人生名言ばかり。
私がもらってきた言葉の一部をご紹介します。
笑えない内容も含みますので、鬱展開が苦手な人はブラバ推奨です。
生きていれば、様々な言葉と出会います。
このエッセイでは、今月で三十路を迎える私が出会ってきた名言を、解説付きで紹介していきたいと思います。
①【自分を信じられない人が、他人を信じられるわけがない】
これは、私が中学生の時にいじめを受けて、四日ほど不登校をした時のお話です。その間、何度も友人たちが私を学校に引き戻そうとしてくれましたが、意地っ張りな私は、“いじめられたこと”が許せなくて、なかなか外にも出られませんでした。
いじめられた理由は、毎日お風呂に入らなかったからです。指摘された後は毎日入りましたが、それでも何だか恥ずかしい。また言われるだろうな。そう思うと、学校や外に行きづらかったのです。
それでは、当時強制的に家に入ることが出来た人物は誰か。
先生です。
しかも、担任ではなく、社会科の先生。
私などに構うほどの人ですから、すごく変わり者でしたよ。授業中にギターを弾いたり、やたら平和平和言う人でした。
そんな人に私の気持ちがわかるものか。なんて思いつつ、
「もう誰も信じられない」
と、試すように思ってもいないことを口にする私。性格悪いでしょう?
その時に言われたのが上記の言葉です。
ほぉ……。らしいことを言うじゃないか。
先生が言うには、まずは自分自身を信じてあげること。そうすると、人を許せる心の余裕が生まれる。そして、信じることもできる。
オマケに、
「友人が家に来てくれていることに感謝しないといけない。戻るなら今だ」
とも。
私が引きこもったのは四日。先生の体験談では、一週間以上休むと戻るのが困難だそうです。冷静になって考えてみると、たかがお風呂に入っていなかったという理由だけで、これからの人生ずっと引きこもって人生が詰んでしまうことを考えたら、バカバカしくなりました。
そして、私は友人をいじめに巻き込んでしまいましたが、学校に復帰することが出来ました。されたことと言えば、消しかすを投げられたり、悪口を言われたり、ホッチキスの芯を投げられたり……。そんな程度です。
それに対し、私と言えば、厭味ったらしく、良い香りのするシャンプーを使ったり、髪の毛をバッサリ切って、昔のイメージを払拭したりもしました。
変わるきっかけにもなって、今では本当に引きこもらなくてよかったと思います。
意地は張らないもんだ。そう思いました。
②【周囲を動かしたかったら、目標を口に出せばいい】
これは、高校の時の英語の先生が言った言葉です。
中学生の頃は漫画やアニメなどの二次創作に夢中で、成績など気にしなかった私。楽しかったけれど、高校受験なんて言葉も知らなかったのです。三者面談では親からも担任からもボロカス言われていました。
「因数分解だけは覚えておけ」
そう言われて、なんだかよく分からない公式を、なんとなーく覚えて、受かったのが私立の学校でした。母子家庭でそんな豪華なところ行くなって言われそうですが、なんと、そこで成績が驚くほど伸びたのです。
きっかけは、なんとなーく覚えた因数分解を“知っていた”ことによって、テストの答案に落書きをする時間が無くなるぐらいに、数字や公式と向き合えたことです。
100点なんて、人生ではじめて取りました。
そこで私は、思ったのです。
(これ以上成績を下げたくない。努力は数字となって見えるんだ)
こうなると、自然と勉強方法を探し出します。その高校は、偏差値が低いと馬鹿にされていましたが、中で働いている先生たちは、とても分かりやすく授業をしてくれます。
やっぱり社会科系の人は変わった先生が多かったけれど……。
なんと、通知表がほぼオール五だなんて。と思っていたら、担任の先生から一つの提案が。
「国語の点数がいいから、公募推薦受けてみないか」
正直な話、大学の名前に詳しくなかった私は、高校を出た後に普通の企業に就職するつもりでした。でも、ちょっとだけ期待されている?
そんなことを思った私は、口約束的に「わかりました」と言ってしまったのです。
国語だけの入試。
とりあえず、参考書は三冊までにしろと言われたので、厳選したものを隅から隅まで読みました。そんな日常を続けていたら、上記の言葉を担任に言われたのです。
意思表示をすると、まず動いてくれたのが国語の先生。
赤本を使った授業をしてくれました。
そんな高い物かえない。と言ったら、印刷してくれたのです。
もちろん、受ける大学と同レベルと言われる大学の過去問題を解く。
自然と、周囲も勉強モードに入ります。
ただ、ちょこっと嫌味が聴こえても来ました。
「自分だけしかいないと思っているのかしら」
なんて。
まぁなんと上品なお言葉。しかし、誰一人足を引っ張る人は居ませんし、全体的に成績も伸びてきました。みんなが本気になってくると、弱い教化では順位が下がってしまうことも。
特に英語と社会が今でも苦手なんです。国際的な活動はできませんね。あはは。
結論を言うと、合格しました。
しかし、私のゴールはここまでだったのです。
③【あなたたちは、高い学費を払って眠りに来ているのね】
これは、フランス語の先生が、クラス全員に言い放った言葉です。
皮肉たっぷり。さすがフランス人講師。
私はこの先生が苦手でした。外国語が苦手だった私をピンポイントであててくるので、授業もさぼりがちになってしまいました。
結果、何度も単位を落とすのですが、それはまた別のお話。
これはただ、印象に残った言葉です。
大学を卒業した今だから思います。もう少し真面目に、真剣に取り組めばよかったと。
補習授業の時には、とっても気さくで、笑顔で、フランス産のアニメーションを授業中に見せてくれました。ハッキリ言うと、難しい表現で何を表現したかったのかは分かりませんが、とてもファンタジーで虹色の世界が印象的でした。
必修科目でしか出逢わない先生でしたが、とても個性的な人で、くしゃみの大きな人でした。
元気かな?
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④【人は、簡単に死なれへんで】
ここからは、重い話題になります。
せっかく大学を卒業したのに、私は精神に疾患を持ってしまいました。
細かいことを話すと、やばいので、私がした愚かな行為を。
部屋の中には、ロープ、包丁、カッターナイフ。そして全開に開けた窓。
察してください。
親が強制的に成人の私を精神病棟へと連れていくことの大変さを。
まだ、自分の置かれている立場を理解していない私は、何度も何度もあの世への入り口を探していました。だって、そうしなければ無惨な死を遂げることになるだろう。
そういった、幻聴が常に聴こえていたのですから。
そして、薬を飲んで、意識混濁。痩せこけたからだ。
人生そのものに絶望をして、こんなことになったきっかけを恨みました。
憧れは、あの世。
私は自分のタオルで、ぎゅっと自分の首を閉めました。
「何してるのー!」
叫ぶ声が聴こえる……。
鏡を見ると、圧迫されて破裂した顔面の毛細血管が赤く浮き出ていました。
首をくくって死んだ人の顔が真っ白って、嘘なんだな。と冷静に思っていた時に、上記の言葉をかけられました。
(そうだなぁ)
それぐらいの感想しか持たなかったです。
人は美しく死ぬ方法を持たない。哀れなものなのだと知りました。
その言葉の重みを理解できたのは、退院後です。
⑤【あんたが死んだら、私も死ぬから】
これは、退院後に窓を開けて鳥になろうとした時に親から言われた言葉です。
困りました。私の命が親に繋がれてしまった。
とても冷静に。感情的にならず。静かに言われたこのセリフ。
窓を閉めたのは、私でした。
人って簡単に死ねないものだなぁ。と。
⑥【私が死んだらどうするの!】
これは、最近親から怒られることです。
私の状態はよくなってきているが、その分、月日は多く流れていった。
すでに普通ではなくなった生活。
食っちゃ寝してる場合ではありません。私もいい年になる。
そろそろ自立していかなければいけないのです。
親が焦ってきている。
そんなことを感じるセリフです。
そろそろ、親の命と私の命。別々に生きていかなくてはいけなくなった証でしょう。
◇◇◇◇◇
次に名言を創るのは、私であらなければ。
そう思うのでした。
※
私が病気になった理由はお答えできません。
どうか、察してください。
憶測で、ある人たちを叩くのもやめてください。
ただ一言いうと、喧嘩を売ってしまったのは私の方からです。
もう、関わりたくありません。
今の私は、いろいろあれど幸せだと感じています。
いろんな人が繋いでくれた言葉によって、生きている。
自分の意志で、様々な人に守られながらも、生きているのだと。
どうかこの先もずっと、今のままの私でありたいです。
人生名言ばかり。
最後まで見てくれてありがとうございます!