おはよう。そして…………おかえり。
かちり、かちり。
仕掛け時計が時を刻む。
「遅い、わね」
「……ああ」
喫茶にて、二人の大人が時を待つ。
時刻は深夜……いいや明け方も近い。無謀とも言える旅立ちから既に数時間が経過していた。
かちり、かちり。
しずかに、時が刻まれる中で二人が待つ。
「……彼らは……千里は、ちゃんと戻って来てくれるんだろうか」
一方は客。千里の為なら、あらゆる手を尽くすと誓った青年。
名は先駆借夏。中性的な容姿が目を引く、先駆千里の実の兄だ。
「不安なんだ。アイツがちゃんと戻って来てくれるって、信じてやれないんだ。
兄の俺が信じてやらなきゃいけない筈なのに、アイツなら『命さえ捧げかねない』…………そう思えてしまうんだ」
「いえてる。……まあ、そこまで熱中できるからこそ、体当たりで未来を掴みに行けるんでしょーけど」
もう一人は、この店の店主。かつて千里と激戦を繰り広げたAi-tubrのリアル。
「彼の危うさは、欠点でもあり魅力でもある。突き抜けた人間ってのは人を惹き寄せるものよ」
リアルネーム遥こと……《極上の乗り手ユリカ》。
いまひとつ突き抜けきれない。そんな自覚を持つ彼女からしたら、千里のあり方は眩しく輝いて見えるだろう。
……あるいは、かつての上司のように。
あるいは。
「それはきっと……相手も同じだ」
情報を知りえてこそ心配する。
そもそも借夏がここにいるのは、遥から連絡を受けたからだ。千里の為に動いた詩葉、そこから助けを求める連絡が来たからこそ、とりあえずはと以前も連絡した彼に報告したのだ。
だが事態は、想像以上に深刻だった。
「まさか、我らが大企業の陰謀が絡んで来るとはね……」
「しかも狙いはあの子の……良襖の『命』。とくれば勝負は正しく『命懸け』になるでしょうね。
まあ……あの子なら迷いなく飛び込んで行くでしょうけど」
「それだと困るんだ……」
独白は切実だった。
「僕は……僕はアイツを守る為、幸せにするためだったらなんだってするつもりでいた。今アイツがやってるゲーム…… 《カードレース・スタンピード》だってそのために勧めたはずだった。
なのになんでだ。なんでこんなことになるんだよ……」
「そんなこと。勝手に悩んだって仕方ないんじゃない?」
「え……?」
何気無い回答に、しかし借夏は目を丸くする。
「人生なんてそんなもの。上手く行かなくて当たり前。自分一人だって上手くいかないのに、他の誰かにまで無理強いして上手く行くわけなんてないじゃない?
もっとも、正当な報酬でもあれば話は別かもだけどね」
「無理強い……? 僕が……?」
「そう」
時を重ねていればこその察し。
自らも異端の端くれである遥は、目の前優男の内に潜む異様さを正確に見抜いていた。
「彼の過去は聞いたわ。趣味の絵に没頭する余り孤独になり、しばらくの間影が差した……。
でもそれって、本当に彼だけのせい? 喜び勇んで不要に褒めたたえた誰かさんが居たりしない?」
「あ……………」
「ビンゴみたいね。過剰な期待、束縛、干渉は、された側からしたら重荷よ」
なんでもお見通しだった。
遥の話は続く。
「そりゃあ悪いことしたら、叱るくらいはした方がいいかもだけど……誰かを助けに出向いた彼を咎めるのは筋がとおらない。……優しく出迎えてあげるのが一番なんじゃない?」
「優しく、出迎える……」
それこそが最高にして最前。
そうなのだと、癒しを売り物にする彼女は語る。
「はは……全く、説得力あるんだかないんだか」
「あら、結構悪くないものなのよ? なんせ正当な報酬にはわかりきった義務がある。
予測不可能のトラブルからは相当に遠い場所にあるはずだわ。……まあ、私が一番の問題の中心核になっちゃったんだから世話ないけど」
「問題の中心核……ね」
「でもそれも、彼のおかげで遺恨を絶てた。やっぱり必要以上に関わり持っちゃだめね。
なにごとも、ほどほどが大事。干渉のし過ぎは、大事な誰かの成長を妨げるわ」
それは、確かに真実だろう。
かちり、かちりと時は進む。
誰の手助けが無くても進んでいく。
誰かが迂闊に針に触れる方が、かえって時計を狂わせる危険を産む。
つまり。
「でも、それじゃあ……」
「ええ。『静かにに見守る』……それが一番なんじゃない?」
「…………そうなの、かな」
既に、己の道を己で歩める……その域まで至った者の義務。
己の力を高め、今まさに殻を突き破らんとする戦士。
そこに手を貸すのは悪手。押し留めるなどもってのほか。
「それじゃあ……僕にできることなんて無いんじゃあないか……」
「なーに言ってんのさ」
ずいっと。
微笑みを伴い、癒しを売る女が近ずいてくる。
どきりとする借夏に、構わず抱きしめてしまう。
「もがっ…………………!?」
「こうやって、さ。頑張って帰って来た、あなたが大好きな弟くんを抱きしめてあげるの事はできるんじゃない?」
「抱きっ…………」
「ま、これはやり過ぎだとしてもさっ」
カウンター越しの抱き留めを離し、遥は笑って言ってのける。
「努力ってのは、報われなくっちゃあやってられない。だから、それをちゃんと与えてあげるのが、大人の務めなんじゃない?」
「報われる…………努力…………!!」
それは、彼の中には無かった発想だった。
『努力は報われなくて当たり前』…………そんな腑抜けた考えがこびり付いてしまっていたからだ。
なにせ、彼は…………いいや、過去など関係ない。
自分が報われないからといって、近親者が報われなくていい理屈などあるものか。
「深く考える必要なんてないと思うわ」
癒しを売る女は、どこまでも気安く答える。
「くだらない間違いを責めるより、できたことを讃える。
頑張った子を褒めてあげる…………そんな当たり前をやってあげたら、それだけでいーんじゃない?」
「そうかな…………そうかも、しれないね。まったく。君はいつも、まっすぐに正しいことを言うね……」
「そういうあなたは、毎回眉間にしわ寄せて考えこんでばかりじゃないの? ほーらうりうり……」
「ちょ……やめなって…………」
と、ちょっと押し合いになった所で足音が聞こえた。
明らかに早足だ。
「ほぇ…………!!」
「おっと、これ以上は詩葉が嫉妬しちゃうか。…………さ、思いっきり」
「ああ……来たんだ……あいつ、やり遂げたんだ…………!!」
近づく足音。
それよりも早く、借夏は駆ける。
時計の針を置き去りに、がちゃりと音を立ててドアを開き…………
「ただい……………あれ?」
きょとんとする、最愛の弟を。
「千里いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
ぎゅううう、と思いっきり抱きしめる。
「ちょ、アニキ!?」
「よかった……無事に戻って来てくれて、本当に良かった……!!」
涙が溢れた。
本気の心配だった。
カウンターの奥で、アチャーといった表情を見せる遥も一切気にならない。
彼はやったのだ。
やり遂げたのだ
であれば、思いっきり与えよう。
と、その前に…………
「っと、忘れちゃあいけなかったな」
「…………?」
きょとんとする弟……死線を潜り抜け、見事仲間を連れ帰り、悪の陰謀を暴き電子の世界を救った先駆千里に、当たり前の言葉をかけてやる。
「おはよう。そして…………おかえり」
「…………ああ、ただいまだぜ!」
仕掛け時計が夜明けを告げる。
空は白み強烈な光を放ち、世界を明るく照らすのだ。
結局、出撃した全員が帰還していた。
「おかえり、詩葉ーーーーっ!!」
「ただいま、遥ぁあああああぁぁぁ……♡♡」
ぎゅーーーーーっと、千里と借夏が目じゃないくらいの勢いで抱きしめ合う二人の女たち。
さしもの借夏も引いていく中、
「あの様子では、今晩にでも致すかもしれんの。窮地をくぐり抜けた後は燃えるというし」
「お前或葉、時々しれっとすごいこと言うよな。いや慣れてるのかもだけどさ」
知らない世界に困惑する千里だったが、それでも片付けるべき課題がある。
ソファに寝かしっぱなしの鳥文良襖だ。
「…………っと。ウチの魔王サマはちゃーんと取り返して来たのよね?」
詩葉から離れ、気を取り直しといった体で遥が問う。
「いや、その…………それがだな?」
「……?」
歯切れの悪さに小首を傾げる。どういう事かと問い詰めようとした所で。
『ーーーーハイハイそれはわたしが説明しましょー♪』
「「「!!?」」」
突如、カウンターに置かれた業務用タブレットに光が灯る。
映ったのは、お馴染み金髪碧眼のレースクイーンだった。
「チエカ!!」
『ええ、ええみなさまご存知の。よろしかったら、わたしの口から説明いたしましょーか?』
「あー…………んじゃあ頼むわ。多分俺だと上手く伝えられないだろーし」
『あいあいさー!』
そうして、明け方の喫茶店で解説のバトンは託されるのだが。
「…………で? 一体何がどうなったの?」
「その事を説明する前に今の電子の状況を整理する必要があります。少し長くなりますよ?」
「完結にしろコラ」
 




