37話『名取川遡上』
色んな意味でやらかした翌早朝、オーナガワ村からまだ薄暗い海へと第八豊栄丸を出航させた俺は、陸地が視認できる距離で南下していく。
長い年月が経過しているため、多少陸地の形に変化はあるものの、概ね記憶にある通りのようだ。
ゲオが一緒にダーテ藩までついてくると、最後まで駄々を捏ねていたが、瀬織津姫様に上目遣いで「妾の社を守ってはくれぬのか?」と請われ諦めたようだ。
なので今回は、俺と親指姫サイズになった瀬織津姫様の分身体が一人、一緒に昔の仙台市……今で言う奥州ダーテ藩にある瀧澤神社を目指すことになった。
俺の肩の上に腰を掛け、海風を受けて気持ち良さげにしている。
「毒海を進んでいるが、大魔王魚が出てくるんじゃないか?」
「大丈夫じゃから安心せい」
船を進めると次第に大小様々な島が前方に現れ出した。
ちょうどこのあたりは日本三景と呼ばれ観光名所として有名だった松島あたりだろう。
松島には二百六十以上の島々が点在している。
その複雑な地形を有する多島海である松島は、今や大魔王魚が多数生息して熾烈な生存競争を繰り広げる魔境と化しているらしく、出発前にシンゲン達から避けるようにと念を押されているのである。
内心おっかなびっくりで舵を握ると、少し離れたところで大魔王魚らしい蛸と鮫のような生き物が争っている姿が目に入った。
「本当に大丈夫なんだよな?」
「大丈夫じゃ、ほら船の下を見てみろ」
「船の下?」
瀬織津姫様に促されて、舵から手を離してサイドデッキから水面を確認して何かと目があった。
「うわっ!? 蟹!?」
「あんまり大きな声は出さない方が良いぞ? 妾の加護で水中の生き物からはわからなくしているが、空中を来る魔虫には感知されるからの」
「感知されたらドウナリマスカ?」
「なぜいきなりカタコトになるのやら、それは勿論餌となる魔虫を求めて大魔王魚が一斉に集まってきて大乱闘必須じゃ」
コロコロと可愛らしく笑っているが、言ってることが全く可愛くない。
直ぐに舵を握り直し、危険海域を抜けるべく速度を上げていく。
そんな俺の反応を楽しそうに見ている瀬織津姫様を、気にしている余裕など今の俺には無いのだ。
クラーケン見たいな奴がわんさか湧いて出てこようもんなら、間違いなく第八豊栄丸は海の藻屑になってしまうだろう。
怪獣同士が戦う姿を見るのは、映画館で見る特撮が一番良いのだと身に染みて実感する今日この頃だ。
心配していた大魔王魚とは遭遇せずに済んだ事にホッと胸を撫で下ろし、内陸にめり込むように湾曲した海岸線へと舵を切る。
七ヶ浜を越えて長浜と呼ばれる砂浜海岸を進むと、比較的広い河口が姿を表す。
俺たちが目指しているのは、二本目にある名取川だ。
「名取川の河口が見えましたよ、瀬織津姫様よろしくお願いします!」
「まかせなさい!」
ピョンと俺の肩から軽やかに甲板へ降り立つと、船首へ向かう。
「瀬織津姫の名の下に我が進路を開いておくれ」
なにかの祝詞を唱えると、瀬織津姫様がこちらを振り返り胸をそらせてみせる。
「さぁこれで大丈夫じゃ! 遡上してよいぞ!」
「いやいや、なんも変わったように見えないんですが!?」
「安心せい、この船だけ避けるように頼んだだけじゃ、大規模に川の流れを変えたわけではないからの、この地に棲まう生き物への影響も少ないはずじゃ」
まだ河口部は川幅があるので、第八豊栄丸でも問題ないが、遡上するに従って川幅は徐々に狭まっていく。
「いやいや、いくらなんでも川幅に対して船体が大きすぎるだろ」
「なんのために妾が目眩しの加護を授けたと思っておるのじゃ」
いや、目眩しの加護は確かに貰ったが、外見を誤魔化すだけの加護のはずだ。
「いやいや目眩しの加護で第八豊栄丸の船体サイズは変わらないだろう?」
「他の小舟に見えるように目眩しをかけるのに、サイズがそのままなわけがなかろう」
何を馬鹿なことを言っているのかと、呆れ顔を瀬織津姫様がむけてくるが、悪いのは俺か?
「いや、だって瀬織津姫様が言ったじゃないですか、瀧澤神社で御神体を回収すれば第八豊栄丸のサイズを変えられるって」
「そうじゃ、第八豊栄丸のままでサイズを変える事ができるようになる。 しかし、目眩しの加護で他の船や物に見えるように変えてしまえば、その物のサイズに合わさるぞ?」
「……ならわざわざ瀧澤神社に行かなくても、目眩しの加護でキーホルダーに見えるように変えてしまえば持ち運びできるのではないですか?」
最後と方が棒読みっぽくなってしまったが、俺の言葉に瀬織津姫様が、たった今気がついたとばかりに驚いている。
「さっ、さぁこれでなんの心配もなく遡上開始できるな! さぁいくぞ!」
何かを無理やり誤魔化すように、先へと進むようにせかし出した瀬織津姫様をこれ以上問い詰めた所で時間の無駄だろう。
「へいへい」
「目を閉じて頭の中でこれから川を上るのにふさわしい船を思い浮かべるのじゃ」
とりあえず海でゲオ達が漁をするために使っていた小舟を思い浮かべる。
少し大きめの木製ボートだ。 エンジンはなく、確か風を受けて推進力に変えるための帆と、木製の櫂がついていた。
しっかりと形を想像する。
「ふむ、初心者にしては上出来じゃの、そのまま『固定』じゃ」
「『固定』」
「目を開けてみよ」
そう促されて目を開けると足元には想像していた小舟が姿を現した。
「うわー、なんだこれ」
「妾の加護じゃ」
内胸を張る瀬織津姫様の姿に、とりあえず理屈や疑問を全てどこかに投げ捨てる。
相手は神様、悩むだけ無駄な人外なのだから。
「ありがとうございます」
とりあえず今はこれで良い。
ゆっくりと川の流れに逆らって小舟を操舵し始めた。




