ロンリーフリート
遂に3回目の悲劇が現実となり、緊張の奔る発令所。
ルナン・クレールはこれをどう乗り切るか?
眩い閃光が薄暗い発令所を真昼のように照らし出した。
惨劇を目の当たりにした誰もが驚愕と戦慄で口を開くことが出来ずにいる中
「『モンテヴィエ』ロ、ロスト。生存者……無し」と、観測班の震える声だけが空しく反響した。それを合図に全員の視線が一斉にクレール艦長に注がれた。
『ダ・カール』轟沈の際は、展望艦橋にいたルナン、殉職したムーア艦長と坂崎一等兵曹の三人だけであったが今回は違う。
「我々は、何に狙われているのですか?」誰かがこの場に漂う懸念をズバリと言ってのけた。
ルナンは声の主が、先刻自分の前を不満げに退いたクラーク少尉であるとすぐに気付いたが、視線を向けることすら叶わない。
「現状を維持せよ」と、指令を出すのが精一杯。
「ご存じなのでしょう? 情報を下さい艦長!」
なおも反駁するクラークは艦長を遠巻きにするクルーらを押し退け、昂然と詰め寄ろうとした。
思わず身を硬直させ、腰のホルスターに手を掛けたルナンとクラークの間にいきなり黒い警棒が割って入ってきた。
その先端はクラークの喉下でピタリと止まり
「下がりなさい。クラーク少尉」と、歯切れの良い女性の声色が響き渡った。アメリア・スナール准尉が艦内制圧部隊専用の装備、特殊強化装甲服グライアを全身に纏い立っていた。
これを皮切りに短銃身型マシンガンを携えた保安部員二名が発令所に突入。部署を瞬時に制圧できる位置についた。
カマキリに酷似した厳ついヘルメットの下は暗視ゴーグルとガスマスクに覆われ、紅のレーザー照準光が周囲を舐める。
「各員状況を維持せよ! 落ち着け」アメリアが艦長の盾となり、誰も近寄らせんばかりに声を張り上げた。
この特殊強化装甲服は、海賊掃討や敵艦への突入、制圧を目的とした近接戦闘に特化した装備で、各連邦海軍が採用していた。
パワードスーツの類ではなく、軍関係者は一般にこれを「動甲冑」と呼ぶ。俗称ではあるが正鵠を得ていると言えた。
ダークグレーのアーマーは硬質プラスティックとセラミックの複合構造で耐弾性に優れ、長時間の作戦にも耐え得る軽量化を成功させていた。
アメリアのみがゴーグルとマスクをずらし素顔を顕わにさせていた。狼が獲物を狙う鋭いグレーの瞳に、鼻梁に渡る刀疵を持つ容貌には何人も抗えぬ迫力を帯びていた。
「現状を考慮の上、保安部員に『突入装備』にて出動させました。艦長」アメリアは背を向けたまま、横顔のみルナンに向けて言った。
「許可するスナール准尉。……済まない」と、ルナンはシートに崩れ落ちるように身を沈みこませ、慣れない腰のホルスターを外し卓上へ置いた。
手の甲で喉元をなぞりながら、不快な脂汗を拭うものの呼吸は落ち着かない。そんな時、盾となってくれる親友の背中が、これまでになく頼もしく感じられた。
グライアの背部に傷一つ無かったが、その反対側は弾痕、刀疵、深浅様々な傷跡が刻まれていた。
任官して一年と少し、これまで海賊掃討に宙境ライン近辺における敵艦艇との遭遇戦。その際に頻発する敵艦への制圧戦闘を連戦してきた猛者の証でもあった。
「これ以上、許可無く艦長に近づけばこれを排除する!」
アメリアが左腕に装着する小盾を勢いよく振ると、刃渡り三〇センチメートル程の刃が飛び出した。ベイルソードと呼ばれる格闘近接戦の装備。
実戦時には艦内戦闘用打刀とベイルソードを駆使して、生き抜いてきた兵の持つ剛健さが辺りの不穏な空気を振り払う威勢を醸し出す。
喉下を警棒の先端で押さえられているクラークはそれでも怯まずに
「私たちは……私は何を探索すればいいのですか? 敵はドイツ皇帝派ですか? アトランティアあるいはロシア騎士団帝国? 全く未知の存在ですか? よせっ!」と、警棒を振り払ってから半歩下がり
「クレール艦長! 私はあなたの艦長選出に異存はない! が、明確な命令をください。あやふやな事に振り回されるのはまっぴらだ!」と一気に捲くし立てる。
上気して肩で息をしている彼を周囲は遠巻きに見ているのみ。
クラークは再度、アメリアの繰り出す警棒が喉下に食い込むのも意に介さず憤然とした面持ちで前へ詰め寄った。
「艦長、彼にも一理あります。このままではいずれ……」と、次にクラークの言動に触発されたのか、安井技術大尉が彼の横に並んだ。
「いずれは? 沈むと言うのか! クルーを煽るような言は慎め! 貴官らは士官である」ルナンは艦長席から立ち上がり、声を荒げながら視界の隅に、コンソール上にある拳銃の入った革製ホルダーを留めた。
張り詰めた空気の中クルー達は誰もが口を噤み、手元の計器パネルを見つめているしかなかった。ある者は溜め息をつき、またある者は機器を操作する手の震えを抑えようと胸に抱え込んだ。
そこへ重量のある気密扉を押し開き、発令所に姿を現したのはケイト・シャンブラーだった。所内に足を踏み入れたとたん、緊迫した空気に彼女は気圧され固まった。
その場の視線を一気に浴びてしまったケイトは、少しおろおろし
「……お邪魔でしたか?」と、入ってきた扉からその場を立去ろうとしたが
「シャンブラー技官中尉、待て!」
居丈高なルナンの言葉に、ケイトは憤然と胸を張って声の主を睨み返した。
ルナンはゆっくり歩みを進めて彼女の目の前まで来ると
「技官中尉、状況はわかっているな」と言った。
「『モンテヴィエ』の件ならたった今知り得ました。……遺憾に感じております。先刻、格納庫で索敵担当のジャンが…その、襲撃の可能性を危惧していまして、この船のライオンハートへのアクセス許可を頂きに参りました」と目を逸らさずにルナンと相対した。
ルナンは格納庫での一件を想起し
「あの白ラインか。まあいい、挽回の機会だ。ドローン隊に出撃を命じる。周辺宙域を遊弋して強行偵察を敢行せよ! 実戦だ。やってもらうぞ」にじり寄るようにして迫った。
「お断りします」ケイトは一歩も引くことなく、決然と言い放ったのだった。
ルナンは怪訝そうにに首を傾げつつ、少し口の端に笑みを浮かべ
「もう一度だけ言う。強行偵察に出ろ。奴らのバッテリーが切れるまで飛び続けろ。判るな?」と、命じるもケイトの方はまたしても
「何度言われてもお断りします。徒労に終わるだけですから」ときっぱりと命令を拒否したのだった。
少し前とは打って変わり、今度は引き下がらずに頑強に抵抗を見せたケイト。その表情は凜として揺るぎなかった。
「……どういう事か?」
「具体性を持たない情報を基に、あの子たちを出撃させても効果が無いと言っているのです。指揮官が、苦し紛れの行き当たりばったりな命令を下したところで、状況を不利に導くだけ! これではクルーもいい迷惑! 脅威の存在をはっきり示さない限り確実にこの『ルカン』が。いいえ、ルナン・クレールあなたが沈むのよ!」と、逆に詰め寄り、ソバカス面に噛みつくように意見するケイトだった。
ルナンはしばし無言でケイトと対峙していたが
「これまで我が軍の予算を食いつぶしておきながら、いざとなるとこの様か! 全くの役立たず共だな。マリア・シャンブラー博士もとんだ”ガラクタ”に入れ込んだもの……!」ルナンの言い終わらぬうちに乾いた音が発令所内に響き渡った。
ケイトの平手がルナンの頬を打ったのだ。周囲の面々は色を失い、呆然となった。
「叔母様の悪口は許さない!」と、ケイト。
いきなりの事で体勢を崩し艦長席に取りすがって何とか倒れこむのを防いだルナンの目にホルスターが飛び込んできた。
「き、貴様ぁぁぁー!」ルナンは周囲を圧倒する怒声を上げ、拳銃を掴みケイトに向けようとした。
「止せぇぇー! ルナン!」アメリアは即座に動き、常軌を逸した友を巧みな関節技で制圧し、銃を振り落とさせた。安全装置が生きている銃は、金属質の高い音を立てて発令所の床に転がった。
「止めるなぁーアメリア! ちくしょう。どいつもこいつもぉー!」身動きままならずとも無様に暴れるルナン。これまで何とか保とうとしていた艦長の威厳も規律の風紀も消し飛んでしまう勢いだった。
「こっちへ来い! 機関長少しの間頼む。こいつを落ち着かせる!」
安井技術大尉はこれには止む無しと肯いた。
ケイトはルナンの凶行に身を屈めて床にへたり込み、近くに居たクルーが心配そうに近寄っている。
アメリアは未だに興奮冷めやらずに暴れている相棒を連れて発令所を後にした。何とか二人きりで落ち着かせる適当な場所を探していた彼女に、またしても管制AIがルナンを呼び出している事を聞きつけた。
意を決したアメリアはルナンの首根っこを押さえながらその部署へ引っ張っていった。
二人が去った後、発令所の床から拳銃を拾い、黙って尻のポケットにねじ込んだ人物がいた。
甲板長のクラーク少尉だった。




