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『ある分岐点』

作者: N(えぬ)

端整な顔立ち。つるんとした、皮を剥いたゆで卵のような肌。体型もスマートでいわゆる八頭身。

見た目、非の打ち所が無い。


「私は警察官という仕事に従事しています。日々危険にさらされている。……それが不安で不安で」

テーブルの向こうの椅子に座る男は、うつむき気味にしかし正確に話した。


「この間も話していましたね。物理的危険、精神的重圧。そういうものが苦しいと」


「ええ。こういうことは上司や同僚には、あまり話たくないんです。弱いと思われるのがイヤで……ですから、先生に時々こうして話を聞いてもらえるのが、助かるんです」

男は顔を上げて田口結子医師に軽い笑顔を示した。


「ですが私から見て、山田さんのお顔は、初診の頃よりずっと穏やかでよくなりましたよ」


「そうですか。自分でもそう思ってたんです。やっぱり、誰かにそう言ってもらえると自信になります、特に田口先生だと。……ですが、どうしても振り払えないのが『自分はいつ死ぬのか』そのことです。それは先生にも誰にも、わからないことですね」


「ううん、そうですねえ。でも、山田さんは今、何の不安も無い健康体ですよ。うちの病院の施設で隅々まで検査をしたじゃありませんか。安心して過ごしていいんですよー」


「そうですよね。僕は健康なんだから、安心していいんだ」


「そうですよー」


田口医師は、過度に安心させないよう、かといって弱々しく自信なさげにならないよう、ほどほどの力で彼を励ました。

これも田口のテクニックの一つなのだ。


S総合病院は表向きは他の病院と変わらないが、ある巨大企業が資金を投じて作られた病院と言われている。


心療内科、田口医師の診察室は、常に緩やかなインストルメンタルが聞こえるかどうかという大きさで流れている。他の科の診察室に比べると広く、天井も高い。


部屋全体の配色も病院によくある白っぽさを強調せず、暖色の家庭的雰囲気を醸し出すことに力を入れている。花瓶に花が生けてあるが、これは電子フラワー。つまり造花で、日毎や時間毎など設定で様々な花に自動で切り替わる。今は、こぼれそうな真っ赤な薔薇の束。


次の患者が診察室に入ってきた。


「こんにちは……」患者は力なく言う。


「松沢さん、こんにちは。おかけになってください」

田口は、この患者を見てすぐ、様子が悪いのを感じた。


「私、いつ死ぬのでしょう?それが心配で」


ほら来た!とそんな感じに田口は思った。


「松沢さん。松沢さんは健康体ですよ。今のところ、病気で死ぬようなことはありません。事故でケガをするとか、そういうことは、心配したらきりが無いでしょう?」


「でも、ほら、突然、体のどこかがおかしくなってポックリ!なんてこともあるじゃないですか?」


「そういう可能性は捨てきれませんが、それもやっぱり誰にでも言えることですよ。気にしていたら生きていくのが辛くなるだけですから、もっと楽しい方向へ気持ちを向けましょう」


田口は突然、松沢の手を握ると、前後にかなり力を込めて腕相撲のような形で揺さぶった。


「ほーら。ほらほら。松沢さん、私なんかより、ずっと力があって元気じゃ無いですか?!」


「元気ね?力もある。……明日からの仕事もまたがんばれますね」


「うん、だいじょうぶ。できますよぉ」


「田口先生の顔を見ると元気が出るんだわ」


「そうですかぁ?ありがとう」


それから少しの間、二人は世間話をした。

患者にとっては文字通りの世間話だが田口にとっては相手に探りを入れて情報を聞き出す手段なのだ。


「じゃあ、今日は失礼します」


松沢はお辞儀をしいしい、田口を振り返り部屋を出て行った。


「はい。次はまた2週間後に」


田口医師は、松沢恵子が退室するのを手を振って送った。


「次の患者さんの予約まで少し時間があるので、紅茶入れましょうか?」

ベテラン看護師が田口に声を掛けた。


「ああ。お願いします」

田口は、椅子に座り直して、ふぅぅぅっと深く息を吐いた。


しばらくして、次の患者が診察室へ通された。

宮沢という中年男性の患者だ。

彼は部屋に入ってくるなり、微笑みながらクルリとその場でターンをして両手を挙げてポーズを取った。そのとき、少しよろめいたが、田口は彼に拍手を送った。


「おかけください、お久しぶりです。今日は宮沢さん、好調そうですねえ?」


「そう見えますか?」


「はい。とっても」


「2週間前に臓器換装を受けたでしょ?それ以来、体は絶好調ですよ!」


「それはいいですねぇ。血色いいですよぉ」


「そういわれると、うれしいなぁ。……単純に口で励まされたり、検査の数値を示されて『いいですね』なんて言われるだけじゃ無い。私自身の体から湧き上がるものを感じるんです。健康の実感と言うんですかねえ?」

宮沢は、椅子に座ってもまだダンスをするようにオーバーアクションで田口にアピールした。


「換装術の前の宮沢さんは、もうここにはいない、っていう感じですねぇ」


「もちろんです。検査でこの数値が通常の何倍だから治療が必要だとか、このままじゃ何歳まで生きられないよとか、そんな話とはもう無縁ですから。

私は若返った。いや、若返った以上のものを手に入れた。

これから、順次、体各部位の換装を受けるつもりですよ先生」


「宮沢さんは、はじめ、換装術にも不安があるって、真っ青な顔してましたのに、もう正反対ですねぇ」


「不安がきれいさっぱり無くなったなら、うちの外来に来なくてもいいかもしれないですね」

田口医師が正直な顔でそう言うと、宮沢は急におとなしくなって神妙な顔つきになった。


「こちらの通院は、まだしばらく続けます。田口先生に話をするのも、私の心の安定のひとつです。そう思ってるんです。……まあ、今回の臓器換装は、私に『無限に生きる可能性』を示してくれたのですから、とても大きいことは間違いありませんが」



その日の全ての診察予約が終わった後、田口医師は、いつものように残った事務仕事をこなしながら、ベテランの野際看護師と話した。


「それにしても興味深いわ……。これは、開発者にとっては、当然の成り行き。予測の範囲内のことだったのかしら?」


田口は、今度は自分で紅茶を入れ、一つを野際看護師に出した。

二人は、いつもなら田口と患者とが対峙するテーブルで対面して座った。


二人の間には紅茶のカップがそれぞれ置かれ、野際はカーテンの向こうの机から箱を持って出てくると、蓋を開けてテーブルの中程に置いた。


クッキーの缶だった。

数種類のクッキーがペーパーカップで仕切られた詰め合わせのうち、3割ほどは先に空になっていた。それが人気だったということだろう。どのクッキーに人気があったのか、今となってはわからなかった。


「何が興味深いんです?田口先生」野際看護師はクッキーをひとつ指先で取り、田口に話しかけてから、クッキーを一度かじった。


「ううん、それがね……。聞いてくださいよ。

最近、人間の身体のあらゆるパーツは開発が進み、複雑な臓器でさえ人工のものに換えても何の問題もありません。それどころか、さっきの宮沢さんのように、病気の恐怖から解放されたばかりか、以前より体の調子がいいとさえ言います」


「ふんふん」野際看護師は紅茶を一口。


「人間の患者さんで、身体パーツの換装術を受けた人は、99%満足を口にしていて、今までの健康不安とか、漠然とした不安、いつか来る『死』への不安などは大分減ったと言ってます」


「ふぅむ」野際看護師は、もう一つクッキーを取った。


田口医師は、体の力を抜いて、部屋の一角を見ながら話を続けた。


「で?」野際看護師はクッキーをお茶で流し込んでいった。


「で、ですね。人間と入れ替わりに、もう、爆発的に増えているのが、ロボットの皆さんの相談なんですが。高性能化とかAIの急成長に伴って増えているのが、『私はいつまで使ってもらえるのか。用済みになったらどうなるのか』『自分に内蔵されたエネルギーパックはいつまで持つのか』『定期点検で一度電源を切られたあと、自分はちゃんと元通りに目を覚ますのか』とか、自身の命、寿命に関することが大半なんです」


田口のその話を聞いた野際看護師は、

「そういえばそうですねえ。自分の命に関わる悩みを訴えてくるのは、最新型ロボットの皆さんが多いですね……そういう悩みは人間のものだったのに」そういって考えに沈んだ。


「生身の人間のほうは、体のパーツを新しくして行って、『これで永遠に生きられる』ってくらいに喜んでる人が多くて、全身人工パーツのロボット達は、いつ自分の命が途切れるかにビクビクしている……。興味深いでしょう?」


「そうですねえ……」


「人間はロボットに近づいて死を恐れなくなり。ロボットは人間に近づいて死を恐怖する。この現象をどう処理したものでしょうね」


田口はふと時計を見た。もう退勤時間だった。

彼女は腕組みをといて慌てて椅子を立ち、ロッカーへ行こうとしたが、白衣を翻してきびすを返し診察テーブルのところまでもどると、

「これから出かけるから、充電しておくわ」

そう言って、壁からケーブルを引き出し少し体を斜めにすると長い髪をより分けて自分の後頭部に差し込んだ。


「次世代アンドロイドのプロトタイプも、似た悩みは絶えないですねぇ、田口先生」

すると田口は野際を振り返り、口元に歯を見せてVサインした。



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