精霊王(後)
ーーー
――数日後。
その後パシェは、ホロストゥループの面々に今日は休めと言われたが、体が鈍るのが嫌でガウルに練習を申し込んだ。
「うおおおお!!」
「おまえ、昨日のこと――」
そう言いかけたとたん、パシェはその言葉の続きを予想して、頭の中から消し去る様にさけんだ。
「ごめんなさーーい!!」
右腕が奇妙に魔力を暴走させ、ガウルを吹き飛ばした。彼はコミカルにふきとんで、数メートルはころころところがった。
その練習のあと、どたどたと拠点に入り込んできた、ガウルはまだ寝ぼけ眼のイアナに訴える。
「10年前の事件でハイナは本当に魔力を暴走させてパシェを助けたんだ、記憶が流れ込んできた!」
「はあ?パシェはまだ結界が使えないでしょ」
「それが、わからんのよ!そりゃ、そうだがその―なんか黒い魔力が!ハイナにつながる糸が見えた!」
はっとしたイアナは立ち上がると、すっと腰を下ろした。
「なんだよ」
「なんでもない」
ガウルがしたうちをしてその場をあとにしようとすると、イアナは机に脚をのばした雑な姿勢のまま彼をよびとめた。
「おい」
「なんだよ」
「ありがとうな……それと安心しろ、責任はお前ひとりで追っているわけじゃない」
「はっ」
ガウルは悪態をついてその場をあとにした。怒鳴り、笑い、そして互いの不器用さに呆れた夜が明けた。
買い出しに出た日の正午前。パシェが公園のベンチでタブレットを見ていると、不安が襲ってきた。SNSのデマがホログラムで踊っている。ふと店先のベンチに座っていると、耳元で小さな声が聞こえた。
「だして!」
まず、野良猫に目をやった。しかし野良猫はつんとしてさっていく。
(誰の声だろう)
「午後から精霊王に会いにいくんでしょ?」
さらにバッグをあさったり画面をみたが、何もかわらない。
「だして!」
ちょうどそれに目をやった時だ、魔晶核から声が聞こえるのだと気づく。
「忘れたの?パシェ、私たちはもともと一人だよ、魔晶核をみると、小人のような姿がホログラムにうかびあがり、頭には巻貝がのっているおませさんな様子の、つんとした眼をした妖精が昆虫のような羽をゆらしていた」
「信じていいの?」
「ええ、でも予定律が干渉しない、人の目を離れた場所にいきましょ」
路地裏に案内される。ハイナは不思議がって
「お姉ちゃん、どうしたの?」
と、パシェはすぐいくのでまっててと声をかける。
「う、ううう!!」
魔晶核のホログラムに移った妖精は、突然目を真っ白にして頭をかかえだした。ゆらゆらと機械人形のようにゆれると、今度は頭や体の間接をだらりとしたまま、女性であるが低い、まるで別人の声をあげた。
「人は他人のために神に従い罪を贖う、情けをかけ思いをはせ、神の前に弁明の機会を与えるのだ」
パシェは背筋がぞっとするのを感じた。
「ホロス!?」
ハイナは何も感じないようだった。
「お姉ちゃんどうしたのー?」
それどころか、声さえきこえないようだった。しかしパシェの精霊は何が起こったのかわからず、左右をきょろきょろとみまわしている。
「ハイナ、精霊王に会いに行くのよ」
「精霊王?」
「私たちの記憶を思い出すの」
ダーハミールの路地をしばらく行った先に廃棄された繭でつくられた繭のドームがある。繭の墓場といって、自然派の人間ですらなかなか近寄りたがらない、幻聴や幻覚が聞こえることもあるのだ。
「ここだよ」
しとしとと降り続けるあめ。繭の墓場の中に、ほこらのようなとびらをみつけた。繭のひとつにとびらがついているのだ。繭のひとつひとつは苔むしたスライムのような物質でできている。
「繭の中へ?けれど、管理された繭じゃないし、いいたくないけど、その」
「なによ、はっきりといってよ」
精霊が機嫌を悪くするが、仕方なく返答する。
「まるで、ヘドロみたいな色」
たしかにそうだ。死んだ繭はそんな色をしていた。
「プッ」
期限を悪くするかと思っていたパシェは背中をびくりとそびやかした。
「なによそれ、ふふふふ」
そしてつづける。
「心配しないで、不安にならなくていい、これは自然のサイクル、あなたは精霊王の前で失礼な態度をとらなければいいの」
「失礼な態度?」
「欲望に素直すぎるのも、素直じゃなさすぎるのもだめよ」
扉をあける、パシェにきをつかってくれたようだ。パシェが中にはいると、ハイナも続く。道中はダーハミールよりもさらにこみいったつくりをしていた。時折知らない精霊とすれ違う。すると自分の記憶が乱雑に他者とまじわるような奇怪な感覚を覚える。
(このせいか)
奇妙な迷信がある。この墓場にいると命を短くするt、しかしそんなことは建前で、本当はこの感覚を恐れているのかもしれないと思った。
「それで、一体何をすれば」
「精霊王は気まぐれだから、あなたは待っていればいい、そして、感覚をとりもどすの、そうすれば記憶も取り戻せる、人間は土地の精霊王を忘れたけれど、自然派が英雄のホログラム生命を維持できるのも、これが理由なんだから」
パシェは、カラフルなタイルが並んだろうかに目をやった。いつのまにか、レンガからカラフルな色にかわっていた。
「感覚と記憶、何の関係が?」
「神がかり的メタ認知の演劇的獲得ー「ドラーマティ・グノーティ・セアフトン」をとりもどすのよ!」
「それは何?」
「初期のイケイ人はひとびとの生きる工夫に魔力を分配したの。自然派の人々もけれど人々は分け与える楽しみを忘れたわ」
「ふうん」
「精霊は魂の天体連星、イケイ人はニネアの魂と記憶を一時的に分離した、それによって彼に正気をとりもどさせた、そして彼に生じていた変化にきづいた」
「それは?」
「イケイ人が、そして人々が望んだからニネアは、人々を模倣していた、ニネアは初めから狂人じゃなかったの」
ーーー
いつのまにか、まるで王室の晩餐の間にきていた。色とりどりの葉っぱに裸体をかくした精霊たちが、ニコニコと執事とメイドにわかれている。そしてパシェたちにナフキンがかぶせられる。
執事がそばにたっていて、パシェに尋ねた。梢のように細い手足と、しかしさわやかな感じのするよくととのったまえがみ、老練の、しかし清潔感のある執事だ。
「それじゃあ、記憶……」
「かしこまりました」
しばらくぼーっと眺めていた。退屈に感じどう紛らわそうかと考えていたら、精霊たちが運んでくる料理や果物、ステーキや焼き魚や、スイーツの類をみるよりもおもしろいものが目に入った。
「うへへへ」
ハイナが、食べ物を美味しそうにながめている。そして、それに手を伸ばそうとした。
「―だめ!!」
パシェが止めるより早く、ハイナはそれにてをのばし、くちにいれてしまった。真っ赤な林檎、そのままハイナはそこに倒れた。
「大丈夫!!?」
返事がない。忙しくしているメイドに声をかけた。
「どうしたらいいの!?あなた、ちょっと!」
「はい?」
天然パーマのメイドを呼び止めた。
「食事をしたら、こうなったの!」
「はあ、私たちは“準備”をまかされているだけですから」
「ちょっと、そうじゃなくて、彼女、体調がおかしくなったんじゃないの、魔王がーー!!」
不安なことをいいかけると、かわいらしい3頭身の精霊たちの顏が全てこちらを向いているのを知覚した。よくみるとみな、ふわふわの毛皮をからだのあちこちにはやしている。地毛のようだ。
「ご、ごめんなさい」
先ほどのさわやかな執事がかけよってきた。その時ようやくきづいたが、彼らの耳はエルフのようにとがっている。
「お客様、すべては運命です、ここでは予定律は乱れません、家族の死をみましたか?」
「いいえ?」
「ならば、ご安心ください」
そのままたちさってしまった。
うつらうつらしていると、声が聞こえる。
【正常な記憶をたどれ】
その響きに、パシェはハイナを庇ってきた記憶を思い出した。魔物に襲われたとき、応急処置の為に自分の服をやぶいて手当した。暴漢に怪我をしたとき二人分手当した。街に魔物が現れたときに庇ったあと、ハイナの力が暴走して、その時もパシェはハイナをかばった。
ーーー
同時期、ハイナはうつぶせになり、夢をみていた。球体型ドローンが食事テーブルの上に浮いていて、パシェにむけていった。その腹部には、魔晶核があった。
「ドローンなのに」
「へえ、ドローンじゃまずいのかい?」
予言
「食べれば食べるほど姉は強くなる」
「パシェに力をあたえるの?」
「そうだ、おまえにコードを授ける、お前が食欲を満たせば満たすほど、姉は嫉妬するだろう」
ーー
広間にはいつの間にかモニターが配置されていた。過去の歴史を振り返る映像が流れて、精霊の一人がいった。
「これはあの方のお言葉です」
精霊王の事だろう。
それは、広場で行われる催し物だ。情報の残響に包まれていた人々は、日常を非日常的ミームでごまかしていた。人々はパンとサーカス見たさにそこに集まった。
そこでは英雄の映像が流れた。そして英雄的人々の映像が。やがて人々は英雄を模倣しはじめ、他者の目からの要求に応じ始めるようになった。やがて権力者たちは、彼らを制御できなくなった。人々を支配する構造は、むしろその広場から流れる映像を欲することによってランダムな活動を始めた。
それはもはやとどまる事をしらない運動になっていった。仕方なしに支配者たちは彼らに“衆生の目”を与えた。精霊と権力者は、巨大な魔術装置を利用して契約を結んだ。精霊に魔力を与えると、精霊たちは、相応の見返りを与えてくれた。その小型化装置を高度な魔術と知識を持たない市民にも提供したのだ。それは、彼らに一定の魔術を保証するものだったが、同時に彼らの欲求に縛りを設けるものだった。
ーーー
「わあ、綺麗」
食事がならべられる。しかしパシェの精霊は、パシェに貝殻から少し突き出したアホ毛をまるめながらいった。
「あなたの素直な心の制約にしたがいなさい、それがマナーです」
やがてその場所から。すべてのひとかげが姿をけした。
パシェの行動をとめていた。何が起こるか予測できない。しかし時間感覚がなく実際ドローンを起動しても、時間は停止したままだった。しかたなくハイナに食べていい許可をだそうとするが、ハイナはぐっすりねこんでいた。
そこで不思議なことがおこった。ハイナの中のー見るからに食いしん坊なふとっちょな精霊がー魂から分離されて、はいなのくちからでてきて、ハイナの唾液をとりはらうと、食事にありつこうとお皿や食器の上をはしりまわった。そしてまるで虫食いのようにバランスよく食事をする。
パシェの腹が鳴った。
パシェは嫉妬からか精霊を止めようと手を差し伸べると、精霊は振り返りもせずに行った。
「ことばにすれば、何でもかなうわけじゃないよ、あなたが過去に触れられないように」
いつの間にか平らげてしまった、意欲を制御するのが英雄のはず。しかし精霊は隠された自分の内面を反映することもある。
【おなかいっぱーい】
「へへ、かわいい」
ハイナが精霊の頬をつつく。
「心配なの、あなたは人にやさしすぎる、自分を守るためにやってないかって」
「自分を守る?」
「あなたはかつて、つらい境遇にいたから」
「……?」
ハイナは頭の中にイメージを浮かべる。たしかに幼少期、パシェの家庭に引き取られるまで施設で育ち、亜人にも、魔術を使える子にもいじめられていた。“空気を読む”ことがうまかったからだ。
「お姉ちゃんが守ってくれたよ」
「私が?」
「うん、確かにつらい事があったけど、お姉ちゃんがずっとまもってくれた、お姉ちゃんは私のヒーローだから、だけど今は心配なの、お姉ちゃんのほうがね、だって」
パシェはその言葉に、少しばかりの不安を感じた。
「魔王と編纂者を倒したのはパシェだという」
パシェは事実をいう、その点にはハイナとの記憶に齟齬が生じている。
「実はあなたがやったのよ」
ハイナは寝息を立てていた。精霊王に挨拶を妹をおんぶしてしてその場をあとにする。
パシェが唇をとじた。こんな時間が永遠に続けばいいと思った。しかし予定律をみると、パシェがハイナに「よい結末」を与えるようなイメージがわいた。ただそんなはずはないと思った。自分には隠し事が多い。
ー
同時に現実ではパシェが見えない声がひびいた。ベールに包まれたホロスの影が現れる。エラのある人骨をまとったような鎧姿。ところどころ魚の骨のように鋭い形をした鎖の連関が、筋肉の用に結び付いている。パシェには姿は見えなかったが、彼女は彼女の背後にたった。
『パシェ』
突然の声にしばらくして、ようやく答えた。
「だれ?」
【ホロスだ】
「ホロス?」
「ここはゾーンにほど近いお前の心がおちついたことでお前はここにくることができるようになった、出会いのおかげだ、お前に話しておきたい事がある」
パシェはコクリとうなづく
『かつて、イケイ人は神をつくりながら、神におびえた、そして神を制御する力をもつと、今度は人々におびえ、完全な支配をもくろんだ、力量を超えたコードは人々に幻覚をみせた、パシェ、お前のパノプリアには、父の魂が生きている。ハイナの魔力を吸収し、お前は浄化する。』
「どうして私が?」
『かつてイケイ人は、自らの願望を他者に転用し、人々を道具のように扱った。だが、お前は逆だ……他者の良さを自分の中に見出そうとした。その力は成熟し、ハイナの闇を抑えている。だからこそ、私は精霊王と“運命の調停”を行い、お前に「コード」を発行した。それは私にしか使えない特別な魔術……お前の右手に“雷紋”が浮かぶ時、お前は力を思い出すだろう。』
腑に落ちないこともあったがおちることもあった。
「ゾーン、無意識認知領域では、彼女はお前より先に英雄になっていいる、アマノジャクだから、愛されるのは偶然じゃない、繊細さは残酷さの面も併せ持つ、お前よりも残酷だからこそ、彼女は英雄なのだ」
ふと、魔晶核に感触を感じると、ハイナがパシェの手を握っていた。不思議そうにのぞき込んでいる。
「早くいこうよ」
精霊王の間に案内された。そこは、まるで古代の神殿と自然が溶け合ったような空間だった。広間の中央には、苔むした大理石の玉座があり、その上には巨大な草食動物の頭蓋骨が飾られている。頭蓋骨の眼窩には、光の玉がぼんやりと浮かび、空間全体を柔らかな光で満たしていた。周囲には、見たこともない植物が生い茂り、淡い光を放つ花々が静かに咲いている。その不思議な空間に、パシェはただ立ち尽くしていた。まるで、別の世界の時間の中に迷い込んだようだった。
玉座に人はいなかった。精霊たちの思念があちこちにわたっているツタ植物の間から伝わってくるようだった。
『ここでおまちなさい』
『しばらくおまちなさい』
『待てば王は来る』
しばらくすると、杖をついた老人が右側のカーテンの奥から現れた。その姿は、時に赤子になり、次の瞬間には若い戦士の姿になる。パシェはじっと見つめていたが、ハイナは落ち着かない様子で身をよじっていた。
『ふう』
ようやく玉座に腰をすえると、それでも貧乏ゆすりをしていた。そして頭蓋骨の鼻部分から息を吐く。たちまちそれは、ツタ植物の栄養となったのか、元気な花をさかせた。
『何用かな』
パシェは答えた。
「ここに来れば、記憶を取り戻せるときいて」
精霊王は諭すように語りかける。
『お前は、忘れてなどいない。むしろ、お前の解釈が失われたのだ』
その言葉と同時に、パシェは右手の服の裾が引かれるのを感じた。そばに小さな気配を感じて視線を向けると、そこに立っていたのは、ちょうど10年前の姿をしたハイナだった。パシェは息をのんだ。
「でも、何のために?何のために私は10年前の記憶を…」
『その手は、お前の過去を探る手立てだ。魂はお前の解釈をもとに成熟する。魔晶核に映るのは、他者の望む夢。 お前は、自らが生き残るために「他者から見た記憶」の予定律をずらした。ハイナの力を抑え、魔王の記憶を書き換えた。イケイ人は、生き残るため、他者からの評価を意図的に低く見せようとした。しかし、お前は逆のことをした…『妹は魔王にとりつかれていない』と見せるために。』
その声が響く中、幼いハイナはパシェを見上げて言った。
「お腹すいたよ、お姉ちゃん」
精霊王は、まるで何百年といきた木の枝のような長い手をのばし、ハイナの頭をなでた。そして言葉をつなげた。
「嫉妬の呼び出し、これがハイナに託すべきお前のコードだ」
精霊王はそう言いながら、ハイナの腹が鳴るのを聞くと、まるでその空腹を満たすかのように、手のひらに美しい球根を生み出した。そして、その透き通った声で、パシェに語りかける。
「ハイナが精霊によびかけ、精霊が適切なタイミングで、嫉妬心を呼び覚ます、それでお前の記憶が一部蘇るだろう、複雑な課程だが、お前たちの間には封印された嫉妬心が介在している」
精霊王は、自身の爪を噛みながら、まるでハイナの空腹を満たすかのように、手のひらに美しい球根を生み出すと、部屋全体に甘く熟れた果実の香りを満たした。そして、その透き通った声で、パシェに語りかける。
「精霊が適切なタイミングで、嫉妬心を呼び覚ます、それでお前の記憶が一部蘇るだろう」
精霊王は、果物の育成に戻るといってそのばをあとにした。そしてその玉座の間は、ほとんど真っ白な何もない空間に変わっていた。
無意識と結合した領域、ゾーンにほど近い精霊領域、ここでは不思議な事がおこるものだ。
ハイナは目を覚ます。ハイナにお願いする。“嫉妬の呼び戻し”
「お願いできる?私が何かのきかけでやみに落ちたときにそうするといいらしい」
「嫉妬のコード?イメージすればいいの?」
「そう、衆生のことだよ」
ハイナは先ほどの晩餐の間もどるとそんなことより食事が綺麗にかたずけられているのと、きたときよりファンシーな空間、ぬいぐるみが棚などに飾ってあるのを奇妙におもった。
精霊が出口へ案内、精霊と話しすパシェ。
精霊が出口へ案内すると、パシェは静かに尋ねた。
「結局、私はハイナの力を借りるべきなのね。でも、つよい人間の力は、同じ戦い方ができない人たちには不安を与えるから、私は力を封印した、私はハイナに嫉妬していた……そうね?」
精霊は、パシェの言葉の続きを待つように、じっと見つめている。パシェは、精霊の瞳の奥に、自身の決意の揺らぎと、それを乗り越えようとする意志を感じた。
「それだけじゃない。ハイナ自身も初めからこの予定律を知っていた。つまり、『来るべき時』まで自分の運命を制約していたんだ」
「それは、いつ?」
精霊は静かに、しかし力強く答えた。
「いずれ、二つの運命が再び交わる時だ……」
精霊はそこまで言うと、口を閉ざし、パシェを現実へと送り出した。
ーーー
ホロストゥループの臨時拠点。
「どうぞ」
イアナはユミエルにコーヒーを差し出された。
「はかどるかい?」
「何が?」
「そのー何がって、あまりにも行儀がいいから」
イアナはすっと背筋をのばした。集中すると猫背になるのと片足をたてるのはオフィスワークとしてあまりに行儀が悪い。
「すまない」
ため息をついて
「お前には迷惑をかけるな」
ユミエルは思った。予定律はもっと美しくイアナの姿を予想することができる。しかしそれには常にヅレがある。英雄律は少しだけズレをもたらすのだ。真理値は、割り当てられた偶然にどれだけ美的なふるまいをするか。予定律に映し出されない不可視の英雄、記憶の中にある姿を通じて、現実に浮き上がってくる。
「君は美しいよ、普段の姿勢がね」
少し口をまげたあと、イアナは仕事にもどった。記憶の取引によって、人々はお互いを支配していた。生まれによる格差を重視してた。人の情報と情報にズレがあるのは都合がいい。予定律の書記システムはシャーマン、宗教とつながっていた。
彼は知らなかった。彼がイアナにあこがれるきっかけになった“最初のきっかけ”最初の仕事でのイアナの圧倒的な活躍は、イースの魔力が発動した結果、偶然に引き起こされたのだということを。イアナの頭に浮かぶのは、毒で汚染された村の井戸に潜む魔物、それを一瞬で破壊した“風の魔術”は確かにイアナの使おうとしたものだったが、不発に終わった、イースがそれを使い、さわやかな笑顔を自分に向けたということだけだった。




