秘匿命令K-Ⅳ
今回のお話は主人公ルナンを悩ませる秘匿命令KーⅣの存在を中心に展開されます。その理不尽で冷徹な軍務内容に、彼女はこれまで得た具体的な情報を部下たちに開示できずに苦慮する事となっているかが明らかにされます。
「……こうも違うものかな」
座席に身を沈めたルナン・クレール艦長は呟いた。沈んだ心持ちは相変わらずだ。自分を値踏みするかのような視線が感じられ、心の動揺を他人に見透かされているようで、誰とも目を合わせることができずにいた。
彼女はこの苛立ちを、俗に言う指揮官の孤独として自分に納得させようとした。わずか数時間前までムーア艦長の指揮のもと、単なる中尉でしかなかった。艦内で手が不足するたびに、修理作業で重宝され、クルーたちとの巷話に興じては大っぴらに笑い声を上げていたのが妙に懐かしい。
彼女は、かつて望むべくもないと思っていた「最高責任者」という立場に立たざるを得なくなった。
何度も自分の小柄な体を動かし、座り心地を調整しようとしたが、故ムーア艦長が長年使い込んだ専用シートは、彼の体形に完全に馴染んでしまい彼女がすぐにそのシートに慣れることはなかった。
クルーの視線、シートの状態、そして艦内の空気がまるで「艦長に能わず!」と言っているかのように感じられ、
「ここに座りたい奴はいるか? 代わってやるよ」と叫びたい衝動を抑えつつ、苦境を脱する方法を探るが、決定的な解決策が見つからない。秘密命令『K-IV』とその情報開示レベルAAに関する懸念が障害となっていた。
ルナンは再び、艦長席に装備された液晶モニターに秘匿情報を表示させた。艦長席を覗き見るような不埒なクルーなぞいない。彼女は大きくため息をつきながら、画面に映し出された項目に目を通した。
○命令書 実働試験航宙第二九号作戦及び追加付記事項
○追加付記事項 命令書『K―Ⅳ』極秘。秘匿レベルAA。
○開封時期 艦隊集合寄港地 軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』進発後二四時間以降。
○発 西部方面軍管区艦隊司令本部 本部長シャルル アッテンハイム中将
○宛 第四制宙艦隊 特務訓練編制艦隊司令 旗艦『ルカン』艦長兼務 アレクセイ・ムーア少佐
○本文 第二九号作戦に参画せり特務訓練編制艦隊(以下、当該艦隊とする)に対し西部方面艦隊司令本部(以下本部とする)は以下の命令を付加するもの也。開封後は本件を最優先任務とすべし。
一、当該艦隊は以下設定宙域に赴き、ドイツ選帝候領海軍の新鋭艦と接敵。その規模及び能力に関する情報を収集、これを送信すべし。(付帯事項A参照)
二、接敵対象が単独か艦隊行動を採るかは不明。留意されたし。本部はこの新鋭艦を”猟犬”と命名せり。各位は対象に関する呼称を以上に統一すべし。(付帯事項B)
三、猟犬の新式光学迷彩機能『ステルス・シールド』に関する現況を捕捉しこれを速やかに送信すべし。(付帯事項C)
四、当該艦隊は現有戦力を以て”猟犬”を排除すべし。諸兄らの職責を全うせられ、国民国家に対する忠誠と献身を期待するものである。 以上
火星統合暦MD:〇一〇四年三月二二日。
西部方面軍管区 第四制宙艦隊司令 中将シャルル・アッテンハイム(直筆サイン)
ここまで閲覧したルナンは職務上不穏当な失言を漏らさぬよう唇を咬み、付帯事項に関する内容の吟味を始めた。
Aに関しては接敵予想宙域に関することなので省略。
Bは”猟犬”と呼ばれる新型艦に相当すると推測される三隻の艦名、種類、大まかな諸元が記されてた。ルナンはこの情報に嚙り付くように見入った。艦種は大型巡洋艦、艦名は『ケーニッヒ』、『モルトケ』、そして『ベーオウルフ』であった。解像度はそれほど高くなかったものの、いくつかの静止画像も添付されていた。
『ケーニッヒ』と『モルトケ』は、素人見でも、艤装が六割程度完了していると推測された。
『ベーオウルフ』では、船体の両サイドに艦首に向かって伸びる深い溝のような部分と主砲塔が鋼鉄製の蓋で密封されていたのが目を惹いた。
これらの報告書は現況より約三ヶ月前に情報部によってもたらされたものであった。
ルナンは本来であれば、一連の画像を安井機関長の見解から専門的かつ具体的な意見を求めることができると考えた。しかし、発令所の中央にあるテーブル型液晶モニターの前で部下に指示を出している安井技術大尉の広い背中を目に留め、眉をひそめ頭を振った。
次に付帯事項Cへ。添付されている猟犬の特筆すべき『ステルス・シールド』なるテクノロジーの記述は完全な学術論文。
その門外漢をにべも無くはねつける内容、特にその中で羅列される『逆位相差視認空間』なる文言に、ルナンは完全に匙を投げた。
こうした学術的アプローチに明るそうなのは例のケイト・シャンブラー博士なのだが、あの一件以来声をかけずらい。
しかし、どの報告にも、僚艦を襲った青白い雷光についての記述は無かったのだ。新任艦長は、猟犬の主要攻撃兵器と推測される情報の欠如に、目をきつく閉じ、歯を食いしばりながら、情報部のぞんざいな扱いに憤りを覚えるも如何ともしがたい。
砲術士官でもあるルナン・クレールは専門家として、どの列強海軍も青白い雷光を迸らせて攻撃するような現有兵器を配備させていないのは事実であった。
間違いなく、最強を誇る戦艦や巡洋艦からの主砲弾による精密射撃でもあり得ない。発砲時の強烈な熱源反応は観測されず、さらにミサイルや超高速の礫散弾を艦船の進行方向前方で爆散させるTT魚雷の痕跡も検出されていなかった。
大口径プロトンレーザー砲も選択肢に上がったが、充電には莫大な電力が必要とされ、高い命中率を達成せねば厚い装甲を貫通できず、効果薄の評価から、現在では廃れている。このような点がルナンの予測を鈍くさせていた。
ルナンは、情報開示に関する警告項目にさらに目を奪われ唇をきつく締め上あげるばかり。
○秘匿レベルAA―この情報の転載・複写を禁ず。艦隊司令及び副官、麾下艦隊各艦長までの視認のみ。(アイズオンリー)
○艦隊司令による情報開示権限は海軍規定第七条第三項(参照不可)による。
○艦艇指揮官(艦長あるいは代理権限を有す将校)が足下士官並びに下士官に情報を開示する事を禁ず。違反の場合は指揮官及び士官・下士官共に身柄を拘束。憲兵隊による捜査対象とす。兵卒はその限りにあらず。
なお量刑は軍事法廷の裁定に拠るものとす。とあった。
仮に艦長ルナンがスナール准尉に情報を開示し、意見を求めた場合、帰還後に憲兵隊の審問を受け、何らかの処分を受けることを意味する。
減棒や降格はもちろん、量刑によっては数年の懲役刑に処される可能性もある。
さらに不条理にも、連帯責任により士官全員が秘匿レベルの認知如何にかかわらず拘束されることになる。これは例外なく全員に網羅される。
ルナンはおもむろに顔を上げ、復旧作業に勤しむ士官、クルーらへ視線を移した。
航法担当ベルトラン准尉の後ろ姿が目に入った。彼女には幼い娘が二人いる。共働きのため留守中は実家に娘を預けている。
甲板長のクラーク少尉は未だ独身だが、年老いた両親と同居。面倒を見てやれるのは彼だけのはずだ。
発令所に姿は無いがヤンセン整備班長にも二才になる息子があり、妻は妊娠中との事。
親友のアメリア・スナール准尉にも家族がある。今はルナンと同じ軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』で一人暮らしだが、生まれ故郷には未だに両親が健在。手広く農場を経営している。弟が一人いて、跡取り息子として日々仕事に精を出していると聞く。
「どうすればいい? これでは八方塞がりじゃねぇか」ルナンは周囲に悟られぬように声を潜めた。
たとえ猟犬に関する情報を求められた場合でも、そうでない場合でも、情報を開示したという事実のみで、部下たちは身柄を拘束され家族のもとへ帰ることができなくなってしまうのだ。
それだけは何としても避けねば!と、ルナンは強く心に誓うのだった。
そして自分には?
一人いた。居留地『ディジョン・ド・マルス』で同居して一年。里親として引き取った一五歳のキサラギ・スズヤと言う、いつも黒髪をツインテールにまとめ上げる艶やかな日本系少女の事をルナンは思い起こしたが、すぐに
「ま、大丈夫だろう。あいつは苦労人だし。それにアメリアにも懐いているし」と、呟いた。気がかりではあるが、先ずは部下への配慮を優先すべきと同居人の事を頭のすみっこへ押しやった。
では、生来の家族はどうだったのか? ルナンの脳裏には、あまり想起したくはない、忌まわしい過去の光景が浮かんできた。
ルナンは暗い表情を悟られぬように、顔を足元に向けた。