10、救える命もあれば――。
放課後バハムートのところへ行くと、物置教室のなかをリンゴが歩いていた。
とてとて、と二足歩行する真っ赤なリンゴは、私に気づくと足にすり寄ってきて、ひしっと靴下にしがみつく。
(なななにこれ!!可愛い!)
そっとリンゴを手のひらに乗せて持ち上げると、愛らしい顔があった。
嬉しそうに、にこにこしている姿は、小動物のようだ。
敵意のようなものは感じられず、ひたすら構ってほしそうにアピールしてくる。
いつもの椅子に座っていたバハムートの元へ行って、リンゴを見せた。
「どうしたんですか、これ」
「学食で働く知り合いに頼んで、譲ってもらってきたんです……少し、顔色が戻ってますね」
バハムートは私の顔を覗き込むと、ほっとしたように息を吐いた。
どうやら、心配してくれたらしい。
「ご心配をおかけしました」
ぺこりと頭をさげる。
フローリリアといいバハムートといい。それに、あの現場にいた教師たちも、こぞって心配をしてくれる。
今朝、フローリリアが教室で私を弁明してくれてから、ちらほらと、同級生からも気遣うような声を聞くようになった。
上級生からは、褒められたりもする。
未だに嫉妬の目は減らないけれど、良い人も大勢いるのだ。
私は、自分の席に座ってから。
しばらくのち、話し始めた。
「初めて、デルを見ました」
「そのようですね。先生方から昨日の状況を聞いて驚きました。後始末に奔走することになって個人授業はキャンセルになりましたが、出来ることなら、昨日のうちに話をしたかったのです」
「え?」
「衝撃的だったでしょう、色々と」
昨日の状況を思い出して、ぎゅっと唇を噛む。
肉をかみ砕くデルの姿と、叫ぶ生徒。
生きたまま食べられる姿を初めて目にして、自分の考えが甘かったことに気づかされた。
「あれは、敵でした」
元は人間なのに、という同情は出来ない。
元は人間だけれど、ああなってしまったら、敵でしかないのだ。少しでも甘い考えを持てば、殺される。
「敵だと認識したことで、正体を暴いたそうですね」
「正体?」
「鱗がついた姿が現れたのでしょう?」
昨日のデルを思い出して、頷く。
「前足が光に包まれて、鱗が生えた姿に変わっていきました。一部分だけでしたが」
「同行した教師が驚いていましたよ。十五歳になる前に、あのように暴くことが出来るなんて、と」
「……すみません」
同行した教師がいくら褒めたところで、私では完全に力不足だ。
それに、アルフレッドも言っていたけれど、バハムートには何度も言われていたことだ。光属性の操り方は難しいので、訓練しなければ身を滅ぼしかねないと。
バハムートは困ったように笑う。
「師としては褒められたものではありませんけれど、あの場合、あなたは出来る限りのことをしました。わざとであれ、本能であれ、敵を遠ざけることができたのは、懸命でした。頑張りましたね」
手が伸びてきて、頭をぽんぽんと叩いてくれる。
バハムートの大きな手とぬくもりに、へにょんと情けない顔になってしまう。
「こういう場合、私たちは『一つの犠牲で済んでよかった』と考えます。すべてを助けられるわけではありませんし、そんな大層な力もありませんから。けれど、光属性をよく知らず、特別な存在だと認識しているほかの者たちは、私たちを二種類でしか認識していないのです」
デルと戦う戦士で、強くて助けてくれる存在。
デルと戦う冷徹な属性持ちで、利己的に動いている存在。
それを聞いて、私は目を見張る。
「前者はわかりますけど、利己的って」
「昨日の場合だと、先に犠牲になった少年を私は助けません。腕をもがれた時点で助かる見込みがありませんから。けれど、他の……特に、犠牲者の身内や親しい者からは、どうして助けなかったそれだけの力があるだろう、と罵られるのです」
「……それが、利己的?」
「ああいった場面には、よく遭遇します。彼らは、私に、私が身を挺してでも大切な人を助けてほしかったのでしょう」
身を挺して?
見ず知らずの人に対してそこまでする義務も義理もないし、助けに来た側が犠牲になっては、他の者にまで被害が及ぶ可能性もある。無謀もいいところだ。
でも、大切な人を目の前で殺された人からすると、それもわからないんだ。
バッシュの近くにいた女生徒、名前はアマリリスというらしい。
あの子は、私に対して怒ったあと泣き崩れた。
今日は欠席している。
大切な人が目の前で襲われているのに、震えるしかできない自分の歯がゆさに、絶望してなければいいけれど。
「あなたも昨日、心無い言葉を浴びせられたと聞きました。辛かったでしょう」
「はい。今日、欠席してるんです。あんなふうに、私に当たってしまうくらい苦しい思いをしてるって思うと、心配です」
様子を見に行きたいけれど、私が行ったところで火に油を注ぐようなものかもしれないし。
むぅ、と眉をひそめていると。
「……そういう意味ではなかったのですが」
「え?」
「いえ。あなたにとっては、生涯忘れない経験になるでしょう。ああいった魔獣被害は、国中で起こります。地方によって偏りはありますが、日常的に魔獣被害に怯えて暮らす町も多いのです」
じゃあ、私が育った村はかなり安全な場所だったんだ。
野生の獣はいたけれど、魔獣や魔物の類はいなかったから。
「じゃあ、私、もっと強くならなきゃですね」
リンゴを片手に乗せて、空いた手で拳をつくる。
バハムートは笑顔を浮かべて、置いてあった防水手袋つけながら頷いた。
「ええ。どこで暮らすにせよ、デルから自分と身近な人を守れるくらいの力は、あったほうがよいでしょう」
「はい。先生の言ってた意味が、わかった気がします。普通に暮らすためにも、私、光属性をしっかり学びたいです」
笑みを深めたバハムートは、後ろからかき氷機のような機械を持ってきた。
「一緒に頑張りましょうね」
そう言うと、私の手のひらから、リンゴをひょいと取り上げて――機械の蓋を開けると、防水手袋をした手で握りつぶした。
えええええええっ!
潰される瞬間、リンゴが「ぴっ」って言った!
親指を押し込むようにリンゴを砕いてバラバラにすると、防水手袋を外して蓋をし、小さな紙コップを機械の下についている注ぎ口の前に置く。
まさか。
嘘でしょ?
バハムートがハンドルを回すと、じゃりじゃりとすりつぶす音がして、注ぎ口からピンク色の液体が出てきた。
「しぼりたては、特に美味しいらしいですよ。一個分なので、量は少ないですけれど」
小さな紙コップ二つ分に、一口ずつほどの液体が注がれる。
片方を渡されると、バハムートが乾杯だと軽く紙コップを当ててきた。
当たり前のように口にするバハムート。
私は、機械と紙コップを見比べたあと、ちび、と少し口をつけた。
「わぁ、芳醇!」
ペルシュジュースだ。
学食で売っているものより、鮮度が増して味も濃い。
「よかった、気に入っていただけて」
「……ありがとうございます」
しぼりたての美味しさが、半端ない。
気遣ってくれたことも、凄く嬉しいし、頑張らなきゃって思う。
でもまさか、ペルシュっていうのが、あんな可愛い生き物だったなんて。
それを考えると、学生食堂の奥の調理場ってどうなってるんだろう。
リンゴもといペルシュが潰された瞬間の、「ぴっ」が頭から離れない。
私は、この世界の常識についていけるのかな。
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