天使様は地獄と言った
※やや過激な表現が入ります。
※数回場面が飛びます。間の出来事はご想像にお任せします。
(第一王子視点)
クラリードの門まで戻ると、信じられない光景が目に入ってきた。
「……っ!」
「あれはいったい!」
言葉を失ったのは私だけではない。
阿鼻叫喚……。
大型の獅子の姿をした魔物が門の側で10人程の人間を襲っているのだ。逃げ惑い、切り裂かれ、食いちぎられる人々。門扉を叩く者もいるが門は閉じたまま開く事はない。
かと言って、門を開けたことで魔物を中に招き入れてしまえばクラリードは終わる。
あの大きさの魔物は、騎士団が一個小隊……30名以上を派遣する対象。とてもクラリードの戦力で対応できる魔物ではない。
無論、私の護衛騎士も優秀ではあるが、あの魔物を倒す事は出来ないだろう。
「なっ!!」
外壁の上から人が次々と落とされている?!
その非人道的な行為は、獅子の魔物の腹が膨れるまで続くのだろう。
落とされている者は痩せ細り、服装はボロボロ。もしかしたら、あれが保護されている農村の人間ではないのか?
そう思い至った瞬間、体の中にブワリと怒りが沸き上がる。
「ゆこう」
「殿下!」
「此処で見ていたら、彼ら(クラリードの者)と何ら変わりない。無理に倒そうとする必要はない。しばらく魔物の気をそらして欲しい。私が門ごと覆える結界を張るので無事な民を誘導し、全員でクラリードに戻る」
流石に、王子である私を門の外に締め出す様なことは無いと思いたい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
黄昏時、夜が顔をちらつかせる空は不気味な色に染まっていた。
助けられた民はそう多くはない。
当初の予定通り、門を覆える大きさの結界を張り、騎士が魔物の気を引いているうちに民を門の中へ避難させ、その後、土の魔法を使い、魔物に傷を負わせることで怯ませ、騎士達をを撤退させたのだ。
安全な場所に戻れた。
そう思った瞬間にドッと疲れが押し寄せる。
門付近の混乱の対応も程々に、領主の屋敷にもどり領主を部屋へ呼び出すと、向いに座らせ、ひとまず彼の言い分を聞いてみる事にした。
「これは、これは、よくご無事で」
「…………」
手を揉み、ニヤニヤとした笑みを携え私に声をかける領主。
「クラリードより南は酷い有様でしたでしょう。門の外にいる大型の魔物が暴れ回り、もはや人の棲む土地ではないのです。クラリードの砦の維持は本当に大変でして、何卒、支援金の方をよろしくお願いします」
クラリードが魔物の侵入を防ぐ砦の役割を果たしている。それは確かに事実かもしれない。民を餌に魔物の機嫌とりをして、侵入を防いでいるのだから。
しかし、それは許される行為ではない。
悪びれる様子もなく当然のように語る領主に怒りがこみ上げる。
「其方、民の命を一体なんだと考えている?」
「何とは? 私はこの街を守る義務があるのです。あの魔物からクラリード守る為には仕方がないのです」
「仕方がない? この様な非人道的な行為が許されると思っているのか? この件、しっかりと国に報告させてもらうぞ」
領主のニヤニヤとしていた顔は次第に赤くなり、寄せられた眉間の皺と握り込まれた拳が怒りをあらわにしていた。
「金も産まない、少ない物資を食い潰すだけのゴミのような者どもを私が何故養わねばならんのだ! あの者共も国の役に立って死ねるだけ幸せというもの! こんな痩せた土地を与えられた私の苦労など、城でヌクヌクと育った者にわかるはずもないだろう!」
人の味を覚えた魔物は人を繰り返し襲うようになる。人間は数も多く、足も遅く、力も弱い為、他の魔物や獣を狩るより楽に仕留められるからだ。
領主は反省の色がないどころか、王族批判まで犯す。報告がなされればどう足掻いても罰せられると開き直っているのかもしれない。
眉を寄せ、こめかみに手を当てたとき、
ドゴォオオン!!
南の方から大きな音と、ガラガラと何かが崩れる音がした。それと同時に街に悲鳴が響き渡る。
何が起こった?
覗いた領主邸の窓より信じられない光景が目に入る。南の外郭が大きく崩れ、先程の獅子の魔物が顔を出しているのだ。
「クソッ! お前らが魔物の機嫌を損ねたからだ! この街ももうお終いだ!!」
そう言って逃げ出す領主。
この状況。解決する気は微塵もないらしい。
私と騎士も外に出る。
領主が街に出た様子はないので屋敷内に隠し部屋でもあるのかもしれない。
「ニコラウス!殿下をお連れして王都へ!!」
「待て、私は」
ニコラウスと呼ばれた騎士はハイと返事をしたが、私は逃げるわけにはいかない。此処でこの魔物を食い止めなければ、此処より北に被害が拡大する。
「この街の者は信用なりません。何をしていたか、今し方、殿下もご覧になったでしょう。彼等には王都の騎士団宛に救援要請を言付ける事もできないのです」
確かにそうだ。命令を出していたのは領主だが、実行していたのは兵士だ。
民も自身を守るため、クラリードより南からきた難民の犠牲に目を瞑ってきたのだ。
明日は我が身かもしれないと怯えながら。
大事な伝言を届ける役目を与えるには信用に足りない。
グオォオォン!!
魔物が咆哮する。音が体に当たり、地が揺れたと錯覚するほど大きな叫びは、魔物に挑む者を怯ませる。
「私達では精々足止めができる程度でしょう。時間がありません。お急ぎください」
「すまない。必ず、騎士団を連れて戻る」
ニコラウスと呼ばれた騎士と共に馬屋に向かい駆け出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時折休ませつつも長時間駆けて続けている馬をそっと撫でた。
途中、怪我を負ったニコラウスは先程、王都より一つ前の村に置いてきた。今日、明日には迎えを出せるだろう。
私と馬はもう蛇の塒あたりまで来ている。あと半刻もすれば王都に着くはず。
そう、思った時だった。
ギャオォオン!!
後方で聞こえた魔物の鳴き声。
聞き覚えのある鳴き声にバクバクと鳴る心臓。恐らくクラリードで見た大型の魔物か。
私がここまで連れてきてしまったのか?
クラリードは? クラリードからここまでの間にあった小さな町はどうなった?
クラリードが落ちたのだとしたら、追ってきているのはこの魔物だけなのか?
夜間、馬を休ませていた時はあの魔物の気配などなかった。傷を負わせた私を匂いで追ってきたのか?
だとしたらこのまま連れて王都に戻るわけにはいかない。
王都の外郭は恐らくこの魔物に壊される事は無い。だが、門の側となれば多くの国民が出入りをしているし、都内の者も不安に晒す事になる。
どうにかして王都にこの事実を伝え、魔物を足止めしなくては。
見通しの良い草原で逃げ惑うよりは蛇の塒に導いた方がまだいい。馬も私も体力など残っていない。あの魔物を相手取って抑え込むことは不可能だ。森であれば身も隠しやすいし、他種の魔物も存在するので、そちらに目移りしてくれればと淡い期待を持つ。
森の入り口が見えてくる。
あと少し。
あと、少し。
その少しが間に合わなかった。
馬もろとも魔物鋭い爪にかかり宙に投げ出されたのだ。
咄嗟に結界を張ったものの、疲れ切った私の魔法は脆く魔物の攻撃に耐えることは出来なかった。
地面に打ち付けられた痛みの他、全身が焼けるように熱い。こみ上げてくるモノを吐き出せば、それは真っ赤な色をしていて、見れば全身が傷を負っている。
コレはもう助からないな。
皆、すまない。王都に救援要請を出すことも、クラリードに戻る事も叶いそうに無い。
瞳を閉じた。血が抜けてゆく。力が抜けてゆく。体が重い。意識が薄れていく。
私は終わるのか。
魔物はきっと私の四肢をバラバラにするだろう。そして何も残らない。
母上、私は何を成すことも無くこの世をたつようです。国のため国民のため、獣の足止めさえ出来ない私を情けなく思うことでしょう。
王都には優れた騎士が大勢いますので、あの魔物が王都に向かってもきっと大丈夫なはずです。
……そう、信じています。
母上、私はもうすぐ、同じところへ行きます。生まれた時より死ぬまで至らない私ですが、
どうか、
もう一度会ってくださるでしょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
此処は天国だろうか。
受けた傷を思えば、自身が生きているとは思えず、目蓋を閉じていてもわかる眩しさと全く傷みを感じない様から勝手に此処が地獄でなく天国だと認識した。
天国ならば、きっと母上もいらっしゃる事だろう。
フワリと温かい感覚に包まれて薄く目を開けると私の側に子供の姿があった。
逆光でよく見えないがおそらく女性だと思える線の細さ。羽は見えないが天使様なのだろうか。
天使様は私が見ている事に気づくとそっと私の額に触れた。冷たい指先が心地よく、瞳を閉じると急に眠気に襲われる。
「地獄へようこそ」
再び意識が遠のいてゆく中、無情な言葉が幼い声で発せられた。




