その日、火星は二度死んだ
今回もルナンとアメリアの会話を盛り込みながら、物語の舞台となっている火星世界の悲劇的顛末のお話になります。
新たな惑星世界への人類進出を何が阻んだのかハッキリしてきます。SF的世界観をお楽しみいただけると幸いです。
「連中が行方不明になった当初はよぉ、管理局も真剣には捜索しなかったみてぇだね?」と、あまり歴史に興味がないアメリアがぼんやりルナンに聞きなおした。
「らしいね。それどころじゃなかったのが実状なのよ」
「ろくでもない理由じゃねぇの?」
「その頃から、入植村どうしでの土地の境界線争いが激化していた。管理局はその折衝でてんわわんや!」
「その黒幕はあれか?」
「ああ! 母なる地球に居座る宗主国のお偉方とスポンサー!」
アメリアとルナンは同時にため息を付き、仲良く天井を仰いだ。
「それで失踪から一年くらいするとな……」
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その一族が失踪後に残して行った入植施設には新たな移住者の一団が降り立ったが、ある時奇妙な報告が管理局によせられた。
巨大なドーム形状を持つ施設の外周、十数キロメートル四方の地上から何やら湯気のようなガス状の気体が上がっている箇所が点在していると言うのだ。
遅まきながら管理局はその入植者たち、言わば素人にその場を掘り起こすよう指示するのみであった。いやいやながら、砂礫ばかりがうず高く折り重なる現地へと移民者たちは六輪ランドローバーで乗り付けたのだ。
簡素な気密服を装備した調査団一行は問題の湯気の出ている箇所を掘り起こした。案の定そこには役人連中が睨んだ通り失踪した一族が埋めた遺体が発見された。
だが、それは一年以上経過しているにも拘わらず白骨化していなかった。そればかりか胴体、四肢にいたるまで風船のように膨れあがり、やはり湯気状のガスはそれに起因していたのだった。
恐る恐る触ってみると死後硬直は無く、仄かに温かい。フォボスからの指示で体温を計測する事になったのだが。
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「そこはほら、素人さんだろ。検温器の針をさ、パンパンになっている腹に直接刺しちまったんだな」深夜の怪談話をするみたいにルナンが声を潜める。
アメリアは紙コップを口にくわえたまま
「おい、悪い予感しかしねぇんだけんど」怖々呟いた途端、ルナンがそこで両手を勢いよく鳴らす。
ビクッとなったアメリアの口元からコーヒーがこぼれ落ちた。それをルナンはしてやったりとほくそ笑む。
「爆ぜたんだよ。そして黄色い胞子みたいな粉末をあたり一面に飛散させたんだ」と、言えば
「こぼれたっぺよぉ! ……気色悪いねやぁ」相棒の肩口を小突くアメリア。それでもルナンはにやにやしながら先を続けた。
「その上管理局は遺体その物の回収をも命じたんだ。そこからが悲劇の始まりさ」
「まさか防菌処理はしたんだよな?」
「もちろん。気密服の頭から足先まで高圧洗浄機で。ランドローバーも例外じゃなかったんだが。車体に残っていたらしいんだよ。その原始組成体が」
「なんてこった!」
「こんな時にうってつけの言葉がある。『誠に遺憾ながら全て想定外でした!』だよ」
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最初の感染者は車両整備の男性だった。彼の症状はインフルエンザに酷似していたが、やがて絶えず吐血を繰り返し発熱から四日後に亡くなった。現地の医療関係者が訝ったのが心肺停止六時間経過後も体温は二二度から二四度あたりを維持していた事と死後硬直が見られない点であった。
『火星移民管理局』は回収した遺体と今回の被害者との因果関係を調査するために、専門家を派遣するまで現状を維持せよとの指令を下した。現地スタッフがすぐさま二つの遺体の焼却処分を懇願したにもかかわらず。
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「お役所仕事ぉー! 対応が遅いんだよ。そうこうする内にまた“パンッ”が起きたんだべさぁ?」ここまでルナンが語った内容に憤慨したアメリアは紙コップを咥えたまま、相棒の肩を両手でつかんで振り回した。
「こ、今度は入植施設内部で最初の感染者の遺体が爆ぜちまって。空気感染からみるみる施設内に感染していった」
「判りそうなもんだっぺよぉ! それだけじゃなかったよなぁ?」
「ああ、実は管理局は他の入植村にも似たような遺体回収を命じていたらしくぅ……同時多発的に感染がぁ。く、首絞めないでぇ!」
「何か腹立つぅ! そもそも何でこんなウイルスが発生したんだよ? 移住が開始される前に国連調査団は火星の原生細菌から微生物まで調べ上げた上、人間に有害な物にはちゃんと予防接種してから地表に降ろしたんじゃねえの?」
「確たる原因は未だに不明なんだよ。このウイルスが厄介なのはぁ……や、やめてぇー」
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有史以来いつの時代でも人類生存の脅威となってきたウイルス。
その新たな旗手で最恐の“火星の処刑人”が発生した経緯は謎のままであるが、太陽系内に第四惑星として火星が定着して以来四〇数億年。
これまでに自然発生していた細菌、ウイルスの類は地球とは全く違う変遷の著しく乏しい状態のまま悠久の時を過ごして来た。
その状況に劇的な変化、進化のパンデミックを引き起こさせたのが地球からの来訪者の存在であり、焼却されなかった遺体に含まれる細菌、細胞の存在は、それらにすれば新たな進化と種の保存への有効な可能性となったのではないかという説がある。
もともと人体が内包していた地球産の様々なウイルスが火星のそれを取り込んだのか、またその逆かは定かではない。
が、この新参者は人体を苗床として活用する機能を生み出し、その結果が死後硬直と腐敗白骨化を無視して内部を膨張させる現象となった。
後は限界までコピーを増産させたら外の世界へ飛び出る。そして新たな苗床を獲得するために人体に取り付くのであった。
この新型ウイルスには対処攻略するのに最も厄介な点があった。それは後に『固有変性遺伝型』と名付けられた特性による。
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「何だぁ? その変性なんちゃらってのは」と、アメリアはルナンに喧嘩を売るみたいに詰め寄る。
こうなるともうルナンは申し訳なそうにぼそぼそと続けるしかなく。
「人間の体内に進入したウイルスはその遺伝子に潜り込んで内部構成ゲノムを改編してしまうんだ。そしてその個人にとって最も致死率の高い疾患を発生させるんだ。ある人は悪性インフルエンザの症例。他の患者はエボラ出血熱、ペスト、コレラの症例もあったんだぜ」
「おおっやだぁ!」
「何せ患者が生きている内は原因がウイルスなのか、別の所以であるか判別できないんだから。それを特定する過程でバタバタ亡くなっていく」
「死後にウイルスの所為だと判っても後の祭り。感染は広がったってか? たまんねぇなぁ」
「最終的に累計二五万人にまで増えていた入植者の七割近くが感染。未感染者の集団は慌てて軌道上のフォボス、ダイモス両衛星の基地へと退避せざるを得なかった」
「それじゃぁ終わらなかったよな? おらはその事後処理の方がよっぽど惨いと思うがね」
ルナンは肯く代わりに、目を伏せてこう呟いたのだった。
「熱核爆弾を使った。病に苦しんでいる同胞を入植施設ごと焼き払ったんだ。管理局と火星開発公社はオレ達の祖先を見限った。残された人命の尊重と新たな世界の存続を名目に核を使用してしまった」
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未曽有の危機に苛まれ、事態の収拾に苦慮した移民管理局は地球の火星開発公社に在籍していた組織に屯するアブラムシみたいなお抱えオブザーバー連中が提唱した『強烈な放射線がウイルス根絶に効果的である』と言う、場当たり的で科学的根拠の乏しい意見を採用。
無慈悲な決断を下したのが西暦二〇八四年の春の事。
当時、地球から派遣されていた移民輸送コンテナ搬送用大型宇宙船タイタンⅡらはその要請を受け、地球の列強諸国から極秘裏に火星へ運び込んでいた一発の威力が広島型原爆の数千倍という最終兵器メガ水爆を軌道上から投下したのだった。
助かる見込みも希望も無く、死体の処置もままならない殖民施設もろとも焼き尽くした。
火星の赤道付近を中心にいたる所で閃光が生まれ、巨大な火柱と不気味なキノコ雲が立ち昇っていった。その後には黒い斑点が火星上に幾つも刻まれたと言う。
ウィルス感染を免れ、フォボスに避退した移住者らはその光景に驚愕し、ある者はその場で泣き伏し、膝から崩れ落ちた。そして多くの人々が火星本土に残らざるを得なかった憐れな同胞へいつまでも祈りを捧げたのだった。
核攻撃を行った地球ー火星往還用タイタンⅡ数隻は任務を終えると何ごとも無かったかの様に地球への帰還軌道へと移っていった。お悔み一つ残さずに。
その日、火星世界は二度死んだ。一度はウイルスで。二度目は水爆の業火で。
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「結果、我らの先祖は火星からの撤退を余儀なくされた。でも、処刑人は生き残っている。あたしらの言う『本土病』って訳か」
「効果的なワクチンは未だに開発されていないのが実状さ」
「話は変わるけんど、お前の双子の妹さんは『本土病』で亡くなったんだよなあ?」
「ウン? あ、あぁそうだよ……」
「おめみたいなのが二人とは、お母さまは大変だったっぺよ?」
「オレら姉妹は二卵性でさ。妹とオレは似ても似つかなかった。性格もオレよりずっとおしとやかで家庭的だった……」
「おめはよく感染しなかったなぁ」
「そ、そこは……いろいろと……」
ルナンは目を泳がせ、何やら言いよどんでから
「まるで、SFの古典『宇宙戦争』の逆バージョンじゃないか。侵略者の地球人、ウイルスの猛威で遂には火星を追い出されてしまった」と、慌てて話題を変えた。
二人はここで互いに顔を見合わせ、また眉間に皺をよせた。
「なぁルナン。前から不思議に思ってたんだけんどな、なんでぇこんな悲惨な状態なのに、ご先祖は地球に帰らなかったのかねぇ?」アメリアは抱いて当然至極の質問を浴びせてきた。
これで『百家の災厄』事件の顛末が語られました。
次回はいよいよその後、人類が軌道要塞を築き如何にこの難局を乗り切ったかが語られます。
もう少しお付き合いをお願いいたします。