬新なアイデアを出すことも出来、それをプレゼンする能力も高い。

 彼のおかげで新規事業も既存の商品も、これまで以上に業績を伸ばしている。

 結婚当初はわたしが爵位も商会も引き継ぐ予定だったけれど、いずれ商会はリュシュファル様が継ぐことになるだろう。

 期待され、自分からも楽しそうに仕事に打ち込む彼は超がつくほど多忙だけれど、朝と晩のご飯は家族で食べると決めていて、どんなに忙しくても家に帰って来てくれる。


 リュシュファル様のご実家のテジャン伯爵家は、病気だったお兄様も回復され、領地運営も順調。お兄様は治療の過程で出会った隣国の医師の姪である公爵家のお嬢様と近々結婚予定だ。

 テジャン伯爵家の貴族家としての格は上がり、我がエンプソンも隣国に強いコネクションが出来ることになる。

 政略だったわたし達の結婚は、当初の予想をはるかに超え、お互いの家をより繁栄させる結果となった。


 リュシュファル様に言わせると政略恋愛結婚、というよくわからない造語を使うのだけれど、彼はずっとわたしに恋をしていたと言ってきかない。

 結婚当初はそんな言葉は信じられなくて、家のために結婚したわたしへの優しさや罪悪感、小さい頃の思い込みではないかと疑っていたけれど、いつしか全力で気持ちを伝えてくれる彼の「愛している」という言葉を信じられるようになっていた。


 「あなたを愛することはありません」と言ったわたしに、真っ直ぐ愛を伝えてくれたリュシュファル様。きっとわたしの言葉に傷ついたことだろう。それでも、何度も愛を伝えてくれた彼に、心からのありがとうと愛しているをこれから先、ずっと伝えていきたい。

数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。

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リュシフェルとリュシュファルが最後まで混在していて何かの伏線なのかと勘繰ったがそんなこともなく
リュシフェルなのかリュシュファルなのか…
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