21話『大目流し網漁』
翌早朝、習慣とは恐ろしいもので日が昇るほんの少し前、空に掛かっていた暗闇が薄らいだ頃に目が覚めた。
夜明けから日の出までの約前後1時間くらいが朝マズメと呼ばれ釣りや漁をするのに良い時間帯なのだ。
漁場とする場所が沖にある場合はそこまでの移動距離も考慮して暗いうちに出発することもあるのだが、今日は紫色の海水に汚染された区域から出た場所で網を降ろすつもりなのでそれほど移動しなくてもいいだろう。
海賊入江で夜間の見張りをしていた男にちょっと出てくると告げてエンジンを掛けて入江をでる。
「なにぃ? ううぅ……頭が痛い……」
「おっ、おはよう。 なんだ二日酔いか?」
どうやらアクアリーナが目覚めたらしく、船の振動かはたまた波を越える際の揺れが響くのかフロントデッキのサイドレールに身体を預けてぐったりともたれ掛かっている。
「二日酔いが何かは知らないけど体調が優れないのは本当ね、昨日水上で寝たのがまずかったかしら」
呻きながら身体の向きを入れ替えて生け簀を開けると躊躇いなくその中へと飛び込んでしまった。
「はぁ生き返るぅぅう」
しばらくして生け簀からまるで銭湯に浸かっているオヤジみたいなセリフが聞こえてきて危うく吹き出しかけた。
「ねぇ、ダーリンどこに行くの?」
「ん? せっかくだから魔石を取りに行こうかと思ってな」
青海まで来たため、いつも通りブイと呼ばれる浮きを投げ入れて次々と網を降ろしていく。
正直この辺りの海底の様子魚の群生している場所もわからない、またなれない漁場での刺し網は貴重な漁具を紛失してしまう危険がある。
朝マズメが終わり次第寄港するつもりでとりあえず船にロープをつけたまま流し網漁でどんな魚がいるのか調べるのもいいだろう。
あまり小さな魔魚からは魔石が取れないため、先日見せてもらった魔石入りの魚のみが掛かるように今日仕掛けたのは『大目流し網』という漁法で使用する網だ。
『大目流し網』はカジキマグロなどの、大きな魚をターゲットとしているため、網目が大きく、使用する網目のサイズが決められている。
また操業するためには国の許可や県の許可が必要で、近年では漁師のなり手が居らず、水産資源を保護しようと言うの国際社会の動きもあり、廃業せざるを得ない漁船が後をたたない。
亡き祖父はこの『大目流し網』を他の希望する漁師達と一緒に俺に教えてくれたため、俺も国の許可と県の許可は得ている。
本来の網の長さで『大目流し網』をしようとすれば同乗する漁師が五人は欲しいが、網の長さを減らすことで少人数でも行えるように対応してきた。
小一時間ほど青海を漂い、オーナガワ村があった陸地とは離れた所に独立した島が在ることを確認して頃合いを見計らって網を上げていく。
巻き上げは低速で行い、獲物が掛かっている場合には一度停めて網から外しながら引き上げる。
これがまた一人で行うには時間がかかるのだが……なぜか身体が軽い気がする。
「うわぁこんな大きな魚だけが沢山捕れるなんて凄いわね」
生け簀の水を入れ替えて循環させぽいぽいと上がったばかりの魚をアクアリーナが居ない方の生け簀に投げ入れる。
「あぁ、そのための大目だ。 小さい魚まで捕ってしまえば魚は育たないし、殖えないからな」
欲望のままに乱獲してしまえばそのしわ寄せは不漁として必ず自分に跳ね返ってくるのだから。
「でもこの大目? 毒海では使えないわね……あそこはクラーケンみたいな大魔王魚ばかりだから」
紫色の水域、毒海をあのクラーケンみたいな大魔王魚と呼ばれる海に棲む魔魚の中でも恐れられている巨大化した魔魚が相手では船ごと引きずり込まれかねない。
「出来れば可能な限り遭遇したくはねぇな」
全ての流し網を回収し、一旦ラグーン城へ戻るというアクアリーナと別れてオーナガワ村へ寄港すればシンゲン達が殺気立っているようだった。
「あっ、おやびんが戻ってきた!」
船を見つけるなり船着き場のギリギリまで出てきたゲオが大きく手を振っているようだ。
「おはよう、ケツは大丈夫だったか?」
「うげっ、思い出させないでよ! 俺のかわいいお尻にまだ母ちゃんの手のひらの後が残ってるんだぜ!? マジで痛かったんだから」
「まぁそれだけ心配させたんだ、愛情だと思って諦めな」
「ぐぬぬぅそんな愛情いらねぇよ!」
なにか叫んでいるゲオを放置して魔龍組の隠し港へ停泊すればエンジン音を聞きつけたギーラが直ぐにロープを固定してくれた。
「ギーラ、何かあったのか?」
「それが……」
「ギーラ! カイトが戻ったのかい!?」
迫力満点で現れたミチコとその後ろから楚々とユウコが扉を開けて出てきた。
「只今戻りました、魔魚もありますけどどうします?」
「ありがたいけど、すまないねぇ今は水揚げできる状態じゃなくてね……」
「俺が出港している間に何かありました?」
夜半に出発してから数時間しか経過していないのにどうやら問題が起きてしまったらしい。
「それがねぇ、シンゲン達が怪我をして帰ってきた経緯を聞いた男たちがいきり立ってしまってね」
困ったわぁと深いため息を吐き出したミチコの言葉に昨晩のシンゲンの様子を思い出す。
たった数日しか付き合いがない俺からみてもシンゲンの怪我は酷いものにみえた。
村の娘たちを助けるために自らの命をかえりみずに大魔王魚やマーリーン族の領域へ踏み出すこの村の男達が大人しくするはずがないんだよな。
第八豊栄丸を任せて地上へ出れば鍬や鎌、斧、先を削って尖らせた竹を持って今にもオーナガワ村から飛び出していきそうなカイドウ達をその妻の女衆たちが必死に抑えていた。




