悪意の暗躍、少女の暗部。
「カードレースで戦え、だって……? 嫌だね……」
あくまでも。
あくまでも悪意からは乾いた否定が返るのみだった。
「案の定の……結果だ。やっぱり俺さんは、札遊びじゃあお前らに敵わない。
そんな負け戦に挑む道理なんて無いし、更生してやるつもりも無い……」
「状況を分かって、言ってるのか?」
ジャギン! と銃口が構えられる。
新緑の引き金が、ルイズの隙間から覗く。
ギャン!! と千里の手にジューダスの本体が移動し……握られる。
「俺は、お前のすぐ前に立って銃口を向けている。後は引き金を引くだけで、お前にトドメをさせるんだぞ?」
「ほう。だったら撃ってみるといい」
見かけ上はボロボロのはずなのに。
瓦礫のゆりかごの中にあって、まるで友達とくつろいでいるかのように、マリスの口調は軽い。
「そうすれば全てが終わる。俺より後ろは存在しない。俺を撃てば、本当に全てが終わるんだぜ?」
「…………、」
後ろが存在しない……それに関しては事実かもしれない。
彼の父のホムラは「会社を奪われた」側だし、秘書が糸を引いてるとも思えない。権力面で見ても、彼よりも上の存在は考えにくい。
だが、このまま全てを投げ出す手合いとも思えなかった。
「……どうせ。なんかの手でこの銃撃もかわすつもりのくせに」
「ああかわす。全力でかわす。だが躱しきれないかもしれない。
挑戦なくして成功は無いぞ? ……ほら、やってみろ、ええ?」
「…………くそ」
確かに、これ以上のチャンスはそうそう無い。
仮面の奥で笑い続けるこの男に、引導を渡す機会は今しかないのかもしれない。
だが。
千里にはどうしても……その決断にだけは踏み切れなかった。
「……ったくよ」
呆れ声で、銃口を下ろす。
「おい童!?」
「しゃーねーだろ。ここでドタマかちわる訳にも行かねーしよ」
呆れたように、敵意の牙を納刀する。
その表情は、どこか投げやり気味に晴れやかだった。
「ここでコイツをやっちまったら、やることがコイツと同じになっちまう。正当な司法ってやつに任せる逃すの一番だ」
「いいの? どうせ大した懲役にはなんないわよ?」
「いいんだ」
枯れ果てたような、疲れ果てたような。そんな曖昧な笑みが、
「コンテンツはナマモノ……五年もぶち込んでおけりゃあ十分だ。出てきた頃にゃ、コイツのやれることはなんもねーさ」
その決断に面白い顔をしないのがホムラだ。
「おい童よ……その言葉の意味をわかって言っているのか?」
「……ああ」
わかっていた。
彼を逮捕させるという事は、タギー社全体にとって大きいダメージを与えるだろう。
それでも、だとしてもと。
「そんでも、ここでコイツを闇に葬っちまったら……きっと、もっとヤバいことが起こる。
コイツを倒して終わるかもしれない。だが『後継者』が現れないとも限らない。
ここで勇気を出して『真実』を明らかにしねーとさ。この世界はどこまでも腐り落ちちまうんじゃねーか?」
「そ、それは……ムウ……」
ホムラが言葉に詰まると共に、暗さと水晶で満たされた広間に静寂が加わる。
ーーーーこれは、単に一企業、一コンテンツの問題では無い。
正体不明のギミックで実現されたこのVR世界は、いわば「もうひとつの現実」とすら呼べる再現度を誇る。
電子の土地は無限に増開拓できるだろうし、その気になれば年単位での生活だってできるだろう。
それはもはや、物理的に存在しないだけの「新大陸」のようなものと見て差し支えないのではないか?
そんな世界に人が大勢集まったとして……その人々の全ての権利を、たった一人の頂点が握っているとしたら?
それは明確な絶望卿と化すだろう。例え見かけ上は楽しげなふりをしても、脱出も叶わず全てを管理され、少しでも頂点の気分を損ねたら封殺される……そんな時代錯誤で最悪の王国が出来上がってしまう。
この真実を、暗闇の中に放っておく事はできない。それは世界の理を砕く過失になりかねない。
「例え、さ。どんだけ辛い未来が待ってたってよ。この世界の秘密を黙っていて良い理由なんてねーよ。
この件は公開する。ここで間違えたら、きっとそう遠くないうちにもっと酷いことが起こるよ。絶対に『人類にとって良くないこと』がな」
「……やむなし、か。欲をかくは奈落に続く」
「しゃあない。すっぽんぽんの王様がムショにぶち込まれる姿でも見て、溜飲を下げるとしますか」
大人たちも、諦めたように肩の力を抜く。
そうして、その場の三人はどうにかその場を納得に持ち込もうとした。
だが。
ぽふ、と。
「へ?」
不意に千里へ、丁場或葉の身が寄せられた。
「…………」
「ん? 或葉? 外で待ってたはずじゃーーーー」
急に近ずいてどうしたんだろう、と思っていた千里だったが、
直後、指を絡められ。
ぱん、ぱん、ぱん。
その音が。
自分の手のひらから響いたと知るまでにしばらくかかった。
「……ったたた……危ない危ない」
気やすい言葉が、状況を誤認させるが。
硝煙が上がる。
「まったく……いきなり頭を撃つ素人が居るか、くそったれめ……!」
マリスの頭部は、ごっそりと抉れていた……!
確実に脳天直撃したかに見えたマリスだが、頭部から紫の破片を散らすだけですんでいる。辺りには 《マリス・クォーツ》のカードが散っていることだし、それらが身代わりになったのか。
それくらいは予想の範疇。
むしろ今の問題は。
「或葉……何やってんだよ、或葉!?」
「チ…………少し待たれよ、済んでから話す」
言って、千里の腕を掴んだまま、マリスのより装甲の薄そうな箇所……喉元に打ち込もうとする。
「済んでからって……待て! それは済んじゃ駄目なことだろ!」
「否、ここで済まさねばならぬ。……まず千里よ、お主はこの件を公開すると言った。
であればその先の結末も、当然見据えての決断であろうな?」
「そ、それは……」
「この世界を滅ぼす、と。お主はそう言ったも同じぞ」
重い言葉が千里を突く。
「制御不可能のギミックを人は、世界は忌み嫌う。頭目のマリスが公の裁きを受けるなら、それが引きいたこの世界も『良くないもの』としてひとまとめに処分されてしまうのは道理であろう」
「…………」
改めて、外から語られると辛い。
この世界を守るためにと動いたのに、気づけば世界を壊さなければいけない立場になってしまっている、その矛盾には気がついていた。
だが、それでもやらなければならない時はある。
「それでも、手はある……。マリスを刑務所にぶち込んだ後で、仕切り直す手はある」
飲まれてはいけない。
ここで衝動に飲まれることだけは、断じてあってはならない。
「『やり直す』んだ。例え今の世界を失っても、チエカを守りきって、それに関わったみんなでもう一度『カードレース・スタンピード』を取り戻すんだ。
それが一番なんだ、じゃねーといつかコイツみたいな、悪意を持った奴に何もかも飲み干されちまう」
「……………」
「そうなっちまったらもう最後だ。ヒトの手網を握った独裁者が、なにからなにまでコントロールする世界になっちまうんだ! それだけは、ゼッタイにあっちゃダメだろうが…………!」
「…………、」
汗が流れる音さえ霞む動悸が襲う。
息をするのさえ、苦しくなる。
そうして。
数瞬、誰も声を発しない時間が空き。
しばらく、目を閉じて開いて。
「…………お主が、そこで理性を返せる者でよかった」
「或葉…………?」
ふと、表情が弛んだように見えた。
「みなまで言うな、心得ておる。取り返しの効く問題と、取り返しのつかない問題。どちらを優先すべきかくらいはわかる」
「え……だったら……」
「だからこそ……これより先は拙者一人の我儘にござるよ」
再び。
引き金を持つ手に力が込められる。
「!? 或葉、なんで……」
「語ったことはなかったの。なぜ拙者が、件のチエカを好いておったのか」
思い出話を語る様に。
しかし、添える指には万力の如き力を込めて。
血を流しかねない程、唇を噛み締め語る。
「チエカのカラクリ……聞いた時に『そうだったのか』と思ったと共に……『やっぱり』とも思った。どこかで、言葉ではなく心で理解していた」
「え……?」
「何度も何度も、チエカ殿をカードとして呼び出し使ううち……電子の街角で語らううち……何とはなく、その在り方には感ずいておった気がする。
あまりにも人間くさく人間らしく、それでいて機械的に溢れる在り方……仕組みに気付くことは、そう難しいことではない」
その頬に、雫が流れる。
感情が溢れる。
「だからこそ。だからこそだ。そのあり方に惚れ込んだ。討死を恐れぬ侍の群れのような在り方にだ!!
役割の為にその身を投げ打ち、その一切を喜びとする。その尊い生き様、有り様にこそ拙者は惚れたのだ!!」
溢れる涙が、千里をも濡らす。
理解してしまった。
チエカの笑顔の奥に潜む『本質』……目を逸らし続けたそれをしっかりと自覚してしまった。
だから止めきれない。
彼女を否定しきれない…………!!
「それを汚した者を! 石の揺りかごに任せておける道理などどこにあろうものか!!
マリス……否、稲荷鞠守ッ! もはや許せん、その首此処に置いていけ!!」
「だめだ……やめろ、やめてくれ或葉ぁ!!」
照準が定められる。
抑えようにも、意志の力で或葉に勝てる者など居ない。
「千里よ」
最後の優しさが、千里に向けられる。
「お主は、こうなるでないぞ。その理性の力で、この世界を導いておくれ」
「やめろ……やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」
かちりと、撃鉄が上がり。
再び、銃声が響く。
どうしようもなく重い、命を砕く音が鳴り渡った。