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もののふの星 リブート  作者: 梶一誠
35/37

そして帰還へ

 マークスの機能が安定したのを見届けたルナンとケイトが発令所に戻ると、未だグライア装備のアメリア・スナールが中央モニター前で直立不動の姿勢を取り、その画像に映りこんでいる人物と応対している所に出くわした。


「艦長が戻りましたので代わります。少佐殿」きれいな回れ右の後、アメリアは二人の方に歩み寄り

「お前さんの読み通りお迎えが来たぜ。……にしてもタイミングが良すぎないか?」ルナンの耳元で声を拾われないように囁きこう続けた。


「中央軍管区からの分遣艦隊だ。堂々たる布陣でお出ましだ。ネルヴァールの奴が率いている」と、アメリアは思い切り顔をしかめた。

「あの点取り虫のルネか…」小声で悪態をついてからルナンはモニター前に滑り込み

「少佐殿お久しぶりであります。艦長代理を務めておりますルナン・クレール中尉であります」と、敬礼を送った。


「少し太ったか? 相変わらず不調法だな貴官は」モニター越しに相対する細身で肌の白いキツネ目、きっちり左官用制服を着こなしている青年将校が感情を出さない抑揚の無いトーンで言い放った。

 その姿は士官候補生公募の写真モデルのようだった。


 ルナンはぐっと口を真一文字にして、無表情を装おうと努めた。


「誰ですか?」モニターから死角になっている場所でケイトがアメリアに尋ねた。

「ルネ・ネルヴァール少佐。あたしらと同期で、出世欲の塊だ。上司の機嫌取りと昇級テストの点数稼ぎはピカイチ。現場で汗をかくのは低能のすることだと言って(はばか)らないクソ野郎さ」と、アメリアはあからさまに嫌悪の表情を浮かべながら答えた。


 発令所の面々が遠巻きにする中、ルナンとルネの対話は続いていた。


「さて……貴官にはご苦労とは言っておこうか。『ダ・カール』と『モンテヴィエ』は残念であった。二隻でざっと四八〇億ジルの損失だが、『ベーオウルフ』だったか? あれを拿捕(だほ)できれば損失に見合う成果となり得るだろう。まぁ後は任せてもらおう」


 ネルヴァールは(あご)の尖った陰湿な顔立ちに吊り上がった三白眼をルナンに向け、冷血漢らしい鉄面皮(てつめんぴ)をひくりともさせない。

「こちらは『ベーオウルフ』を追う。貴官が尻尾を巻いてきた相手に我々が意趣返しをしてやろうと言うのだ。感謝して欲しいものだ」

「面目次第もありません。少佐殿」

「ふん! ……それと貴官は気密情報を部下に開示したらしいではないか。軍務省査察部に連絡が入っている頃だ。出頭要請があるだろう。……この件に関して言いたいことはあるか?」


 この上官の質問に対してルナンは

「二五四……」とある数字を口にして、ネルヴァールの性根の悪そうなキツネ目を睨み返した。


 自分の意に介さない返答を聞いた少佐は無言のままで微かに首を傾げるのみ。そんな上官にルナンは


「二五四名であります。少佐殿! 当『ルカン』前艦長アレクセイ・ムーア少佐、坂崎智也一等兵曹、副長ジョゼフ・アレン大尉、他一四名。『ダ・カール』艦長シュライデン大尉を初め乗員一一二名。『モンテヴィエ』艦長クライスト・シェーファー少佐以下一二五名の英霊に対して感謝も哀悼の意も表さないのですか? 我が海軍はぁ!」と、(せき)を切ったようにネルヴァール少佐に食って掛かってしまったのだった。


「貴官は何を言ったのか分かっているのか? 当然だ。感謝も哀悼も無い! 軍務に就き任官の際に国家に忠誠を誓うと宣誓したのだからな。それが軍制である。死にたくなくば上を目指すことだな! うん……何だ? 貴様らは」


 急にネルヴァールの表情が怯えた用に(ゆが)んで唇をきつく結んでいる。ルナンが気配を感じて視線を巡らせれば…。


 直立不動のままモニターを見つめるアメリア・スナール准尉、ケイト・シャンブラー、安井機関長、ロイド、ジョンスンら発令所に居合わすクルー全員が彼女の周りと自分の持ち場から立ち上がり、モニターに映る人物に無言の抗議を浴びせていた。


 中央でエリートコースをひたすら目指す、この冷徹な軍令至上主義者もこれには辟易(へきえき)したらしく、面倒くさそうに眉間に皺を寄せつつ


「『ルカン』は以下の座標へ変針せよ! 補給及び、応急修理の要を認む。特務工作艦『マルヌ』を呼び寄せておいた。そこへ向かえ。以上だ!」と、ぞんざいに言うのみであった。

「ご配慮に感謝いたします」敬礼するルナンが言い終わらぬうちに通信は一方的に断ち切られた。


 画面が瞬時に切り替わり、たった今までネルヴァール少佐の陰険な顔を映し出していたそこには、『ルカン』とは真逆の方向に進路を取る勇壮な艦艇群を映し出していた。


 アルジェリー級高機動巡洋艦二隻、トロンプ級軽巡洋艦二隻、C級フリゲート艦三隻、合計七隻の分遣艦隊。急遽(きゅうきょ)編制されたとする割には、堂々たる陣容であった。

 そのネルヴァール少佐率いる艦隊は、自分たちに二次加速のオレンジ色の噴射炎を見せつつ遠ざかっていく。


 ルナンはそれを黙って見つめながらも、拳を強く握り、唇をかみ締めて天井を仰ぐとそのまましばらく動こうとはしなかった。


 アメリアが背後から近づきそっと両手を彼女の肩に添えてから耳元で

「ルナン、少し休め……なぁ」と言った。ルナンもその好意を受け微かに肯いてから

「通達する。通常シフトへ移行せよ。手の空いた者から暫時休憩に入れ」と、艦長としての指示を告げた。


「よし! 後の事は先任のおらに任せてくれなぁ。ケイトも一緒さ休むと良かんべ」と、アメリアは二人の背を押しながら、女子専用休憩室への移動を促した。


◇                ◇                ◇


 二人が“スルタンのハーレム”に入るとすぐ、ルナンは軍服の上衣を丸型ソファの背もたれに放り投げ体を横たえた。その隣にケイトが腰かけるとルナンは身体をイモムシのようにずり動かして頭をケイトの(もも)の上に乗せた。


 女同士の膝枕に困惑するケイトに、ルナンが口を噤んだまま指でもっと顔を寄せろと招く。これを察した彼女は


「ないよぉ! あんたにまでキスしてやらんでね」にこやかに言えば、ルナンは真剣な眼差しで彼女を見上げつつ


「済まない。今からは標準語を使ってくれ。……ケイト・シャンブラー、君はこの襲撃を事前に知っていたな?」と、切り出した。


 ケイトは驚く風でも無く、逆に膝上のソバカス女に微笑むや

「どこで気付いたの? 先ずはそれからよ」と、顔をルナンに近づけ頬に手を添えながら囁いた。

「それでいい。管制AIの映像に残されるのは避けたいからな」未だに鷹の様な目を向けながらルナンは続けた。


「君がステルスシールドのカラクリを皆に説明した時だよ。オレが初見した時、あれは完全な論文だった。あそこから見事な対抗策をひねり出すのは容易な事じゃない。事前に情報を得て自分なりにシールドの概要を把握しておかなければ無理だとオレは踏んだ……そうだな?」


 ケイトは視線をルナンから逸らし、天井部を仰ぐと一つ嘆息をついてからこう言った。

「そうよ。この計画を私に漏らしたのはあるスポンサーだった。でもバックがいたのよ。私と直接面会した人物は情報部のエージェントよ」


「それで?」

「私がこの実験航海を申請したのは半年も前。それがやっと認可されたと思ったら、ある条件が付帯されていたのよ。……ルナン、ブライトマン機関って知ってる?」


 ルナンは(かぶり)を振った。


「アトランティア連邦の秘密機関。元大統領アーサー・ケイリーの懐刀(ふところがたな)エドガー・ブライトマンなる人物が仕切っている。その機関は今回のステルスシールド以外にも、私とは別のドローン制御システムを構築しようとしているの。D・Cシステム……知らないわよね?」


「君が以前に話してくれた事以外は初耳だな……」


「ドローン・コンダクトという意味よ。人間の脳幹に特殊機器を埋め込みAIとダイレクトに交信、一気に二〇~三〇機に及ぶ攻撃型ドローンを制御するシステム。私はこれも探れと……。いいえ。実験航宙とは名ばかり。全てはシステムを運用している施術者(コンダクター)の能力を測るために脳波パターンを検出するためのお膳立てに過ぎなかった」


「君は……それを知っていて『ルカン』に乗り込んだ。何食わぬ顔で」


「やるしかなかったわ! 叔母から引き継いだ研究室には、あの三人の様な宇宙で活動できるボディを待っている兄弟たちがいる。あん子らのためならば、叔母様の意思を継ぐためなら何でも!」


「ムーア艦長には?」


「出港前ミーティングの時に彼にだけ何らかの妨害の可能性を伝えたけど。まともには取り合ってもらえなかったのよ」

「そのエージェントからは何と言われてきたんだ?」


「彼の話では、ステルスシールドに潜んだまま艦艇はこちらの動きを監視するだけに留まるだろうと。私たちもその動きを記録に残せば良いとだけ告げられたわ」

「……だが、違った」

「ここまで徹底した攻撃になるなんて思いもしなかったわ……艦長までお亡くなりになるなんて。恐ろしかった。他の船が沈められた時は」


 ケイトは目を伏せ、ルナンに覆い被さるようにしてこうも言った。


「告発されても仕方ない。私がもっと早くあなたに計画の存在を知らせていれば良かったのよ……でも」ケイトの目から大粒の涙が溢れた。

「君にもオレと同じ秘匿義務を課せられたんだね。他に何か言われたのか?」


「アミアン工科大学附属病院に軍警が乗り込んで、マリア叔母様の身柄を拘束するって脅されたのよ。今の叔母様にそれは過酷すぎる。身体がもたないのよ」ルナンは黙したまま涙で自分の顔が濡れるに任せた。


「だが、君はオレ達のために戦ってみせたな。……あれも当初から目論んでいたのか?」これにケイトは大きく首を振って

「一か八かだった。マークス達なら勝てるかもしれないと。彼らは期待に応えてくれた……文明を担う者として。私たちの同胞としてね」ケイトは鼻をすすり上げ、目一杯に笑顔を作ると


「ありがとうございます。ルナン・クレールさん……あの子たちを信じてくれて。これだけは本当に嬉しかったわ」と、両手で顔を覆った。

「そうか。でも、オレの見立ては少し違う」

 暫しルナンはそのままケイトを見上げていたが、ゆっくりと体を起こし彼女の隣に座り直した。


「君は新兵器実験の名目で、この周到な襲撃計画を知りながら艦隊を派遣した我が軍保守派の策謀に乗せられたんだ。その意味では艦隊も君も同じ被害者と言える」と、彼女は身体を(こご)めるケイトの肩を力強く握り


「まだ戦うのか? そのブライトマン機関と保守派相手に。君は言わば……奴らの生贄(いけにえ)にされたに等しい」と、言った。


 これにケイトは憤然と面を上げ

「戦うわよ。一人でもね! D・Cシステムはね私が目指す“文明を担う者”とは対極となる思想よ。芽生え始めたAIの個性と想像力を奪い奴隷として使役するだけ。私がこれからどうなろうとこの事だけは覚えておいて!」こう言うなり思いの丈をソバカス女に叩き付けるように告げたのだった。


「一度生まれた文明の(ともしび)を人間の身勝手で奪う事なんて許されない。そんな権利は誰一人として持っていないのよ! 絶対に」


「新たに生まれた文明の担い手たちの安住の地が欲しいのか?」ルナンもまた叫ぶように彼女に問えば、ケイトは微かに頷いた。


「バッカ野郎! 一人で戦うなんて言うな。オレを巻き込めよ!」と、ルナンはソファの上で胡坐(あぐら)をかき、大きく胸をそらせて


「ケイト・シャンブラー、オレと共に往こう! いつの日か君らが安住できる軌道要塞の一つくらいオレがくれてやる」と、大声を上げた。ケイトは半身を()らせ怯えたように

「ど、どうするつもりなのよ……」こうおずおず尋ねると、


「天下獲ったるぅ‼」またルナンはその区画が揺れんばかりの大音声を上げた。


 ケイトは目の前の小柄な女性から飛び出たあまりに豪胆な物言いに、ポカンと呆けてしまった。そして次に腹を抱えて笑い出した。

「何を言い出すかと思えば……どうかしているわよ。ルナン、あなたには何も無いじゃない。一介の中尉さんでしかないのに」


「おおっそうとも。オレのポケットは空っぽさ。だから何でも入る! ほぼ天涯孤独と言ってもいい。だからいくらでもやれる! 女の身だから何もできないかね? やってみなきゃ判んねぇだろうがぁ!」


 ルナンはその女性の割には大きく節くれだった手で拳を作るとケイトの眼前に差し出し

「この手を取れ! ケイト。これからは同志であり友だ。オレがいくらでもサポートする。物資でも資金面でもな」と、言い不敵な笑みを彼女に向けたのだった。


 その手をじっと見つめるケイト。すると彼女の頭を越えて手が伸び、その拳をぐっとつかんだ人物がこう言ったのだった。

「その話、おらは乗ったぞぉ!」声の主はアメリアだった。


「おらは決めたでぇ! コイツが(おもむ)く先々ではこのアメリアが先陣(うけたまわ)ろう」ケイトの頭上からアメリアがニヤリと笑い

「やる奴は今からでも動く。やらん奴は条件が整っていたってやはり動かん。そんな物だぜ。ケイト」と、彼女にウィンクした。


「アメリア、お前聞いていたな? それと今、指揮は誰が?」

「安井のオッサンが替わってくれたよ。自動航法だから問題無いってさ」


 そこへ休憩室のスピーカーから発令所に詰めている安井技術大尉の報告が流れてきた。

「発令所よりクレール艦長へ。目標の特務工作艦『マルヌ』が視認できますよ。ご覧になりますか?」

「ああ、頼むよ。機関長、いろいろありがとう」ルナンは彼にこれまでのお礼を述べた。

「どういたしまして。三人はゆっくりしていてくれ」


 通話が切れた時だった。


「よかぁ! あても決めた。どうせ組むのなら、あの子たちを信じてくれる人と進みたいもの」ケイトは二人の拳を両手でしっかりつかんだのだった。


「ヨシッ! これで決まりだ」三人はしっかり握られた互いの拳を見つめ、そして狭い区画の中で微笑みを交わし合ったのだった。 


「で、ケイト。先ず何が欲しいね?」三人が手を解くとすぐにルナンがケイトの顔を下からイタズラ小僧みたいに覗き込んだ。


「何よ、大きくでたわね。……そうねぇ。先ず船が欲しいわ。いつでも宇宙に出られるあの子たちの移動基地が」これを聞いたアメリアが


「あれぐらいのかい?」と、モニターを指さした。


 休憩室の大型液晶モニターには漆黒の虚空に浮かぶ艦艇と言うよりは移動ドック、宇宙ステーションと呼称した方が妥当な特務工作艦『マルヌ』が映し出されていた。


「懐かしいなぁ…『マルヌ』か。あそこの艦長はまだダラディエ大尉かな? いや、何年も前だから…もう偉くなって他の艦の指揮官かな?」とルナンは感慨深気に映像を眺めた。


「変わっていないわ。……あの時から」ケイトは少し沈んだ表情を浮かべた。


「叔母様の言葉を思いだすわ。AIにイマジネーションを与えても、それを人間側が許容できるかどうかが本当の問題だって」


「同感だね。君を亡き者にしようとした保守派がいい例だ。人間は常に新たな存在を脅威と捉えてしまう」こうルナンが答えると、いつの間にか二人の間、ソファの背もたれに頭を乗せているアメリアから


「でも、おらたちはケイトさ味方につけて危機を乗り切ってみせたべな。意外と行けるんじゃね?」と答えた。


 二人はアメリアに体を向ける。


「そうだな。人間には多様性がある。それを信じたいね。いつの時代だって人間は過酷な問題をそれで乗り越えて来たんだから。……そう思わないか? ケイト」


「今はそう思える。多様性を生み出す素も想像力の為せる業なんだわ。それに多様性を認めない社会、文明は(もろ)いわ」続けてケイトは二人にこうも告げた。


「この先、あの子たちの機能も個性も格段に上がってくるでしょう。近い将来彼らは互いに愛し合い自分たちの子孫を欲するようになるかも知れない。その時が人間と新たな文明の大きな転換点になるのは判っている。私はその時、二つの文明が何を選択するのかが、正直怖いの……」ここで一息つくケイトは思いつめたように語った。


「わ、私は常に不安だった。研究に没頭するあまりに『フランケンシュタインの怪物』を生み出してしまったんじゃないかって」

「ケイト、それは……」

 真剣な物言いと怯えたような眼差しに捉えられたルナンが何か言おうとした時


「ケイトォ。なに、おめはあれがぁ? あいつらをオスとメスさ分げでぇ将来は卵さ産ませる気なんけ? いやまんずそれはぁ気味悪かんべさのぉ」と、アメリアが眉間に皺を寄せつつ二人の肩の間で頭を振ったのだった。


 アメリアからの珍妙な反応に二人は口をあんぐりとさせたが、ルナンが苦笑する傍らでケイトは部屋がひっくり返らんばかりの大声で笑い始めた。そして涙を拭いながらルナンとアメリアの首っ玉に抱き着いた。


「最高だわ! あなたたちは。最初航宙に臨んだ時は不安だらけだったけど。来て良かった! だってこんな素敵な友人が二人もできたんだもの」

 両脇に二人を抱え込んだケイトはスカーフェイスとソバカス面にキッスを送った。二人もまんざらでも無さげにしていると、ケイトはモニターに向き直ってから


「今、思えば叔母様は焦っていたのかも。その頃、叔母様は共同研究者と(たもと)を分かった。そしてあの人はブライトマン機関へと移ったらしいの」と、言った。


「……それであのアイザックに無理な移植改造を。あの時は大騒ぎだったっけ」


「えっ! あなたが……どうして? ち、ちょい待ちんしゃい」と、ケイトはルナンの両手を掴んで、先刻のエレベーター内の時のように自分の頬に当てがった。

 そのまま少しの間目を閉じていたケイトであったがやおら目を大きく見開き

「あたはぁハンス君なぁ?」と、言った。

「ハ、ハンスゥ~。え~っとそれはマルヌ時代のオレの綽名(あだな)だねぇ」

「あ、綽名じゃっどぉ~。それっていつ頃じゃ?」とケイトが疑わし気にルナンを正面にして向き直る。 


「ええっと…確か一六歳の頃だから八年前かなぁ……。オレの事忘れた? あのアイザックから助けてあげたじゃないか……あれぇ?」ルナンはさも当然であるかのようにケイトに笑いかけたのだが。


 ケイトは口をパクパク。だが目線だけはねちっこくルナンを凝視しながらソファで正座になって

「……おはんはおなごやろ? そいにルナンって名前はあん時、聞いたことなかもん! じゃっどん、こん手ん感触はあん時ん彼じゃ!」ケイトはお国言葉と凄まじい形相でルナンににじり寄っていく。


 ルナンは剣呑(けんのん)な面持ちで睨みつけてくる彼女に気圧され、自分もソファに正座してからあたふたし始めた。


「あ、あの時分、オレ、いや私の本名はハンナ・ブッセルでして、故あって今はルナン・クレールって名乗っているんですがぁ……」

 ケイトは更ににじり寄ってくる。これにルナンはほぼ涙声になって彼女の誤解を解かんとするが。


「その頃は、みんなが『お前はハンナって柄じゃねえ! 男だぁハンスだ。ハンスでいい』って勝手に男名前が一人歩きしていたのよね。実際に『マルヌ』の乗組員では本当にオレの事を男子って思っていた奴もいたんだよぉ……?ケ、ケイトォー!」


 全身から溢れ出す怒りのオーラを漂わせたケイトはいきなりルナンにつかみかかってきた。

「あんたぁ! ふっざけんなぁー。こんばちあたり。返しやんせ! わたしん清らかな初恋ん思い出ば返せぇ!」褐色のインド系メガネ娘はルナンの胸倉を引っつかんで前後にぐらんぐらんとフルパワーで揺すった。


「いやっそげん言われても困りますぅ。お、おいは悪気なかとですばぁぃー。止めてくさぁぁい」ルナンも変なお国言葉で返しながらも抵抗できないままであった。


 アメリアは目玉だけを、ルナンとケイト、ケイトとルナンてな具合に交互に向けていたのだが、(いささ)か面倒になったのか

「あっ! じゃあおら、シャワー浴びてくるわ。おっつー!」そそくさと、その場を辞去した。だが、どこか嬉しそうにこう付け加えながら。

「ああ……アホくせぇ。でも賑やかになりそうだなやぁ」


 ケイト・シャンブラーは更に渾身の力を込めて

「あ、あんたがあたしのハンス様だったなんてぇー。どうしてくれようかぁ!いっその事あんたなんか男に生まれてくれば良かったんだぁー」と一層力を込めてルナンの体を揺すり続けた。


 されるがままのルナンはそれでも豪放磊落(ごうほうらいらく)に大笑いしつつこう言ったのだった。


「いやぁ何故か、皆さんそうおっしゃいますのよねぇ」


次回最終回。

「エピローグ 明日のむこうへ」よろしくお願いいたします

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