激戦のセッティング。タギー社、本格始動・後
時間はほんの少しだけ遡る。
「風が気持ちいーな、アニキ」
「そうだなぁ! 晴れやかないい陽気だ!」
遥の喫茶店、その屋上。
先駆千里と、その兄の借夏。二人は店を抜け出し、制約の無い時間を過ごしていた。
下の階は、いわば女性専用に近いキュアカフェだ。純粋に男性の格好の彼らでは立ち入ることは許されていなかった。
やれやれといった心地で借夏は語る。
「……しかし、まさか男子禁制とはね。営業時間外では居させてくれたけど……さすがに混ざる事はできないか」
「んーや、あくまでも男装禁制…………ていうか、女性に見えるならボーイッシュな格好もアリだよ。俺も、前にやってみた事があってさ」
「本当にか? 僕も入れるかい?」
「おーよ!」
千里は簡単なように思い出を語る。
彼はここまで、それを成せるくらいの凄まじい道筋を歩んできたのだ。
「そもそもさ。あそこは店長たちのトクシュな境遇をわかってもらうために作ったらしいんだよ。だから混ざっても問題ねーの。
……つっても、立場を忘れて間に挟まり始めたらギルティだけどなー」
「ギルティ!? だ……大丈夫なのかそれ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。案外楽しーもんだぜ、慣れちまえばさ」
「そんな、ものなのか……」
大きな瞳をぱちくりさせつつ、中性的な青年は己の弟の成長っぷりに圧倒される。
まあ彼も、そこに至るまでの経緯は聞いていた。
ーーーー電子の世界に飛び込んで早々、強力すぎる看板娘にもまれ。
ーーーー試練を超えいざゲーム楽しもうとしたら、過剰な愛を掲げる姉妹と対峙し。
ーーーー彼女らと結束し、ゲームの登竜門とも言うべき最初の「敵」を打ち倒し。
ーーーー仲間と共に謎に迫るべく、取りに来た「拠点」が魔王城に等しい事実を知り。
ーーーーそんな理不尽に打ち勝つべく、現実と電子両面の「試練」を乗り越え。
ーーーーしばしを過ごした拠点の使用権を掴み取るため、厳しくもとても優しい「拠点の主」を打倒する。
ーーーーそしてとうとう、全ての発端たる「魔王」の首元まで辿り着き。
ーーーー惜敗するも、その奥にそびえ立つ「ラスボス」から勝利を奪い去った。
壮絶な旅路は、少年一人の成長を裏打ちするには十分すぎるほどだった。
だからこそ、彼はとんでもないことも平然と言ってのける。
「なんならさ。アニキもやってみたらどーだよ?」
「ぶっ!?」
「んな吹き出さんでも。顔つき的になんとかなりそーだと思うぜー?」
本当に強くなった、と借夏は思い知った。
一言一言に、大きな背丈をよろめかせる威力が備わっていた。
「はは……僕の等身じゃあちょっとなぁ」
「あー、アニキけっこー背が高いからなー」
そんな。
そんな、親しげな会話の中で。
「……だから、か?」
「ん?」
突如として、爆弾は投げ込まれる。
「だから、御旗チエカは等身低めなのか?」
「…………!!?!?!?」
ふらつき、今度こそ尻もちをつく。
不意を打つ。
隙に滑り込む。
その一言だけでは理解が及ばないかもしれない。
しかし、意味を解ればその言葉は恐ろしくなる。
なぜなら…………
「千里、お前まさか……!!」
借夏が、なにかを確かめようとした時。
ーーーーprrrrrrrr!!
「連絡か!!」
「…………」
番号は良襖のそれだ。本人かと思ったが違う。
聞こえてきたのは、彼女の母の声だ。
「…………なんだって、良襖が!?」
かかってきた電話は、千里にとって重要なものだった。
「はい……わかりました、すぐ行きます! では…………っと。ワリ、アニキ。話の続きは後でな」
「千里、僕は…………」
「後でな」
遮るように言う。
踏みこむに踏み込めない、というよりは。
混乱の渦を一度に作りたくない、抱え込みたくない……というのが本音か。
「帰ったら、続き訊くからな。ちゃんと返事、準備しておいてくれよ?」
言って、千里は外階段から降りていく。
その姿を。
「…………ちくしょう」
無力な『アニキ』は見送る事しかできなかった。
『真相』はまもなく明かされる。
全ての決着の日は、近い。
「……………………」
そして。喫茶店から走り出す、千里の姿を見下ろす影があった。
白衣を纏い、青い髪を靡かせ、眼鏡の奥で鋭く瞳を尖らせる。
タギー社の『尖兵』。
現在千里たちの前に姿を見せていない、残り二人のAi‐tubrのうちの一人。
《化学の担い手アルジ》。
その『リアル』の姿。
敵対組織の忠犬たる彼は、静かに連絡を済ませる。
そして時系列は現在へ。
「ーーーー良襖ッッッ!!」
ドアを開き駆けつける。
起き上がる彼女を……良襖を見つけベットに詰め寄る。
「よかった……目が覚めたんだな! 目眩とかあるか? 痛いとこないか?」
「え、あの……?」
「っと悪い、起きがけにがっつきすぎたか。だがよ、話には応じて貰うぜ?
オマエとの『約束』もあるしな。今どういう状況よ? なんでもいい、今起こってることをーーーー良襖?」
「……あの、えっと…………」
「…………?」
さすがに気がついた…………何かがおかしい。
年端も行かぬ体躯から滲み出ていたはずの、狂気のオーラの一切が感じ取れない。
きょとんとして、少女はなんの裏表もなく問う。
「えっと、ごめんなさい………誰、ですか?」
「…………は?」
それは、ここしばらくでも際立った衝撃だった。
言葉を失った。
尻餅こそなく、しかし壁までよろける。
「落ち着いて聞いて、千里君」
奥から出たのは、彼女の母親だ。
その顔は当惑に満ちていた。
「いくつか話してわかったけど……良襖の記憶は、一部が『抉れている』みたいなの」
「抉れ……て……? なんだよ、それ……」
「そうね……ちょうど小学四年生に上がる前、あなたや……チエカと出会う前の状態かな」
「え、その………え?」
記憶を、喪失した?
「なんで、そんな……」
「私にも、来てもらったお医者さんにもわからないの。こういう時のために、とびきり優秀な人に診てもらえる細工をしてたみたいだけど……だめだったみたい」
「嘘、だろ……ほんとになにも覚えてないのか……」
問いかけるも、小首を傾げる動作が返ってくるのみだ。
「本当よ」
良襖の母が制止する。
「今日の日付からひっかけの問題まで全部試したけど……演技でもなんでもない。きれいさっぱりなくなってるわ」
「まじ……すか……」
よろめき、ずるずると座り込む。
立ち上がろうとして、手が滑りかけて、なんとか身体を支えて起き上がる。
しかし傷跡は深かった。
「うぁ……ちくしょう。やっぱつれぇわ……すんません、水飲んできて良いっすか」
「どうぞ。コップ、好きなの使っていいからね」
「あざます」
言って、よろよろと立ち去ろうとする千里を。
「……あのっ!」
無垢な声が、呼び止める。
「…………、」
「あの……大丈夫、ですか。どこか痛いところとか……?」
「…………んや、大丈夫」
「でも……見てたらすごくつらそうで……なにかできることがあったらなんでも……」
「……………………」
無垢な声が、真綿で彼を締め付けた。
すぼまった喉笛からは。
「ありがと、でも大丈夫だよ」
そう、絞り出すことしかできなかった。
「ーーーーかはっ、うぇっ……げほ…………!!」
心が辛かった。
頑張って取り戻した……そう思っていたオヒメサマが、実際はガッツリ傷ものにされていた。
なにより、あの優しさが辛い。
あそこまで優しかった良襖が、一年足らずであそこまでの狂王になってしまったというのなら。
敵対組織…………彼女が所属していたタギー社という毒素は、どれほどの劇物だったのか。
「くそったれ……アイツはどこまで悪かったんだ? 全部がタギー社のせいか?
もうわかんねーよ……」
そうして、千里は状況に唾を吐き…………
「…………ん?」
そこで、ふと気が付いた。
彼女の中に、魔王としての記憶は無い。
その原因は十中八九『精神がふたつに割かれた』からだろう。
だが『ラスボス』ことホムラの話によると「通常の活動は問題なく行える」らしい。
ならば記憶喪失などもってのほかのはずだ。
なら。
千里と約束した良襖はどこに行きやがったんだ……………?
「……まさか」
千里にも予想は着いた。
良襖の心は二つに別れている。
「……まだだ。まだなんだ」
言い聞かせるように、つぶやく。
「…………まだ終わりじゃない。いや……ここからが本番か」
睨みつけるは、巨悪の本丸。
勝負はここから。
新たなる因縁を手に、少年は折れず立ち上がる。
「お前も、結構やりたい放題やってたろう? これもちょいと変わった禁固刑だと思ってさ…………」
彼方を睨む。
方角さえも知らない悪の総本山を見据え、最終決戦の意を示す。
「ーーーー必ず、迎えに行くから。待ってろよ、良襖」
「…………つまりあっちの魔王サマは、こちらが必要とする情報はなーんにも持っていないと」
「はっ」
再びの悪の総本山、タギー社。
一度は気を良くした『社長』も、実入りの無い続報に肩を落とす
「クソッタレめ。必要な情報なら、あっちの人格から聞き出せば済むと思っていたんだがな…………」
使える物は利用するのが彼のやり口。
鳥文良襖を拐おうとしたのは、キルスイッチの回収のためだけではない。その後のゲーム運営のためにも、彼女の才能を捨て置く訳には行かなかったのだ。
ーーーー全ては、彼が思い描く『王国』を実現するため。
「……念の為、親父の元直属の部下辺りに確認を取っておけ。人格を分断した場合、記憶が割れるケースがあったか確かめる」
「承知しました」
端末を取り出し、各所への連絡を始める『秘書』を後目にポリポリと頭をかく。
「面倒な事になったな……こうなったら、なにがなんでも叩き起こさなくっちゃならないようだな。
こっちで確保している『眠り姫』……いや、魔王かな?」
ブオン!! と音を立て、社長室の壁一面がスクリーンに変わる。
天井から伸びる強力なプロジェクターが、ある少女の姿を鮮やかに映し出したのだ。
鳥文良襖。
『カードレース・スタンピード』を創造した狂える大魔王……その『精神データ』の片割れだ。
力なく眠りに就いているその姿に、しかしゲームの重要な秘密や狂気の日々の記録がぎゅうぎゅうに詰まっているはずだ。
ホロウインドウを睨んでいると、一通り連絡を終えたらしい『秘書』が提案する。
「こちらが持っている精神データ……本体に接触させれば復活すると思われますが」
「馬鹿言え」
否定には秒もかからない。
「完全体の魔王サマを今更復活させてみろ? 詰むぞ。あの狂王にこちらの要求を飲ませようとしたら、奴はゲームごと自爆しかねんよ……完全な権限を持っていたらな」
なんのためにオヤジを向かわせたと思っている、と言いながら、ゴキリゴキリと首を鳴らす。
彼が悪巧みをする時の合図だ。何を利用し、何を排除するかを考える時の動作だ。
彼は天才では無い。
彼自身がそれを自覚していた。新たに何かを生み出す事も、未来を見据えたプランを練ることも苦手な彼は、しかし急場を乗り越える姑息さは非常に高かった。
「……一応確認するが。先駆千里が持つ 《ガイルロード・ジューダス》……カード型のキルスイッチの所有権変更はどうやっても不可能だったんだな?」
「はい。あのキルスイッチには、特殊なプロテクトがかかっているようで……運営側のコマンドを一切受け付けません」
「鳥文良襖の 《精神データ》複製の件は」
「順調にコピーが進んでいます。しかし既にデータの強度は半分程度に下がっている為、運営コマンドの強化には繋がらなさそうです」
「ま、そうだろうな」
前提条件の確認は重要な意味を持つ。
『これくらいわかるだろう』という思い込みがすれ違いを、やがては大惨事を起こすきっかけになる。それを取り除く事は、危機回避のために不可欠だ。
「第一あの悪魔は、魔王が用意した自決用のピストルだ。完全体でも上手く行ったかどーか……だが、無駄じゃあない」
ただのダメ元では無い。
そんな無駄な事はしない。積み上げたリソースは、未来を掴むための肥やしになる。
そして、堅実に手を打つ。
「よし、まずはもう一度 《化学の担い手アルジ》に連絡だ」
「内容は?」
「『これより我らタギー社は、先駆千里と前面的に敵対する。今のうちに身の振り方を考えておけ』だ」
もちろん、ただの親切では無い。
この連絡を受けて、彼がどう動くかは手に取るようにわかる。
それは『秘書』にも伝わっていたようで。
「連絡を受けて、彼が先駆千里に直接接触した場合は」
「せいぜい応援してやれ。奴も多少は喜ぶだろうよ」
影だけの口がほくそ笑む。
底なしの悪意が動き出す。
「さあ動くぞ。天国のハニーに見せても恥ずかしくないくらいには頑張らなくっちゃあな」
「承知しました」
動く。
動き出す。
世界を容易く振り回す権力を振りかざし、いたいけな王様が歩みを進めるのだ。
「まさか、意識データの片割れが敵陣にあるとはな……」
「まー状況から見て、間違いないだろーよ。一応、チエカから『言質』取ったしな」
再び、遥の喫茶店。
鳥文親子を除くフルメンバーが揃った戦士たちの本拠地にて、頭の突きつけ合い話を進めていた。
「まさか人格が真っ二つに割れるなんてな……」
「まさに奇っ怪。間違いないにござるか?」
『ええ』
仲間達に問われ、即座に答える。
『以前、あのおじーさまが分離の時に、記憶が真っ二つに割れて困っちゃった事がありましたので』
言いながら、チエカは千里にだけ伝わる『方法』で耳うちする。
(取引ですからね。もーちょい『大人しく』しといてあげてくださいよ)
(わーってるよ)
そう、取り引き。
もう少しの間『真相』には触れないことになったのだ。
「とにかく、今やるべき事はタギー社から良襖の人格の半分を取り戻す事だ。
そーすりゃ権限も元に戻る。二度とタギー社の連中に、あの世界を好き勝手させたりしない」
「ふーん? ……で、そのあとは?」
「……………」
店主、遥の問いかけに一瞬黙るが、それでも続ける。
「あいつには……しっかり償ってもらう。全プレイヤーの安全を保証してもらうんだ。
二度と……あいつ自身にも、あの世界を好き勝手弄らせない。ちゃんとした運営をしてもらうんだ」
それこそが、最大の目的。
そもそも千里はずっと、ずっとずっとそのために戦っていた。
足元さえも不確かな時代で。しかし確かな『居場所』を得るために戦っていた。
かつては自分の居場所のためだけに戦っていた。
だが、ここまで来た彼の目的は少し違う。
宣言する。
新たな目的を。
高らかに。
「あの世界は、沢山のカードゲーマー達の『居場所』なんだ。それを壊すなんてこと、誰にもさせない。ーーーー取り戻すよ……『俺たちの居場所』を」
目的は明確に示された。
篝火を得た旅人は、もう迷わない。




