チエカ誕生の真相。先駆借夏の懐古録前編。
先駆家の両親は、実の所とっくにこの世を去っていた。
千里が物心つかない頃のこと。夫婦でデートに出かけていた彼らは、突然の土砂崩れに巻き込まれてあっけなく事切れてしまったのだ。
先駆家の家を、ひいては自らの弟千里を守るべく、彼は必死になってどんな仕事でもこなしていた。……あまり、褒められたものではないことでさえも。
そんな彼の苦労を知らず、幼い千里は無邪気に声をかける。
『なー、おとーさんとおかーさんにはいつあえるの?』
『そうだな……もうしばらく経ってからかな』
『そっか!! ぼくおとーさんにもおかーさんにも会ったことないからたのしみなんだ!!』
『…………そうか』
まだ弱い自称を掲げる千里に、借夏の目が曇る。
真実を伝えれば、彼は絶望し暗い幼少期を過ごすだろう。
しかしこのままでは、状況がが彼を歪めてしまう。
(……僕がやるんだ。向こうに逝った父さんと母さんの分まで)
そう思った借夏は、真実を隠したまま彼の両親の代わりを買ってでる事にした。
真実を隠し、日々千里の世話を焼いた。
時に厳しく、時に優しく。一人で二人ぶんの努力をこなして彼の成長を助けようとした。
自ら稼がなければならない関係上、常に一緒というわけにはいかなかったが……それでも、会える時はとことん傍に居た。
しかしそれでは足りないと気が付いたのは、ある雷雨の日だった。
車を飛ばし、幼稚園までむかえにきた借夏を待っていたのは、泣きじゃくる千里だった。
『なあアニキ……おとーさんってのも、おかーさんってのも。いつ帰ってくるんだよぉ……』
なにも知らない千里は、糸紡ぎの針で刺すような言葉を放ってしまう。
『こんなきけんな時はさ、つよいオヤジがむかえにきて、家でおかーさんがだっこでむかえてくれるんだってさ……』
『千里……』
『なあ、なんでうちにはいないんだよう……いまどこにいるんだよう……』
『…………』
借夏は答えられなかった。
千里から幻想の両親さえ取り上げてしまっては、自分がついていない時の千里は完全に孤独になる。
それだけは、あってはならない。
そうして彼は決意する。
より完璧に。父と母そのものに自分がなろうと。
まずは守るための筋力。
初めの初めのうちは、以外と回数をこなせて鍛えてる気になっていた。だが……
『123456789101112131415……ハァ……ハァ……』
少し遅れて響く。三日目にして肉体にかかった負担が爆発し、彼を苦しめたのだ。
体力不足は自覚していたが……腕立て伏せ二十回すらまともにできないとは思わなかった。
『マズイなこれは……本当にマズイ。千里が危険な目に会った時どうするんだ。
どこかのジムか道場にでも入って鍛え直さなくっちゃあな……』
ひとまずネットで検査したスポーツジムを予約し、彼は次の行動に出る。
『…………んー、思ったより上手く行かないなぁ……』
女性の格好をするのは初めてだ。
ウィッグやら肩を誤魔化す格好やらで体裁を整えてみたが、やはりどうしようもない違和感は拭えない。
顔は元から中性的だが、流石に肩幅や背丈は女性のそれではない。とくに長身はかなり致命的だった。
『あー、あー、あーーーー……声も治さなきゃ……』
どうにも歪な姿をどうにかする事を心に決め、彼は再びトレーニングに戻った。
彼は、弟のためなら本当にどんな事でもやった。
東へ西へ。どんなところに行っても、必ず夕方には帰宅し千里とともに居た。
時に命さえ尊厳さえ差し出しながらも、荒ぶる日々の中でその心と体は確実に仕上がって行った。
そして、時代は流れ。
『…………ふんっ!!』
ドガッ!! ……バララララ…………
「……熨斗瓦30枚か……まだまだだな」
数年間の間に、ジムやら道場やら滝行やら部族の試練やら強盗の撃退やらトラックに追突されて返り討ちにしたり、あと千里に手を出したヤ行の方をひねり潰したら東京湾に沈められて自力で脱出してその場のならず者をまとめてボコボコにして刑務所にぶち込んだりと色々あったが、とにかく彼は千里を守れるぐらいに強くなった。
強靭ながらも柔性を損なわず、千里を恐れさせることの無いあり方を実現した。
そしてこれは単に恐怖を与えないことが重要なのではない。
「おっと……そろそろ時間だな、急いで片付けないと」
そう言うと彼はすみやかに瓦を片付け、100メートル7秒台のペースで帰宅し準備するのだ。
「かーちゃん……? 戻って来てたのかぁ!」
「ええ。あなたに会いに来たのよセンリ……」
ぎゅうううと抱きしめてやると、千里も心底安らいだ表情を見せてくれる。
月に一回程度、こうして母親のふりをして会いに来るようにしていたのだ。その効果はてきめんであり、この間授業参観に出向いた時も千里を目を輝かせて先生の質問に答えていた。
『どうだった? 寂しくなかった? おかーさんたまにしか帰って来れなくてごめんね……?』
『いいんだ!! 俺最近すっげー友だち増えたからよ寂しくないんだ……だから今日離れても、また次まで待てる!』
相変わらず無邪気に、しかし心が成長した千里を見ながら、借夏は心中グッとガッツポーズを決めるのだ。
「それじゃ、行こっか。今日はどこに行きたい?」
(……これでいい)
確かな手応えを得て、借夏は近所のネットカフェで着替えを済ませる。
(これでいい。このまま千里が大人になるまで続ければ……)
そう思い、自宅のドアを開けて帰ろうとする借夏だったが……
『なんで……かーちゃんなのにノドボトケがあったんだ……?』
『…………ッ!?』
『女の人には、ノドボトケは無いって前に聞いたぞ。だけどかーちゃんの喉はハイネックの上からでもわかるくらい動いた……まさか……かーちゃんじゃなくてオヤジだったのか……?』
思わずたじろぐ。
『きっとそうだ!! オヤジがなんか特殊な趣味のアレだったんだ!! だからあわせる顔がないって隠れてたんだ! ちっくしょーたまに会うならバレないっておもってたのかよォーーーー!!』
『……………ふぅ』
性別を看破されたことには驚いたが……どうやら正体がバレたわけではないらしい。
『……待てよ。だとしたら俺は誰から生まれたんだ? 本物のかーちゃんはどこに』
『ただいま、千里』
『あ、アニキおかえりー!! 今日はさー……』
推測があらぬ報告から突き刺さる前に誤魔化す。
微笑みの裏に、確かな焦りが浮かんでいた。
そして、自室にて借夏は思案していた。
『……今のままでは色々と限界が近い。正体が僕だとバレるのも時間の問題だ。なにかいい方法はないか……』
千里は父について言及することは少なくなった。母には会えていたこともあるだろうが借夏自身が強くなったことも多分に影響しているだろう。
しかし母離れは難しかった。いくら鍛えて父親のように振舞っても、男性である借夏に母のようなぬくもりを完全に作り出すのは無理があったのか。
そうしてなにかないかネットの海を漁るが……数年の時の流れが、彼に新しい道を提示した。
『ん…………なんだこれ? …………Vチューバー?』
それは新しい試み。
電子の世界で美少女の殻を被り、ゲームの配信などを行うのだという。
『ふーんこんなのが……なんだこれ、猫耳爆乳メイドがママを名乗ってるぞ。しかも中身がおじさんだって? なんてカオスな……』
どうにもそれは、最近人気をあげてきた作家系Vチューバーらしい。
まあそんなものもあるのか……とスルーしかけたが。
『…………あ』
その時、彼に電流が流れた。
今やなんでも電子世界で解決できる時代だ。
もしも母のようなぬくもりのAi‐tubaに化け、彼の心を満たせたとしたら。
咄嗟にその作家当人のログを漁ったが、カニバリズムの常習犯だったり発言が汚かったりと話にならない。
それにどうやら、この業界は頻繁に炎上しているらしい。信頼できる人物などをネットにはいまい。
『…………他の誰にも頼めない』
自分でやるしかないと思った。
自分自身で、千里を照らす新たな光になるのだ。
その名前は、鏡を見た時直感的に浮かんだ。
『……こんなくすんだ黄昏色の輝きは要らない。なら名ずけよう。新しい僕の名前を。千里を照らす光の名前を』
早速アプリを投入し、お手軽モードでアバターを作成する。
まだ荒削りの、金髪の少女には、こう名付けた。
『千遠火。千里の遠くまで照らす灯火だ』
後に世界を揺るがす、大いなる幻想が産まれた瞬間だった。