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心底面倒ですが神様救ってみました  作者: 市川 春
◇ギルドにて◇
44/109

己を呪う言葉



(第一王子視点)



 やがて夕日は地平線へ沈み、名残り惜しむように空を淡く白ませていた。

 草原は闇に包まれ近くにいる者の姿さえもはや判別が難しい状況になっている。

 異空間収納よりランプを取り出し灯を灯す。

 魔物の死体と人の亡骸は共にエルトディーン卿の異空間収納に納められた。


 ライドと呼ばれた青年は非番の兵士らしく、渡された物資を馬にくくり帰り支度を始めている。


「ところで迎えの馬車はいつ来るのです」


 先程、早く帰れと微笑んでいたシオが私たちの移動手段を尋ねるとエルトディーン卿、そしてカナンヴェーグ殿までが動きをぎこちなくさせた。


「…………」


 王都へ大型の魔物が迫るという緊急時に馬車の手配に頭が回らなかったのか、安全を確保してから馬車を呼ぶ予定だったのか。

 二人の様子からおそらく前者だろう。


「……頭まで筋肉に侵された老人はまだしも、エルトディーン、貴方がそこまで頭が回らないとは思いませんでした」


 呆れたようにシオに非難されている二人はアドレンス王国の大貴族。常識的に考えればありえない。


 それどころか、シオはエルトディーン卿を呼び捨てにし、カナンヴェーグ殿に至っては脳筋老人扱いだ。余程、親しい仲なのか非難をされた二人は否定する事もなく受け入れている様子。


「ゔぅー。皮肉ばかり言うその口は縫ってしまうべきじゃな。いくら賢く強くあってもそれでは早死にするぞ」

「心配は無用です。時と場合と人を見て使い分けていますので」

「ほう、ワシと此奴ならば良いと判断しておるとな?」

「えぇ。私を罰すれば貴方の老後の楽しみが一つ消える事になりますからね。エルトディーンはそもそも呼び方や言葉遣いに腹を立てるような性格でもないでしょうし、コレを随分甘やかしたい性分のようですから私を害す事も無いはずです」

 

 淡々と、ただ淡々と言葉を紡ぐシオ。カナンヴェーグ殿は確かにそうだと豪快に笑うが、彼が言うように理由があったとて実行できる度胸がある者は彼以外いないと思う。

 


「真実なので言い返す事は出来ないが、殿下の前でこのような……」


 エルトディーン卿は少し恥かしそうに片手で顔を隠した。その表情は夜の闇で見えはしない。


「そのような事で恥ずかしがらず、別の事を恥じらいなさい。ともあれ、私達は先に戻ります」


 視線の先には妹のヒノ。

 彼女はゆっくりと立ち上がりシオの服の裾をギュッと握り締めている。


 私とテイコが結ばれている少女。シオは一時的だと言ったがどうしても意識はしてしまう。


 どんな姿をしていて、どんな性格なのか。私の立場上、此処で別れれば今後会う事も無くなってしまうだろう。そう思えば、出来ればテイコが繋がっている内にもう一度声を聞きたいなどと願ってしまう。


 私が声を出して願えば、声を聞く事も後に城に招く事も簡単に叶ってしまうのだが、今、彼女は大変な思いをして体に異常をきたしているというのに……自分かってな好奇心で負荷をかけるのは避けたい。

 それに、城に招きパレアの目に止まりでもしたら、ヒノに興味が無くともわざと私から取り上げるようわがままを言う可能性がある。そうなれば私はきっとその先ずっと後悔することになるだろう。


 今回の魔物討伐の報奨を後日与える事にはなるだろうが、城に招かずセテルニアバルナ家経由での対応が理想的か。

 ともかく、今は心からヒノに休んでほしいと思っている。


 彼ら兄妹が戻る先は、カナンヴェーグ殿と知り合いであるとこからして王都。だとしたら、体調の悪いヒノをつれて徒歩で夜の草原を抜けるのは困難だろう。


 今此処には馬が三頭、速度も出ぬし馬に負荷がかかるが、一頭につき二人で騎乗すれば一、二時間程度で王都まで行く事は可能なはずだ。


「待て、其方ら二人で戻るのも危険だろう。シオも疲労があるだろうし、ヒノをかばいながらの移動は酷だ。せめて門の中までは共に……」

「貴方は彼女が心配だからと、殿下を此処に放置する気ですか?」

「そう言うわけでは……」


 シオは別行動を望んでいるよう。あるいは、エルトディーン卿をヒノから遠ざけようとしているのかもしれない。

 私に対してもそうだが、シオはまるで、ヒノを誰にも渡さない、触れさせない、声など聴かせてやるものかとばかりに過保護に扱っている。


「皆で王都まで戻ればよいのでは?」

「私達は王都には戻りません」


 私の提案は即却下された。


「ならば、王都の次の町に?」


 此処から王都へ向かうより随分遠いはずだ。


「…………お気にならさらず」

「夜間の徒歩の移動は危険ではないか?」

「……問題ありませんので構わないで結構です」


 いや、大型の魔物を仕留められるシオが一人でいるのは問題ないかもしれないが、ヒノを連れての移動が危険でないはずがない。


「私達の心配より、殿下自身を心配された方が良いのでは? 私も早く帰るよう言いはしましたが、殿下は今、歩く体力もなければ、先程は立ち上がるのも困難そうでしたから、馬に乗せて引いたとしても落馬する可能性がありますよね? ライドを一旦帰らせて、翌朝に馬車を手配。今夜は此処で夜営が理想なのでは?」


 それが嫌なら、馬はライドに二頭引いてもらい、エルトディーンに抱えられて徒歩ですね。


 シオの発言に言い返す言葉もない。

 目と鼻の先にある王都に戻る事ばかり考えて夜営など頭にもなかった。自分の体の事を考えればシオの言う通りにするのが一番安全だ。無理をして王都に戻ろうとして、助けてもらった命を落馬などで落としていたら元も子もない。

 早く戻るに越した事はないが、騎士の手配は城で進んでいるはずなのだから焦る必要はないのかも知れない。

 


「ライドを帰すにしても、クラリードから来ている大型の魔物があれだけとは限りません。普段なら彼の実力があれば何の問題もないでしょうけれど、カナンヴェーグかエルトディーンどちらかをつけるのがよいかと」


 私達のみで、この場を治めるには時間がかかる。あるいは、帰る道筋を通してやらなければ自身が帰れない。


 そう思ってか、シオはサクサクと場を指揮して話を進めてゆく。

 

「ライドと行くのは私の方がいいだろう。お祖父様の方が殿下とも面識がある。しかし、結界を張るにしても、お祖父様と殿下だけでの野営はそれこそ新手の魔物が出れば厳しいだろう。シオ、悪いが其方らの拠点を間借りできないか?」


 ピシッ


 シオの服の裾を握っていたヒノが体を震わせ固まった。


「……それでは、こちらの気が休まりませんが」

「そう言うな。一晩だけだし、私が夜営用のテントを出すから……」

「ほぅ、私達はベッドで寝て殿下には外の土の上に寝てもらえと」


 射抜くような鋭い視線を向けられるエルトディーンは少しだけたじろぐ。

 夜営は学園の授業で軽く習う程度で貴族には基本縁が無いものだ。遠方に行く際は日が暮れる前に立ち寄った街で宿を取るのが常。

 実際に野外で夜を過ごしたのは昨夜が初めてだった。馬を休ませる為だったとはいえ、夜に野に腰を下ろしても気が休まる事はなく眠れる気など全くしなかった。

 おそらく、夜営道具があったとてそれは変わらないだろう。


「そう言うな。ワシの妻の故郷なのだろう? 今は誰の土地でも無いはずじゃ。拒否権はないだろう。小僧達がどのようにしたのか少し興味があったのだ」


 シオは拒絶するのを諦めて深いため息を溢した。


「…………言っておきますが、水も食事も出ませんからね」


 不服そうに目を細めているシオと対照的に、馬により手綱を持って今すぐにでも歩き出さんとカナンヴェーグ殿はケラケラ笑っている。


「エルトディーンは夜営道具を置いたらライドと直ぐに行け。非番の日に遅くまで帰らなければ此奴の妻も心配するだろう」

「…………」


 ライドは深く頭を下げると、すぐにでも馬に跨りたいとエルトディーン卿を何度も確認していた。


 二人が馬に乗って離れて行くのを見送ると、今度は私達の移動が始まる。

 さぁ、と背を押されて歩み行く方向は森の中。蛇の塒に村があるなど聞いた事がない。


 大型の魔物を相手する緊急時だったために今日は森を利用しようとしたが、普段なら、蛇の塒と森の境は曖昧な為に誰も近づく事などない。


 禁忌の土地。


 混沌の女神の棲家があった汚れた土地。皆がそのような認識を持っているはずだ。

 その森を進む事しばらく、目を細めて存在を疑いたくなる深い溝がある場所まで来るのにそう時間はかからなかった。徒歩十数分の道のり。

 途中から私はカナンヴェーグ殿に支えられ、馬の手綱はシオに渡された。ヒノは相変わらず俯きシオの服の端を握っている。


 全員が歩みを止めると溝に自然と土で出来た橋がかかった。


 細めていた瞳を開き、見渡すが、この場の誰も詠唱はしていない。

 シオはリズで属性を持たないし、私はもちろん魔法など使用していない。カナンヴェーグ殿は主に火の属性を得意としているし、土の属性は持っていないのでヒノが橋を無詠唱で作ったと考えられる。


 赤が火、青が水、黄が土。三色が基準であり、赤を青を混ぜれば紫、火と水で空気に流れが生まれ風になる。青と黄を混ぜれば緑、水と土により植物が芽吹く。赤と黄を混ぜれば橙、土を溶かし岩を作る。


 扱う属性は持つ色と深い関わりがあるが、属性の適正があってもその属性の魔法を扱えない事も多々ある。

 茶色は土や火の属性がやや強く、全ての属性に適正がある。ヒノ、彼女は明るい茶色の髪をしていたので、どの属性を扱っていても不思議ではない。


 驚いているのは私だけのようで、先に馬を引いて森の闇の中へ消えて行った兄妹の後をカナンヴェーグ殿と共に追う。


 橋越えると目を疑う光景。

 森の木々はそこに無く、広々とした何も無い空間。月明かりを遮る物は空間を囲う要塞のような高い塀のみ。

 振り返るとそこに橋は無い。

 

 私は、いったい何処に迷い込んだのだ。現実かどうか不安になり足下の土を踏み締めるが、確かな土の感触が伝わる。


「随分と様変わりしたものだな」

「カナンヴェーグ殿は此処へ来た事があるのですか」


 あたりをぐるりと見回し、ポツリと呟くカナンヴェーグ殿に訊ねた。


「えぇ。ワシの三人目の妻の故郷ですので、一度だけ頼まれて訪れた事があります。何十年も前の話でその時点で廃村、誰も住んでいない家屋がいくつかあるだけでした」


 今はその家屋は見当たらず、中央に半球状の何かがある事くらいしかわからない。

 人の気配も私達四人だけしか無いように思える。


「村の敷地もコレより狭かったかと。エルトディーンから聞いてはいたが、これほどまっさらにしているとは……」


 カナンヴェーグ殿からしたら思い出の土地が姿を変えていたのだから随分と悲しいだろう。


 歩みを止めていた私達をよそに、シオは馬を木に繋ぎ、ヒノは土でできた囲いから何か取り出していた。


 そして、半球状の何かに灯りが灯る。近づけば嗅いだことがないが心の落ち着く甘めの香りが漂う。よく見れば可愛らしい白い花が咲いている。


 入り口の前で立ち止まった二人を、湯気を上げている水の塊が包み、すぐに拡散した。おそらく、あれが風呂の代わりなのだろう。家を汚さない為に全身を洗ったのだ。


 ヒノは日常生活に魔法を常用できるほど魔力に余裕があるらしい。


 後を追うにも私は外套を纏っているとはいえ、中は切り裂かれた服に血が染みているし、地面に打ち付けられた事で土汚れも付いていて気がひける。


「息を止めてください」


 不意のシオの言葉。すぐにカナンヴェーグ殿と共に温かい湯に包まれた。


 息を止めるのが間に合わず、湯から解放されると咳き込んでしまう。湯に全身浸かったというのに不思議と体に水の気配は無く完全に乾ききっている。


「阿呆! 急にやられては攻撃されたのと変わらんではないか」

「夜営の準備をしたらまた汚れるでしょうけど少しはスッキリしたでしょう」


 確かに身体は綺麗になったように思うが、あっけらかんと笑みを携えたシオに不満を抱く。


 シオは瞳を細めて流し目でコチラを見たあと、室内の荷物を漁り服を一式取り出して差し出した。


「着替えをお持ちでなければ使用してください。先日購入したばかりですので袖は通していません」

「ありがとう。助かります」


 身長は私の方が高いが体格はそう変わらない為おそらく服は着ることができるだろう。差し出された服を受け取りありがたく借りることににする。


「では、殿下は着替えるついでに少し休まれてください。私は此奴と外で作業をして参ります」


 休めと言われても、どう休めというのだろう。

 見る限り、腰掛ける場所も無さそうだが……。


「なぜ私が」

「老人一人に作業を押し付けるもんじゃない」

「あなたは唯の老人ではないでしょう」

「ほれ、行くぞ」


 そい言って、カナンヴェーグ殿がシオの首根っこを掴んで出て行く。

 家、とは言い難い土で出来た半球状の空間にヒノと二人残される。


 ヒノはベッドに抱えていた白いモノを放ると外套を脱ぎハンガーにかける。そして再び白いモノを抱えてベッドに腰かけた。よく見れば白いモノは角を切られた角兎のようだ。魔物であるにも関わらず角兎は大人しくしてヒノに抱かれている。


 こんな風に女性の行動を視線で追うのは失礼だとわかっているのに目が離せなかった。

 茶色の髪に黒い瞳。整った顔立ちだがシオとはあまり似ていない。ただ、伏せ目がちな瞳や品のある仕草は彼とそっくりで兄妹なのだと思わせる。

 私の記憶や体験を共有した為に涙を流したのだろう、ヒノの目元は少し赤く腫れていた。


 それにしても、こんなに黒い瞳は見た事が無い。これ程神に愛されているのだから、水と土を自在に扱っていた事も納得できる。

 一体、この兄妹は何者なのだろう?

 何故、このような場所に二人で?


 彼女は私の視線に気づくと、角兎を抱えたまま机に紙とペンを出し"着替えないのです?"と書き込んだ。

 幼い子供の書く文字にしては歪みや癖がなく美しい。


「すぐに着替えます。貴女は具合はもう良いのですか?」


 私の問いには曖昧な笑顔で頭を少し傾けただけ。繋がったというテイコでその声を私に聴かせてくれはしないらしい。

 彼女の声が聞こえないだけで私の声だけが届いていたらと考えたらかなり恥ずかしい。


"殿下の傷はもう傷まないのです?"


 書き込んだあと、毎度、私を見上げる上目遣いがなんとも可愛らしい。


「えぇ、貴女のおかげで痛みはありません。ただ、力が入らないのは血を失ったからだと思います」


 ならよかった。そんな風にとれる微笑みを向けているヒノは"私も暫く外に出ておきますのでその間に着替えてください"と書き込んで離れてゆく。


 今思えば、この空間には着替える際に視線を遮る物が何もない。少し離れて並べられたベッドと荷物置き、テーブル、水瓶、木箱。それだけだ。人が住む空間としては色々と足りない気がする。


 外套を脱ぎ、ボロボロで再起不能な服を異空間収納に仕舞う。渡された服に袖を通すと少しだけ丈が短いが問題無く着ることができた。

 着替える際に改めて自身の身体を確認したが本当に傷一つ残っていない事に驚かされる。


 着替え終わって暫くすると、ひょっこり入り口から顔を出す角兎が見えた。これは……恐らく、声をかける事が出来ないヒノの精一杯の気遣いか。


「着替え終わっています。入っても大丈夫ですよ」


 そう伝えれば、角兎を抱えたヒノが一度礼をして入ってくる。

 

「その……貴女には言葉にしない私の声が届いているのですか?」


 そう尋ねると首を左右に振る。


"触れなければ繋がる事は無いとシオは言っていました"


 私の感情が漏れていない事に安堵する。

 その後もいくつか質問を繰り返すがヒノは紙に答えを記入するか曖昧な笑顔で誤魔化した。


 歳を訊ねれば、随分体が小さいのに十歳だという。何処から来たのか、何故二音の名を名乗るのか……。答えの無かった質問も多い。


 私の記憶を見てどう感じたのか。


 私の記憶の影響で具合を悪くしていた彼女に聞いて良いのかためらったが口にした。


 私は私の行動が正しかったのか知りたかったのかもしれない。そして、同じ体験を共有した彼女に肯定して欲しかった。


 ヒノは暫く考え込んだあと、短い言葉を紙に書き込んだ。


"人間を見たと……"


 あの凄惨な光景から、自己防衛の為なら他人を陥れる人間の汚さのような物を感じたようだ。


"殿下は何故それを訊ねるのです? あの場の判断は殿下の出した最善の答えです。どうすれば正解だったかは結果を見た人間が考える事で起きた事は変わらない"


 ヒノが紙にサラサラと書き込んでゆく言葉はやや古い表現で幼い子供が扱うものではない。読み解いても子供の言葉とは思えなかった。

 ヒノがパレアと同じ年齢だとは信じられない。ヒノに教養がありすぎるのか、落ち着きのないパレアに教養がなさ過ぎるのか、あるいは両方なのか。

 そう思わざる得ないほどに、二人には差があった。



"自身の不甲斐なさをせめて自分を苦しめたいのですか? 苦しめば犠牲になった者への償いになるとでも? そうなのなら自分を呪うとっておきの言葉を教えましょうか"


「え……?」 


 自分をせめて償いとし、許されたいのか?

と訊ねられたのだ。ヒノに心の深い所を見透かされたような感覚を覚える。


 

"手っ取り早く自分を嫌いになれる。自分をどん底に突き落とす言葉"


 そんな言葉があるのか。

 その言葉を私はヒノの言うように知りたいのか?


 ヒノは腕の中の角兎を撫でながらその真っ黒の瞳で私を見ている。


 その端正な顔立ちは幼いながらも異性を魅了するには十分で、キュッと閉じられている口元からは知性を感じるし、黒い瞳と対照的な白い肌はヒノを儚げに見せ庇護欲を掻き立てる。全ての所作に無駄がなく、姿勢は指の先まで美しい。髪を耳にかける何気ない仕草さえ艶かしく感じるのだ。

 

 家内には二人だけ。ドギドキと鼓動を速める私の心臓の音が聞かれているのではないかと思うとさらに恥ずかしくなる。


 触れたい。


 国の危機的状況の中、このような邪な感情を抱く自分が本当に嫌いになる。

 クラリードで今も尚、魔物に苦しめられている人がいるかも知れないと言うのに。何と不謹慎で自分勝手な感情を抱いているのだろうと。


 少し躊躇いながら伸ばされたヒノの指が私の指に少し触れる。


"大丈夫"


 幼い声が頭に響く。

 ずっと聞きたかった声だ。

 私を、地獄に歓迎した残酷な声。


「大丈夫…………」


 ヒノが伝えた言葉を口にする。

 けして呪いの言葉なんかじゃない。

 勇気づけるために私に?


 そう思って、彼女を見ると軽く首を振られた。


 "大丈夫じゃないかも知れないけれど"


「大丈夫」


 そう、大丈夫とは自分を騙す言葉か。

 確かにコレは呪いの言葉だな。


"魔物はもう倒したから大丈夫"

"クラリードは国の手が入るから大丈夫"

"私がいなくとも国は回るから大丈夫"

"王位継承はパレアがいるから大丈夫"


 触れていた指を離す。


「私は大丈夫」



 最低だ。

 真綿で首を絞められるように、自ら大丈夫だと口にするたびに心が苦しくなってくる。


 これ以上ない程に最低の自分を見た気がした。


「少し……外の様子を見てきます」


 ヒノにそう告げて逃げるように外に出た。

 

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