海賊殺しのクレール
今回から冒頭の事件直前が舞台となります。
『ルカン』発令所にて如何なるドラマが繰り広げられるのか?何かが静かに進行している。そんな雰囲気と
宇宙艦艇内部の細かい様子、艦長との人間関係、ルナンの経歴などをお楽しみいただけると思います。
フリゲート艦『ルカン』が漂流を始める二時間ほど前。
ルナン・クレール中尉は上官からのありがたい訓示、いわゆる”こきおろし”の最中にあって立ちんぼ、艦長席の前で身を小さくさせていた。
部署に“でん”と構える艦長アレクセイ・ムーア少佐は勇壮な体格で五〇代半ばの割には精力的に見える。体躯に見合う大きな顔の下半分は無精ひげが伸び、剛毛に覆われた頭髪には白い物が混じり始めていた。
彼は白い艦長帽の庇下から、険しい目付きでアームレストの先端に据え付けられたタブレットパネルの表示を確認しては嘆息をつき、首を小刻みに振って見せた。
「貴官はコスト意識という物が無いのかね? 試験用魚雷、中身は模擬弾だが構造そのものは通常とは変わらんのだぞ。四本分で君の俸給まるまる一年分が消える! それをまぁ……」
先達からの指南といえば聞こえはいいが、要は厭味な繰り言と何ら変わりはない。艦長の眼前で直立するルナンは平静を装うものの、やや口をへの字にしていた。
周囲からは通常勤務にあるクルーらの
“原子炉稼働率現在六五パーセント安定中”とか“索敵ドローン第二班の発艦準備を為せ”と、言った声がルナンの耳朶に届く。
「聞いておるか?」
「ハッ! 以後、留意いたします。艦長殿」と、判で押したような応対しかしないルナンに艦長は少し身を乗り出すようにして
「殿は余計だ……時にクレール中尉“アレ”は使えるか?」と、声を殺す様に尋ねてきた。
これにルナンは半歩前へ出て
「小官は一〇〇機近い大隊運用を具申いたします」と、言ってから腰を少し折るような姿勢を取り
「大規模な艦隊遭遇戦でも、こちらからの直協支援があれば寡兵であっても機動力で圧倒できるでしょう」と、答えた。
「弱点は?」
「航続距離が極端に短い点にあります。母船との連携、補給のタイミングが難しく局地戦でしか効果が望めない点にあるかと」
ルナン・クレール中尉は士官学校を卒し、初任官から二年を経ている。
その前は義勇兵扱いで入隊し、生まれ故郷の軌道要塞『アルデンヌ』を出奔してからを合わせれば約八年の現場叩き上げ。
過酷な宇宙空間での任務に従事し、海賊掃討作戦で血道をあげたこともある兵である。砲術士官として火器管制を預かりその運用実績と射撃の腕は確かなものであった。
ムーア艦長はここで初めてルナンと視線を合わせほくそ笑んで見せてから
「では、海賊掃討での効果は? どう見る」と言った。
今度はルナンの方から身を乗り出すようにして
「その三分の一でならず者共を殲滅できます」かっと目を見開き声を震わせるようにして具申した。
その様子に艦長は背もたれに身を預け軽く発令所の天井部へ顔を上げ
「中尉、海賊共の中には十代の若者も多くいる“アレ”は彼らを保護できるか?」この投げかけにルナンは更に目をぎらつかせ口元に不敵な笑みを浮かばせながら
「不要であります!」と、返答。
ギョッとしてこちらにまた険しい視線を向ける上官にルナンは臆せずこう言ったのだった。
「略奪と凌辱の旨味を覚えた奴らこそ真っ先に根絶やしにすべきであります」
「中尉ぃー!」
さして広くもないフリゲート艦クラスの発令所に最上級士官の怒号が響き渡った。部署に詰める他のクルーらが一斉に手を止め、息を潜めるがすぐに元の状態に戻った。
ムーア少佐は軽く咳払いして“済まない”とルナンに謝辞を入れてから
「また貴官の『海賊殺しのクレール』が出たな……」と呟いた。
ルナンは元いた位置に戻り、半歩分足を開き両手を腰の上に据える不動の姿勢を取った。
「貴官が以前勤務していた駆逐艦『キャバリエ』のエリクソン艦長は私と同期だが、貴官の処遇に苦慮していたぞ」ギロリと睨みつけ、こうも続けた。
「海賊に対する執念というか処置が“尋常ではない。苛烈にすぎる”が彼の評価だった。君はそれが因でここへ配置換えになったのだろう?」
「拾っていただき感謝申し上げます」ルナンは姿勢を崩さず、全くの無表情。
海賊殺しの異名を持つクレール中尉の前で、ムーア艦長は困り果てた表情で、しきりに耳の上辺りを搔いている。
そこへ周囲から“発艦した索敵ドローン二班は全機『シュルクーフ』管轄の宙域へ移動せよ。カバーに入れ”との声が届く。
これに反応したムーア艦長はまた一つ咳払いをしてから
「まぁ……いい。その件はシャンブラー博士と協議するとして……クレール中尉『シュルクーフ』の状況を報告せよ」と、言うものの表情は硬いままだ。
ルナンはそんな上官の様子なぞ意に介さずに淡々と、つい先刻発生した僚艦のトラブルについての現状報告を始めた。
「はい。あまり安心できる状況ともいい難くあります。現刻より一時間前の〇七・一〇……」
ルナン・クレール中尉が仮眠休憩をとった後、仕切り直しで都合三度目の対アクティヴ・ドローンとの模擬戦闘が行われた。
その結果、本日もいい所無しの惨敗に喫してから、すぐに艦隊に問題が発生したのだった。
試験航海に編成された艦艇はルナンらが乗り組む『ルカン』を旗艦として、ほぼ同級のフリゲート艦が三隻。
『ダ・カール』、『モンテヴィエ』そして今回不慮の事故に見舞われた『シュルクーフ』であった。実際に模擬戦闘実験に参加しているのは『ルカン』と『ダ・カール』の二隻。
他は一定の距離を隔てて周辺宙域を遊弋。盛んに索敵ドローンを散開させ監視体制にあった。
問題は訓練宙域から一〇〇キロメートル離れたポイントで、哨戒に当たっていた『シュルクーフ』が、ごく稀な存在である亜光速で宇宙空間を飛翔してきたスペースデブリと推定される物体との衝突事故を起こした事にあった。
被害は甚大。問題の飛翔体はほんのゴルフボール大と目されたが、幾何級に及ぶ運動エネルギーの所以か、レーダーと光学センサー監視網を潜り抜け礫は『シュルクーフ』のメインリアクター、原子炉区画付近を直撃した。
最悪の事態である炉心融解の壊滅的被害は免れたが、三基の冷却タービンの内二基が使用不可。残り一基と予備用プロトンイオンバッテリーによって何とか艦内需要電力の二五パーセントを維持していた。
当該艦からの報告を読み上げるルナンは、これでは生命維持装置と航法管制機能を機能させるのに手一杯であろうことを追加した上で
「死傷者数は一七名。まだ増えるかもしれません。現在『シュルクーフ』は艦隊を離脱。本国軌道要塞『ヴェルダン』に向けて自力航行中であります」と、報告を締めくくった。
ムーア艦長は体内の不穏なものを吐き出すようなまたしても嘆息をつき
「辿り着けそうか?」と問う。
「まだ、なんとも。あと二日はかかるでしょう。あの艦長、宜しいでしょうか?」ルナンは自分の不穏な予測を述べた後に、この航海が始まった当初から持ち続けてきた疑問を艦長にぶつけてみた。
「何かね?」艦長は再び女性士官に険しい視線を向けて来た。
彼女は背後で手を組んだ直立不動の姿勢のまま、艦長用制服と白帽の上官に口を開いた。
「今回の艦隊編成についてであります。単なる試験運用実験にしてはいささか物々しいのでは? この『ルカン』以外は実包を装備。当初、僚艦は『ダ・カール』のみ。作戦宙域も我が領内。二日前にいきなりの編制変え。更にこんな辺鄙な前方トロヤ群宙域まで来る必要性があるとは小官にはどうしても思えないのであります」
ムーア艦長は無言で顎の無精ひげを、右手の甲でしきりに擦っている。
「被害にあった『シュルクーフ』と『モンテヴィエ』はしきりに索敵ドローンを飛ばしております。何を捜しているのですか?こちらの広域索敵レーダー、赤外線センサーは敵対勢力の存在を感知しておりません。今回の試験航海には何か別の意図があるのでは?」
二人の頭上を発令所に詰めている各担当スタッフの会話の端々、プリンター或いは、PCから繰り出される単調な機械音が飛び交う。
ムーア少佐は口の端にうっすら笑みを浮かべると
「もし、仮に何らかの意図があるにせよ貴官には明かせない場合がある。情報開示優先度に関する事例だ。知っているな?」と言った後、更にこう付け加えるとおざなりに取り合うことを終えた。
「まぁ、今回の編制変えはそんな案件ではない。あれだ、上の連中も遊んでいる船と乗員を出さないように苦慮してのことだ。それに、今回クルーの三〇パーセント以上が一〇代のヒヨッコばかりと言うありさまだ。この連中に対する遠洋航宙の訓練も兼ねている。他に意図はない」
「はぁ……ありがとうございます」と言いつつもルナンは未だ釈然としない。
が、自分にとっても未だ曖昧模糊としていてる件を上官に披見するわけにも行かず、ここは辞去せんとした時。
「艦長、『ダ・カール』との空間座標固定完了。シンクロ率八五パーセントで本艦、右舷側四〇〇メートルに遷移。連絡艇の発進準備完了と発着デッキより連絡有り。アレン大尉待ちとのことです」と航法担当スタッフから艦長に向けての報告があがってきた。
この報告があってすぐに、ルナンの傍らにいつの間にか、装甲宇宙服を着込みヘルメットを小脇に抱えた当のアレン大尉が佇んでいるのに気がついた彼女は思わず後ずさった。
まるで幽霊のように気配を消したままで近づかれると薄気味悪い。彼の容貌はベテランの軍人と言うより、常に青白い顔色をしている哲学講師を連想させた。
この陰険な目付きをメガネの奥で光らせている大尉をルナンは”腰巾着野郎”と呼んで嫌っていた。配属以来、彼はこの女性士官の存在を無視するばかりか、勤務上での連絡事項等を伝達せず、慌てふためく事態に陥ったことも一度や二度ではなかった。
面と向って対応の改善を要求しても、おざなりに作り笑顔をするが事態が一向に好転しなかったのである。
今回も、アレンはルナンを一瞥しようともせずに艦長に向かい
「では、行ってまいります。艦長」とだけ言うと敬礼。
「すまんが向こうの若造を補佐してやってくれ」と艦長も答礼。アレン大尉は踵を返し、連絡艇用の発着デッキへ向う通路を歩み始めた。
「アレン大尉はどちらに?」ルナンの問いに艦長はやや自嘲気味に
「今日はトラブルの大安売りだよ。『シュルクーフ』といい『ダ・カール』といい全く。先刻、あちらの艦長スライデン大尉が急病との連絡が入った。急性心筋梗塞らしい。向こうの次席は新任少尉。ほんの若造さ。奴さんには荷が勝ちすぎると判断して、彼に代理艦長を務めてもらうことにしたのだよ」と言うなり疲れたように肩を落とすと、今度は両手で自分の顔を擦り始めた。
「たった四隻の艦隊とはいえ、この『ルカン』が旗艦。ということは不肖、この私が艦隊司令を拝命したわけだが、気苦労が絶えん……」
「はぁ、副長でしたら適任であろうかと……」とルナンはとぼけた表情のまま挨拶程度の敬礼。自分の部署である火器管制ブースに戻ろうとしたが
「どこに行く? まだ話はすんどらん」と、見事に足止めされた。
ルナンはまた同じ姿勢を取り、仏頂面を向けていると、艦長は少し寂し気に視線を落として
「海賊殺しの異名なぞ褒められたものではない。いずれ君は足元をすくわれるぞ」と、物腰柔らかな口調で語りかけてきた。
「……」
「君がこれまで如何なる経験を経て来たか、私は知らないし、詮索するつもりもない。だがな」
「……」
「ふっ! 頑なだな」
「……」
「人生は長く、そして君はまだ若い。……よく考えなさい」と、言うや否や再び上官の厳しい口調に戻り
「これより、展望艦橋に上がる。貴官も来い! 次席が離艦するのだ。私の身に何かあれば艦の指揮権は貴官が引き継ぐことになる。機関長の安井君も大尉だが技官待遇だ。海軍規定では士官学校、普通課卒の貴官のほうが優先度は高い。指揮官としての心構えを叩き込んでやる!」
艦長はその大柄の体躯を揺するようにして展望艦橋の真下となるエアロックへ向った。
ルナンはその熊のような背中へ向け“さっ”と敬礼すると
「ハイ……ありがとうございます」と、囁き回れ右の後、部署へと歩み始めた。
「申し訳ありませんが艦長、少々お時間をいただけませんか?」と、彼の大きな背中に向けて声を掛けたのはケイト・シャンブラー博士だった。彼女はすれ違いざまにルナンへと冷たい視線を送るのみ。
濃いグリーンのビジネススーツにタイトスカートの出で立ち、白のワイシャツのボタンが弾き飛ばされんばかりの巨乳を揺らして足早に駆け寄っていく。
ルナンは傍から見ても不機嫌そうな渋面のまま、火器管制ブースに戻り、上着をその卓上に放り投げた。そのちょうど背中合わせになる部署で観測員当直に就いているアメリアと目が合った。彼女はルナンに何事か艦長に告げんと取りすがるケイトの方に顎を向け
「ちゃんとケイトに詫び入れたんか?」と、言った。
「……まだだよ」ぶっきらぼうに答えるルナン。
アメリアは両肩をすぼめてから、軽く嘆息を。そしてケイトと艦長の様子に目を凝らした。
「ちゃんと仲直りしておけよ。……ケイトは親父に何を話しているんだ? 『シュルクーフ』の一件以来おどおどしているみたいだけども」
ルナンもどこか怯えたように小さく屈めたケイトの背中越しに、艦長が笑顔のままで『大丈夫です。ご心配には及びませんよ』と唇が動くのを捉えていた。
「知らん! うっ……」
ケイトは色よい返事がもらえなかったのか、少し落胆の面持ちで振り返るやちょうどルナンと目が鉢合わせに。
彼女は眉間に皺を寄せながらプイッと横を向くと自分に宛がわれたブースへと向かった。
フン!と同じように鼻を鳴らしたルナンは、卓上モニターに引っ掛けてあった通信機内蔵の頭巾型ヘッドギアを被ると艦長の後を追った。