良襖と傍楽の勇気。大いなる母との対談。
「…………、」
それは、鳥文邸のリビングでの出来事。
良襖はかなり緊張していた。
知らないうちに犯した罪…………この世界をこじらせた引き金を引いたのは自分だった。
記憶を失った当初、母は優しくしてくれたが……
「……それで。話ってのはステアリングキーのことかな」
「……ええ」
その優しさは、今は厳しさの裏に隠されていた。
良襖が記憶の一部……スタンピードを作り上げた時点までの記憶を取り戻していることは彼女にも伝わっていた。
時として厳しさをもって子を導く。その姿勢は母親として間違ってはいないのかもしれないが。
その厳しさは、今は途方もない障壁として立ち塞がっていた。
「前に、チエカちゃんは言っていたわ」良襖の母は言葉を選びながら。「あの鍵はもしものための備えであり、常に持っておく事で良襖を護るものだと教わったわ。ぼかした言い方だったし、便利な鍵やお守り程度に思ってたけど……」
カタタンとPCを操作し、自分のホーム画面を表示させる。
青く聳える巨影…… 《豪鬼の狩り手ルイズ》の首元には、たしかに金色のステアリングキーがぶら下がっていた。
「もっと大事なリミッターだったみたいね。そんな鍵を渡して、暴走しないって言える?」
「……ッ」
どんなに心を正しても、彼女の過ちは消えない。
ましてや、良襖はこれから『罪を犯したばかりの自分』と統合しに行くのだ。全く安心できる材料がない。
「わからない……でも」言葉は矢次早に溢れる。 「あたしは……償いたいよ。あたしはドミノ倒しの一番最初だったんだ。
絶対に、ぜったいに倒れちゃいけなかったんだ。なのに、倒れるどころか暴れまわって……それから、みんなが崩れていって……」
その様子のほとんどを、直接見たわけではない。だいたいは聞いた話だ。
だがそれは彼女にひどく生々しい響いた。自分が作り出した世界で、血の味がする闘争が繰り返されている。
あげく、とうとう目の前で世界の終わりが始まった。
自由を許してはいけなかった女による侵略、最も無垢だと信じていた少年の豹変、そしてその余波を受けて逃げ惑うプレイヤーの群れ…………
全部ぜんぶ、鳥文良襖がしっかりしていれば起こらなかった事態のはずだ。その責任を、彼女は重すぎるほどに感じていた。
「だから……だからっ!」
「それでどうやって?」
切込みは容赦なく。
我が子であっても……否、我が子だからこそ手心は加えない。
「どう、やってって……」
「だってそうでしょ。良襖には罪を犯した記憶が無い。反省する権利さえない。反省できないから前に進めない。
それでいて、全てが終わった時には確実に記憶が戻る。……こんなの自分で自分の中の火薬を爆破するみたいなもの。それも火薬庫の中心でね。自分を外から見て、良襖は良襖を抑えられるって思う?」
「…………」
無理だ、と良襖は思った。
千里の話では、自分が幽閉される直前は罪を認めて反省していてという。
しかし不意打ちで意識を経たれ、肉体にすら喀血などの後遺症を残し、自分の作り上げた世界を焼け野原になるまで蹂躙されたと知ったらどうか。
間違いなく、怒りとともに暴走する。
マリスへの復讐で済めばまだいい方。そのままジューダスやステアリングキーの原典としての『魂の力』を解放し、気に入らない姿に変わり果てた世界とともに心中することさえありうる。
もしも抑止力のキーを、良襖自身の近くに置いてしまったら誰も彼女を止められない。
「今、タギー社さんとの抗争で大変な事になっているのは知ってる。……でもね、そんなことは私にとってはどうでもいいの」
そしてその気質は、他ならぬ彼女の母から受け継いだものだ。
「私にとって一番大事なのはね……あなたよ良襖。例え世界がどうなろうと、あなただけは守り抜きたい。
もう一度聞くわ。『その鍵を渡して、暴走しないって言える?』」
「…………」
ここで無理だと言ってはいけない。
そうしたらきっと、良襖母はタギー社の庇護下に入るだろう。タギー側からは熱烈なアプローチが来るだろうし……良襖自身に危険が及ばないのなら、ルイズは大人たちの群れに我が子の枷を託すだろう。
不要な権限は欲しがりな管理者へと明け渡し、良襖自身は自分が守り抜く……そんなふうに事態が転がる。
それではマリスの思うツボだ。
それでも言えない。
「だめ…………」
事実を客観的に眺めて、自分が暴走しない根拠を並べられない。
自分はそれほど強くはない。
「ーーーーーーーーーーーーだめ……きっと……ううん、絶対暴走するわ……」
「やっぱり。なら、この鍵は渡せないわ」
PCの画面を落とす。
改めて、良襖の近くで母がささやく。
火傷しそうな程の熱を込めて。
「私はね、良襖がちゃんと生きていられるならどうだっていいの。褒められたことじゃないかもだけど……なかなかどうして、あなたに関してだけは譲れない。命に関わることは特にね」
「……ッ」
「だからお願い。どうかもう、当面は危険な事に手を出さないで。二回も挑んだんだからもういい……お願いだからそういうことにして。
いつか大人になった時……良襖の心と体がちゃんと育った時、改めて夢を追えばいい……ってことにして欲しいな」
厳格な母親から涙が溢れる。
暖かなぬくもりが、立ちすくんだまま動けない良襖を包み込む。
これも彼女なりの苦渋の決断なのだろう。
でもだめだ。
このままでは、世界そのものがマリスに飲み込まれる。良襖が大人になる遥か手前で手遅れになる。
ここで止めなければいけないのに。
(うごけないよ……)
良襖にはもうどうしようもない。
その瞳からも涙があふれる。
(あたしの心は弱い。記憶を切り落とされちゃ前にさえ進めない)
脆さを時間した少女は、鉄巨人の心を持つ母親の腕から抜け出せない。
もう、身動きひとつさえ取れない。
(だれ、か……)
誰にも届かない救難信号。
それを放つ権利さえ、彼女にはないと自覚はしていた。
それでも放ってしまう。
(だれか……たすけて。わたしだけじゃ、前に進めない。一緒に進んでくれる、だれか……)
どの口が言うか、とさえ見られる言葉。
届く相手など居ない。
そのはずだった。
だが。
「ーーーーちょっと待て。そいつは一人よがりが過ぎないか?」
たった一人。
自分探しから帰還した少年がそこに居た。
それに驚愕するのは良襖だけではない。
「あ、あなたは、アルジ君……」
「その名前なら、 《化学の担い手アルジ》捨てる予定だ。今は元Ai‐tubrとして、そして良襖の友人、風間傍楽としての意見を言いに来た」
睨みを効かせ、ずかずかと他所の敷居を跨ぐ。
まるで、良襖を囲う檻を踏み砕くみたいに。
「さてと……天下のAi‐tubaともあろう者が、ちょっとばかり傲慢が過ぎないか?
もうちょっと頭を柔らかく使おうか。じゃないと、安心して眠る事も出来なくなるぞ」
切り崩しが始まる。
鳥文良襖に心を貰い、先駆千里にそれを完成させてもらった、黒一点の元Ai‐tubaによる立ち回りが今、お目見えとなる。
「傍楽…………なんで……………」
「気にするな、これも罪滅ぼしだ。……今助ける」
手短にまとめ、世界一優しい鬼と対峙する。
ーーーー少年よやってしまえ。
まどろっこしいしがらみなど、部外の位置からぶっ壊してしまえ。