軌道要塞オービットフォートレスの世界
今回で冒頭の僚艦爆沈事件の前日譚は終わりになります。前作では二万字近い文字数で1エピソードにまとめておりました。このリブート版ではこれまでの二回を含め、三つに分けてお届けしてきたわけですが、単に分割した訳ではなく、ドラマの展開も少し変えてあります。
いや、しかしかなり詰め込みすぎていたなぁと実感しましたわ。ハイ!
無二の親友から寄せられた持って至極当然の質問にルナンは即興で学校の先生みたいな話し方で
「アメリア君。帰らなかったんじゃなくて、帰れなかったんだよ! 理由は三つ」と、彼女の顔の前に三本の指を立てた。
「まず一つ、火星から地球までの半年近い期間多くの人間を仮死状態で維持する技術“ゲノムフリーズ”が我々には無かったこと。この大元となる不活性酵素の原料は地球の深海層でしか手に入らない」ルナンは一本の指を折る。
アメリアはふむふむ頷くばかり。
「二つ目が惑星間航行用の核融合パルスレーザー型エンジンの開発ノウハウも無い。テクノロジーの情報公開を地球側は全く行っておりませんの」二本目を折るルナンに
「じゃあ、後一つは?」と、親友が問えば
「風評被害だよ」とルナンは最後の一本を折った手で拳を作り、もう片方の掌を激しく打ってみせた。
「当時の移民管理局と火星開発公社は一度は移民団総引き揚げ計画を立て、実行に移そうとしたらしいんだが、いきなり断念させられたんだ」
「へぇーどうせ資本家連中と政府筋のお偉いさんらが結託して握り潰したんだろう?」
アメリアの呆れ果て半ば憤慨するような呟きに、ルナンは頭を振りつつ
「……地球の一般市民からのネガティヴキャンペーンが世界各国で一斉に上がったんだよ」と、寂し気に声を落として言った。
「『ウィルスで汚染された火星人どもなぞ、地球圏に入れるな』とか『無理やり帰還するつもりなら、宇宙艦隊で撃破すべし!』そんな声に押し切られる形で遂には実現できなかったらしいんだよなぁ」
二人はほぼ同時に俯いて大きくため息をつき
「ひどい話だべや。ずーっと宇宙の難民でいろってのかよ」
「一般大衆からの差別発言やら誹謗中傷で地球上のサーバーはどこもパンク状態になったらしいですねぇ」
「何で非番の時間帯にこんな話してるんだよぉ! あたしらはぁ」と、アメリアが今更ながらに言った。
ちょうど今、彼女らが乗り組んでいるフリゲート艦『ルカン』の位置から、火星の衛星軌道上を中心にその全域を取り囲むようにいくつもの光点が現われ始めていた。
ルナンは画面上に現われている光点の一つに、リモコンからの矢印型カーソルを合わせると、拡大映像に変更させた。
画面が切り替わり、今まで画面を占領していた赤い惑星に代わって映し出された物。それは巨大な円筒形の人工構造物。
アイランドⅢ型と分類され、二〇世紀から実現の可能性が取り沙汰された、俗に言うスペースコロニーと呼ばれる宇宙都市であった。
「火星を追われ、かといって故郷の地球にも戻れなかったご先祖達が、必死に作り上げたのが小惑星をベースにした衛星宇宙都市だったわけだ」とルナンはモニターに映し出された映像を眺めながら呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
このメガ・ストラクチャーの平均的な仕様としては
円筒形の両端の直径で一二キロメートルから、最大で二五キロメートル。長手方向では三〇キロメートルから一二〇キロメートルと様々な規模の都市が存在する。
ベースとなる改造可能な小惑星の軌道を修正、火星の衛星軌道に固定させてから、内部をくり抜き円筒形の内側を生活の足場として、市街、工場、農地などを造成。
長軸方向で回転運動を起こして、遠心力による人工の重力を生み出させた。その中心軸の無重量空間には核融合エネルギーを転用した、直径僅か五メートルほどの人工太陽を発生させ、完全密閉型である宇宙都市の内部に光と温もりを提供した。
水資源は宇宙空間を小惑星、隕石と同様に漂う彗星の卵と言われる汚れた雪玉を前述同様に遷移させた上で分解。宇宙都市内部の飲み水、あるいは湖、人口の河川に利用したのである。
これら宇宙都市の重力はほぼ地球の1Gに設定されており、内部の時間も地球の標準時に合わせて二四時間。一年は三六五日とされた。
火星の人々はその巨大な茶筒状の内壁に相当する居住空間を、“内径世界”と呼ぶ。これにも様々なタイプがあり、海洋を擁する『海洋群島型』や内部に人工湖を中心にする『内陸湖沼型』等がある。
火星の自転速度とシンクロする同心円軌道を描き、大小さまざまの衛星宇宙都市が火星上空の高度六千キロメートルから四万キロメートルに及ぶ衛生軌道上の長大なベルト帯と北極冠から南極冠上空までの宙域に建設されていった。
もはや火星の地上には定住する者無く宇宙都市を繋ぎとめるための港のボラード的な役割しか担っていないのが実情だった。
火星移住者の末裔たちは自分たちの新たなる故郷に親愛の情を込めて我が邦城またはオービット・フォートレス『軌道要塞』と呼んだ。
『百家の災厄』事件以降はまさにこの『軌道要塞』の確保と建設、小惑星改造という過酷な戦いの歴史でもあった。
地球の『火星開発公社』及び『火星移民管理局』、並びにこれまで多額の出資を行ってきた先進国の首脳陣はこの移住事業の大幅な方針転換に難色を示した。
しかし、一度スタートさせてしまった全地球規模的大事業の頓挫を公表し、更にはこれまでの移住者、事件以降二万人弱と大分減ってしまってはいたがその全員の帰還に関する世界規模の風評被害を鑑みて、承認せざるを得なかったのである。
以来、一〇〇年近い期間に造成された軌道要塞は一〇〇基を数え、年二回のペースで千人近い新たな移住希望者と軌道要塞建設用の資材を満載した移住船団が星の海原を勇躍越え続けた。
一時沈静化したウイルス禍以降に増え続けていった新たな移住者はその民族性、宗旨、言語習俗の近しい者同士が集い、連合して国家を形成するに到った。
ルナン・クレールの生きた時代においては、火星の周辺宙域には大きく五つの連邦国家が誕生していた。
また、この誕生の経緯には地球における大規模な国家間の統合と再編成といった大きなうねりに影響を受けていた。
火星側は自分たちの連邦形成に出資、資材類を提供するいわば”親元”とも言える連合国家を『宗主国』と呼び、畏怖した。
これまでの『火星移民管理局』と『火星開発公社』がその主導権を二一世紀終盤には各宗主国に譲り渡してしまった事により、それ以降の入植は宗主国側の思惑と計画により、火星本土における勝手な領土割譲と軌道要塞建設を黙認せざるを得ない状態となって久しい。
火星における連邦国家のうち有力なのは五つ。これらを総称して火星列強と呼ばれる。
(一)『アトランティア・ネイションズ』
北極冠上空七千キロから三万五千キロメートルに位置して広大な楕円型となる宙域を領有。軌道要塞三二基を勢力下に置く。総人口二億六千万人。
宗主国は地球の北米大陸のアメリカ合衆国とU・Kを中心とする『北大西洋連邦・NAF』。
(二)『神聖ローマ連盟』
火星本土の赤道部を中心にクリュセ、ルナ、ケレウスの各平原とサイレナム地方東端部、バポニス山から赤道を挟んでマリネスク大渓谷全般にいたる上空、四千五百キロから六万八千キロメートルの宙域に勢力を持つ連合国家。
主に地球圏でのヨーロッパ出身者を祖先に持つ人々が居住している。ドイツ系、フランス、スペイン系の民族が優勢である。
傘下の軌道要塞は二二基。総人口一億八千万人。火星統合暦MD:〇〇七六年より自由フランス共和国とドイツ選帝候領に分裂。いわゆる”二王朝時代”と称される断続的な内戦状態にある。
地球の宗主国はEU加盟国を中心にトルコと一部地中海世界を取り込んで再編された『第三ローマ連邦共和国』。
(三)『スサノオ連合皇国』
本土のイシディス、ケルベロス、アルカディア平原及び、大シルチスの東部地域を版図として、その上空四千五百キロから四万七千キロメートルの宙域に、傘下軌道要塞二四基を誇る連合である。総人口は一億六千万人。
地球における極東地域日本を始めとする東アジアの出身者を祖先に持つ民族の連合体。
宗主国は環太平洋地域(日本、統一朝鮮、オーストラリア、シンガポール、フィリピン等)を中心に構成される『環太平洋同盟機構・PPAS』。
この他に、地球のロシア連邦をメインにインド亜大陸を含む強大な連邦『大ユーラシア連邦』を宗主国に仰ぐ『大ロシア騎士団帝国』、中国とその周辺国で構成されるアジアの巨龍『大漢連邦』を宗主国とし、南極冠上空にかけて勢力範囲を有する『大漢中共連合』などが存在して、覇を競い、常に集合離散を繰り広げているのが現状である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どこの軌道要塞かな? でかいな! あたしらの邦城『ディジョン・ド・マルス』は見えないか?」と、アメリアが液晶画面に映し出された、円筒形の茶筒の外周に岩塊を牡蠣のようにまとった全景を見据えながらルナンに問うた。
「残念ながら、ここからの位置だとちょうど、自由フランス共和国の勢力宙域は本土の影になって見えないな」と、ルナン。
「じゃあ、スサノオ連合皇国か、大ロシア騎士団帝国領の軌道要塞ってことになる」とアメリアが推測する。
「今、表示が出る。大ロシア騎士団帝国、首府城『ピョートル大帝』だそうだ」
「ほーう、さすがに立派だね! あたしらの首府城『イル・ド・フランス』に匹敵する大きさだな」
「これがオレたちの終の棲家というわけさ。軌道要塞って名前だけは立派だけど、要は宇宙のバラック小屋。火星から追い出され、地球にも帰還を拒否された祖先が生み出した我らの小さく歪な世界」
ルナンは首をうな垂れた。そこへアメリアが背後から寄り添いルナンの肩をしっかと掴んで
「それでも、おら達にはここしかない! たとえ歪な世界だとしても足掻いて、突っ張って生きていくしかないんだ」と、励ますように揺すった。
「そうだよ、アメリア。我らは星の軛から放たれた真の宇宙の民。我らにあの碧き惑星はもう必要ないんだ」
ルナンはそのままアメリアの腕の中に寄りかかって
「アメリア……ありがとな」と、言えばスカーフェイスの姐御は拳骨を軽く友の頭にあてがい
「気にすんな! おめはおらの“ツレ”だでのぉー」と、言った。
「……ツレ?」
「ああ! 友人が十人いて、その中で親友が三人。そしてツレはたった一人だ。生き死にを共にしてもいい奴のことだ」と、ソバカス面の妹分に相好を崩したのだった。
気恥ずかしさを隠そうとしてか、アメリアは自分の手荷物を片付け、休憩室奥にあるベッド・ボックスルームに歩き始めた所でピタっと歩みを止め
「あのよぉ~ケイトってさぁ訛りキツくねぇ~?」と、振り返りざまに言えば
「あんたがそれ言うぅ~?」と、半笑いのルナンが返した。
アメリアはそのまま肩方の眉をくっと上げて
「何を言うかぁ~おらはベリーマッチなすたんだぁーどだっぺさぁ」と、あまりに堂々と言うのでルナンは“全て姐さんの言う通りです”と言わんばかりに何度も頭を垂れて見せた。
「全部消して来いよ! もう熟睡できる時間は四時間ねえぞ! 後、気密扉しっかり閉めて置けよ」とだけ言い残してアメリアは奥の暗がりに消えた。
一人残ったルナンは暫し一つ残ったLED灯の真下に立ち、自分の影を見つめ
「オレがあんたの“ツレ”に相応しい人間か、怪しいもんだぜ」と、呟くや両の拳を硬く握り、眉間と顔中に皺を寄せ固く瞼を閉じたままで
「オレは……オレはどうしようもない卑怯者なんだ!」喉の奥から振り絞るような声を発し、荒い息遣いで立ちすくんだのだった。
「止そう……。悔やんだ所で……」ルナンは声を震わせては何度か深呼吸してから少し潤んでしまった目尻を拭うと気密扉へと向かった。
だが、また発作のような怒りの衝動が彼女を突き動かした。原因は磨き上げられたステンレス製の扉。
そこに彼女の姿と顔が鏡の様に映っていたからだ。ルナンは唸り声を上げて映りこんだ顔の部位を拳で殴りつけた。
当然のことながら女性専用区画用の気密扉が艦内縦貫通路側に勢いよく開いた。その時だった。その通路を移動していた二人の男性クルーと出くわし目が合った。
クルーらは目玉を丸くさせてポカンとしていた。さもあろう、普段は物静かな区画で予告も無く扉が開き、風体の悪い女が仁王立ち、しかも拳から血を滴らせているのだから。
「ク、クレール中尉殿、大丈夫ですか⁈」と、一人から声を掛けられ、ようやくルナンは正気を取り戻して
「すまない! 問題無い」と答え、シャツの裾で手の血を拭い二人に引きつったような笑顔を向けたのだが。
ルナンは彼らの出で立ちに首を傾げた。二人は整備班でも甲板員でもなく、艦内規律違反と犯罪行為を取り締まる保安部員であったからだ。
揃いの黒一色のプロテクター付防護服姿で手押し台車に何やら箱型の備品を運んでいる最中のようだった。
「どうした? 君たち。あまり見ない顔だな。それに何で保安隊員が装備を運んでいる?」
ルナンの問いに二人ともバツが悪そうに眼を逸らしている。やがて二人の内の一人、年嵩で中年の隊員が申し訳なさそうに
「あ、あの中尉殿ぉその恰好、何とかなりませんか?」と、言った。それに合わせてもう一人のっぽで年若の方が下卑た笑い声を上げた。
どうやら二人はTシャツとボクサーショーツ姿を一向に気にしていないルナンとどう対処したものか困惑しているようすだった。普通なら可愛らしい悲鳴と共に奥へと引っ込みそうなものだが、彼女は平然と彼らの返答を待っている。
「えー、私ら今回の航宙に入る前に母港で臨時採用されまして、それで班長が艦内配置を早く覚えるようにって、こいつを船首区画のTT魚雷発射管室まで運ぶよう言い使った訳でして」こう答えたのは中年の方。
「それは?」ルナンは腕組みしたまま、台車に乗せられている長方形のカステラ大で二つ。それぞれが赤と黒で塗り分けられている備品を顎で指し示した。
「TT魚雷換装に使うコンベア用交換リキッドですが。何か?」
「君らで作業を? できるのか?」
「ハイ。前の職場でも似たような作業を。……中尉殿、あのぉ……?」と、目のやり場が無くてしきりに辺りに視線を泳がせる隊員二人。
「勤務中に失礼した。しっかり頼む」非番でTシャツ姿の中尉はこう言うと、二人を目的の区画へと送り出してから気密扉をロックした。
ここまで来るとルナンは普段の宇宙海軍中尉の顔に戻っていた。
「バカ野郎! 非番でも上官と判ったなら、敬礼ぐらいしろ」と、ルナンは吐き捨てたが、どこか釈然としなかった。
二人の保安部員の風体と雰囲気が気に入らない。とは言え、これ以上詮索しても仕方ない。
最後に液晶モニターの電源を落とそうと、リモコンを画面に向けたが……。
「うん?」彼女はそこでも異様な光景を捉えた。
モニター上では軌道要塞『ピョートル大帝』の堂々たる威容を映し出していたが、その映像が突如としてねじれ、虚無な宇宙空間にフィルターでも存在しているかの如く、全体像が平面となって斜めに傾いでいるように見えた。更に僅かながら雷光が閃いたようにも見えた。
「電波障害か? この近辺にマイン・ベルト帯の情報はなかったが」と、首を捻りながら画像を通常モードに戻すと異状はピタリと消え、先刻の火星全景に戻っている。
「まぁ、老朽艦だし、あちこちガタが来ているのだろうな」と、ルナンは結論付けるとモニター電源を切り、デカい尻を掻きながら言われた通り全ての電源を落して仮眠室へと向かった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回からはその後の展開となります。新任艦長代理を拝命したルナンには更なる難題が降りかかります。
で、今回のカラーイラストはこちら。
前々回の後書きに投稿した地球ー火星往還型宇宙船タイタンⅡの推進型になります。
この推進型と牽引型セットで火星移住者と建設用各種資材を満載したコンテナ群を輸送するのです。
船首と船尾形状が異なるだけで、ほぼ姉妹船になります。
前回でも説明しましたが、往路は国連航空宇宙軍所属。復路は本編に列挙される地球側五大連邦に帰属しての90日に及ぶ航宙に移行しますが、帰路の途中で行方不明になるタイタンⅡも存在しました。
公式記録ではエンジントラブルによる事故、スペースデブリとの不意な遭遇による損失とされていますが、どうやら帰還軌道上で怪しげな新兵器の実験あるいは列強宇宙軍同士の戦闘が行われたのではないかとの憶測も流れています。
牽引型、推進型両タイプとも機密保持の情報統制が厳しく詳しい諸元は明らかにされていない謎の多い宇宙船なのです。