前途多難「こっちが聞きたいよ!」
いよいよルナンは実質的に艦長としての責務につくのですが、どうやら問題山積の模様です。
どんな事態が降りかかるのか、船内の緊迫した雰囲気を感じていただければと思います。
ー 『ルカン』発令所 ー
「……以上だ。以降の後継人事に関する異論は受け付けない。早速だが現段階での各部被害状況と復旧の進捗具合を報告せよ」
発令所に戻ったルナン・クレール新任艦長は、これまでムーア少佐が専有していた艦長席に腰をかけ、各部署の長を呼び寄せ周囲に立たせたまま自分が正式に艦長の任に就いたことを表明した。
艦内で今一番の年長者となった機関部主任である安井技術大尉を始め、甲板長クラーク少尉。整備班長ヤンセン技術中尉。航法担当士官ヴェルトラン准尉。そして保安部兼観測班長のスナール准尉の五名が後継艦長を取り巻いている。
「非常事態での就任ご苦労様です。ルナン・クレール艦長に申告。我ら五名をはじめ、乗組員九三名。いかなる事態にも復命することを表明いたします」と、安井がその場の全員を代表して敬礼。他の四名もそれに合わせて敬礼を送った。
ルナンは艦長席から降り、腰に手を置いた姿勢でほんの数十分前まで、同僚、先輩、または友人として気さくに航宙を共にしていた仲間たちを一様に見つめてから
「よろしく頼む諸君」と言ってからおもむろに敬礼を返した。
その後は順を追って各担当部の責任者からの報告を受ける段になった。
先ず初めに機関部安井技術大尉が半歩前へ。
「機関部です。原子炉への直接的なダメージはありませんが、冷却剤の循環機構が不調をきたしております。通常ですと原子力エンジンの全力噴射は三分可能ですが、現況ですと一回、三〇秒が限界であります」
「化学式補助エンジンはどうか? 推進剤の備蓄状況は?」
「そちらは問題ありません。推進剤も充分です」
ルナンが少し安堵の表情を浮かべると、それに合わせ安井は半歩下がる。
次に前へ出たのがクラーク少尉だった。メガネで細身の青年は自前のタブレットに目をやりつつ
「こ、甲板部ですが……え~姿勢制御スラスターの油圧系統は復帰しました。か、艦長の懸念されていた艦の回転運動も補正完了で……あります」おずおずと言葉を紡いでいる。
「各部の気密状態は?」
なんとも頼りなさげな彼の物言いに、眉間に皺をよせたルナンが問えば
「も、問題ありません!」今度はやや甲高い声で応じてから、クラークはまだ何か言いたげに液晶画面とルナンの顔を交互に見つめ返してくる。
ルナンは黙したまま掌を上に向け“どうぞ”と促せば
「し、しかしながらぁ船首の損傷著しく、第三砲塔及び、右舷TT魚雷発射管二番、四番が使用不可! そ、それと各部センサー類の復旧もあと数時間を有しますぅー」ここまで一気にまくし立てた彼は力が抜けたように肩を落とした。
「ご苦労! 今後の精勤に期待する」ルナンの感情抜きの言葉に彼は無言で肯き下がった。
次に前へ出たのはジュディ・ヴェルトラン航法士官。彼女は艦内では割と小柄なルナンよりも背は低いものの、丸みを帯びる体躯は立派なもので“肝っ玉母さん”の風情があった。三十路で二児の母親でもある彼女のことを、皆は”ジュディ・ママ”と呼んでいる。
その名の通り身体に見合うふくよかな顔に笑顔を湛えつつ、彼女は現在『ルカン』が前方トロヤ群近傍から小惑星帯方面、外惑星軌道へと漂流中であると報告し、自力での帰還には四八時間以内にメインエンジンによる軌道修正が必要であると告げるや
「大丈夫です! 何とかなりますって」と破顔し、ただでさえ細い目を直線にさせ白い歯を覗かせている。
「ありがとう。ジュディ・ママ」ルナンも笑みを浮かべれば
「ドンと行きましょうや! ドンとぉ!」と、胸を叩いてから下がった。
次に見上げんばかりの大男が勇壮な体躯にキッチリとしたオレンジカラーのツナギ服に防護用ベストを着込んで現れた。
やや赤みを帯び癖の強い短髪に太眉だが、子供のように円らな瞳を持つこの大男は開口一番
「ヤンセン技術中尉でありまぁーす! 艦長殿ぉー!」と、大声を張り上げて来た。
「でっけえ声出すなぁー! 知ってるよぉー!」
ルナンは一度その迫力にのけ反ったが負けじと声を張ると「状況は?」と問うた。
ヤンセンは現在、整備班総出で他のクルーと共に艦内各部での復旧作業に尽力中である事と装甲宇宙服を着込んだ五名の人員が船外にてレーザー溶接による補修作業中であることを報告した。
ルナンはそこで肩眉をピクリと上げて
「エアー抜きは行っただろうな?」と、作業中の誘爆事故を危惧してヤンセンをねめつけると
「万全です。ただ漏れ出ていたのがヒドラジン系燃料と高濃度酸素の結晶体が気化していた物でした」彼は少し声を震わせていた。
ルナンは息を呑むようにして顎を引き
「と言う事は……破損したのは魚雷本体か?」と、呟く。
「はい、危なかったです。先の爆発で引火していれば船首の半分はもぎ取られていたでしょう」
「液体燃料が絶対零度にさらされ、霧状のガス体になって滞留していたわけか……量的には?」
「右舷側魚雷装填室に配備してあった六本分全て。回収率はほぼ百パーセントで、専用容器八本分になります」
「圧力は?」
「一五気圧。もうパンパンですよ」
「厄介な火薬庫を抱え込んだようなものか……。保管は?」
「船底部格納デッキの下層区画に」
「分かった! ただ勝手にその容器を船外に放出する訳にもいかないか」
「ええ! あの混合比率と濃度では浮遊機雷を放出するのと変わりありませんから」
「もし仮に何か問題が発生すれば、我が海軍の面子は丸つぶれ……か」
ルナンは問題山積の艦内状況に腕を組んで天井部に渡る鋼鉄の梁を見上げていると
「あのぉ~艦長……」と、大男のヤンセンが短く刈り上げた赤茶の頭髪を掻きながら溜め息をついている。
まだ問題があると言う事だった。
「あの三体のドローンが”だだ”をこねとるんですわ」と、四角い実直そうな顔で口をへの字にさせている。
「ケイト・シャンブラー教授の持ち込んだ”お連れ”か?」と、ルナンは険しい表情をヤンセンに向けた。
「シャンブラー博士が『ジャン』と呼んでいる機体がですね「船外へ出せ」と言うとりまして、どうしたもんか困っとります。現在シャンブラー博士に格納庫においでいただいて宥めておる次第で」
三〇代にしては年寄り臭い物言いになっているヤンセンが報告を終えた。
「格納庫だぞ! 爆薬の上で騒ぐとは! 後でオレが話をつける」と、ルナンはつい声を荒げ吐き捨てた。
いきなり艦長の重責を担い、艦の復旧作業に頭を悩める。この事だけでも大変なプレッシャーであるのに加え旗艦『モンテヴィエ』には見捨てられたと言っていい状況にある。
そこへアクティヴドローンが騒ぎを起こす始末。更に正体が掴めない何かがこちらを狙っている。そしてルナンの胸中で不快な澱のように巣食う秘匿命令『KーⅣ』。
『いい事? ルナン・クレールさん。いずれあなたは立ち行かなくなるのよ! あの子たちを受け入れない限りね』
昨晩、スルタンのハーレムでの勝ち誇るケイト・シャンブラーの姿が脳裏に浮かび神経が逆撫でされる思いだった。
「保安部より報告いたしますクレール艦長。現在、艦内における死者、行方不明者は艦長と坂崎一等兵曹の二名のみ。各部署における負傷者は六名。いずれも軽傷。観測班の責任者は自分が引き継ぎます」と、最後となったアメリア・スナール准尉が両手を後ろに、両足を肩幅までに開いた姿勢で現況報告を終えた。
ルナンはここで安堵の息をつき
「ムーア艦長、坂崎一等兵曹、そしてアレン大尉と『ダ・カール』の乗組員は誠に残念であったが、不幸中の幸いか、本艦での人的被害が最小であったのは喜ばしい。あと数名はお弔いを出さねばならないと覚悟していたくらいだった」と、険しかった表情をいくらか和らげたが、未だピリピリとした緊張感を周囲にまとっていた。
それを悟ってか、気後れしながらアメリアが観測班の追加報告を始めた。
「ジョンスン二等兵曹ですが、また奇妙なことを言っておりまして」
ルナンはその名を聞くや、展望艦橋での問題児ぶりを思い起こし
「今度は何かね?」と、アメリアに問う。
「先の事故の際、不可解な現象を捉えたと言うのです。報告によれば被害にあった『ダ・カール』のほぼ十数キロ離れた宙域に正確な五角形”ペンタゴン”を描いたまま移動するデブリを発見したとの事ですが」
ルナンの視線の先で当のジョンスンは発令所の船首側通用口すぐ脇に設けられている専用ブース内でモニターにかじりついている様子が見て取れる。
「何をやっておるか! 自分の先輩が被害にあっていると言うのに。ジョンスンに言え! そんな事より見えない敵からの攻撃に備えろと!」
ルナンは彼のマイペースぶりに苛立ち、つい報告者のアメリアに怒声を浴びせてしまってから口を噤んだ。
「敵? 攻撃ってどういうことでしょうか?」ルナンが発してしまった不用意な発言の言葉尻を捉えたヴェルトラン准尉が、丸みを帯びた体で一歩前へ繰り出して詰め寄った。
これを期に発令所の空気が張り詰めたようになり、クルー各々の動きが固まったかのようにルナンには感じられた。
彼女はヴェルトランと視線を合わせないようにして艦長席に戻り
「私の個人的な憶測に基づくものだ。忘れて欲しいジュディ・ママ」これだけを告げると解散を命じた。
しかし何名かは、まだ何か言いたげにその場に留まっている。安井技術大尉が口を開く。
「艦長、コードルームでどんな命令を受領したのかお聞かせ願えませんか?」
次に発言したのが甲板部クラーク少尉。
「『モンテヴィエ』と邂逅して連携行動をとったほうが……よ、よろしいかと思いますが」不安そうな表情を隠しきれないクラークが
「帰還できるのでしょうか?」と、乗り組んでいるクルー全員の一番の関心事をズバリと尋ねて来た。
今にも爆発しそうで何もかも投げ出したくなっている自分の心の奥底を見透かされないよう、彼女は無表情を装い、自分専用のモニターから目を離さずに静かに
「……持ち場に戻れ!」と言い更に
「全員に申し渡す! この船はテーマパークの遊覧船ではない。れっきとした軍用艦である! 諸君らには規律ある行動を期待する。こんな基本中の基本を私の口から言わせないで欲しいものだ」と、結びアメリア・スナール准尉に視線を移し
「スナール准尉、保安部全員に銃の携帯、及び突入隊装備を許可する。艦内に不穏な動きがあり私が反乱と認めた場合はこれを撃て」と命じた。
アメリアは無言で威を正し了承の意志を示した。
次にルナンは席を離れる際ヤンセンに指で合図した。彼は自然に艦長の二、三歩先に陣取って悶着を起こしているドローンの下へと先導を始めた。
アメリアが格納庫に移動を開始したルナンの脇に寄りそうようにして
「これを」と革製のホルダーに収められた拳銃を差し出した。
「オレがこんな物をぶら下げていても、いざという時当たりはせんと思うが?」と腰に巻きつけながらアメリアに笑いかけるが、彼女の方はルナンと目を合わせず自分たちが向う先しか見ようとしなかった。
これ以降は誰も口を開かず、三人は船内の下層部にある格納庫に通ずるエレべーターへと歩を進めた。
その僅か十数メートルの間に、ルナンの耳にはクルーらの「あの人で、いいのか?」、「任せて大丈夫なのか?」、「何が起きているのか検討がつかない?」といった不安と焦燥に満ちた囁きが飛び込んでくる。そう聞こえただけなのかもしれない。彼女は努めて平静を装った。
ただ毅然であろうと意識すればするほど、口の中が乾きネバネバとして不快であった。首下は常に汗ばみ、自分の手が震えてはいないか気になり始めていた。
(クソッ! 帰れますか? だと。こっちが聞きたいよ)と叫びたい衝動を抑えながらルナンは発令所を後にした。




