神速
小学六年生だったとの事です。
国語の授業。
原稿用紙3枚を、如何に早く書くことができるかというテーマをもらった。
書くのは、物語でも、思ったことでも、なんでもいいとのこと。
どうしても書けない人は、教科書の物語を写せと言われた。
私は普段ぼんやりしているものの、文字を書くことはとても好きだったので、がぜんやる気を出した。
3枚の原稿用紙を前に、今からこの1200マスを埋めるという意気込みを見せなければと思った。
かくして。
「げんこうようしのみりょく。げんこうようしのちいさなますめ。わたしはこのしかくいますがだいすきです。わたしのもじがますめをうめて、いちまいうまる。それだけでとてもうれしくなるのです。なぜならわたしは、わたしのかんがえていることをもじにするのがとてもおもしろいとおもうからです。わたしのきもとをもじでかくこと、それがおもしろくてしかたがないのです。いま、わたしはずいぶんますめをうめてしまいました。とてもかなしいです。このかなしさは、たぶん、わたしにしかわからないでしょう。でも、もじでこのかなしみをかくことはできるとわたしはしっています。もじをかくことのたのしみ、それはますめをうめることです。ますめをあけてしまうひとがとてももったいないとおもいます。ますめのぶんだけ、おもいをつたえることができるのに、もったいないです。それにしても、どうしてもじをかくことがにがてだというひとがいるんでしょうか。もじはとてもじゆうで、なにをかいてもいいとおもうのですが、ちがうでしょうか。わたしは、まちがっていないとおもうのですが、みんながもじをかくことをきらいだというのであれば、それがただしいのかもしれません。いまみんなももじをたくさんかいているのをしっています。はやくみんながなにをかいたのかしりたいです。せんにひゃくもじってかなりながいので、みるたのしみがあってとてもたのしみです。そもそももじは、とてもすごいものだとおもいます。おもったことをおもったことばで、おもったようにかくことができます。でも、いいかたがわからなくてまようことがあります。いいたいきもちがもじにできないとき、とてもかなしくなります。かなしいきもちはあまりもじにしたくありません。なぜならもじがかわいそうなきがするからです。わたしはいつか、たのしいはなしをかいて、みんなをわらわせたいとおもうのですが、すこしむつかしいかもしれないとおもいます。わらわせるはなしをかくには、わらえるようなことをたくさんしっていないといけないからです。てれびをたくさんみようとおもいますが、べんきょうもしないといけません。べんきょうはおもしろいときとおもしろくないときのさがすごいので、たまにいやになりますが、やります。べんきょうをしないとおこられてしまうからです。この、もじをかくというじゅぎょうは、べんきょうだとおもうのですが、わたしはたのしくおもっています。これは、べんきょうなのに、たのしいので、すこしだけおどろいています。べんきょうのなかに、おもしろいところをみつけることができてよかったです。もっといっぱい、もじをかきたいとおもいます。このさんまいがおわったら、もういっかいもじをかきたいので、あとさんまいほしいです。もらっていいですか。おねがいします、わたしにもっともじをかかせてください。すごく、すごくたのしいです。きょうのじゅぎょうはことし」
一気に書き上げた。
先生のところにもっていく。
「先生、かけたんですけど、紙が足りません。」
「はあ?!はやっ!!」
先生の教卓にもっていくと、周りの友達たちがざわつき始めた。
「あいつ早くね?」
「俺まだ1行しか書いてねえ…。」
「あいうえおばっかり書いたんじゃないの。」
私は、文字を書く速さには自信があるのだ!!
自信満々で先生に差し出すと。
「あのね。早いのはいいんだけど、ひらがなばっかりでしょう。しかも!文字が汚くて読めない!」
10分で書いたひらがなだらけの汚い文字は、残りの30分で清書できず、宿題になった、というお話。




