31話『胸か、ケツか』
瀬織津姫様を伴ってゲオの母たちが暮らしている小屋へ向かう。
打ち寄せる波の音に混ざってオーナガワ村から避難してきた女性陣の明るい声が聞こえてきた。
「賑やかな良い村じゃ、信仰心に溢れておる」
まるで深呼吸するように両手を空に伸ばしてご機嫌にくるくる回る瀬織津姫様の浮かれようが、とても嬉しいのだと全身で語っているようでウルッときたのは内緒だ。
くそぅ、歳を取ると涙腺が弛くなっていけねぇ。
「こんばんは」
ゲオ宅の扉をコンコンと叩くと中から村の女性陣と子ども達が集まっていた。
もともとオーナガワ村はそんなに人数が居るわけではないし、未婚の若い娘達や人妻達は豪族によって連れ去られてしまっている。
残っているのは娼館等で働くには既に薹が立ち過ぎている年齢の奥方ばかりだ。
そしてあまり多いとは言えない奥方達がみな、協力して夕飯を準備してくれたらしい。
「待ってたよ! 早くお入り!」
「いらっしゃ~い」
わらわらとやってきた子供たちが瀬織津姫様の周りに集まってくると、そのままみんなで小屋の奥に用意された子どもたち用のテーブルへと案内していった。
「ゲオはあっちに混ざらなくていいのか?」
俺の隣で何事もなかったように、立っているゲオに瀬織津姫様が案内されたテーブルを示す。
「べっ、別にオレはオトナだからな、こっちで構わないぜ?」
いや、ちらちら瀬織津姫様を見ながらそんなことを言われても全く説得力がないんだが……
「そうそうカイトさん、私達一度オーナガワ村へ戻ろうかと思ってるんだよ」
「そうなんだよ、ほら今オーナガワ村は男衆ばかりだろう?」
「きっと家は脱ぎ散らかした服やゴミで埋まっちまってるんじゃないかって気が気じゃないのさ」
口も手も止まることなく動かしながら女性陣が詰め寄ってくる。
「わかりました、ただ明日は山頂の社へ行かなければなりませんから明後日になりますけどいいですか?」
「全く問題ないよ、むしろいつもすまないねぇ」
そんな会話をしたあとはそれぞれ食事を終えるなり自分の小屋へと帰っていった。
片付けは日が出てから皆で協力して行うらしい。
瀬織津姫様と第八豊栄丸へと戻ってきた俺は瀬織津姫様を布団で寝かせ、簡易冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを引き上げた。
キンキンに冷えたビールの炭酸が喉を刺激しながら胃へと伝っていく。
「くぅ~やっぱり美味いわぁ~」
なるべく呑まないように我慢していたが、もう残り少なくなってしまった。
月明かりに照らされた水平線と波の音は俺がいた時代も今もさして変わらない。
特に夜になれば毒海の色もわからないからよけいにそう感じるのかもしれないな。
ビールを最後の一滴まで飲み、瀬織津姫様が使っていない毛布を持って長椅子にゴロンと転がり目を瞑った。
翌朝も船の窓から入り込んできた自然光で目が覚めたが、そのまま毛布を頭上まで引き上げた。
今日は漁に出るつもりがなかったのに、カーテンを締め忘れたせいで目が覚めてしまった。
そのまま二度寝を決め込もうとしていたのに……
「おやびーん!」
くぁぁ、うっせえなぁもう少し寝かせやがれ
「カイトよ、童子たちが呼んでおるぞ?」
すぐ近くで声がして恐る恐る毛布を目元まで引き下げれば、すぐ目の前に瀬織津姫様の顔があった。
「瀬織津姫様、おはようございます……すいませんもう起きますから少しだけ離れて貰えますか?」
いや、寝起きのおっさんの髭面を至近距離で幼女神に見られるのは勘弁してくれまいか、よだれやいびきかいてなかったよな?
「わらわは先にゲオ達と外にいるからなるべく早く来ておくれ」
すっ……と離れてくれたので、服を着替えて簡単に身支度を済ませて第八豊栄丸を下船する。
この世界に飛ばされてから、頻繁に陸に上がっているような気がする。
多少陸酔いはあるものの、瀬織津姫様のおかげか、金花山を治める二柱神のおかげか陸神の忌み子のバッドステータスは格段に良くなった気がする。
今日はゲオと瀬織津姫様と三人で神社へと参拝する事にしてある。
他の子どもたちは久しぶりにオーナガワ村へと行く為に母親と荷造りの手伝いをするようだ。
ジョリジョリに伸びた髭を剃り落としながら、手元の髭剃りシェイバーを見る。
横滑り防止機能がついた髭剃りはこの世界にあるのだろうか……
カミソリがあればまだいいが、いきなりナイフで髭を剃れと言われても正直俺にはできる気がしない。
カミソリですら横滑り防止機能のついた物しか使ったことがない。
この髭剃り大事に使おう……うん。
簡単に身支度を整えると船から陸へと上がる。
ずっしりと重くなる足は瀬織津姫様のおかげでいつもより少しだけ軽く感じる気がする。
「おやびんおはよー! 早く行こうぜ!」
ニヒヒっと笑ったゲオの頭に右手を乗せてワシャワシャとかき混ぜる。
「おはよう、そうだな行くか!」
「他の神と会うのも久しぶりだから楽しみじゃ」
るんるんと弾むように歩いていく瀬織津姫様は本当にうれしそうだ。
「あれ、何月だったか忘れたが神様の集会があるんじゃなかったか?」
「あぁ、神在祭の事ならば妾はずっと参加しておらぬな」
本来ならば旧暦十月、七日間島根県の出雲大社へ全国から神々が集まると言われている。
理由は色々あるらしいが、神々は稲佐の浜から大国主神がいる出雲大社へ集まり、氏子たち……の幸せの御縁を結ぶ会議、神議がなされるためだと、亡くなった祖父が言っていた。
「妾にはもう何十年も氏子が居らなんだからの……幸せの縁を結んでやることもできなんだ」
「瀬織津姫様を祀る社は他にもあるんだろう?」
「いや、残念ながら辛うじて残っている社は既に廃村と化した村にあるからの……他の神の末席に辛うじて名があるか、祀っているのが妾だと認識して居らぬものばかりじゃ」
末席では信仰心はあまり得られないらしい。
「じゃから妾の名前をキチンと覚えている氏子は海人だけじゃの」
「瀬織津姫様! 他の神様の氏子は瀬織津姫様の氏子にはなれないのですか?」
「そんなことはないのぅ、八百万の神々がおるどの神を敬うも自由じゃからな」
「では、オレも瀬織津姫様の氏子にしてください!」
「ふふふっ、良いぞ。 すこぅしそこにしゃがみや」
瀬織津姫様が指示した場所にゲオがしゃがみ込むと、瀬織津姫様は何かを唱えてゲオの額に白い指先を当てる。
指先が離れるとゲオの額の中心がポワンと光を放った。
「これで終わりじゃ」
「ありがとうございます、瀬織津姫神!」
にこやかに笑い合う二人を見ながらふと気になった事があったのを思い出した。
「そういえば瀬織津姫様、背が伸びたり喋り方が上達したような気がするのですが、気の所為ですかね?」
「ん? ふむ、信仰が少しばかり集まったおかげで成長したようだの」
自分の胸元をペタペタと両手で触り、短くため息をついている。
「それでも全盛期まではまだまだだの……」
それは神様の力の事か、胸部装甲のことか……
「お主もたわわな方が好みかの?」
も、ってなんだ? 俺か……あんまり気にしたことはないんだよな、胸のでかさで言ったらゲオの母ちゃんが一番でかいが……
「いや、胸よりケツが気になる」
「おやびん言い方!」
そんな話をしながら俺たちは金花山を登っていった。




