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災、来る~ワザワイ、キタル~  作者: 能登仁彦
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彼岸の門

 

 私は今にも気が狂いそうだった。愛する我が子が忽然と消えてしまったのだ。冷静でいられる方がおかしいというものだ。


「仁彦! 仁彦はどこ! 私の赤ちゃんー!?」

「もしかしてあんた、あの坊やの親しい人かい?」


 あの坊やだって? 私は介護士の女に詰め寄った。藁にもすがる思いだった。実際に強く掴んだのは首だったが。


「うえ。おええ」

「教えろぉ! 仁彦をどこへやった! お前が変な遊びを教えたのか!」


 違うよ。あの子と同じ血の匂いがした……。


 掠れた声で呟くと、女はこと切れた。途端に、ぐいと下に引っ張られる感触があった。気持ち悪くて、とっさに手を離した。死んだら自然長に戻るのかもしれない。伸ばしたゴムが縮むように、自らの弾性力によって、ひゅっと床下に消えた。女の口元から溢れたピンク色の涎だけが、微かに床にこびりついた。


 探さなきゃ。仁彦。仁彦はどこ!? 私は同じ思考を繰り返すだけになりつつあった。人を突き飛ばし、波をかき分け、電車の中を探した。どうしよう。どうしよう。まだ遠くには行けないはず。おすわりもまだなのだ。いや、誘拐された? ああ、仁彦。無事でいて。


「マーマ」


 その時、狂おしく愛おしい呼び声を聞いた。


「仁彦ぉ!」


 私は彼を抱きしめた。親指をしゃぶる彼を。丸まって小さくなった身体を。痺れがマシになるから腰を曲げているのね。仁彦も私に抱き着いた。


「マーマ」


 しゃぶっていた指で、電車の外を指した。そこは駅のホームだった。この先に、何かあるのね。もしかして、仁彦がいるの?


 でもここにいるじゃない。


「マーマ」


 それではダメなのね。


 伝えるべきことは伝え終えたからか、仁彦はぐずり出してしまった。私は「neo耳袋」を読み聞かせてあげようと思った。また最初のページを開いた。著者のモノクロ写真。はにかんでいるようにも見える、可愛い仁彦。それは、お医者さんが見せてくれたエコーの写真だった。荒い白黒の画像でも、顔かたちが分かるようになってきた。しかし目の前の仁彦はすでにすぅすぅと寝息を立てていた。涎をぬぐってあげる。もう。この子ったら。可愛いんだから。

 待っててね。すぐ見つけるから。

 同人誌をそっと置いて、私はよぼよぼの仁彦のもとを立ち去った。赤ちゃん返りした彼のもとを。




 この一連の怪談には、意図的に隠されたことがあった。全ての怪談の舞台が駅であったこと以外にも。まだ隠されていたことがある。

 それは、話の繋がりだ。そこに、仁彦の居場所を探る手掛かりがある。

 (わざわい)が来る。どの話でもそうだった。では、来た災は、次はどこへ行くのか? その答えも示されていた。次の犠牲者のもとへ行くのだ。自らが怪異へと姿を変えて。そして怪異に行き遭った者は、また次の怪異となる。

 災は、次の災となって、連鎖していく。

 女子高生は災に行き会った後、自らも災となった。死んだ経緯は分からない。しかしコンビニの話の時点では、怪異となって、店員の前に現れた。

 コンビニ店員。彼は子供――健太の前に現れた。不思議と思うかもしれない。あのホームレスは老人だった。時間が経ったのか? 違う。ここに勘違いがあった。

 最初からコンビニ店員は若者などではなかったのだ。語り口でそう思い込んでいたが、実はもっと歳をとっていたのではないか。仕事を辞めるくらいの年。そう、定年退職した男性だったのではないか。母ちゃんというのは、妻を呼ぶ時のものだったのではないか。驚くはずだ。夫が急にコンビニのバイトをすると言い出したのだ。でも家でずっと居られるよりは良かったのかもしれない。

 だから時系列的には、トイレの話とコンビニの話はそう離れてはいないはずだ。自販機の話で描かれた容姿こそが、彼の客観的な正体だった。


「こぉひに!」


 誰かが私に声援を送っていた。歯がないので発音が不明瞭だが、今の私にはちゃんと聞きとれる。彼が愛した仕事。愛した場所。その名を叫んでいるのだと――コンビニ!

 子供は地下道の災となった。女も勘違いをしていた。大人の男だと思っていた謎の人物。彼は健太だった。女が最後に見たものは、あどけない子供の顔だったのだろう。

 スラックスが短かったのは、伸びた身体についていかなかったためではなかった。もともと半ズボンだったのだろう――小学生の制服みたいに。それが介護士が気付いたことだった。

 そして女は私の目の前に現れた。ちょうどこの真下に地下道があるのだ。怪異は私に出会った。では私は。

 私が今体験していること。これが最後の怪談なのだろう。

 災は巡る。彼岸の門はどこにでも口を開けて、人々をその循環の中へ引きずり込む。介護士の女に遭った私が災になったのだとしたら。次に行く場所は決まっている。仁彦が待っている場所。

 私が仁彦を産んだ場所。

 トイレの玲子さん、だったっけ。奇遇ね。私も玲子っていうのよ。

 気付けば、人気のないトイレの中にいた。いや、一番奥の個室から、赤ん坊の声がした。

 ああ、見つけた。

 夢中で扉を叩いた。誰かの怯える気配もある。関係あるものか。仁彦。仁彦。とよひこ。とよひこ。ひこひこひこひこ――




 ▭■▭■▭■▭■▭■▭■▭■▭


 僕の母は、駅でひこひこ言っているところを保護されました。

 ……いや、笑わないでくださいね(笑)。本当のことですから。

 どうも、再び能登です。あとがきも兼ねて、この話を締めくくりたいと思います。もう少しだけお付き合いください。

 もう気付いていらっしゃる方もいることでしょう。これら5話は、すべて、僕が実の母・能登玲子から聞いた話です。語り手は全て母です。……嘘はついていませんよ。「取材」対象は一人だったというだけで。

 彼女が見つかったのは、2年ほど前のことでした。それで色々ごたついて、サークルに顔を出せなかったのです。主催者のDanさんにもアドバイスなどしてもらっていました。本当に感謝しています。

 母が見つかったのは、とある駅の構内です。商業施設が一体となった、ターミナル駅――そう、まさに能登玲子が語った、怪談の舞台になっていた駅です。この駅は、僕の人生にとってもかなり縁のある、運命的とも言える場所なんですが、それはおいおい分かっていただけると思います。

 全ての話の舞台。そこで、母は発見されました。早朝、まだシャッターが開いていない時間帯に、係員が発見したそうです。座り込んで、うわごとを言い続けている女性。彼女は、生まれたばかりの僕を捨て、消息を絶っていた母でした。

 真相は、「トレイの玲子さん」の噂とは異なっていたのです。母は堕胎したわけではありませんでした。僕はこうして生きているのですから。

 前の雑誌でも何度か触れたことがありますが、僕は孤児でした。「能登仁彦」という名前と読み方だけを書いた紙と一緒に、駅のトレイに捨てられていたところを保護されました。

 ありふれた名字だけでは親が誰かは分からず、僕は孤児院で育てられました。ですが周囲の助け(もちろん、このサークルのメンバーや、そして今までの作品を読んでくださったあなたも)もあり、僕は無事に社会人として生活を送っていました。子供もできました。

 そんな折、母が見つかったとの知らせが入ったのです。それは、奇しくも僕が捨てられていた駅でした。母は何十年も前に我が子を捨てた駅に忍び込んで、何がしたかったのでしょう?

 駅で発見された母はどこから入り込んだのか分からなかったそうです。まるで神隠しにあった後のようだと、係員さんは言っていました。彼女はひたすらうわごとのように話を繰り返していました。警察の聴取でも。怪談話と、独白。それを延々と、壊れたテープのように話し続けていました。でもその内容から、僕のもとへ連絡がきたんです。これにはもう一つ理由があるのですが、今は再会の話を続けましょう。

 一目見て、僕は悟りました。覚えているはずがないのに。この人が母なのだ、と。目から涙が勝手にこぼれました。人知を超えたつながりを感じた瞬間でした。人生で初めて知る、肉親の愛だったのです。

 ホラーなのにこういう話ばかりしても仕方ありませんね(笑)。もう少しで本題に戻りますから。

 母は入院し、僕は見舞いに行くようになりました。母は死ぬまで正気には戻りませんでした。孫の顔を見せても、うわごとを繰り返し続けました。ずっと、彼女の世界に浸っていたのです。もともと衰弱していました。何も食べようとはせず、首の太い血管に直接栄養チューブを入れることで生きながらえました。それでも彼女はすぐに逝ってしまいました。ですが彼女の最期は、安かなものだったと思います。これが母の発見から数ヶ月後、今から1年以上前のことになります。

 母が語った話は、スマホに録音して、それきりになっていました。怖かったのです。あまりにも突飛な内容。それに。僕にも生活がありました。涙を流して再会を喜んだとは言っても、現実はより強いものです。すぐに僕は日常へ戻っていきました。警察の人も、内容の解読に手間を割けるほど暇ではないのです。どこかもやもやした気持ちを抱えたまま、僕はそれまで通りの生活を続けました。母のもとへはよく見舞いに行きましたが、そのうわごとに耳を傾けることはしませんでした。なるべく、普通の母子としていたかったのです。まるでそれで、失われた時間が取り戻せるかのような、そんな気がしていたのです。

 主催者のDanさんから声がけがあったのは、母のことが一段落ついたころでした。まえがきでも触れたように、これをきっかけとして、一つの区切りをつけようと、僕は思ったのです。

 しかし、謎は多く残されています。母はどうして駅に忍び込めたのか。今まで何をしていたのか。どうして僕を捨てたのか。

 そのうちの一つには説明が付けられるかもしれません。それは、神隠しです。到底納得できるようなものではないかもしれません。ですが、そう考えるより他ないような事実もあるのです。

 彼女は、もう70代にさしかかってもいいような年齢です。しかしその身体は、実に若々しかったのです。40代、いえ30代のように。もしかしたら僕と同年代の妻よりも。まるで、僕を産んだ当時から年を重ねていないかの如き若さでした。

 当然見つかった当初は僕以外の誰もが首を傾げ、別人だよと言っていたのですが、僕は先述の通り言葉では説明できない直感がありましたので、親子鑑定をしてもらいました。その結果、僕たちは母子であると証明されたのです。

 ただ、彼女は入院中、急激に老いていったようにも見えました。それはまるで、辻褄を合わせるように。彼女は僕をトイレに置いた後、ずっとその駅の中にいたのではないでしょうか――?

 そして、母が語っていた世界。ついぞ戻ってこなかった、母が繰り返し呟いていた妄想の世界。彼女がそこまでの執着を示した理由も、分かるような気がするのです。

 さて、この話に隠された、いわばトリックというべき部分の大半は、すでに母の独白によって明かされました。繰り返すワザワイ。次の災が来る。循環の世界。駅という、一つの場所を舞台とした怪談。

 みなさんは、気付きましたか? その世界に、ずっと僕=能登仁彦が登場していたことに。全ての話には、僕がいたのです。

 もうお分かりかと思いますが、トイレの玲子さんの話では僕は赤ん坊でした。

 コンビニ店員の話に出てきたJさん。あれも、おそらくは僕のことなのです。皆さんは、不思議に思いませんでしたか。駅で母が見つかった時、僕のところまで連絡が来た理由。

 それは、その駅が僕の元職場だったからという要因もあります。僕は駅員として20代の時にこの駅で働いていました。奇しくも自分の生まれ故郷というべき場所で。僕は人生の一時期を過ごしたのです。これも、この駅と僕が運命的に結ばれていると感じる所以です。

 あの話に出てきた、制服を着たJさんとは、仁彦を文字ってじんさんと呼ばれていた僕のことです。そう呼んでいた老齢のコンビニ店員のことも当然覚えています。駅の人は僕の生い立ちのことも知っていましたから、本社勤務になっていた僕にすんなりと連絡が行ったというわけです。

 そして自販機の健太君。僕の息子の名前と同じなのです。一度だけ、母に顔を見せに行った息子です。能登玲子の孫です。あの話の「お父さん」とは僕のことです。ラルラリラとは言いませんが(笑)。

 さらに、ファイン・フェイスは、せがむ息子に、僕が冗談交じりに言ったことでした。一種のアナグラムになっているんですよ。Fine Face→Caffeineってね。

 僕の人生を言い当てているのですよ。母は。

 おかしいじゃないか。そんな声が聞こえますね。そうです。母は僕を駅に捨てた後、行方知れずだったのですから。僕のことを言い当てられるはずがありません。トイレの話は彼女の実体験でもありますからともかくとして、コンビニの話や自販機の話はどうなるのですか。彼女は実は、ずっと僕をそばから見ていたのでしょうか? 神隠しなど妄想で、僕と一緒に歳を重ねていたのでしょうか? それにしては、彼女の身体は若すぎました。病院の医師も首を捻るほどに。

 介護士の話に出てきた老人・Nさんも、僕なのではないかと思っています。腰痛が辛くて、将来は介護が必要になるだろうと言われているからです。それも運命と、受け入れてはいます。

 やっぱりおかしいですよね。それは承知しています。母は、僕が知らないことまで――この先の人生まで、見えていたのでしょうか? まさに首の伸びた介護士のように。

 そして最後。母は電車の中で赤ん坊と再会を果たしたように見えますが、そうではありません。赤ん坊のようによぼよぼになった、老人になった、僕でしょう。人は最後は赤ちゃんに返ると言いますが、言いえて妙ですね。

 僕はこの世界の中で、ずっと年を重ねていったのです。同じ場所、ほとんど同じ時系列の中で、僕だけが二十数年ごとの姿で登場していたのです。成長していたのです。

 どうしてそんな世界に母が身を寄せ続けていたのか、僕には分かった気がしました。手放した息子。その成長を見られると、どこかで気付いていたのかもしれません。母は、ずっと、僕を見守ってくれていたのかもしれません。そして、これからも。そう思うと、どうしようもなく、胸が熱くなるのです。

 その答えを聞くことはもうできません。僕も年を取りすぎました。

 そろそろ筆を置きましょう。もう寄稿するのもこれが最後になるかもしれません。今まで、ありがとうございました。

 ……前作でもそんなこと言ってたって? いやあ、鋭いですね。またひょっこり帰ってきたら、その時は、温かく迎えてやってくださると、これに勝る喜びはありません。

 全てのホラー好きに、恐怖の訪れんことを。

 そして、亡き最愛の母・玲子に、この小説を捧げます。


 能登仁彦


『災、来る~ワザワイ、キタル~』 完






→Next『怪奇! 人面機関車あらわる』(最大爺)

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