紫陽花
カタツムリは、三匹までならたえられる。
二軒隣の家は、アジサイが咲き誇る家だった。
梅雨の時期から秋まで、水色、赤、紫、色鮮やかなアジサイを楽しむことができた。
住宅街の少し狭い道路に面したこの家は、近所のみならず、市内のアジサイ愛好家たちを魅了していた。
「ずいぶん立派なアジサイですね。」
「私がここにお嫁に来た時から咲いているの。」
75歳になるおばあちゃんは、いつもニコニコして、アジサイを見に来る人たちと会話を楽しんでいた。
時には一緒に写真を撮り、時には一輪、アジサイを分け。
取っても取っても咲き誇る、アジサイ。
「何か栄養?肥料とかあげてるんですか?」
「いいえ、なにも。」
何もしなくても、ここまできれいに咲き誇るのかと、心底驚いた。
アジサイの生け垣は、50メートルにも及んでいたのだ。
「このアジサイの下にはな、死体が埋まってんだよ!だからこんなにきれいに咲いてるんだよ!何人埋めたんだ、がはははは!!!」
「縁起でもない!やめとくれ!!!」
近所のクソじじいがたまにおばあちゃんに絡んでいた。
どっかで聞いたことのあるような話を何度もするとか…、よっぽどこのおばあちゃんのこと好きなんだな。
年期の入ったツンデレに少々辟易していた。
春、今年もアジサイの季節がやってくるなと思っていたら、おばあちゃんが引っ越して行ってしまった。
老人ホームに、入居したためだ。
アジサイは、根元から、すべて、切られてしまった。
アジサイの生えていた土手が、あらわになった。
そして、誰も知らなかった、アジサイの事実が露呈した。
あれほどまでに咲き誇っていたアジサイの根っこは、六つしかなかった。
幾重にも絡み合ったアジサイの幹がどんどん伸びて、50メートルの生け垣となっていたのである。
50年の長さを、目の当たりにする。
アジサイの生えていた土手には、死体は埋まっていなかったが。
死骸が山のように積み重なっていた。
カタツムリの残骸、何かの骨、虫の羽…。
生命を奪って咲き誇っていたのか、はたまた生命力あふれるアジサイのパワーに引き付けられてそこで生涯を終えたのか。
謎は未解決のまま家は壊され、今は無機質なアスファルトになっている。
私は自宅に、アジサイを植えた。
自宅敷地の小さな土手に、一株。
最近やっと、花が咲いた。
「あら、ここのアジサイ、ずいぶん小さくなったわね。」
何も知らない、アジサイを見に来た市民がつぶやく。
ああ、あなたの見たアジサイはもう、過去のものなんですよ。
これからは、私がここで。
50年かけて、あの生命力を、育てていくから。
いつか咲き誇るかもしれない紫陽花を思って、私は少しだけ、笑った。




