便乗
ああ、まずい、遅刻しちゃいそう。
先を急ぐ私の目に、男性の姿が映った。
道の真ん中を、ふらふら歩いている。
危ないなあ、もっと端っこに寄ってくれないと、轢いちゃいそう。
そんなことを、思っていると。
・・・ばた。
男性が、倒れ込むのが、見えた。
大変だ。
…助けないと。
私は男性の横に車を着けて、あわてて…駆け寄った。
「だいじょうぶですか。」
「ああ…すみません。」
手を貸すと、男性は目を合わせることなく、下を向いた。
…とても疲れているようだ。
「あの、よかったら乗って行きませんか。」
「いえ…けっこうです、ありがとう。」
ふらふらと歩きだした男性が心配ではあったが、私は車を発進させた。
再び先を急ぐ私の目に、男性の姿が映った。
やけに堂々と闊歩している。
…元気いいなあ。
そんなことを、思っていると。
・・・ぶん、ぶん!!
男性が、手を振るのが、見えた。
なんだ?
…なんかあったのかな。
私は男性の横に車を着けて、あわてて…駆け寄った。
「どうかしたんですか。」
「この先に行くんでしょ!のせてってよ!!」
男性は目も合わさずに、私の車に乗り込んだ。
…図々しいな。
「勝手に乗らないでくださいよ。」
「いいじゃん!!どうせ目的地は一緒でしょ!便乗させてよ!」
後部座席で寛ぎ始めた男性に苛立ったが、私は車を発進させた。
先を急ぐ私の目に、女性の姿が映った。
ものすごいフォームで全力疾走している、急いでいるようだ…。
すごいなあ、陸上の選手かなんかなんだろうか。
そんなことを、思っていると。
・・・ばた。
女性が、倒れ込むのが、見えた。
大変だ。
…助けないと。
私は女性の横に車を着けて、あわてて…駆け寄った。
「だいじょうぶですか。」
「はあ、はあ、はあ、はあ・・・。」
手を貸すと、女性は目を合わせた瞬間、へっぴり腰で再び駆け出した。
…なんだ、元気、あるじゃないの。
「あのねーちゃんも乗ってけば良かったのに。」
「ね。」
私は車を発進させた。
車はすぐに目的地に到着した。
「おお、早かったな、ありがとさん!」
男性は礼を一言いうと、ドアを開け、車から降り・・・目の前にある、温泉に向かって、へこへこと歩いて行った。
今日も温泉は大繁盛だ。
一刻も早く温泉に浸かりたいと、たくさんの人たちが並んでいる。
私は並ぶ人たちの横を通り抜け、裏口へと、向かう。
「あ、おはようございます!遅かったですね。」
「うん、途中でちょっと、ね。」
制服に着替える私に、同僚が声をかける。
「…?なんか、人間臭くないですか?」
「うん、さっき車に乗せたから。」
…しまったなあ、窓開けて乗ればよかった。
「どうしよう、洗ってきた方がいいかな…?」
「大丈夫でしょ、どうせすぐに汚れるし。」
…この、温泉は。
人だったものが、命を終えて、その身を清めることができる、温泉。
人が、人に見切りをつけて別のものに生まれ変わりたいと願うとき、この温泉のチケットを手渡される。
―――次に生まれるときは、猫になりたい。
―――次は鳥になって、大空を自由に飛び回りたい。
―――次は大自然の中で、命の営みを堪能したい。
人に生まれ、人に絶望し、人でないものになりたいと願うものは…多い。
だが。
人は大変に・・・、魂が、染まってしまっているのだ。
人が、人ではないものになろうとするとき、人であった澱が、邪魔になる。
澱を落とすために、人は皆、汗をかき、力を振り絞り、気力を使い果たして…この温泉を、目指す。
途中で、全ての力を使い果たし、倒れる者も珍しく、ない。
すっからかんになってしまった魂を拾ってくるのも、私の仕事なのだ。
中身のなくなってしまった魂は、温泉を沸かすための、いい燃料に、なる。
ごっしごっし、ごっし、ごっし!!!
洗い場に行くと、さっき車に乗せた男性が、見習いスタッフにデッキブラシで洗われているのが、見えた。
…ずいぶん人間が残ってたからなあ、アレはちょっとやそっと洗った位じゃ汚れは落とせないな。
澱を落とせなかった人は、この温泉でスタッフにピカピカに磨き上げられる。
人であった時の愚かな思い込み、つまらない見栄、面倒な感情…すべて落とさなければ、人以外の生物には、なれない。
純粋な生き物に、人の名残は、もちこんではならないのだ。
見る見るうちに小さくなっていく、男性。
「あーあ、あの人なんでこっち来たんですかね。あれじゃ虫にしかなれないですよ。」
「虫も無理そうだね、ああ、あれ病原体にでもなるんじゃない?」
…せめて、ここまでの道のりを歩いていたらねえ。
多少は澱も落とせて、ゴキブリくらいには、なれたものを。
「あの人、私の車に乗り込んできたんだよ。」
「ええー!!何してんの、そんなことするからこんなことに!!馬鹿だねえ…実にバカだ…。」
しまったなあ、あんなにちっちゃくなっちゃうんだったら、初めからとっ捕まえてあのまま燃やせばよかったかも?
きっとよく燃えたに違いない。
でもなあ、あの汚れっぷりは・・・いい売り物になるし、どっちもどっちか…。
ここの排水は、地獄ではかなり重宝されている。
裏の山の向こうにある血の池地獄では、恨みやら妬みやらどす黒い感情と実に良い感じに混ざり合い、常にドロンドロンに沸き立つことで知られているし。
負の感情牧場でひしめき合ってる魂たちのエサとしても優秀で、しょっちゅう飼育員がポリタンクを持ってやってくるし。
水責めの時にもじゃぶじゃぶ使われているし。
わりと需要が多くてね…。
「バカゆえにいいものもゲットできたの!ねね、おやついる?さっきのおっさんから拝借したやつ。」
「ええー!イイんですかー!!頂きまーす!」
私は男性を乗せた時に、ちゃっかり乗車賃をいただいておいたのだ。
目的地が同じだからと言って無理やり乗り込んだ、その無神経さ。
隙あらば車を奪い取ろうとする、強欲。
道を歩いていたならば、落とすことができたはずの代物。
道の上で落としたならば、踏みしめられてかたまる事しかできなかったはずの代物。
・・・頂くことで、小腹くらいはね、満たせるっていうか。
「ポリポリ…うん、わりとねっとりしてるね。」
「もうちょっととがってないと、つまんない…パリ、パリ…。」
うーん、こういうの、人間界では、駄菓子って、言うんだっけ?
「すみませーん!湯上がり案内お願いしまーす!」
「はーい!!」
ああ、ずいぶんきれいに磨かれた魂が…二つ。
これはすれ違った、二人かな?
鳥になりたい魂と、イルカになりたい魂か。
二人とも頑張っていたもんねえ…。
「ええとー、この人はひよこで、この人は…ハゼかなー、はーい、こっちきてねー!」
「・・・。」
「・・・。」
希望する種族になれて、良かったね。
こっちに来る魂は、なかなか希望したとおりに生まれる事ってできないからさ、誇っていいと思うよ!
楽しく命を全うしてきてね!!
私は晴れ晴れしい気持ちで、二つの魂をボックスの中にいれ。
ぶしゅ!!
ボタンを押して。
見届けもせずに…自分の持ち場に、戻った




