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もののふの星 リブート  作者: 梶一誠
22/37

ハンナとアンナそして裏切りの父

今回は全編、ルナンの過去の回想シーンとなります。

海賊団の襲撃に会ったブッセル姉妹の運命や如何に?彼女の心の澱となった忌まわしい過去とは?

 ドローンは(しば)し中空に留まり、砲塔を回転させて新たな獲物を物色していたが間もなく高度を上げ、何処(いずこ)からか飛来した同機種と合流、三機編隊で飛び去った。


 この種のドローンは二一世紀初頭に登場した当初より大型化し、単機での航続距離も格段に伸びて、基本的に司令区画からの遠隔操作タイプである。

 搭載火器も機銃や小型ミサイルを搭載し、軌道要塞内部に広がる狭小(きょうしょう)な空域を遊弋(ゆうよく)して偵察、また地上制圧の支援攻撃可能な現有兵器としての進化を遂げていた。


 ハンナが戦慄(わなな)く足取りで外へ出ようとした時。

「おい!」いきなりの声と同時に肘をつかまれ、反射的に身を縮み込ませた。

 恐る恐る声の方を見れば、そこには班長の馴染(なじ)みの老け顔があった。

「もぉ班長。びっくりさせないでぇ!」

 少し安堵するハンナを、浅黒い顔の班長は彼女の肘をつかんだまま元いたテーブルまで戻り

「全部付けるんだ。急げよ」と、言うや彼はぶ厚い溶接用頭巾を手渡した。


 いつもにこやかな班長とはうって変わった真剣な表情に、ハンナは言われるまま手渡された頭巾をすっぽり被り、ゴーグル、マスクの順に装着するも指が震えてままならない。

 見かねた班長がヘルメットを被せていつもよりきつめに顎紐(あごひも)を絞めてくれた。


 彼はゴツい手袋を付けたハンナの手を引き、食堂の大扉から出る際に一度ぐるりと天空を仰ぎ見てから

「目を伏せていろ。子供にはキツイからな」と、やけに抑えた声のまま彼女を先導していく。


 ハンナは言われるままにするが、そこかしこに先刻の食堂前と似たような光景が飛び込んでくる。真っ赤な水溜りに突っ伏したままの遺体の数々。その多くが警備員であることにも気付いた。


 軍管轄化にあるこの施設には予備役でシニア世代の元兵員が配属されてはいたが、今しがた飛来したドローンは彼らを真っ先に狙ったらしい。銃を抜いて応戦した様子も見られなかった。

「ねぇ班長?」ハンナが声を掛けると

「黙ってろ。ドローンの音声認識センサーに拾われたら終わりだぞ!」と、班長がピシャリ。

 思わぬ厳しい声にハンナは肯くばかり。彼は

「いいか、これから起こる事にはな、まず自分の身を第一に考えろ。耐えるんだ。いいな?」と、言ってから何回も首を左右にさせてこう呟いた。

「ブッセル、君にしてやれるのはこれくらいだ……済まん」


 やがて二人はいくつもの通路をぬけ、見通しの効く広い場所に着いた。


 大型トレーラーが出入りできるこの開けた場所は、晴天の朝なら全員でラジオ体操したり、昼休みは工員がキャッチボールなどに興じている。

 それ以外の時間帯では製品出荷用トラックの待機場になっている所だ。


 そこには同僚である男性工員が十数人立ち尽くしていた。皆、不安気に辺りを伺っては、互いに小声で銘々(めいめい)が知りえた情報をやり取りしている様子。

 ハンナが恐る恐る顔を上げればその集団から離れた位置に、自動小銃を携行する人物が散見された。どうやら皆は脅されて集合させられているようだった。


 班長は同僚たちの近くでハンナを手離すと、皆が申し合わせたように彼女の手を引き、リレーのバトンを手渡す要領で集団の中央にいざなった。そして、体の大きい連中が彼女を壁の如くに取り囲んだ。


「何? どうしたの、何が起きているの? 誰か教えてよ」ハンナはやっとここで声を上げることができた。

「アトランティア連邦の強襲上陸部隊が宇宙港の守備隊を襲って一気に攻め込んできたんだ」

 ハンナに背を向けたままの一人が事情を説明してくれた。その人物は更に

「こいつらは正規軍じゃない。装備は同じだが中身は海賊だ! 罰当たり共が徒党を組んで、アトランティア政府お墨付きの私掠船(しりゃくせん)免状(めんじょう)を持って略奪遠征に出向いてきやがった」と忌々(いまいま)しげに呟いた。


「駐留艦隊はなにやってたんだよ!」と、他の工員が声を上げれば

一昨日(おととい)から軍事演習のために『スゴン・セダン』まで出張ってるだろうが」と、誰かが声をひそめる。

「でも、おかしいぜ! 手際が良すぎる。さっきのドローンは警備兵の詰め所を真っ先に襲ったし、奴らは何が何処に保管されているかもう知っているみたいだ……」

「裏切り者が情報売りやがったに違いない!」と、また誰かの囁きを彼女は耳にした。


 ハンナは目を伏せながらも(かくま)ってくれている同僚が作る壁の合い間から周囲を観察してみた。自分達と同じ境遇の集団が点在していてそのグループに対してニ、三人の銃を構えた兵隊が配置されているのが判った。


 なるほど、襲撃してきた(やから)の装備は陸軍用野戦服と呼ばれる規格に沿った物であるようだが、それを着込んでいる面々にいたっては様々。

 肩までだらしなく髪を伸ばしてガムをかむ者。ある者はイヤホン付き携帯ミュージックに合わせてご機嫌にリズムを取っている。またある者はむき出しの肩から手首までびっしりとタトゥーが。


 そんなならず者然とした連中は勝ち誇り、悠然と黒光りするマシンガンを(たずさ)えて捕虜になってしまった従業員たちを威圧していた。

「ブッセル、大人しくしてろ。そうすりゃ男に見えるからな」班長が海賊連中に気を配りながら指示した途端に、周囲の男たちがより一層に人の壁を堅固にしてそそり立つ。


 ハンナもその場にしゃがみ込んで膝を抱えていると、ふと妹アンナ、日夜ミシンで分厚い生地を扱い兵隊や士官の制服を作っている手先の器用な妹の事が気にかかり

「妹が、アンナが縫製部(ほうせいぶ)にいるんだ。向こうは大丈夫なの? うまく逃げられたのかなぁ?」と、同僚らに尋ねてみたが、誰も何もいわない。

 ハンナは妹の安否を気に掛けながらも、海賊共の略奪行為に目を見張った。


 奴らは自分たちが拘束されている場所から、ざっと五〇〇メートル先の出入り口となる大手門まで、びっしり兵員輸送用の軍用トラック、荷台が空のトレーラーの類を十数台を引き連れていた。


 銃を向けられた従業員らがフォークリフトを運転してトラックの荷台に次々と加工前の原材料を積み込んでいる。

 規格製品には目もくれず、転売すればキロ当たりで値の張る材料が略奪の本命らしかった。重量で何tクラスの鉄、アルミ製の各サイズの板材。ドラム缶容器に詰められている自動ロボット向け溶接ワイヤー等、高価な資材が次々と満載されていく。


 そんな折、別の集団で騒ぎが起こった。血気にはやった若手の従業員数名が賊共に歯向かったのだ。だが、警告なしの断続的な発砲音が鳴り響くと、一斉に倒れ伏した。思わず彼女は目の前にある同僚の脚にしがみつき、震えあがるしか術がなかった。


 こうした”略奪遠征”とよばれる暴挙は、惑星移住者の末裔(まつえい)たちが暮らすこの火星世界では年に数回起きていた。


 この遠因となる列強間の軋轢(あつれき)は前述の『リューリック事件』によって地球側宗主国の(くびき)から解き放たれた時から顕著な現象として蔓延(はびこ)りはじめていた。

 とは言え、全ての外交的ひいては軍事力を誇示する事案全てに正規軍を(あて)がう余力などいずれの連邦国家にあろうはずもない。


 こうした些末(さまつ)な示威行動に関し各政府首脳陣は、複数の領域に根城を持つ精強な海賊集団を取り込み”私掠船免状”なるお墨付きを与え、通商破壊戦、警戒の手薄な軌道要塞への上陸と略奪を黙認したのである。


 ハンナことルナン・クレールの忌まわしい過去の記憶となっている、自分の産まれ故郷『アルデンヌ』に対する略奪遠征もこういった施策から派生した示威行動の一環であったが、今回は複数の海賊船団が連合してほぼ数日に渡り総人口五〇〇万を有する、巨大な宇宙都市全土を占拠した稀有(けう)な例であった。

 この事件にブッセル姉妹は巻き込まれたのだった。


 ハンナたちが集められている場所からは、日頃仕事に(いそ)しむ作業棟とすぐ隣の資材保管庫が見え、そこでは海賊共が乱暴な脅し文句と銃で、従業員たちを酷使している。


 更にその奥へと進めば縫製部の別棟がある。そこはハンナたちの位置からだと大きな事務所ビルの影になってしまって見えないが、その方角から何やら歓声が挙がってきた。


 銃を携えた数人の賊徒が口々に

「いたぞ!」、「大漁だ」、「上物ぞろいだ」などと周囲の仲間にアピールしながら建屋の影になっている通路から出てきた。その後ろからは、ピンクの作業着を着用している女性従業員十数名が怯えながら一つに固まって歩かされていく。

 彼奴(きゃつ)らの狙いは資材強奪に限らず”女狩り”も重要な目的の一つであった。


 ハンナはその一団に目を奪われた。みんな一〇代、二〇代の女子を選んで連れ去ろうとしている連中の魂胆(こんたん)は見え透いていた。そしてその後に待ち受ける苛酷な運命にも、まだ一四歳の彼女にでも容易に想像がついた。


 そして、その中に双子の妹アンナの姿を認めたのだった。

 

 ハンナは咄嗟に立ち上がると、わき目も振らず人の垣根をくぐり抜け駆け出していた。

 背後で「止せ!」、「ここにいろ!」と同僚の発する忠告も耳に入らないハンナは妹だけを見て、装着していたマスクを顎までずらし、あらん限りの声を発して妹の名を連呼した。


 その聞きなれた声にアンナが気付き、自分に向けて彼女のほうも声を枯らすようにして叫んだ。

(あん)ちゃん、来るなぁ! 兄ちゃん逃げてぇぇー!」その叫び声はルナン・クレールと名乗っている今になっても脳裏にこびり付いて離れない。


 それは姉の身を気遣うアンナの決死の判断であったろう。女と解れば自分と同じ(むご)い目に会わされてしまうから。駆け寄るハンナには妹の両手をきつく胸の前で握り締め、両の眼に涙を浮かべながら首を横に振り続ける姿しか映らない。


 あと五〇メートルばかりかという所まで近づいた時だった。ハンナは自分の腹部に強烈な衝撃を受けて、前のめりに倒れこんだ。


「何してくれてんだ! てめえはよぉー」

 ハンナは背中越しに兇状(きょうじょう)を含んだがなり声を聞いた。彼女はお構いなしに立とうとすると、次に目に飛び込んできたのは軍靴の靴紐。ヘルメットとゴーグルを装着したままの顔面を蹴り上げられた。

 今度は仰向けに倒れ、背中をアスファルトに叩きつけられた。


 それでもなお、立ち上がろうとする彼女の眼前に自動小銃を構えた賊の一人が仁王立ち。その慈悲一つも無い眼差しを目の当たりにした。

 賊徒は軍用ヘルメットを顎フックをダラリと下げたまま被り、サングラスにヒゲ面。制服と装備は官給品らしいが、その身なりは正規軍の訓練を受けた兵士ならば確実に懲罰(ちょうばつ)ものといえた。


 そいつはゆっくりと銃口をハンナの頭部に向けた。

「やめてえぇー! 兄ちゃん、兄ちゃん!」アンナの泣き叫ぶ声だけが届く。

 ハンナは生まれて初めて銃口を向けられた恐怖にその場で固まってしまってどうにもできない。ただ

(このまま、大人しくしていよう。女だとバレなきゃ助かるかもしれない。連れていかれるのはイヤだぁ。絶対にイヤだぁ。オレだって妹を助けようとしたじゃないか)

 そんな自分に都合のいい言い訳だけが、くり返し脳内をよぎった。


 体を震わせて禍々(まがまが)しい銃口を見ているうちに、腹部からせり上がってくる不快感を覚えたハンナはそのまま耐え切れずに嘔吐(おうと)し、茶色い吐しゃ物をアスファルトに勢いよくぶちまけた。

 いきなり走ったせいもあるし、銃把で思いっきり腹部を殴られたせいかもしれなかった。


 身を(こご)め胃を激しく痙攣(けいれん)させ昼食の成れの果てを戻し続けるハンナ。

 その様子を見ていた賊はあからさまに(あざけ)りの口ぶりで

「汚ねえなぁー」と、言い自動小銃を肩に担ぎ上げてから

「おうっ(あん)ちゃんよ、妹ちゃんの言うとおりにしとけ。安心しろや。お前の妹は俺らが遊んであげたら帰してやるからよぉ」

 去り際に賊徒はハンナの脇腹に蹴りを入れてから軍用トラックの方に歩いて行った。


 その先では、アンナたち若い女性従業員たちが荷台の上に担ぎ上げられていく。そんな中でもアンナは姉のほうを見つめたまま来ちゃだめだと首を振り続けていた。


 ハンナは吐瀉物(としゃぶつ)で汚れたままその場から立てずにいた。震える口で

「アンナァ……アンナァ……」と、連れ去られる妹の姿を見ながら力なく呟くのみであった。

 立ち上がろうと思えばできた。だが、次こそは撃たれるか、女とバレてさらわれるかもしれないとの恐怖が先に立ってしまい

(このままでいよう。先ずは身の安全を図ってからアンナを助ける算段をすればいいじゃないか)と、また自分に都合良く解釈する意識が働いた。


 だが、突然に今までと正反対の衝動が心に沸き起こり、再度立ち上がろうとした時、班長が背後から彼女の肩をグッと押さえ込み

「立つんじゃないブッセル。あとは警察か、軍に任せるんだ! じっとしていろ!」と言った。


 これで全てが決まった。ハンナはその場で崩れ落ちて泣いた。彼女の涙に滲んだ視界を通して、獲物を収穫し終えた賊たちの乗ってきたトラック群が大手門から次々と出発するのが見えた。


 ルナンは、この時の涙が自分の安堵感からか、それとも周囲に見せるための演技だったのかもしれないという邪推(じゃすい)に苦しむことがある。そう感じる時、彼女は自分がとても嫌になる。


 しばらくしてやっと現場に軍警察が来た。が、頼りない軍警らは事務的な態度しか取ろうとしなかった。

 現時点で、襲撃部隊は郊外に設営された防衛陣地に撤収したらしい。急ぎ再編された『アルデンヌ』守備隊も担当の市街区を防衛するのに手一杯という有様。

 肝心の救出作戦を開始できるのは応援の艦隊が到着してからと言う弁解に終始するばかりであった。


 それまでに拉致された少女らはどうなるのか? 抗議するハンナと同僚たちだったが、この圧倒的不利な状況をどうする事もできずに、首をうな垂れるばかりとなってしまった。



 ブッセル一家の住む四階建て集合住宅が(のき)を連ねる大型団地へどうやって帰ってきたのかはよく覚えてはいない。ただ、ルナンの記憶の中では、この後の事は忘れようにも忘れられなかった。


 もうとっぷり日が暮れていた。暮れたと言っても軌道要塞内部では、地平線に沈む太陽の姿は拝めない。そんな光景を見た者なども無い。

 要塞自体の回転によって発生する遠心力を重力として成り立つ閉鎖された(いびつ)な宇宙都市では、朝も夕も内部の中心軸に存在する無重量帯に固定されている人工太陽が発する光の強弱で演出されるものでしかない。


 住まいへ向う途中には小さな公園がある。

 砂場、滑り台などの遊具の他、母親達の井戸端会議に格好の東屋(あずまや)もあった。いつもは子供らで騒がしい場も今は静かな物。

 時間のせいもあるが、今は誰もが家の中で息を潜めているに違いない。

 その屋根の下、吹き抜けのテラスにはいくつかのテーブルと椅子が据え付けられている。そこで一人の男が座っていた。


 今日は街中がパニックになっているのに誰だろう? とハンナは(いぶか)ったが近づくにつれてそれが父親だと判った。

 父ジョルジュ・ブッセルが独り占めする粗末な造りのテーブルには、ビールの空き缶が二、三本転がっている事に思わず顔をしかめた。


 どうせこの騒ぎに(かこつ)けて仕事もさぼったに相違ないと、日頃父親のだらしなさに憤慨したハンナは、妹が大変になことになっていることを、このろくでなしに告げようと小走りで駆け寄った。


「何だ? お前か。母さんならいないぞぉ。中に入れないんだ」父の第一声がこれだった。

「親父ぃ! 今日何があったか知ってるよな! よく酒なんか! 訓練校が海賊連中に襲われたんだぞ」ハンナは出来上がっている父親を睨みつけるもののジョルジュはそんな娘をうるさそうにしながら

「そうらしいな……」とまるで人ごとのように呟くだけ。


「アンナが連れていかれたんだぞ。助けにいけよ! 何とかしろよ。親父ぃ!」いきなりハンナは父の胸倉をつかんだ。こうまで無気力で怠惰(たいだ)な人間だったとは。その怒りに全身が震えた。


 その時、ハンナは父の上着の胸ポケットが異様に膨らんでいることに気づき、迷うことなく引っ張り出した。それは札束。火星の統合通貨ジル紙幣だった。しかも、あまりお目にかかれない高額千ジル紙幣の束で、ハンナの家族が半年間遊んで暮らせるほどの額であった。


「何すんだ! 返せ!」取り返そうとするも、酔いで手許が覚束(おぼつか)ない父。娘の手から全ての紙幣がこぼれ落ちた。


 散らばった金を四つん這いで拾い集める父親の浅ましい姿にハンナは心底から泣きたくなった。情けなくて顔を下へ向けた時、足下に紙片が四つ折りで落ちているのを見つけた彼女はそれを拾い上げてみた。


 呼吸が一瞬止まった。それは自分たちの通う訓練兵学校の見取り図だった。それだけではない。父の手書きで、資材保管庫、警備員詰所、大食堂、そして縫製部という書付(かきつけ)まであった。


 その時ハンナの脳裏に『裏切り者が情報を売りやがった』の呟きが甦る。

「オイッ! それもよこせ」ジョルジュはそれを引っ手繰るとぶつぶつ言いながらそれをちぎって辺りにばら撒いている。

「おいっ親父。それどこへメールした? その金は? まさか売ったのかぁアンナを。答えろよぉ!」


「借金返さねえとヤバいんだよ。アンナなら殺されやしねぇ。ちゃんと解放するって手筈になってるんだよ……。それに」

「それに? 何だよぉ……」

「女として“(はく)”がつくってもんよ! 今よりずっと稼いでくれるようになるさ!」

 これに言葉を呑むハンナに父は

「お前はお目こぼしに預かったみたいだな? 情けねぇ! 二人して街辻に立てば俺も楽できるのによぉ」こうせせら笑うだけ。

 力任せに胸倉をつかむ娘の手を振り払うと、ジョルジュはハンナが来た道を逆に辿(たど)っていく。


 ハンナは、父が家族や地域社会と「アルデンヌ」その物への裏切り、そして我が子への非道な扱いに

「オレとアンナはお前の金蔓(かねづる)じゃねぇー!」と、喚くも驚きと恐怖で膝が震えていた。

「これまで養ってやったんだ。これくらいの親孝行は当然だろうが」と、背を向けたまま返すのみ。


 立っているのがやっとの彼女はそれでも父親に一縷(いちる)の望みをかけて、去り往く姿に大声で訴えた。

「助けてよぉ! アンナを連れ戻して! お願いだから家族守ってよぉ」

 ジョルジュは一度立ち止ってから振り返りハンナを見た。


 何の関心も示そうとせず、口の端を(ゆる)め卑屈な笑みを浮かべている父の顔を思い出すと、ルナンは今でも取り乱してしまうことがある。

「……めんどくせぇ」それだけを残し、彼は酔った足取りで歩き去っていった。

 残されたハンナは東屋の床にぺたりと座り込んで膝を抱えているしかなかった。いつまでそうしていたのか、よく覚えてはいない。


 この日を境にルナン、当時の名前でハンナ・ブッセルはささやかな暖かい家庭の全てを失った。妹アンナは二日後に変わり果てた姿で市郊外の雑木林で見つかったのだった。父、ジョルジュは未だに行方不明のままである。


 母ニーナ・ブッセルとはこの事件をきっかけに疎遠(そえん)となった。母は残された娘との同居を拒み、親戚に預けられる形で別居を余儀なくされた。

 厄介者として暮らしていたハンナは、一六歳を迎えると同時に義勇兵公募に飛びついて出奔。海軍船舶に住み込みで乗り組み、故郷を後にした。


 その後、弁護士から母が再婚してブッセル姓を捨てたことが告げられた。多少のお金を受け取る代わりに親子の縁を切り、今後一切の接触をしないという宣誓書にサインしたのだった。以来、ハンナ・ブッセルは故郷の土を踏んだ事は一度とて無かったのである。


「お前はさぁ、自分だけ助かろうとしたんだろう……やっぱりあいつのガキだよ。あんたはさ……」

 最後に聞いた母の言葉はルナン・クレールの心に深い(きず)となって今も残っている。

《次回予告》

自らの心の傷を吐き出し苦悶するルナンに、衝撃を受けるアメリア。彼女に親友を立て直し、再び立ち上がらせる策はあるのか?

次回「我が勃つは声なき人々のため」乞うご期待。

~君は惑星ほし未来あすを見る~

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