香り
たくわん、ポリポリ。
※こちらの作品は、ノベリズムさんにて連載中の「誰かのため息は、ずいぶん蒼くて…重いらしい。」でも公開しています。
保育園に入って、初めて行った、遠足。
お弁当を持って、母娘で参加した、遠足。
行先は近所の小さな動物園。
動物園の中の、大きな金網のドームには、サルがたくさん飼育されていて、時折獣臭が漂っていた。
お昼ごはん。
母親とともに、お弁当を広げる。
白いご飯に、ゆでたジャガイモ、味のない卵焼きに、塩コショウをかけて焼いた豚肉。
母親は、料理が好きではなかったので、お弁当といえば、これしか、作らなかった。
獣臭い中で食べるのは嫌だというので、私と母親は、少し離れた誰もいない砂場横でお弁当を広げた。
ふわりと、沢庵のにおいが、した。
しかし、自分のお弁当を見ても、沢庵など入っていない。
沢庵は、父親が夕食のとき必ず食べていた。
欲しいと願っても、漬物は子供に食べさせられないと、食べさせてもらえなかった、沢庵。
憧れの沢庵のにおいに包まれて、味気ないお弁当を、食べた思い出。
何度も、何度も、お弁当を食べる機会があったが、味気ないお弁当を食べる度に、沢庵のにおいが思い出されて、少しだけ、白いご飯がおいしく感じられた。
沢庵のにおいなど、漂ってはいないというのに。
自分でお弁当を作るようになったのは、小学校に入ってから。
色とりどりの、風味豊かな、お弁当。
自分の食べたいものを、思うままに詰め込んで。
ずいぶん、奇天烈なお弁当も作った。
肉まん、雑炊、冷やし中華、冷えてもおいしいカレー、パンケーキ。
友達と交換することもあり、楽しいお弁当の時間を過ごしてきた。
けれども。
いろいろ作ってきたはずなのに、お弁当を思い出すと、いつも味気ないものが、思い出される。
私の中の、お弁当のにおいは、いつも沢庵。
大人になり、自分の子供にお弁当を作るようになった私。
毎日作る、小さなお弁当は、私の楽しみでもあった。
何を入れたら喜ぶかな。
どんな顔をして食べるんだろう。
全部食べてくれるかな。
毎日空になって帰ってくるお弁当箱に、微笑む私。
ある日、私は家族で大きな動物園に行った。
おにぎりと、たくさんのおかずをみっちり詰め込んだお弁当を持って。
獣くさい檻の前を移動して、子供動物園へとつながる橋を渡った時。
ふわりと、沢庵の、においがした。
この、においは。
歩みを止め、周りを見渡す。
沢庵のにおいの、元を探す。
「―ヒサカキ― Eurya japonica ツバキ科ヒサカキ属」
ああ。
沢庵のにおいは、この木の花の香り、だったんだ。
私は、ヒサカキの苗を買った。
玄関横の、花壇の片隅に、そっと植えた。
花は、まだつかない。
花の付く日を、待つ私。
いつかこのヒサカキの花が咲いたら。
ずいぶん長いこと、味気ない記憶に引きずられて生きてきたけれど。
お弁当のイメージが、変わるかも知れない。
娘と息子のお弁当に、そっと一枚、沢庵を忍ばせた私は。
いつか香るであろう、ヒサカキの花を、思った。




