閑話休題(その3)
いつもご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
たかさばと申すものです。
昨日その前に引き続きまして、本日も「反映ーreflectionー」と「内省-Reflection-」の誕生秘話をボチボチ書いていこうと思います。
昨日宣言したので、私が小説を書く背景について書きますね。
炎川裕三さんにきっかけをもらった私ですが、ここで問題が発生します。
実は小説というものを書いたことがほとんどございません。
学校の授業や部活、仕事などで文章を書かされたことは多々ありますが、テーマが決められていることがほとんどでしたし、自主的に物語を書いたことは今までありませんでした。
そんな私に、何が書けるというのだろうか?
昨日少し書きましたが、私は読み専でした。
もともと、図書館が好きな子供でした。毎週十冊借りて、図書カードが分厚くなっているような子供。児童文学が好きで、図書館の棚を全部読破して自慢するような子供だったのです。どういう本を読んだかではなく、何冊読んだかに執着してしまった、小学生時代。残念なことに、私は流し読みをする癖がついてしまったんですよね。
そしてそのまま大人になり、小説家になろうというサイトにたどり着きました。片っ端から、読みまくる日々。ジャンル不問、目についたものから読み始め、流し読みした後気に入ったものを何度も読み返す。ずいぶん、ずいぶんたくさんの作品を読ませていただいてきました。
私にとって、なろうというのは、誰でも小説家になれるサイトであるという認識です。
拙い文章を発表すべきでないと考える方もおられると思いますが、私はそうは思っておりません。単語を知らないだけで物語として魅力にあふれる作品は実は溢れていてですね。なんというのでしょうか、見るに値しない作品など一つもないと私は思っているわけです。ずいぶん読み散らかしてきましたが、「書けないので続きを発表することができなくなった」「書く自信がないのでやめます」「語彙力がないのでもう無理です」そういうあとがきを、いくつも見ました。あとがきのない、続きを見たい作品がいくつもありました。
完結しない作品は、書けないんじゃなくて、書かないんだなとしか思えなかったといいますか…。
語彙力がなくても物語はかけるし、文章がおかしくても物語は書けると私は思っています。
誰もが認める物語を書くことを願う人は多いと思います。語彙力の強い、読む者を引き付けて離さないような物語は本当に魅力にあふれて神々しいですから。ただ、私が思ったのは、誰もが認める物語を書く前に、自分の思いついた物語を素直に書いてみてはどうなのかという事です。物語は一度書いたらそれで終了ではなく、何度推敲してもいいし何度道筋を変えてもいい。何度も書き直しているうちに神々しい物語になることだってあるはず。なろうというサイトは、誰にでも開かれた小説発表の場。そこには恐ろしく自由に、物語の需要と供給があふれているわけです。…たどたどしい文章?そんなのは私が脳内補完したらよろしいがな!!
そうだな、じゃあ、偉そうなこと考えてる私も書くか。
いろいろと考えるよりも、まずは書いてみようじゃないか。書いちゃえ。
時は折しもエイプリルフール。始めるのにぴったりじゃありませんか。冗談みたいな人生を送ってきた自分にぴったりだわ。ははは!!!
かくして私は物語を発表するに至り、ここにおります。
ところで、しつこい(三回目)ようですが、投稿タイトルの、閑話休題(その3)。
閑話休題:むだ話を打ち切って、話を本題に戻すときに使う言葉。
…とされております。
私の中では、タイトルこそが本題であって、発表している物語が無駄話というイメージなんです。
炎川裕三さんの「内省」に対して私が「反映」したいと願う気持ちが非常に、強い。つまりですよ。
炎川裕三さんが書いてくれないと、非常に、辛い!!
ということで。
炎川裕三さんが私の暴露話に恐れ戦いて追いついてきて下さったので、この辺でむだ話に戻ろうかと思います。明日からはまたなんじゃこれ話を投稿しますね。
ああしまった、ほかにもいろいろと書きたいことがあったのにぃぃ!!炎川裕三さんの麗しのハイトーンボイスだとか不意を突いた頭のいい発言で撃沈事件とか…。またの機会に全部忘れることなく取っておきます。
三日間に渡る内情吐露にお付き合いいただきましてありがとうございました。




