記憶の行方
ーーキキーーッ!!ーー
その自転車は急にブレーキをかけられ甲高くも鈍い声を発した。
『うわ、まじかよ....』
右手で髪を掻き上げながら親指と中指でこめかみをぎゅっと押さえる。
手のひらで血の気の引いた額を覆った。もう片方の手は今にも吐き出しそうな自分の口元とハンドルの間を行ったり来たりしている。
『いやぁ...気持ちはわからんでもないんだけど』
状況を察したのか、秋はこちらを少し覗き込むような姿勢でハンドルを握ったまま苦笑している。
彼の自転車は止まるのに音を上げなかったようで、徳太の真後ろにピッタりとくっついていた。
二年前、巫女川の両脇の自然堤防が整備され、歩道ができた。とは言っても車両が通れるほどの幅はなく、この微高地に沿って低まった場所に主要道路もあるため、わざわざ歩行者もこの道を通る必要がないのか人通りも少ない。しかし、俺はこの帰宅順路を気に入っていた。学校の下校時間はちょうど夕日が綺麗で、ほの赤い光を受けて川が澄んだように見える。少し遅れて下校となった日でも月明かりを水面が反射し、まるで川が一匹の魚のようにその鱗をキラキラと輝かせ、ひんやりとした空気をその場に満たしていた。その空気は河岸の葦などを吹き抜けて、この堤防状にも静かに溢れ出していた。
今日はいつも通りの時間に下校。
ーー自転車に轢かれたのか?烏に襲われたのか?
毛皮が擦りむけたて露わになった肉。骨なのか筋なのか一見では見分けがつかなくなってしまった内臓が飛び出している。いつも徳太に黄昏に浸らせてくらる夕日は、今日はその物体の周りに滲んでいたであろう赤いはずの粘液をを褐色に焦がし、肉体の腐敗を進ませる触媒としてギラギラと輝いていた。
『慣れるもんだと思うんだけどな。徳太、ピーマン食えないタイプか?』
『食えるよ。そういう痩せ我慢すれば食べられるって感じじゃないんだ。なんだろう、生理現象が近いかなぁ。仮に痩せ我慢したところで病気は治らないだろ?そんな感じ』
『でもあんまりいないよな、そういうタイプ。というか一度も会ったことない。まぁともかくその猫はお墓でも作ってやろう。こう話題にあがっちゃぁ俺だって見過ごせない。感染症とか怖いし普段は見過ごすんだけど』
秋はスタンドをガチャンと下すと背負っていた紺色のナップザックを自転車のカゴに入れ、猫の前にしゃがみ込んだ。干上がったりんごのようになってしまっている臓物の一部と河岸をキョロキョロと交互に見ている。
感情移入したにしてはなんだかドライというか、作業的というか、慣れてないか?と思ったが、まさにさっき言われた言葉を思い出し、
ーーそういうもんかね...ーー
と心の中で自分に納得させた。どうやら慣れが必要らしい。補助輪なしで自転車に乗り始めたのはいつだっけ、と考えながら苔色のナップザックをーー俺はハンドルにもたれかかるようにしてーーカゴに入れた。
秋は今度は河岸側の斜面に足を踏み入れた。斜面に茂る雑草を踏みながら自分の足元をちらちらと見回す。
ーー感染症が怖いとか言ってたなーー
『枝で移動させる?』
『うん』
こちらを見向きせずに黙々と探している。
俺も一緒に探したが、手頃な木の枝というのはいざ探すとなると意外と見つからないことを今日初めて知った。
『これでいけるか』
振り向くと秋は赤茶けた平たい鉄屑のようなものをこちらへひらひらさせている。どうやら土に埋まっていたらしく小さい礫が土と一緒に固まり、その鉄板の一端に付着していた。
鉄板の大きさは思っていた以上に猫より大きく、おそらく木の枝では難儀したであろう移動は速やかに完了した。鉄板のみでは掬い上げる時に猫がずり落ちてしまうので自転車のタイヤを使って反対側を支えながら乗せた。
俺はチャーハンの最後の一粒が掬えない時のことを思い出したが、なんだか夕日と相まって神妙な空気になっている上に、秋が何やら真剣に取り計らっているので口に出して共感してもらうことを咄嗟に諦めた。
協議の結果、猫は先ほど板切れを掘り起こした辺りに埋めてやることにした。川の近くなのでここら一帯の土は少し湿っている。掘りやすいが、川の近くすぎると水分が多くて腐りやすいのだと秋は教えてくれた。もう腐ってはいるが配慮を利かせ、少し乾燥している場所を選んだ。