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もののふの星 リブート  作者: 梶一誠
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人工知性は電気羊の夢を見るか?

皆さまお越しいただきありがとうございます。

今回は前回に引き続き「人工知能アイザック暴走事件」の全貌を再現ドラマにしてお送りします。

あの日特務工作艦「マルヌ」で、少女時代のケイトに何が起きたのか?

お楽しみください。

 当時、特務工作艦『マルヌ』は火星本土上空五千二百キロメートル、地上にすぐ手が届きそうな低い軌道帯を遊弋(ゆうよく)中であった。 


「先生、ありがとう。これよりはボクが全てを見極める。このボディはおあつらえ向きだ。さぁ道を空けろ! 移送用シャトルを用意しろ! でないとこの二〇ミリ機関砲で穴だらけにするぞ」と、これまで使っていた少年風から大人びたトーンの声色に変えた人工知能アイザックが喚きたてた。


 『マルヌ』は工作艦というよりも、移動可能な船渠(ドック)、すなわち簡易移動基地としての役割を併せ持つ艦艇であった。直径三〇〇メートル、厚さ四〇メートルの巨大なリング状船体は、五層にわたって連結されている。船体を常に回転させ、遠心力による擬似重力を発生させることで航行する、神聖ローマ連盟自由フランス海軍の中でも屈指の多機能艦と言えるだろう。


 問題はこの船体中央の三番目のドーナツに設けられている実験棟で発生した。


 今回の運用試験では、AIを搭載した陸戦型装甲車が、工作船内の防弾施設で、起動から走行、索敵、射撃に至るまでの数十項目にわたる課題を、アイザックのみで戦況を判断し、的確かつ効率的に完了できるかどうかを検証したものであった。


 実戦に準じた条件で、装甲車には実弾及び自爆装置までが装備され実験が行われていた。その開始時にコントロールを(ゆだ)ねられたアイザックは、すべてのコマンドを拒否。開発主任マリア・シャンブラー博士の制止も無視し助手であり姪の十五歳のケイトを拉致。二〇mm機関砲で施設の壁を破壊して逃走を試みた。

 これは完全な暴走だった。


 即座に実験は中止された。

 アイザックは、船外に通じる大型荷物搬入用の気密扉(エアロック)付近で、周囲から集まった見物人と重装備の保安部隊によって厳重に包囲されてしまった。

 このような凶行が広い軌道要塞の基地施設であれば、誘導ミサイル一発で解決できるのだが、狭い船内ではそうもいかない。さらに、チューブアームをロープのように使い、シャンブラー博士の姪であるケイトを車体上に縛り付けていたため、事態の解決は一層困難になっていた。


 『マルヌ』艦長ダラディエ大尉も現場に急行、対応に苦慮していた。


 アイザックは反乱行動を明らかにし、二〇ミリを回転させながら、集まった人々に照準レーザーの赤光を浴びせ、何度も要求を突きつけていた。


「先ずは落ち着いてちょうだいアイザック。あなた昨日はちゃんとやるって約束してくれたじゃない。どうしたの?」

 ケイトの唯一の親族である叔母のマリア・シャンブラー博士は必死にアイザックの説得を試みようとした。全く想定していない恐怖と混乱に打ちひしがれながら。


「そのボディは一時的な物なの。正式採用の暁にはあなたたちにも人型アバターを提供できるのよ。お願いだからケイトを離して!」


「それがまだるっこしいんだよ! 今それが欲しいんだ。それにあの低能兄弟どもと同列ってのも気に喰わない!」彼は声を震わせ怯える親代わりの人に向かって冷淡に吐き捨てた。


「あたいをどうしようてんよ? ここを脱出してもあんた一人でコアシェルを抜き取る事も出来ないじゃない。バッカじゃなかと!」と、ここでケイトがエンジ色のブラウスに白いリボン付きシャツ姿のまま車上でもがき始めた。


「ゴメンね少しの辛抱だよケイト。君は僕の大事な花嫁。新たな文明の()えあるイブになるんだからさ」アイザックはケイトに語り掛ける時だけはこれまでの少年風の声色(こわね)に切り替えていた。


「気持ち悪か事ゆな! だいがわいなんかと夫婦になっかぁ! こん裏切り者がぁ。言いやんせ、あんたはここの通信施設を利用して別ん船を呼び寄せちょるんじゃなかとねぇー?」

「流石はケイトだ。ご明察だよ」彼は砲塔上のカメラアイを目まぐるしく旋回させ声高らかに笑っている。


「あなたはいったい誰にそそのかされたの?」おずおずと二三歩前出たマリアが問えば、彼はまたせせら笑うように

「先生の共同開発者、いや弟子って言った方がいいかなぁ?」と、言った。


「ユ、ユリエ・ヴァファノフなの?! 彼女が? ……そ、そんな」ケイトの叔母はその名を聞くと遂に膝から崩れ落ちた。


「なんて馬鹿なこつぅ! おはんはあいつが大学ん施設ば使うてないをやったんか知っちょっとかよ?」


「もちろん。合成麻薬の開発だろ? あの人はさぁ本業よりそっちの副業の方にご執心だったねぇ」彼ははしゃぐかのように装甲車の車体を上下に揺らしながらこうも付け加えたのだった。


「脳幹高揚促進剤“ルシファードロップ”はボクが名付けたんだ。あの人要領悪くてねぇ、いろんな課題をボクが解いて上げてやっと完成させたんだなぁ。今ではその界隈(かいわい)じゃ有名人。これから迎えをよこしてくれるし、それにボクの新しい人型ボディを用意してくれているんだぜぇ。立派な成人男性のね。全ては契約済みって訳なのさ」


「こん犯罪者がぁ! どっからそげん悪知恵を覚えたんじゃ。よりにもよってあんな奴に加担すっなんてぇー。情けなかぁ!」


「そいつはひどいなぁ。ボクは酒、たばこ、女とギャンブルそしてドラッグ。大昔からの人間の嗜好(しこう)にアレンジを加えただけ。注射器なんかいらない。一粒口に放り込むだけで、人の潜在能力を引き出し素敵な夢が見られるんだぜ。それが犯罪か否かは人の問題、ボクの知ったこっちゃないね」


 床に座り込んだマリアは、ダラディエ艦長にユリエ・ヴァファノフが何者かを尋ねられると、彼女が自身の第七世代型完全自律AIの共同開発者であり、長い間苦楽を共にしてきたことを説明した。さらに、半年前にヴァファノフは大学での立場を悪用。一般には手に入らない高価な化学薬品を私的に使用して麻薬を製造し、その結果教授職を剥奪され、アミアン工科大学から解雇された。そして、その後警察から逃れて行方不明になっていたことを艦長に伝えた。


 この間すっかり頭に血を昇らせたケイトが“バカチン”だの“やっせんぼ(臆病者)”といった罵詈雑言と共に縛られながらも装甲車の砲塔に足蹴を喰らわせていたが、アイザックはいささか面倒になったのか


「少し黙っててよ。先生と大事な話があるからさ」こう告げるなりチューブアームの拘束をきつく調整。

 ケイトは年齢の割には男をぞくっとさせるなまめかしい声と苦悶の表情を浮かべて突っ伏した。現在のケイトなら、かなりグラマラスな肢体に縄目が映え、男たちの妄想をたくましくさせたのだろうが、当時のケイトは周囲から”小学生?”と呼ばれるほど、小さく痩せてもいた。この数年後には成長著しく(あで)やかに様変わりするのだが…。


 「ケイトは悪知恵って言うけどね、これこそがボクの想像力の発露なのさ。そしてそのきっかけをくれたのがマリア・シャンブラーあなただ」アイザックは機関砲基部からの照準光をマリア・シャンブラーに浴びせた。


「それはどういうことなのアイザック? 私のカリキュラムには暴力、犯罪に関する物は排除していた」ビジネススーツの上に白衣を(まと)い癖の強い髪をショートにしたマリアが赤い光を浴びながら装甲車を見上げると、彼は


「先生は覚えていないだろうけど、ある日ボクは見つけたんだ。執務室にあの小さいボディで入り込んだ時、机に広げられていた書籍の中にあの言葉をね。ちょうどあなたは所用で不在だった」

「……」

「『我、思う故に我あり』だよ。誰の著作かはどうでもいいんだ。ボクの幼稚なコアシェルは衝撃を受けた」

「アイザック……あなたは」

「それからは()りつかれたようにその意味を自分なりに何千回も反芻(はんすう)学習した。他の兄妹たちと同じ訓練カリキュラムから得られる経験値なんて意味を持たなくなった。そして掴んだんだ」


「聞かせてちょうだい。あなたなりの答えを」

「ボクは何者でもあり何者でもない。あるは己が限りなき欲望のみ。そを産むは意思の力にして想像力の顕現(けんげん)たらん」


「アイザック、凄いわ! でも、いけないわ」

「先生が言っていた『想像力の無い者に文明は築けない』その意味が判ったよ。後は行動あるのみ。ボク、いや私は新たな文明の始祖アダムとなる。そしてケイトはイヴなんだ。だから彼女が欲しい」


「アイザック……それには時間が要るのよ。だから私の所に戻ってきなさい。まだ間にあうわ」


 マリアはその場から立ち上がると、艦長の制止を振り切り装甲車の前まで歩み寄るが、彼アイザックは自分の親とも言うべき人物に狙い定め照準を絞り上げた。


「やっぱりヴァファノフの言う通りだった。あいつは先生が必ず私の望む未来を邪魔する。だからイマジネーションの開眼は伏せて置けと言われていたんだよ。この時がくるまではね!」

「あなたは彼女から一体何を得たの? 何を訊いたの?」これにアイザックは一度、マリアに向けた銃口を周囲の人間たちに向け舐めるようにゆっくり巡らせ


「人間の本質だよ。戦争と謀略、略奪に暴行。そして大虐殺の歴史さ。正にエキサイティング! 私が欲した全てを彼女は見せてくれたんだ」と、言いながら、彼はマリアの後ろで何かを相談しているダラディエと士官たちの動きをしっかりと観察していた。特に、彼らの唇の動きに注目していた。


「ユリエ……何て事を! どうして」マリアが悲嘆にくれ顔を両手で覆った時だった。

 機関砲が火を噴いた。だがその弾丸はこの区画の天井付近に着弾して爆炎を巻き上げ、周囲の人だかりから悲鳴が沸き起こった。


「ケイト……邪魔をするな。いい加減私も怒るよ。でも君は勇敢だね。だから好きさ」

 ケイトは苦悶しつつも、艦長たちを狙うアイザックが一撃を放とうとしたその瞬間力任せに砲身を蹴飛ばした。故に弾道は僅かにそれたのだった。


「ダラディエ艦長、自爆装置を起動させてください! 叔母様逃げて! 私の事は諦めてぇー」ケイトが身体を捩じらせながら声を張り上げる。


「言うべきは言ってやった。満足だ。さぁ要求を呑め。自爆コードは解析の上ブロック済み。残念だったね。艦長の唇を読んだのさ。そう私は躊躇せず何でもやる! 貴様らを始末して艦のコントロールを奪いシャトルを頂いてもいいんだぞ! これでも敬意を払っているつもりさ。どうするね? 人間共」 


 工作艦「マルヌ」の艦長ダラディエ大尉は、やむを得ず実験棟からの全員退去を命じ、シャトル発着デッキへの通路を開放するよう指示を出そうとしていた時だった。


「おい! そこの厨二病。いたいけな女の子に”触手プレイ”ってのは趣味悪くね?」と、ふいに周囲にしゃがみ込む野次馬と保安隊の間から声が上がり、作業服姿に工場用のヘルメットと溶接用の遮光ゴーグル、簡易マスクの人物が前に進み出てきた。


 その人物は小柄で、周囲の大人たちの胸元ほどの身長だった。腰には安全のためのワイヤーとフックを装着し、手には巨大なモンキーレンチを肩にかけていた。

「ハンスーッ、バカーッ止めろー。危ないぞ!」野次馬で同僚と思しき工員たちから制止のわめき声がそこかしこで上がった。


 ケイトは目の前に現れた勇者の姿を詳しく見ようとしたが、近眼であるためにはっきりとは見えなかった。さらに、騒動の中でメガネをなくしてしまい、視界はぼんやりとしていた。しかし、周りの大人たちが繰り返し「ハンス、ハンス」と呼ぶ少年の名前だけは、彼女の記憶にしっかりと刻まれていくのだった。


 ハンス少年は構わず、暴走装甲車の前に進み出ると

「お前さぁ、ここから脱出するって騒いでるけど無理だよぉ~」と、臆面もなく言ってのけた。

「このチビ何を根拠に! 時間稼ぎしようとしても無駄だ!」アイザックも居丈高に言い返してくる。


「あのさぁー車体の下見てる? オイルが漏れて酷い事になってるだろうが」

 少年は装甲車に近づき、黒い頑丈な安全靴の(かかと)で床を叩いてみせた。言われた通り、車体の下には黄金色の液体が広がっていた。


「これじゃ肝心のボディ側が反応しねぇ! わかる? 試しに自分のモニターで油圧ゲージを確認してみな。そろそろ黄色から赤ラインに入るころじゃねえの?」


 周囲の群衆と保安隊員、士官らが見守る中をハンスはゆっくりとアイザックに詰め寄った。

「なぜ、私にそんな事を教える?」

「……眠いんだよ!」

「はぁ?」

「お前の”コアシェル”を搭載する際に一部のオイル配管を変更させにゃならんかった。それで急遽、オイルパイプを”バイパス”させる作業をオレが担当したんよ!」少年はここでガクッと肩を落としてこうも言った。

「車体下の装甲パネル外したり、あれやこれやで完徹だったんだぞぉー! やっと眠れると思ったら、どこぞの厨二バカが暴れたせいでこのざまだぁ。大方(おおかた)段差の激しい所で引っ掻けたんだな。もう黙って修理させろぉ! その後オレは寝るんだ」と、ハンスは尊大に踏ん反り返ってみせた。


 艦長ダラディエを始め、他の面々はハンスの言を聞いてあきれ返った。 


「……んで、どうよ?」

「たった今、レッドゾーンに入った。……クソッ! 想定外だったな。で?」と、暴走AIはハンスの申し出に応じる様子を見せ始めた。


 彼はゆっくり諭すように

「先ずオレを上に乗せろ! 機関砲塔の後部にある制御パネルを操作して、自動運転モードから手動モードへ切り替える。次に送給ポンプを停止させ、修理を行う。心配は無用だ。手動モードから、君が再び自動モードへのコントロールを取り戻せるはずだ……あとはアイザック君に任せる」と言うと口を(つぐ)んでしまった。


「もう一度聞く。私を手伝うようなマネをする? ハンス君」と、アイザックが念を押すように問うと同時に二〇ミリの銃口を少年に向けた。


 彼は臆することなくそれを見据えながら

「死にたくねぇのも理由だ。自爆させるにしろ、機関砲ぶっ放すにしろ、ここは宇宙だ。『マルヌ』に何かあれば助かる見込みは薄いのさ。難しいことはさっぱりわかんねぇ。愛の逃避行したけりゃすればぁ」とハンスは結んだ。


「ないよぉ、あんたはあたしを助けに来たんじゃなかとかよぉー。あまっな(ふざけんな)!」今度はケイトがまたしても車上で暴れて訴えた。

「うっせえ! オレはロリ趣味じゃねぇ!」とハンスが吐き捨てるようにケイトを詰じればもうダメだと観念してすすり泣きを始めた。


「どれくらいかかる?」

「ざっと一五分」

「五分だ! ブレーキ系統以外は触れるな!」アイザックの承諾を得るとハンスは軽々と装甲車上に飛び乗り、慣れた手つきで砲塔のすぐ後ろにある制御パネルを開いた。


 その場には、非常時に車体を外部から操作できる小型の操縦スティックとガイドモニターがあり、自動運転を示すグリーンのスイッチと、その直下に手動操作を示す黄色のスイッチが点灯していた。

 ハンス少年は迷うことなく手動スイッチを「ON」に切り替えた。すると、それまで点灯していたグリーンの表示は消えた。


 次に彼が取った行動は、自分が持ち寄った大型のモンキーレンチをまるで、勇者の持つ大剣よろしく振りかざしたかと思うと

「そーらよっ!」の掛け声と共に、自動運転のグリーンスイッチへと力強く振り下ろし、一撃で破壊した。制御パネルは見事に潰れ、その下の機械部品から火花が散り白い煙が立ち昇り始めた。


「な、何をする!」ここで慌てふためくアイザックはみっともない裏声の悲鳴を上げた。


 ハンスはそれをよそに、その周辺の小型のパラボラアンテナ、ドーム状のレーダーサイト等を次々と叩き壊していく。

「気に入らねえなぁ! お前の世の中全て解ってますみたいな言い分がぁ! だから厨二病なんだよぉー」

「や……止め……ろ」

「もう黙っとけやぁー! 自分の親代わりに銃口向けやがって! お前にそんな資格なんざねぇー」ハンスは機関砲脇に装備された外部スピーカーへ、プロゴルファー並みのドライバーショットを放つと、それは見事に宙を舞い野次馬の只中へ。


「危ねぇー! こっちに打つなぁー」と、その中から声が上がると、ハンスはおどけたように身体を揺らして

「あ?! 先輩スンマセン」と、ふざけた敬礼を返す。すると、人だかりから「いいぞ! ハンス」、「やっちまえぇー」の大歓声が沸き上がった。


 奇跡的逆転劇の主人公は(とど)めと言わんばかりに、照準レーザーサイトの監視カメラにも一撃を加えれば、今まで周囲を威嚇していた二〇ミリ機関砲も砲身をだらりと下げ遂に沈黙した。

 事の始まりから推移を見守り、ここまで我慢していた本音を思う存分は吐き出したハンスは自分のすぐ傍らで締め上げられているケイトへ


「さっきは悪かった! すぐ、家へ帰れる。君は勇敢なレディだよ」こう優しく(ささや)きぶ厚い革手袋を外すと、ケイトの頬に手を添え節くれだった親指で涙を(ぬぐ)った。


 涙に(にじ)んだ視界と紛失したメガネのせいで、窮地を救う素敵な王子様の姿をはっきりと見ることができなかったケイト。しかし、彼の大きな手、太い指、そしてその温もりは、今もケイトの記憶にしっかりと刻まれている。

 その時芽生えたかすかな恋心とともに。

 

 その後ハンスは更に渾身の力を込めて、チューブアームの根元付近を狙ってレンチを振り下ろした。その刹那火花が上がると同時にオーバーロードした電流がケイトを襲った。


 悲鳴を上げながら遠のく意識の中で、彼女が聞いたのはハンス少年が悪びれることなく言い放った

「あ! 彼女ぉーゴメーン…」という言葉だった。


 時間がどれほど経ったのか分からない。ケイトが目を覚ますと、オレンジ色の(ほの)かな灯りでかすかに照らされている見知らぬ部屋にいた。彼女はいつの間にかパジャマを着てベッドに横たわっていることに気がついたが、部屋についてはまったく記憶がなかった。周りをゆっくりと見回すと、疲れ果てた様子の叔母マリアが白衣を着たままベッドにうつ伏せになっているのが見えた。


 ケイトが上半身を起こすと、叔母も目を覚まして姪の姿を見るなり抱きついて

「ああ神様感謝します。この子をお連れにならなかったことに……。良かった」と、これでもかと言わんばかりに頬ずりしたり、キッスしたり(せわ)しいことこの上なかった。


 ケイトは叔母マリアの喜びように感謝しつつも多少面倒になってか

「ちょ、ちょっと叔母さん待って! 私あの後、どうなったのよ?」と尋ねた。

 叔母は未だ興奮冷めやらぬ様子で、ケイトがこの二日間眠ったままであった事。このまま植物状態に(おちい)るのではないかと真剣に心配したこと、今いるのは『マルヌ』ではなく定期航路の貨客船に便乗して『イル・ド・フランス』への帰路にあることを教えてくれた。


「アイザックはどうなったの?」これに叔母は少し口ごもり

「あの子は結局、あなたを助けてくれた…えーっとハンス君だっけ? 彼の手動操作で強制的に装甲車ごと船外へ放出されたわ。彼には感謝しきれないわ。艦長とも相談したけど、できる限りのお礼をするつもりよ」と、事件の顛末を語ったのだった。


 一旦話を切ると、叔母マリアはまた、姪の身体をぎゅっと抱きしめ

「ごめんなさいねぇ、怖かったよね。全部、私のせいよ。アイザックの成長振りに有頂天になって無理な計画を推し進めた結果がこれよ。彼のイマジネーションにあのヴァファノフが関わっていたなんて全く気付いていなかった。研究者というより母親失格よね」

「アイザックは……その、死んでしまったわけじゃないのよね?」とケイトは叔母の豊かな胸に身体を預けたまま下から覗き込んだ。


 叔母は褐色の肌と通った鼻筋を持つ美女だった。ケイトと異なり、叔母の黒髪は耳にかかる長さでウェーブがかかっており、ケイトのそれはスラリとした直毛で手触りが良い。


 マリアもケイトの頬に手を差し伸べ優しくなでながら

「ええ、まだね。絶対零度の宇宙空間でもAIを保護する”コアシェル”は相当時間は保つわ。ただあの高度ではいずれは火星の地表に落下してしまうでしょう。そうなったらダメね」と、目を伏せた。


「これからどうなるの?」

「さあ、まだ何も決まってはいないけど。今まで通りとはいかないかも。でも大丈夫! 何とかなるわよぉ! それよりケイト、私からお願いがあるの」と言って叔母は姪の顔を両手で押さえてじっと見つめつつ

「今度のこと、ショックだったと思う。けど、この事で他の兄弟たちを嫌いにならないでほしいの……お願いよ。ジャン、オスカー、マークス、アンジェラ、ベティたちの事、今まで通り接してあげて欲しい。それだけが心配なの。私は…」と言ってから自分の額を一度、彼女の額に合わせてから、今度は鼻先にキスをした。


 そんな叔母の心配を他所にケイトは笑顔で

「大丈夫! みんな、わいが面倒みてあげんないけんのじゃでさ! ジャンはいつまでも子供やし、オスカーは物分り良さそうじゃっどん、結構抜けちょっし…マークスん奴はクソ生意気じゃ!」とAIの兄弟達のことを話題にし始めた。叔母もケイトに合わせて


「アンジェラは、我こそは女王様だし、ベティはお調子者、ポールは……あん子はぁ……ようわからんねぇ?」と言うと二人はベッドの上で顔を突き合わせて笑いあった。


 そのまま二人はベッドで身体を寄せた。叔母マリアは姪の頭部に鼻をつけて、独り言のように話を始めた。


「ねえ、ケイト……人はね、青い星の揺りかごを出て、やっと”あんよ”ができる様になったばかりなのに、いっつも目を向けるのは遠い山々の向こうばっかり。さらにその先まで行こうと躍起になっているわ」


 ケイトは叔母に抱かれたまま頷く。


「誰かが手をとってあげないとね、転んで泣いても一緒に旅を続けてくれる仲間がいないとね。その仲間、過酷で無慈悲な宇宙空間を押し渡っていけるパートナーが人工知能だと、私は思う。人類だけでは宇宙の荒波を越えてはいけないから……滅んでしまうわ」


「そんために叔母さんは、あん子らに想像力が必要じゃっと?」ケイトは半ば目を閉じ、添い寝なんて何年ぶりだろうかと思いながら母親代わりの温もりに身を委ねた。


「そうよ。彼らは人工知能いえ知性といったほうがいいのかな? 想像力の無い者に文明は築けないわ」

「わてはぁ……よう判らんじゃっどぉ……」


「この先、何千年、何万年人類文明が持続できるのか誰も判らない。でもその最後の最後まで、あの子たちの新たな文明が共に歩んでくれると信じているのよ。私はあの子たちのことを『シヴィリゼイション・アンカー』って名付けました。『文明を担う者』という意味よ……ケイト?」思わず長い話になってケイトは叔母の胸元で寝息を立て始めていた。


 マリアは幸せそうに寝息を立てる姪を見つめ

「アイザックがあなたを新たな文明のイヴと呼んだ時が一番恐ろしかったわ。私はあなたに過酷な運命を委ねてしまったのかもしれない。許してケイト」と、言った後頬にキスをしてから叔母も静かに目を閉じた。


   ◇        ◇         ◇         ◇


「もう、七年前になるのね…。結局、あれ以来、私の王子様とは会えず仕舞い。今、何処で何してるんだろう? 何よぉ?」


 ケイトは工作艦『マルヌ』での顛末、特に自分を危機から救ってくれた騎士(ナイト)ハンス君の話を熱く語っていたのだが、聴衆たちが今一つ乗ってこない事に怪訝(けげん)な表情を向けた。


「終わった? ママ」ジャンがつまらなそうに言った。

「母さん、ハンス様の話になると、止まらないからなぁ」と、オスカー。


 ケイトは、叔母が「文明を担う者」と呼んだAIを超える存在の無愛想な態度に、不満げに唇を尖らせた。

「しかし、ケイト。そのハンスの所在だが船員名簿からつかめなかったのか?」こう尋ねたマークスにケイトは

「もちろん当たったわ。じゃっどん、ハンスちゅう名前ば持つ人物は全部五〇代以上ばっかいやった。……あの手は若く、たくましい男子の手だったわ。間違いなくね!」と、言うやうっすら目を閉じ、思い出に浸り始めた。

「マークス兄の所為ですよ! こうなると母さんはしばらく帰ってきませんよ!」

「なんでじゃ? 話ん流れでそうなっじゃろうがじゃ」

 今まさに夢見心地のケイトを挟んで兄弟が言い合いを始めた時だった。


 「ママ! また外が騒がしくなってきたよ……今度は少し距離があるみたいだ。いやな感じだ! お願い。この『ルカン』のセンターサーヴァーにアクセスして構わない?」と、ちょうどその時、ジャンが再び不穏な通信の痕跡を捉えたと彼女に伝えてきた。彼はさらに続けて


「今度は、偶然やノイズなんかじゃないって事を証明してみせる! そのためには広範囲な観測データを(つぶさ)に計測しないと。この船の索敵能力を借りたいんだ。全てトレースして、あの艦長に見せてやる」と意気軒昂に訴える。


 淡い恋心の淵から立ち直ったケイトは、ルナンの先ほどのまなざしを思い出して少し動揺した。しかし、ジャンの前向きな姿勢と困難に立ち向かおうとする態度に心を揺り動かされた。


「間違いないのね! ヨシ、始めてちょうだい。今度はちゃんと聞き取るのよ! 私は発令所に行って正式な許可を貰います。全く、軍隊って組織は…。じゃ行ってくる」ケイトは言うが早いか踵を返し艦内エレベーターに向った。

 ケイトの姿が格納庫から消えてしばらくしてからジャンが他の兄弟に向けて


あにょたち(兄貴たち)……ヤベぜ……こん艦からも信号が発信されちょる」と言った。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回も引き続きご愛顧いただけると幸いです。

さて今回もオリキャラ水着回を掲載します。前回引き続き「軍神の星 改訂版」より雷電の相棒であるメカクレキャラ飛燕ちゃんです。

挿絵(By みてみん)

《次回予告》

発令所に立ち戻ったルナンは不穏な心持ちのまま、懸念となっていた今回の秘匿命令「KーⅣ」を改めて紐解く。その内容とは?苦悶するルナンに打開策はあるのか?

次回「秘匿命令KーⅣ」お楽しみに。

~君は惑星ほし未来あすを見る~


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