笑顔
にっこり笑う、君が好き(*´-`)
おおおばさんは、私の祖母の姉。
呑み屋を営む、85歳。
ずいぶんおおらかで、ずいぶんチャーミングで、ずいぶん魅力的な人だった。
「『おばあさん』ってのは90超えて寝込んでから名乗るもんだ」
ものすごい座右の銘をひけらかしていた。
事実、老人ホームに行ったときには、
「周りがじじいとばばあばっかでつまんない」
などと憤慨していたそうだ。
自分が一番、高齢者だというのに、である。
私がまだ幼いころ、一ヶ月に一度ほど、込み合わないおおおばさんの呑み屋に、祖母とともに通っていた。
カウンター席が8つと、四人掛けのテーブルが三つ。
とても小さな、少し目立たないところにある、店。
おおおばさんは、独身の息子と一緒にお店を経営していたが、小さな店なので少々客足に伸びがない。
姉が大好きな妹である祖母が、時間を見つけて通っていたのだった。
カウンター席には、おおおばさんの子供たちが、日替わりでいつも並ぶ。
おおおばさんは子だくさんで、独身の息子の下に、6人の子供たちがいた。
祖母は、この子供たちと話をするのが大好きだった。
みんな、とても明るく、愉快な話をし、祖母を持ち上げる。
祖母の娘、すなわち私の母は、大変に寡黙な人であったから、そのストレスをこの呑み屋で解消していたのだろうなと、今は、思う。
祖母に連れられて、大人の時間に、顔を出していた私。
時折こちらに話題を振られるものの、寡黙な母に似た私は、気の利いた言葉を、伝えられない。
ただ黙って、出された食事を、丁寧に、食べていた。
おじさんの作る塩焼きそばは、私のお気に入りだった。
私が大学生になったある日。
おおおばさんの足腰が衰えてきたというので、二十歳になったその日から、手伝いに行くことになった。
中学生になったあたりから、私は祖母に同行することがなくなっていた。
久しぶりに会う、おおおばさん。
少々衰えの見える体に、昔と変わらない雰囲気を纏っていた。
一緒に店に立って、驚いた。
おおおばさんの、立ち居振る舞いが、言葉の応酬が、恐ろしく達者なのである。
少しの動作で、おしぼりを出し、それを受け取り、さっと自分の位置に引く。
立ち続けるのが難しくなったおおおばさんは、カウンターの端の席を陣取って、定位置からすべての客に、きっちり声をかける。
酔っ払いの暴言をいなす。
酔っ払いの絡みをかわす。
酔っ払いの涙を誘う。
「ぶっさいくなばばあだな!」
「私のかわいさがわからないなんて、まだまだお子様だねえ」
「つまんねえ話しかできねえのかよ!」
「あなたの話が面白すぎるからね」
「母ちゃん思い出すなあ…。」
「お母さんだってあんたを思い出してるはずだよ」
おおおばさんのやり取りに、私はずいぶん、勉強をさせてもらった。
何があっても、最後に笑顔を向けて、お見送りする。
少しはにかんだような、小首をかしげた、笑顔。
祖母はいつも、
「私は器量よしだったけど、姉ちゃんは不細工だからお世辞ばかり言ってる」
などと言っていたが、私はおおおばさんこそ、本当の器量よしなんだと思った。
私の中の、美学というものが、変わったのは、このころに違いない。
しばらくいろいろ勉強させてもらっていたが、ある日突然、勉強できる時間が、終わった。
おおおばさんが、倒れてしまったのである。
お風呂に入って、上がった瞬間、その場に倒れた。
そのまま入院してしまったので、私がお見舞いに行くと。
そこには、私の知らない老婆が、確かにいたのだった。
あんなにも気遣いができて、あんなにもスマートな動作ができていたおおおばさんの、真の姿は。
髪はほとんどなく。
歯もほとんどなく。
艶のない顔をした。
まぎれもない、85歳の、老婆だった。
いたたまれず、病室を、出た。
それが、おおおばさんとの、最後の対面となった。
おおおばさんの座右の銘は、私が受け継いでいる。
私は今でも、女性に向かっておばあちゃんとは、話しかけない。
おおおばさんの、怒りの声を、知っているから。
私が時折、飲み会の席で、じっとお酒を見つめてしまうのは。
あの日のおおおばさんを、思い出しているからだろう。
少しはにかんだような、小首をかしげた、笑顔。
見た目だけの笑顔ではない、内面からあふれ出る、笑顔の魅力に取りつかれた私は。
今、周りの人たちから、B専呼ばわり、されているわけ、なんですけどね…。
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