ダメージコントロール!
発令所は『ルカン』の中枢部となる。
中枢と言えば聞こえは良いが、中央を走る通路は人一人が通れる程度で左右の壁面には航法、火器管制、機関部、レーダーを始めとする各センサー機器のモニターが犇めく。
その画面には“エラー”あるいは“アラート”表示が軒を連ね、手狭なブース毎に担当者が不測の事態を収拾すべく声を張り上げている。
「軌道修正及び姿勢制御を最優先! 急げ」
「現在位置の確認を! 何ぃ座標が読み込めない!? 火星本土を“0”座標に設定して再起動してみろ!」
「油圧ポンプの復旧に時間が掛かるだぁ! もっと人員を回せ!」
「非常事態! 総員起床!」
「怪我人の救助と医療班への移送を! 宇宙葬パックなんざ後回しにしろよ。縁起でもない!」
ブースに詰める士官、班長たちはインカムを通じて、各所にて奮闘中のクルーと連絡を取り合う声が飛び交う。その声は上ずり、苛立ちと焦りそして怒りを匂わせていた。
そんな中を、ルナンらは気密扉で厳重に区切られた船外予備室で通常軍服である、青灰色のダブルタイプのジャケットと同色のパンツルック。ライトグレー色でツナギ式装備服(生命維持装置用のシート型センサー、簡易ヒーター等を装備している)、正面に国旗章が縫い付けられているウール製の略帽に着替えてから立ち入った。
所内は非常用赤色灯の状態だった。彼女はすぐに通常の白色灯に切り替えさせた。配線がいくつかショートしたらしく空気はうっすらと白く濁り、あたり一面ゴムの焼ける臭気が漂っている。誰かの咳き込む音も混じる。
ルナンの指示した緊急措置“ダイヴ”が功を奏したか慣性重力補正機能はまだ生きていた。この機能まで失われていたなら船内は装備品と人間のミキサー状態になって収拾がつかない状態になっていたに相違ない。
全クルーの手が止まり、騒がしい会話の喧騒が止まった。視線が一斉にルナンとアメリア、そして艦長の亡骸が納められた宇宙葬パックが運ばれていくのを見つめている。
ルナン・クレール中尉は鮮やかな金髪を顎の下辺りで切り揃えるミディアムヘア。少し垂れ気味だが碧く、爛々とした鷹のような目をしていて、眉毛はすっきり細い。
鼻の周囲にはソバカスが目立ち、齢二四にしては化粧っ気がなく、小柄の体躯も相まってか、華やかな女性というより市井の兄ちゃんのような印象を周囲に与えるのが常であった。
それに比してアメリア・スナール准尉は北欧系民族の特長が顕著に出ている。長身痩躯で銀髪をショートカットにまとめ、濃いグレーの瞳は野に放たれた狼のような鋭さと輝きを放つ。何より彼女の高い鼻梁の上を横一文字に走る大きな刀疵が目を引いた。年齢はルナンの一つ上だ。 二人が並ぶとルナンの頭部はアメリアの肩口に届くかどうかである。
一同は亡くなった艦長の指揮権を引き継ぐであろう、ルナン・クレール中尉から何らかの話があるかと身構えていた。
ルナンは発令所の視線を一斉にあびて息を呑み、ここに居合わすクルーの他フリゲート艦全体で九六名に及ぶ乗組員に対して何を言えばいいのか。彼女には心構えなぞ一つもありはしなかった。
「あぁ……残念ながらムーア艦長は殉職された。坂崎一等兵曹も船外へ放出。生死不明、捜索は断念せざるを得ない……。僚艦『ダ・カール』は原因不明の爆発を起こしロスト。こちらの生存者も見込めない……」ここまで言うのがやっとであった。
後の言葉が続かない。冷たい沈黙が発令所を包み込んでいる。彼女の耳に届くのは、所内各機器が生み出す単調な電子音のみ。
「各部、損害報告を為せ!」
声を発したのは、アメリア・スナール准尉。彼女は士官学校当時からの親友に成り代わり標準語を使って毅然と指令を発した。そしてルナンの緊張を解すかのように肩に手を添えた。
「機関部より。メインエンジンに損傷はありませんが、原子炉冷却機能が低下。現在通常の六割程度です。復旧にはあと数時間かかると、オヤジ……いえ、安井機関長からです」
「死傷者は?」と、ルナン。
「軽傷が数名。すぐ仕事に戻れると思われます」機関長の代理で発令所に赴いたクルーの報告に、ルナンは安堵の息をついた。
これを皮切りに、甲板、航法、整備班からの状況報告が相次いだ。これだけの大爆発に巻き込まれた割に事態は総員退艦を命ずるほどではなかったものの予断を許さない。『ルカン』が緊急事態である事に変わりはなかった。
もはや士官の中で最高位となったルナン・クレール海軍中尉にとって心強かったのは、クルーらが落ち着いて訓練通りダメージコントロールを的確に行っていた事。怪我人が数名出てはいるが、死亡はアレクセイ・ムーア艦長。行方不明は坂崎兵曹のみに限られた事であった。
だが、心安く接していた僚友と何かと口喧しいが頼れるベテランを失ってしまい、心が晴れるといった心持ちになれる筈もない。しかしルナンはそれを顔には出すまいと
「姿勢制御を最優先事項。この回転を是正。艦方位の特定を……‼」と、艦を立て戻すための指示を下していた最中に。
「しっかりした説明をお願いしたいのですが? クレール砲術士官殿」海軍制服と整備用作業服姿の間から耳通りの良い、女性の甲高い尖り声が沸き起こった。さらにその声の主は明け透けに
「私たちは何らかの攻撃を受けていると、ハッキリおっしゃったらいかがでしょうか?」
ルナンは一斉に自分に向けられている視線に圧倒されそうになった。暗に自らも想定していた事態を見抜かれ、不安と焦燥を表情に出さないように努めるのが精一杯でまともに皆の顔が見られない。
やがて、男女混成クルーの人垣がルナンの前で開き、最奥に佇むビジネススーツ姿の女性が姿を現した。