2話『口ピアスならぬ釣り針ピアス』
ルーティンワークで落ち着こうとした結果、さらなる混乱がやって来ました。
何やってるんだ俺は、うん……釣りをやったんだ俺は!
鰤とかカンパチとかスズキとかそこらの魚が釣れないかなぁと竿を振ったさ!
赤い色が見えた時点でもしかしたら鯛が来たかとちょっと期待したさ。
鯛の煮染めは美味いし、何なら釣りたてを捌いて刺し身にするのも、ライター式の小型バーナーで炙りにしても美味いからな。
だが水面に近づくに連れて鯛じゃないのは嫌でも分かる……
魚体のサイズが違いすぎるからな。
そう、冷静に考えれば鯛がそんなに大きいはずがないのだ。
しかし、いやね、まさか人魚が釣れるとか思わないだろう、人魚だぜ?
某夢と魔法のネズミの王国で不動の人気を誇る人魚がアジの生き餌で釣れるとか誰が思うよ。
しかも口元に針が引っ掛かっているところを見ればアジに噛み付いたということだよな?
人魚はアジを生きたままおどり食いでもするのだろうか?
餌のアジがなくなっているのだが、食べた? 食べのか!?
しっかしどうすればいいんだこれ、針を外したいんだがどうすればいいんだこれ。
混乱は最高潮に達しているが、とりあえず目の前で絶望に打ちひしがれて恐怖に震える美少女がこれ以上怯えないように、持っていた竿をゆっくりと甲板に置いて手を離す。
人間と人魚がどのような関係を築いているのかわからないが、女性がいきなり力尽くで知らない男の前に引き出されたらそりゃぁ怖いだろうと思う。
俺だって嫌だからな、酔っぱらいの先輩漁師達に無理やり祭りの台に担ぎあげられて、歌を歌えと強制された事があった。
落とされるんじゃないかとの不安、俺には歌の才能が……無いらしいのでその後やけくそで熱唱してやったが、それ以降俺に歌えと言って来るやつは居なかった。
おっと話がそれたな……
「あ~、言葉がわかるか? 俺にあんたを害するつもりはない」
両手を顔の脇に上げて、害意がないことを示す。
ハンドサインなんて地球でも国が変われば意味が全く違う。
もし世界が違うなら、なおさら通じないだろう。
それ以前に種族すら違うのだが……
まぁ通じなくても仕方がないが、あの針は見てるこっちが痛い。
出来れば早急に外してやりたいと思うのは、俺だけではないはずだ。
ファッションで唇にピアスをしている若者がテレビに映っていた映像を何度か見たことがあるが、自分の意志で唇にピアスをつけるために穴を開けるのと、釣り針が刺さって貫通したのでは全く違う。
あまり考えたくはないが、感染症の恐れだってあるのだ。
紅珊瑚のような美しい色の形がいい唇に刺さったままの釣り針、しかも外れにくいように返しが付いているから無理に外せば傷を増やしかねない。
あの綺麗な顔にこれ以上傷を増やすなんて真似、俺にはゆるせん。
釣り具を収納してあるプラスチックケースと救急箱を取り出す。
逃げても良いのだと示すように、プラスチックケースから糸切り鋏を取り出して釣り糸をリールから鋏で切り離す。
そんな挙動不審な俺の様子を観察していた人魚は、すぐに逃げられるのだと安心したのか、少しだけ警戒を説いてくれたようなので古くなっていた針を持ってきて見せる。
このくらいの距離があれば警戒されずに済むかな?
1メートル以上近づかないようにして手に持っていた針を見せ、自分の口元を指してみせる。
「これ、君の口に刺さってるのと同じなんだ」
見せながら針を自分の着ていた服に引っ掛けて見せる。
案の定返しが服に引っかかりはずれない。
「この針のここのところ、返しになっててね。 抜けないんだ……だから」
俺は釣り道具をしまってあるプラスチックケースからニッパーを取り出して、目の前の人魚に見せた。
「ニッパーって言うんだよ。 これをこうして……」
服に引っかかった針の返しにニッパーの刃ではさみ取っ手を握り込む。
パチリと音がして返しが落ちたため、服からスルリと引き抜いた。
人魚は針と俺とニッパーを何度も見返して、自分の口に刺さった針を指差す。
おっ、もしかして通じたか?
「そう! その針をはずさせて欲しいんだ」
暫く迷った様子だったが、覚悟を決めたのか頷いてみせたのでゆっくりと距離を詰めていく。
針の返しは外側を向いていたので、針に触れると、人魚はピクリと身体を小さく震わせた。
痛いよな、なるべく丁寧に外すからすこしだけ我慢してくれよ?
「ゴメンな、すぐ外すからよ」
ニッパーが人魚の顔に当たらないようにできるだけ針を滑らせて返しを顔から離す。
もし切った返しが人魚の顔に飛ぶ可能性もあるため、小指と薬指で針を挟み中指と人差し指、親指で囲いを作り、ニッパーで返しを切り落とした。
切断面はきれいに切れたため、触ってみでもザラツキがない。
これなら少しは痛くない……かな?
スススッと針を滑らせてゆっくりと傷口から抜き取る。
やはり傷口をこすってしまいます痛みがあるのかわずかに顔が曇り、瞳に涙が浮かんでいる。
「ゴメンな、痛いよな……良し取れたぞ」
抜き取った針を人魚に見せて笑いかけると、人魚は涙目でニパッと微笑み返してくれた。
やっべぇ、すげーかわいいぞってそれどころじゃなかったな。
次に救急箱から取り出した消毒用のエタノールをガーゼに浸して、先程まで針が刺さっていた唇へ押し付ける。
シュワシュワという音がすこしだけ聞こえたが直ぐに聞こえなくなった。
「消毒は終わりだ、よく頑張ったな」
無意識に手を伸ばして頭を撫でる。
すると驚いたように口をポカンとあけた人魚がこちらを見上げる。
そのいくぶんか幼い表情も可愛いと感じられるくらいに俺は潤いが足りてない気がする。
さてと、消毒も済んだし出血も収まった。
あとは人魚に海へと帰ってもらえれば釣り上げちまった俺の責任は少しは軽くなったはずだ。
俺はゆっくり立ち上がり両手をまた顔の脇に上げて人魚から数歩後ろへ下がり距離を取り直す。
「ほら行っていいぞ、もう針ごと食いつくなよ?」
人魚と遭遇する奇跡なんてそうそう起きるとは思えないので、少々……いやかなり名残惜しいが仕方がない。
俺は未だに見慣れない青紫色の海を見ながら促すように指差すと、人魚は困惑気味に海を除き込み悲しげに首を横に振った。
「なんだ? どうしたんだよ」
人魚は、海人に何かを訴えるように白い手で海の向こうを指差す。
もしかして向こうに陸地でもあるのか? いや、人魚が陸に行くわきゃないか……ならどこに行きたいんだ?
外海か? まさか人魚について行ったら帰らぬ人になりましたとか寒い冗談じゃねぇよな?
もしかして連れてけってか?
どこに行くのかわからないが、自分が行きたいところまで乗せて行けってことか?
小さく心の中でため息を吐く。 現在地がわからず闇雲に動きたくないのが本音だ、本音だが……不可抗力とは言え、この人魚に怪我させちまったのもまた事実なんだよなぁ……
正直に言えば気を失っている間にあの台風でどれほど外海へ流されたのかわからない、それ以前にここが地球なのかすら不明だ。
少なくともこれまで地球の日本という島国で生きてきて、コスプレじゃない人魚にあったことは一度もなかった。
島影一つ見えない状況で漂流中という現状を考えれば何度考えても無謀な移動は得策とは言い難い。
言い難いが……しかしまぁ不本意とはいえ怪我させちまったし、仕方ねぇか……
「わかったわかった、連れてきゃいいんだろ!?」
ガシガシと塩焼けし、傷んたた自らの短い髪をかき混ぜると、船を動かすべく操舵室へと向かう。