ティアの酒場にて(エルトディーン視点)
「遅い」
今は見慣れた木造建築。ギルドにほど近い酒場、そのカウンター前の高い椅子で足を組み替えながら低い声でいうのはヘスティア。彼女は私のいとこに当たる存在だ。今は事情により貴族の身分はなく、平民のティアと名乗っている。
先程、シオと剣を交えていた老いを知らない化け物のような男が私とヘスティアの祖父のカナンヴェーグ。祖父は騎士団長を引退後、何故か書類仕事が主な徴税局のトップに落ち着いた。
隣接するギルドの会長も兼任しているが、強いものには従うギルドの荒くれ者を纏めるのに一役かっているようだ。
祖父に出くわせば、婚姻関係や仕事関係で毎度のように説教を受ける私としては接触は避けたいわけで、会わないように早朝にギルドを訪れたのだが思惑外れて会議室に呼び出され、前回聞いた内容を延々と聞かされることになった。
その時点で、シオやヒノ、ヘスティアを待たせたが、シオと祖父が模擬戦をすることで更に待たせる結果に。
シオの実力が予想より遥かに高く模擬戦が長引いた事もありヘスティアは御立腹の様子だ。
「すまない」
「すまないとしか言わないなあんたは」
「ティアが帰った後、色々とあったのだ」
「だろうな」
何か起こるのがわかり切っていたからこそ彼女は早々に立ち去ったのだろう。期を見る力や人を見る力があるのは私がよく知っている。
カウンターに頬杖をついているヘスティアの視線は、何かあったのは見ればわかる。とばかりに私の隣に立つシオに向けられている。
シオは意識のないヒノを抱き上げていて、伏せ気味の視線で愛おしそうにヒノを見ている。普段、ツンとした言葉を使っていても心からヒノを大事にしているのだと伝わってくる。
ギルドにて、ヘスティアが帰ったあと何が起こったのかというと、中庭に向かった祖父がシオに剣を投げてよこし模擬戦をする事になった。
シオの魔力を込めた斬撃を受け、祖父が楽しそうに口角を上げると、本人達以外を巻き込むような激しい斬り合いが始まり、観戦している者たちに被害が及ばないよう私は結界を張る事となった。
倒れる木々や捲れ上がる地面。少し押され気味に避けに徹するシオを見て不安に思ったのか、次第にヒノから魔力が大量に漏れ出した。
漏れた魔力は、私の結界内にいる者に負荷を与える。無論、私も圧を感じたが、ギルド職員は平民や下級の貴族であり、ヒノの漏れ出した魔力に抵抗するだけの魔力は持ち合わせていない。
顔色を悪くして、立つ事も出来ず座り込んでいる面々に気づきもせず戦況を見守るヒノを見て、無意識下でこれだけの魔力を放出しているのだと思うと恐ろしささえ感じた。
ヒノに魔力が漏れている事を伝えると、彼女はすぐに放出を抑えて、座り込む者たちに近づき癒しを施した。
癒しは水の属性。しかし、水を扱うのとは異なり癒しを与えるには長年の修行が必要だと聞く。そもそも、聖職者以外に癒しを行えるものはほぼいない。
驚きを隠せなかった私。そして、施しを受けた者たちの恐れを抱いた顔を見ても何もなかったかのように前を向くヒノはとても子供には見えなかった。
そして、事は起こる。
私の服の裾を少しだけ掴んでいたヒノが淡く発光したのは、シオが祖父の斬撃を身に受けるかという瞬間、地鳴りとともに植物が勢いよく生えてきたのだ。
目を疑う光景だった。
一瞬にして、中庭は鬱蒼とした森のように木々で埋め尽くされ、あろうことか祖父は木に絡めとられている。そして、無傷のシオはコチラに駆け寄りヒノを抱き寄せた。
「馬鹿なのは知っていましたが、ここまでとは思いませんでしたね。無駄な魔力の消費でまた気絶したかったとは驚きです。買い物に行くのではなかったのですか」
シオの腕の中で弱々しい息をしているヒノにとどめを指すかのように口撃をつづけるシオ。
「途中、早く終わらないかと貴女がイライラしていたからこそ、軽く一撃もらって早々に切り上げられるよう配慮して、押され気味の演技までしていたというのに全て台無しです」
祖父相手に演技をする余裕があるという事は、この国のトップクラスの実力があるということ。
子供の姿で、二人ともこれだけの実力を持っている。この二人が、敵に回るような事になれば恐ろしい事態だ。何が何でも囲っておきたい。
「ヒノは其方を心配していたのだろう」
ヒノはシオを庇おうとして木をはやし、森を…………。
この森はどうするのだろうか?
ギルド職員が祖父を救出しようと鉈を奮っているが……。全てを切り倒し、元に戻すための人員や費用はどうなる?
貴族、しかも上級の貴族を張り付けにしたという事実。祖父はおそらく咎めはしないが、条件を出してきそうではある。コレは大丈夫な状態だろうか?
不意に魔力の波がヒノから広がると、繁っていた木々はシュルシュルと土の中に戻ってゆき、捲れ上がった土の上には再び芝が生えそろった。
祖父も無事解放されて、中庭も元通り……ではないな。一部、見覚えのない木や花が生えていて、ヒノの趣味に変更されているような気もするが、中庭としての機能を取り戻した。
「愚かな」
そう、呟くシオに何か言いたげに口を開くヒノ。声は出ないのだろうが、シオが軽く唇に人差し指を押し当てるとスッと意識を手放した。
その後、木から生還した祖父とヒノを抱き上げたシオ、そして私を含めて暫し話し合いの場を設けて結果……。
「ヒノが学園に通う事になった」
「ふぅん」
事情によりヘスティアが通う事がなかった貴族の子供の学舎。何かしら思うところがあるのでは……と、言いづらさを感じていたが、ヘスティアは気にした風ではない。
「そして、シオがお祖父様のもとで訓練を受ける事になった」
「いつからだい?準備は?」
「学園は二年後、ヒノが12になる頃。シオの訓練は定期的にギルドにて、あの表情からして騎士の訓練にも連れ出しそうな気はするが……」
「二年後?思ったより早いね」
「見た目が随分幼いが、第二王子や姪と同じ歳らしい」
「この子も難儀だねぇ」
私も、聞いてすぐは驚いた。見かけが6.7才ほどに見えるヒノだが、実際には10才らしい。それでも年相応ではないのだが、落ち着いてる印象に納得がいった。
「あんたは反対してたと思ってたけど、押し切られたんだねぇ」
「押し切られた……ともいえるが」
今日の事でヒノは早急に魔力の扱いを覚えるべきだと感じたのだ。扱える魔力の量に体が付いてきていない事と異常なまでの威力を制御する事も学ばねばならない。
シオは知識もあり、魔術も使えるが、リズの特性上魔法は使えない。ヒノに魔法を教えるのには向かないだろう。
その点を学園で補い、同年代の子供と関わる事で人見知り(トラウマ)を克服出来れば、いずれ引き込まれるであろう貴族社会に溶け込む事も可能になるはずだ。
「はぁ、色々考えこまなくても他のに目をつけられる前にアンタが貰っちまえばいいのさ。アンタには懐いてんだから」
「犬、猫のように言うな」
この国で一番神に愛された娘を王族を差し置いて娶れと……祖父とは不仲のヘスティアだか言う事は同じか。
しかし、その案は有り得ない。王族を差し置くのも憚れるが、歳が10以上離れているのだ。妻になど考えられない。ヒノも応じる事は無いだろう。
そもそも、私はヒノの叔父に志願したいのだ。いっそ、兄上のどちらかが養女に迎えてくれないだろうか。
あの、少し困ったような表情で服の裾を引き、物をねだられたら、きっと、何でも際限なく与えてしまう自信がある。
「そうはいうけど、この子に変な虫もつかなくなるし、アンタも結婚しろと説教される事もなくなる。アンタが夫なら、リズだからと兄妹がバラバラになる事もないし、学園に通ってもセテルニアバルナっていう身分の後ろ盾ができて妙な事に巻き込まれる事もないだろう。ついでに、こんな可愛いのを自分の好きに出来る。いい事尽くめじゃないか」
「…………」
細められたシオの視線を無いもののようにサラッと言い切るヘスティア。妹を溺愛している兄の前でよくそんな話ができるな。
「この話はやめよう。本来の目的は二人をティアに紹介する事だった筈だ。私は、昨日、今日と珍しく休みをもらっていたがしばらくは仕事で時間を作れない。王都で何かあればティアを頼ってくれ。力になってくれるよう頼んでいる」
「ま、面倒事を持ち込んでくれない事を願うばかりだね。力になる分見返りは求めるから覚悟しときなよ。そうだねぇ、今度アンタ達が住んでるとこに招いておくれよ」
ニコリ。笑顔を見せるヘスティア。
「今後とも、よろしくお願いします。今すぐは……本当に何も無い場所ですので、これから色々と整えた後にお招きしますね」
シオもニコリと微笑む。微笑んではいるが何を考えているのかは全くわからない。
彼女が今回、協力してくれるのは、私が頼んだからというわけではない。内容に興味や利がなければ彼女は私の頼みも断ってくる性格なのだ。
彼女が興味を惹かれたのは、今、シオ達が暮らしている場所について。ヘスティアの祖母の出身地。それが、蛇の塒の側にあった集落らしい。
その昔、蛇の塒の側の集落に住んでいた者たちは濃い色を持った者が多く、廃村になる前はよく妾として貴族に迎えられていたと聞いている。
祖父の第三夫人、その人は集落の出身で使用人として屋敷に入ったものの、祖父が気に入り、周囲の反対を押し切って第三夫人したという。
そして、生まれたのがヘスティアの母……私の乳母だった人だ。
まるで呪われているかのように男ばかりが生まれる男系一族であるセテルニアバルナの家系。祖父の子供で唯一の娘である彼女を祖父は随分可愛がったらしい。
後に他貴族に嫁ぎ、ヘスティアを産んだ彼女は私の乳母となった。なので、共に育ったヘスティアは私にとっては姉と同じような存在だ。
そして、当時は唯一の孫娘であるヘスティアを祖父はかなり可愛がっていた記憶がある。同じ孫でも私や兄達は扱いが異なり、剣術を叩き込むために日々ボロボロになるまで訓練された記憶しかない。
蛇の塒に神の名。それを私に教えてくれた乳母は、それを知られてしまったが故に消されてしまった。
乳母の嫁ぎ先の貴族にも相応の罰が下されたらしいが、トカゲが尻尾を切るように彼らはヘスティアを手放した。親を失った彼女は平民に落とされる事となり、名を制限されティアとなった。
心の中ではヘスティアと呼んでしまうので、ふとした瞬間ティアと呼ぶのを忘れてしまう。
突然に姿を見せなくなった彼女等の事を知ったのは、私が兵士として働き市井に出た後の事だ。詳しくい事は今も私に知らされる事はない。
きっと、今後、ヘスティアが語ってくれる事もないだろう。
名を奪われること。平民として生きること。それらは、幼いヘスティアには辛く厳しいものだった筈だ。それを一切匂わす事のない彼女は、さすが、元貴族の娘だ。
「この後は買い出しなんだろう? 嬢ちゃんは私が見とくから、移動収納がいる内にいる物全部買って運ばせるといいさ」
ハハッと笑いながら、異空間収納もちの私を便利な荷物持ち扱いするヘスティア。相手が私でなければ物理的に首が飛ぶ内容だが全く気にも留めていない。
シオは少し考えた後、ヒノをソファーに寝かせてヘスティアに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「ほらほら、さっさと行った行った! 今日中に家に帰るんだろ!」
そして、男二人、外に追い出されるようにして酒場から街に出るのだった。




