アルデンヌ略奪遠征
発令所を出た二人は、ATMコーナーほどで「コードルーム」と呼ばれる暗号保全解読室に着いた。そこは防音処理が徹底され、暗号保全AIが会話の記録や画像を残すこともなかった。
ルナンはなお目を血走らせ
「離せぇ! 殴るんなら殴れぇ」とても分別のある大人とは言えないほどに取り乱すばかり。
アメリアはヘルメットを外して顔を顕わにさせた。足元の床に装備が転がると意外に大きな音が反響した。次に両手の手甲まで器用に外すと、ルナンの頬にそっと添え
「さぁ、おいで」そう言うなり彼女は心の均衡を失くしてしまった友を力強く抱き寄せ、自分の顎下に頭を包み込んでは頬ずりを始めた。
利き手で金髪を何度も撫で、身体を入れ替え二人分の体重を壁に預けた。
「大丈夫だ。 ゆっくりッ深呼吸しろ」と、優しく囁くアメリアの姿は親友と言うよりむしろ、癇癪を起こしてしまった我が子を宥める母のよう。
それでもルナンはもがくものの、友の温もりが徐々に伝わり、頬を通して慈愛に満ちた息遣いが耳からのみならず、体の芯に染みわたっていく。
やがて抗うをやめアメリアに全てを委ねる内ついに『心の箍』が外れた。
「くっそー! どうすりゃいいんだよぉ。オレに艦長なんて務まる訳ないんだよ!」これまで巣くっていた悪い澱を吐き出すかのように喚きちらすルナン。
「ああ! かまわねぇ! みぃ~んなぶちまけろやぁ!」
「みんなが目で訴えてくるんだぁ~。『それでいいんですか?』って。『大丈夫ですよね?』ってさあ。ちくしょう! そんなの判るかぁ! 怖いよ、怖いんだよぉーアメリアーっ」と、大声を張り上げ年端もゆかぬ童のように号泣し始めた。
アメリアは何度も相槌をうちながら、額に優しくキスしてからまた強く抱きかかえた。
「オレは士官様なんて務まる人間なんかじゃない……。どうしようもない臆病者で卑怯者だ! アメリア……オレなぁ」涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をスカーフェイスの友に向けた。
「ルナン……どうしたぁ?」
「そう、そのルナン・クレールって名前は後に名乗った。オレの本当の名はハンナ。ハンナ・ブッセルって言うんだ。オレはあの日、自分の妹を助けられなかった。逃げちまったんだぁー! いや違う。見殺しにしたんだよーオレはさぁ!」
アメリアはこの唐突に発せられた告白に声を失い、その話に耳を傾けるしか術が無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それは一〇年前、ルナン・クレールがまだハンナ・ブッセルとして日常を家族とともに過ごしていた頃に起きた事件であった。
火星統合暦〇〇九四年九月七日。何の前触れもなく、”奴ら”は来た。ハンナの生まれ故郷軌道要塞『アルデンヌ』の地方都市、ヌーヴォーナンシー市を所属不明の連合海賊団が襲撃したのだった。当時、ハンナと妹のアンナは共に一四歳。
ブッセル姉妹が通う、駐屯軍管轄の『ヌーヴォーナンシー市立初等訓練兵学校』では午前中は座学の授業で午後からは同敷地内の工場区画での勤労奉仕。
姉ハンナは製造部、妹アンナは縫製部、それぞれ離れた建屋で仕事に精を出す日々だった。
広大な敷地の八割方は工場施設であり、その一画に申し訳程度の校舎とグラウンドが併設されていた。
学校の生徒と工場の従業員らは、ちょうど区画の境とされる体育館二つ分はある大食堂で、昼食と時には夜の残業食を摂るのが日常となる。
その日の昼過ぎ、補習授業を終えたハンナは遅い昼食のため大食堂へと赴いていた。
溶接用の前掛けに作業着姿。テーブルの上にはヘルメット、防塵マスクとゴーグルを置き、ミートソース風パスタに食らいついていた。
いつも仲良く席を同じくする姉妹だったが、同級生らは二人が双子と聞くとその容姿の違いに首を傾げるのが常。
いつもふて腐れたような顔付きのハンナに比べ妹の方は愛想が良く、茶色の髪をお下げに一本にまとめて可愛らしいおっとりした雰囲気。そして姉の事を誰よりも慕う世話好きでかけがいの無い妹。
ハンナは父親似の痩せっぽち。一見すると女子には見えない。
それに対して妹のアンナは母親と瓜二つ。成熟して顔立ちもぐっと大人びて日頃から実年齢より二、三歳は上に見られていた。
男性従業員らの間でも”縫製棟にいるかわい子ちゃん”の中で人気上位ランクに名前が挙がるほどであった。
そんな大好きな妹はもう既に仕事に就いている頃。薄味のパスタを頬張るハンナはぐるっと食堂内を見渡してみた。
周囲には年配の男性従業員の姿も散見された。この時間帯ともなると、通常のランチタイムと比して三割程の席しか埋まっていなかった。
(今日も残業かなぁ?)と、仕事の進捗具合を気に掛けつつ、昼食を平らげようとした時だった。
突如として警報のサイレンが鳴り響いた。
薄いベニヤと鉄板で拵えられた安普請の食堂全体がびりびり震えた。
「……? 今日、避難訓練なんてありましたっけ?」不審に思ったハンナが傍の従業員に訊ねても相手も首をひねるばかり。
けたたましいサイレンが静まってからおよそ五分が経った頃、突如として食堂の天井から耳を聾さんばかりの轟音が響き渡り、自分が座っていた場所から少し離れたところにあったいくつかの長テーブルが粉々に砕け散った。
反動でハンナは思わず仰向けに転んだ。残っていたパスタが彼女の上に降り注ぐ。動けない彼女の目には、薄い鉄板を重ねた屋根に穿たれた大きな穴がいくつも映り込む。その穴の向こうには、空中に浮かぶ何かが忙しなく動いている。
「逃げろぉ! 外へ出ろ!」誰かが叫んでいる。その声に押されるように数名の従業員が開きっ放しの大扉から躍り出ていった。ハンナも慌てて起き上がり後に続こうとした。
先に逃げた数名の頭上から“タタタタァン”と乾いた銃撃音がしたかと思うと同時に土煙が上がった。
その場で一人の従業員が叫ぶ事すら無く崩れ落ちた。僅かの痙攣の後、動きを止めた。周りにはみるみる拡がっていく赤い水溜りが。
これを目の当たりにしたハンナは足が竦み大扉の影から、そっと空を仰ぎ見た。
その日は雲一つ無い晴天で、天空の真中にはこの宇宙都市に拡がる世界を照らす人工太陽が残暑の光を湛えていた。
直径五メートルの核融合反応が生み出したプラズマ発光体。その光を遮るようにして、一機の無人飛行型ドローンが屋根の影から姿を表した。
大きさは二人乗りのコンパクトカー程、中央に球形のボディ。それを中心に正三角形状に伸びるアームの先にはそれぞれ一基の高速回転しているプロペラが。
中央ボディの下部には偵察用のカメラと同軸に配置されている一基の機銃が見て取れた。銃撃されたのだとハンナは状況を理解した。血の池に塗れた遺体の周囲には動かぬ証拠となる金色に輝く空薬莢が散乱していた。
いよいよ明らかとなる、ルナンの過去。その辛い記憶に描かれるブッセル姉妹の行く末や如何に?
次回「ハンナとアンナそして裏切りの父」
ご期待ください!
~君は惑星の未来を見る~