封印された地球
「お前は当直中に何をしていやがった! 後で一緒に始末書を書かされるなんてゴメンだからなぁ!」
ルナンが展望艦橋に上がってすぐ、レーダー監視担当の坂崎一等兵曹が後輩のジョンスン二等兵曹をこのように絞り上げているのに出くわした。
展望艦橋。
若干の観測機器と直接船外の宇宙空間を視認可能な、監視所とも言うべき手狭な部署では、先着していたムーア艦長の他はこの二名のみであった。
上司はこれには全く我関せずの態。なので代わってルナンが話を聞いてやることとなった。
坂崎の話によると、当直にあったジョンスンは先刻発生した『シュルクーフ』の状況に関する静止並びに動画画像を全く記録に留めていないのだと言う。
ルナンがジョンスンの大きな体躯を窮屈そうに収めている卓上モニターを見てみると、そこにはある特定の画像が埋め尽くしていた。
「これは……地球か? こんな念入りに。どうするつもりなんだ?」
「中尉殿、こいつは天体観測マニアなんすよ。海軍に入った理由もタダで天体観測し放題だってことらしいですから。なぁジョンスン君?」
先輩の言を受けたジョンスンは、自分が種をまいたにも関わらず間延びした調子で
「あのぉ、邦城の中から天体観測するには外側が見える”観測所”に行くしかねえです。しかも面倒な申請しねえとそこに入れねえもんすからー」となんとも嬉しそうに話し始めた。
「バカヤロ! 海軍はなぁ貴様の趣味のために俸給を払っているわけじゃない! 艦隊内で事故が生じた場合、付近の僚艦が船外からの状況画像を最低五枚、報告書に添付せにゃならんのに。お前、一枚も残していないだろう!」坂崎が捲し立てている横で、ルナンも相槌をうった。
「どうしましょう? クレール中尉殿ぉー」
部下に泣きつかれたルナンが思案し始めたとたん、背後からワザとらしい大きな咳払いが聞こえてきた。ゆっくり背後を振り返るとただでさえ難しい面構えの艦長が、更に仏頂面でこちらをにらんでいるではないか。
この展望艦橋は、船外を直接視認可能な厚さ数センチに及ぶ特殊強化ガラスの向こう側は完全な宇宙空間。故にここで勤務に当たる者は宇宙服着用で臨む規則となっているが、この艦の”親父”であるムーア少佐のみがヘルメットを着用せずヒゲ面を晒していた。
この人物に規定違反ですと抗議できる人物はいなかったし、できる空気でもない。
武骨なヘルメットを突き合わせ三人は顔を見合わせた。
ルナンの右側に、東洋系坂崎が口をへの字にさせ、左側にはアフリカ系でつぶれたような低い鼻の容貌をもつジョンスンが白い歯を浮かべている。
「笑ってるんじゃねえ! どうするんだぁ」と、東洋系の若者が目を吊り上げている。
「す、すみません。つい夢中になっちゃいまして。地球を包んでいるあのデブリストームに穴が開いてそこから、宇宙船らしき物体が射出される瞬間が見られるかもしれないと思うとつい」ジョンスンが左半分で反省する様子も無く応じている。
「それは都市伝説! くだらない事に時間かけやがってぇ。お前の記録で報告書を作成せにゃならんこっちの立場を考えろってぇの。中尉ぃー、何とか言ってやってくださいよぉ」と、坂崎。
ヘルメット内の二人の表情が彼女の左右で頻繁に変化していく。そこへまた背後から大げさな咳払い。
「とにかく当直交代だ。いいかジョンスン、まず……」
ルナンはジョンスンにアレン大尉を通じて『ダ・カール』から『シュルクーフ』の画像を分けてもらえるよう手配しろと指示を与えると、さっさと交代を促した。
これを合図に、坂崎は手で振り払うようにして後輩に観測ブースを空けさせた。立ち上がった彼は二メートル近い身長を少し折り曲げるようにしてのっそり歩き始めた。
艦長用シートすぐ脇の床面にあるハッチを開け、一度艦長に敬礼してから下の気密室に降りていった。
後輩がこの場を去った後に坂崎兵曹は、交代したブース内で腕組み。残された画像の数々を眺めながら
「困った奴です。決して悪い人間じゃないんですが……」とルナンに溜め息まじりに呟いた。
ルナンも坂崎とジョンスンの残していった当直の成果に見入った。そこには、火星移民の末裔たる彼女達の先祖並びに全ての人類の故郷の惑星が映し出されていた。
ただ、その碧く美しい太陽系のオアシスたる地球は、この時代においては異様な姿に変貌していた。それは何やら白いヴェールを纏い、宇宙に発生した霧にすっぽりと惑星全体が包まれているそんな印象を与える姿になっていた。
時折、角度が変わるとそのヴェールが太陽光を乱反射させて、ぼんやり白く滲んで輝くのだった。
ルナンは独り言を呟いた。
「封印された地球か……」と。
「デブリストームにすき間が開くと言う現象は本当かね?」と、唐突にムーア艦長が宇宙のゴミ屑に覆われてしまっている地球の画像に関してルナンと坂崎に問うてきた。
「全くの作り話であります。本当にこの厄介なデブリを排除できたなら、先ずは何らかの通信があるはずです。大型宇宙船を地上から打ち上げるなんて。考えにくくあります」と、坂崎が明瞭に返した。
「なるほどな……。もう二〇年も地球との国交はおろか通信さえ途絶えて久しい」艦長はふと遠い目を船外へ向けていた。
ルナンは話の矛先が他に向っているのに安堵してか、会話には加わらないようにして観測員ブースの真後ろ火器管制ブースの座席に腰を下ろし船外へと目を移した。
『ルカン』の右舷側に接近、併航中の僚艦『ダ・カール』の全容が見て取れる。
先刻の航法担当クルーの報告通り、シンクロ率の誤差で僚艦はこちらのやや斜め右前に位置していた。
『ダ・カール』。全長一九〇メートル、不慮の事故により艦隊を離脱した『シュルクーフ』の姉妹艦。
船体の前半部はアリゲーターヘッドと称されるくさび型を成し、各種センサー及び回転式二連装砲塔が集中していた。エンジン区画は縦型ツインの噴射ノズルを配し、両端を繋ぐ船体中央部はそれに比するとやや細めで槍を連想させる艦影だった。
先方の艦長代理を引き継ぐためアレン大尉を乗せた連絡艇が展望艦橋のすぐ脇をすり抜け僚艦の方へ飛び去った。
「貴官はあの時、いくつだった?」といきなり背後から投げかけられた艦長からの問いに、ルナンは困惑した。
外の景観に目を奪われていた間に二人がどんな話題に興じていたのか全く念頭になかったのである。
返答に苦慮していると坂崎一等兵曹が
「ちょうど二〇年前の『リューリック事件』の時ですよ」と、助け舟を出してくれた。
「え~確か四歳の頃ですか」彼女は記憶を辿りながら答えた。
「その時、おれはまだお袋の腹の中。。いや何かと言えばお袋は『あの時は大変だった! 明日からどうしよう? どうやって生きていくの?』って言うのが口癖で」坂崎はあたかも自分の実体験であるかのように母親の苦労話を披露し始めた。
その話を受けた艦長も自らの記憶をもとに
「地球からの物資がもう入らなくなるって、パニック状態になったものなぁ。ヤケになった連中が暴動を起こすわ、自殺者も急増したな。世界の屋台骨が無くなったみたいな大騒ぎだった」と述懐し始めた。そしてある人物の名を口にした。この名を知らぬものは火星世界ではいないであろうその名を。
「セオドア・ヴァン・リューリック。あの罰当たりとその信奉者の暴挙でもう永い事、地球からの移民船団が絶たれてしまっている。全く、はた迷惑な事だよ」と艦長は物憂げに目を船外の僚艦に向けて、誰に言うでもなく呟いた。